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117 にゃんの衝撃


「にゃん、にゃん♪ ごろにゃーん♪」


 ルシアが楽しそうに鼻唄を唄っている。



 宴の翌日。


 タッカーパーティーの日課である早朝の走り込みに、ルシアとカイトも参加した。ルシアはユキと離れたくないらしく、ユキの行くところにはどこでもついて行こうとする。それは、カルガモの雛が必死に親鳥の後を追いかけているようで、見ていて微笑ましくもある。

 カイトはさすがに鬱陶しくはないかとユキを心配したが、当のユキは母性本能を刺激されるのか、むしろ嬉しそうに甲斐甲斐しくルシアの面倒を看ているばかりか、油断しているとカイトの世話まで焼こうとしてくるのだ。

 ルシアにご飯を食べさせていたかと思うと、「はい、カイトさんも『あーん』してください」と、ふーふーしたスプーンを口元に差し出されたときは、頭の中が真っ白になった。どうにか誘惑を振り切り丁重にお断りしたが、際限なくルシアを甘やかす様子を見るに、これは底無し沼である。一度嵌まってしまえば、どこまでも際限なく堕ちていってしまいそうな危険性を感じた。



 そして自主トレを終えた後、ユキとリズが町でルシアの装備を見繕うことになった。


 一旦宿に戻り、シャワーで汗を流した三人はリズと合流して町に繰り出すのだった。


 最初は「よくわかんない」といった顔のルシアだったが、ユキとリズの着せ替え人形となって「すごくかわいいです!」「ヤバッ!マジキレイ!」などと誉められるとまんざらでもないようで、すぐに上機嫌となった。


 最初に立ち寄ったブティックは冒険者向けの機能的な服を専門に取り扱う店だったが、そこは大都会らしく品揃えが豊富で、ユキとリズのコーディネートによってルシアは十分にお洒落な装いになっていた。


 色々と買い込んだが、今のルシアの服装は黒のタンクトップにモスグリーンのハーフパンツ、丈は腰上までしかないベージュ色の革の上着を羽織り、腰には武器や道具を吊るす為の黒革のベルトが巻かれている。上着は首回りを守るためか幅広の詰め襟がついていて、可愛らしい民族っぽい刺繍が施されていた。足元は町中ということもありローヒールのサンダル履きで、脚まで届く長い黒髪は赤いリボンでポニーテールに纏められている。


 部屋着のような服装でさえ注目を集める美貌のルシアがまともな格好をして無邪気な笑顔で歩いていると、男たちは目をハートマークにして振り返る。

 それでもカイトは、もうそこまで人目を気にする必要はないと判断して好きにさせることにした。


 先日の世界の各都市に向けた映像で、ルシアとは別人の魔王が顔を晒し、最大の懸念だったタッカーたちも味方に引き入れることができたからだ。


 これからは、ルシアは魔王アルシアザードではなく冒険者ルシアとして大手を振って町を歩くことができる。


 次に立ち寄ったのは防具屋で、朱色のハードレザーの鎧にマント、ブーツなどを選んだ。

 ルシア曰く「べつに鎧はなくても困らない」とのことだったが、あまりに軽装で町の外やダンジョンを彷徨くと悪目立ちする上に冒険者にも見えない。やはり最低限の装いは必要だろう。


