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115 商会ギルド


 翌日、バルログが約束よりも早い時間に酒場を訪れると、すでにリカルドは入口に近いテーブル席に座っていた。


「よお、早いじゃねえか」


 バルログを見つけたリカルドが手を上げる。


「ああ、リカルドこそ」


 バルログは答えてリカルドの向かいの席に座った。


「俺も、いま来たところだ。とりあえずメシにしようぜ。昨日から、なにも食ってねえ」


 入念に下調べをしてきたのだろう。あくびをしながら言うリカルドに、なんだか申し訳ない気分になる。

 リカルドはこういった準備に手を抜かない。考えてみれば、クエスト前の情報収集や下準備は、いつもリカルドが一人でこなしているのだ。他のメンバーが手伝うこともあるが、それはリカルドの指示があった場合だ。バルログ自身も黙ってリカルドの指示を待つだけだったのであまり気にしたことはなかったのだが、あらためて戦闘以外でのメンバーの役割を思い浮かべると、パーティー活動の負担はリカルド一人に集中している。

 それでもその事に関しては文句の一つも言わないリカルドには頭が下がる思いがした。


 通りがかったウェイトレスにモーニングセットを二つ注文したリカルドに、なにかを言わなければと思ったバルログは、迷いながら口を開く。


「あの……ありがとう」


「あ゛? おごるとは言ってねえぞ。ワリカンだ、馬鹿野郎」


「ち、違うって! そ、その…………俺も、リカルドを手伝えるように勉強する。今まで、なにもしてこなかったから…………ごめん」


 リカルドは、一瞬きょとんとした顔をしてからため息を吐いた。


「まさか、おまえがそんなことを言うようになるとはな。言っとくが、俺は好きでやってるんだぜ。俺が好き勝手できるようにな。そのために、テメエじゃ動かねえ、考えねえクズどもを選んで仲間にしてるんだ」


「…………」


(俺も、そのクズの一人ですね。すみません、はい)


「それなのに、ずいぶんとまともになってきたじゃねえか。もう、見た目じゃ人間と区別がつかねえな?」


(いや、人間ですよ?)


「歩き方がおかしいって、レイクさんが教えてくれたんだ。いつの間にか染み着いてて、自分じゃ気づかなかった。言ってくれたら外を歩くときぐらいは気をつけたのに」


「あれはあれで、箔がついてよかったんだよ。気味悪がって、絡んでくる奴もいなかったろ? それじゃあ、スラムに居た貧相なガキの頃と変わらねえじゃねえか」


(いや、マジで注意してくれよ。いつの間にか《人食い蜘蛛》とか変な二つ名ついてるし……)


「リカルドには感謝してるよ。俺は、リカルドがいないと路頭に迷っていただろうし、今だって一人じゃ生きていけない。でも、それじゃ駄目なんだ」


 自分でも驚くほど、詰まることなく言葉が出ていた。

 背中の疼痛を感じながら、バルログは(たぶん、俺はもう大丈夫だ)と、なんとなく思った。


 リカルドは少し驚いた顔で目をみはり、値踏みするようにじっとバルログを見つめて


「けっ、勝手にしやがれ」


 と、突き放すように言ってそっぽを向いた。



 それから遅めの朝食を採ると、「んじゃ、行くか」と言ってリカルドは席を立つと行き先も告げずに歩き出した。バルログは黙って後に続く。


 ギルドの扉を開けて通りに出てすぐのことだった。


「リカルド!」


 待ち構えていたらしい、年配の女性がリカルドの名を呼びながら近付いてきた。

 汚れた服を着て頭髪には白い色がかなり浸食している。若い頃は美人だったのだろうと思わせる顔立ちだが、肌は荒れて皺が目立ち、みすぼらしい身なりをしていた。


 リカルドが苛ついたように舌打ちをした。


「またテメエか、ババア! いい加減にしやがれ!」


 リカルドは年配の女性を振り切るように足を早めるが、女性はリカルドにすがりつくように食い下がった。


「リカルド! わたしだよ! 母さんだよ!」


(え!?)


 バルログは驚いて足が止まってしまった。


 よく見ると女性の目もとがリカルドに似ているような気がして、思わずリカルドの顔に目を向けると、リカルドは怒りに顔を歪めて女性を蹴り倒した。


「お、おい! リカルド!」


 慌てて制止したバルログの腕も荒々しく振りほどく。

 一般人相手にリカルドがここまで感情的になることは珍しい。


「リカルドォォ……わたしを忘れちまったのかいぃ…………」


 リカルドは拳を握りしめて深呼吸をすると、哀れっぽく慟哭する女性を冷たい目で見下ろした。


「母親だと? 俺は、テメエなんざ見たこともねえ。連れ込んだ男と一緒に散々俺をいたぶってくれたあばずれなら、俺がこの手で見つけ出して、できるだけ苦しませてぶっ殺すって決めてんだよ。物乞い風情が、この俺様に近付くんじゃねえ!」