 姿見の前でレザーアーマーを試着したルシアをユキとリズが取り囲んで楽しそうに話し込み、カイトは少し離れてその様子を眺めていた。


「む? リズよ、これはどうすればよいのじゃ?」 


「ああ、肩当ての裏に留め具が付いてるから、ピンをマントの穴に通して……そうそう。色はこれでいい?」


「黒は落ち着くのじゃが、ちょっと飽きたかもしれんのう。うむ、ユキとお揃いがいい」


 ルシアが商品棚を指差すと、カイトは黙って棚から紫色のマントを抜き取ってユキに手渡す。


「ありがとうございます!」


 ユキはマントを受け取ると、リズと二人でチャカチャカとルシアに装着していく。


「おお! なかなか良いのではにゃいか?」


「はい! とっても似合ってますよ!」


「ていうか、なんでも似合っちゃうわよねー」


 ルシアが姿見の前でくるりと一回転すると、真新しいマントと長い黒髪が翻る。


「どうじゃ、カイト!」


「うん、いいんじゃない? なかなかさま(・・)になってるよ」


「くふふふふっ」


 カイトが答えると、ルシアは嬉しそうな顔で含み笑いを漏らす。

 思わず見蕩れそうになったカイトは、慌てて目を逸らした。


 同じ色の腕甲や予備のマントなども追加して、会計に持っていく。

 対応したのは若い男の店員だった。


「これが欲しいにゃん♪」


「は、はい……」


 店員は満面の笑顔で招き猫のように手をクイクイさせるルシアをちらりと見ると、顔を真っ赤にして紙袋に商品を詰め込む。 


「あの……マント留めをサービスしておきます」


 店員は三日月のレリーフが彫られたマント留めを紙袋に入れてくれた。


「ありがとにゃん♪」


「あわわ……し、試供品のレザーワックスがありますのでこれも……」


「うれしいにゃん♪」


「はう……!」


 試供品を手当たり次第に紙袋に詰め込み始めた店員を見て、カイトはルシアの脇を肘で突いた。


「おまえ……何処でそんなあざといの覚えてきたんだ」


「にゃんのことじゃ?」


「さっきから気になってたけど、そのにゃんにゃんいうやつ。悪いとは言わないけど……」


 むしろ癒されるのだが、男にとってその破壊力はあまりにも絶大だった。


「うむ、これはミイちゃんとのコミュニケーションを円滑にする言語じゃな」


「え、誰?」


「そのうちチャオとバルバルが連れてきてくれるはずにゃんじゃが」


「だから、誰!?」


 カイトが宿を離れていた間、ルシアが何をしていたのかは知らない。どうやら町の誰かと交流していたようだ。

 ルシアがカイトに理解できるように説明してくれるかということにはあまり期待していないので、とりあえずこの場は流すことにした。


(まあ、暇なときにでも聞いてみるか)


 にゃんにゃん鼻唄を唄うルシアをカイトは生暖かい目で見守るのだった。



◇◇◇◇



 そのころ、タッカーとカイゼルは鍛冶屋を訪れていた。


 町外れにあるその工房は見るからに寂れた外観だが石造りのしっかりとした建物だ。


「ずいぶんとのんびりしてたじゃねえか。約束の納期は、とっくに過ぎてるぜ」


 手作りの椅子に腰掛けたドワーフが、不機嫌そうにタッカーとカイゼルを睨みつけた。

 汚れたボロ布のような上衣を羽織り、浮浪者のように捻れた長髪は顎髭と一体化している。小さい体ながらも半袖の袖口から突き出した丸太のような腕とシャツを引き裂かんばかりに盛り上がった大胸筋は、いかにもドワーフらしい頑健な肉体を誇示していた。


「すまんな、ヴィルダー。ちょっと城に監禁されていて、ようやく動けるようになったのが昨日なのだ」


「ああ? じゃあ、なんで昨日に取りに来ねえ!」


「昨日は、アレだ。釈放祝いで呑んでたからよ」


「ああ、なるほど。そりゃあ、仕方ねえな」


 ドワーフのヴィルダーはカイゼルの言い分に納得したのか、あっさりと怒気を静めた。


「迷惑料として代金は色をつけておく」


「ふん、いいだろう。じゃあ、いつものヤツをやるか。今日はどっちが相手だ?」


 ヴィルダーは鋭い目を光らせて立ち上がると、雑然とした部屋の隅から分厚い大理石を磨いた小さな丸テーブルを持ち出して部屋の中央に設置した。

 それを見たカイゼルがニヤリと笑って進み出る。


「今回は、俺の番だ。目にもの見せてやるぜ、ヴィルダーの親父」


 上半身に何も纏わないカイゼルは、日に焼けた赤銅色の肉体を揺らしてグルグルと右腕を回した。


「確かに、身体はまたでかくなったようだな。俺に勝てば三割引きだ。こい!」


 ヴィルダーがテーブルに右肘を置くと、カイゼルも正面から肘を着いてヴィルダーの手を握った。


「では、いくぞ」


 タッカーがコインを親指で弾き、跳ね上がったコインが床に落ちた瞬間、ヴィルダーとカイゼルの筋肉が膨れ上がった。


 凄まじいエネルギーがぶつかり合い、部屋の体感温度が上がる。それでも握った二人の腕はその位置からピクリとも動かない。


「ほう……こいつは……。やるじゃねえか、小僧」


「へっ、この一ヶ月、筋トレ以外にすることがなかったからな。今日こそは引導を渡してやるぜ」


 カイゼルが不敵な笑みを浮かべる。やがて二人の顔に汗の珠が浮かび、握った腕がブルブルと震え始めた。

 体の大きさで見ればカイゼルの方が遥かに上だが、その表情に余裕があるのはヴィルダーの方だ。


「ここまでやるヤツは、ここ十年は居なかった。だが、まだちぃと足らねえようだな」


 ヴィルダーが僅かに身体を左に傾けると、ついに均衡は崩れ、徐々にヴィルダーの腕がカイゼルの腕を押し始めた。


「ぬかせ! まだ負けるかよ!」


 カイゼルが吼えると、さらに筋肉が膨れて押し返し始める。

 そのときだった──


 バキン!


 乾いた音を立てて大理石のテーブルが真っ二つに割れた。


 ひしゃげた脚からこぼれ落ちた半円形の石がゴロリと転がって倒れる。


 ヴィルダーとカイゼルは、がっしりと手を握り合ったまま、しばし呆けた顔で睨み合っていたが、やがて堰を切ったように笑いだした。


「ガハハハハ! これは傑作じゃ!」


「ブハハハハハ! なんだ、こりゃあ!? あっちもこっちもボロボロじゃねえか!」


 一頻り笑うとヴィルダーは目尻に涙を溜めながら口を開いた。


「しょうがねえ、これはこっちの不手際だ。今回は俺の負けにしといてやる」


 だがタッカーはその言葉を手で制した。


「いや、今回は仲間の旅立ちを祝う贈り物だからな。値引きは不要だ」


「まあ、あのまま()ってたら俺の負けだったろうしな。引き分けでいいだろう。そういう訳で今日は祝儀を持ってきた」


 カイゼルはザックからウィスキーの瓶を取り出すと作業台の上に置いた。その横にタッカーが10枚の金貨を積む。


「なんか納得いかねえが、俺は勧められた酒は、ありがたく貰うことにしてるんでな。まあ、こいつは借りにしとく」


 ヴィルダーはそう言うと、奥の扉を開けて工房へと向かい、しばらくして菓子折りサイズの木箱を手に戻ってきた。


「こんなのを造るのは初めてだったが、素材も良かった。自分で言うのもなんだが、業物だ」


 タッカーは雑に手渡された木箱を受け取り、中身を確認する。


「ほお……」


 タッカーとカイゼルは感嘆のため息を洩らした。




 工房を後にしたタッカーとカイゼルは大通りへと向かう。

 昼にはギルドの酒場でカイトとルシアを含めた仲間たちと落ち合い食事をする約束をしている。

 約束までにはまだ時間があった。


「他のヤツらはともかく、ユキは女の子だしな。これをそのまま渡すのもいかがなものか……」


 タッカーは顎に手をあてながら眉間に皺を寄せる。


「おう、俺もそう思って、リズから良い店を聞いておいたんだ」


「さすがはカイゼルだ。気が利くではないか。では、案内を頼めるか」


「まかせとけ」


 そうして二人が向かったのは、武骨な男二人には縁のなさそうな小綺麗な洒落た雑貨屋だった。

 客層は若い女性が圧倒的に多い。純朴そうな少年が可愛らしいアクセサリーを手に悩むのは、好きな女の子へのプレゼントだろうか。 

 二人のボキャブラリーにファンシーショップという単語は存在しないが、ならず者どもが出入りするような店でないのはなんとなく分かった。


「ふむ……この店は武装して入っても大丈夫なのか?」


「武装っつっても軽装だしな。見たところ警備兵も置いてねえし、問題ねえだろ」


 この場合の『問題ない』は、たとえ問題があったとしても力づくで止められる心配がないという意味だ。


「なるほど、では行くか。推して参る!」


「応!」


 剛胆な二人は、どう見ても完全アウェイな可愛らしい店舗に悠然と足を踏み入れる。


「ヒィッ!」

「キャアッ!」


 短い悲鳴があがり、二人の周囲から波のように人が引いていく。それなりに混雑した店内ではあるが、二人は聖なる結界に守られた勇者のように、なんの障害もなくぐるりと店内をまわった。

 やがてサービスカウンターを見つけた二人は足を止める。


 アレッサ・ロードランド15歳アルバイト店員は、突如現れた鋭い目で見下ろす筋骨隆々の大男たちに顔を青くした。


 片やプレートメイルを着込みなぜか怒りの形相で睨んでくる金髪イケメン。

 もう片方はなぜか上半身が裸で、綱のように盛り上がった赤銅色の筋肉は魔獣のような威圧感を放っている。


 アレッサがガタガタ震えていると、金髪が重々しく口を開いた。


「ここでは、『らっぴんぐ』というものをしてくれるそうだな?」


 アレッサは泣きそうになりながらも接客マニュアルに従い、お客様の目を見て返事をする。


「は、はい。当店で購入された商品ですと、サービスで行っております」


「…………」


 金髪の眉間の皺がググッと深くなり、アレッサは気を失いそうになった。


(お父さん、お母さん、ごめんなさい。わたし、今日、死ぬかも……)


「じゃあ、持ち込みのらっぴんぐはできねえ、と。そう言いてえのかい、お嬢ちゃん」


 裸族が威嚇するように歯を剥き出した。


「ヒッ! も、ももも申し訳ございません! き、規則でそうなっておりまして……!」


「ならば……」


 『死んでもらう』という言葉が金髪の口から紡がれるのを覚悟したが、出てきたのは別の言葉だった。


「なにか商品を購入するので、そのついで(・・・)というのは、どうだろうか? もちろん、その分の対価は支払おう」


 どのような条件であろうと持ち込みのラッピングサービスは取り扱っていない。だが、これ以上の否定は命に関わるだろう。裸族の腰にぶら下がった剥き出しの手斧を見て、アレッサはゴクリと唾を飲んだ。


「は、はいぃ、そ、そのように……します! いえ、さ、させてください!」


「うむ、交渉成立だな。では、適当なものを見繕うとしよう」


 金髪と裸族は凶悪そうな笑いを浮かべると、店の中を這廻し始めた。


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