「リカルドォォ……アンタ、ずいぶん羽振りがいいんだろ? 少しでいいんだ、恵んでおくれよおぉぉ……」


 リカルドは低い声で恫喝するが、女性はまともに話を聞いているようには見えない。


「クソがッ!!」


 リカルドは叫ぶと手にした物を女性の頭めがけて叩きつけた。


 ドスッ! と重い音を響かせて防御した女性の腕に当たったそれは、ジャラリと音を立てて銀色の硬貨を地面にばら蒔いた。


「ヒッ! ヒヒッ! ヒイイッ!」


 女性は笑い声を上げて、散らばった銀貨を夢中で掻き集め始める。


「次にまとわりついてきやがったら殺す! その薄汚ねえツラを二度と見せるんじゃねえぞ!」


 狂ったように笑い続ける女性に背を向けて、リカルドは歩き出した。


 バルログはオロオロと女性とリカルドを交互に見ていたが、振り向かずに歩き去るリカルドを追いかけた。


「リ、リカルド……あの人って…………」


 リカルドは下手に声をかけただけで殺されそうなオーラを纏っていたが、訊かずにはいられなかった。


「ああ、あれな。タチの悪い物乞いだ。薬のヤりすぎで話も通じねえみたいでな。ちょっと名が売れると、ああいう手合いも増えてくる。ま、おまえも気をつけるんだな」


「え? う、うん…………」


 リカルドは何事もなかったように軽い口調で答えて、ニヤリと笑った。

 それ以上なにも訊くことができず、バルログは黙ってリカルドの横を歩いていた。



「おい、バルログ。おまえ、スラムに来たときのことを覚えてるか?」


 しばらくすると、リカルドがぽつりとそんなことを聞いてきた。

 リカルドがそんな立ち入ったことを聞いてくるのは初めてだったので、少し驚く。


 山猫のメンバー同士でも、わざわざそんなことを尋ねることはあまりない。楽しい話ではないことは分かりきっているからだ。


 チラリと横を見ると、リカルドはつまらなそうな顔であくびを噛み殺している。


「ああ、覚えてるよ。親の顔は、もう思い出せないけど。俺は、ガレオンの近くの村に住んでたんだ──」


 幼いころ、友達と一緒に花畑を走り回ったり、川遊びをしていたのをおぼろ気に覚えている。記憶のなかで、あの頃が一番幸せな時期だったのかもしれない。

 いま考えると、家はけっこう貧しかったのだろうが、幼かったバルログには分からないことだ。


 ある日、町まで買い出しに行くという父に連れられて馬車に乗った。けっこうな時間、荷台で揺られていたと思う。ガレオンに到着すると、また馬車に乗り、さらに長い距離を歩いて寂れた通りにたどり着いた。


 父は通りの端にバルログを立たせると、珍しく屋台で買った干し芋をバルログの手に押し付けて、「用事があるのでここで待っていろ」と言って立ち去った。


 村を出る段階で、なんとなく嫌な予感はあったのだ。

 父の背中を見送りながら、子ども心にもう二度と会えないのだと思った。

 それでもバルログにできることなどなく、ぼろぼろ涙を溢しながら見えなくなるまでその背中を見ていたのを覚えている。


 バルログは言いつけどおりに父を待ち続け、丸二日が過ぎた頃に、空いた腹を押さえて静かにその場を立ち去った。


 それから屋台の商品を盗んだり残飯を漁ったりしながら、一年以上は過ごしたと思う。

 とうとう力尽き、通りの片隅で倒れていたら縄張りの巡回に来ていた山猫の幹部に拾われた。


 冒険者になってからは、今までほとんど思い出すこともなかった話だ。


「なんだ、普通だな。つまらねえ、聞くんじゃなかったぜ」


「…………」


 自分から聞いておいてヒドイ言い様だが、リカルドの言う通り、それは特に珍しくもない話だった。


「……それで、おまえは親に会いたいとか、殺したいとか思ったことはないのか?」


 今日のリカルドは本当にどうしたんだろうかと思い、バルログはまた横顔を盗み見るが、その表情にはなんの感情も読み取れない。


 少し気だるげな顔を見ながらバルログは少し考え、言葉を紡いだ。


「べつに……会いたいとかは、ないな。話すこともないし、気まずいだけだよ、きっと……」


 他人と居るだけでも辛いのに、自分を捨てた親と向かい合う沈黙の時間を想像しただけで胃が痛くなりそうだ。


「どうせなら殺してくれたらよかったのにって思うことはあったけど、今は、殺さずにいてくれて感謝してるよ。生きてさえいれば、辛いことだけじゃないってわかったから」


 そんなふうに思えるようになったのは、ここ最近のことだ。


「感謝ねえ……俺には理解できねえな。邪魔にするなら、初めから産むなっつーの」


 リカルドは他人事のように呟くと、通りの左手にある大きな建物に入っていった。


 扉の横の看板には『商会ギルド中央支店』とある。


 バルログは一瞬戸惑ったが、ポルトの父親が商人で今は行商に出ているという話を思い出した。


 待合室のロビーは思ったよりも広く、受付の窓口は用件の内容毎にいくつかのブロックに区分けされている。

 リカルドは一般窓口の列に適当に並んだ。


 たいして待つこともなく順番が来て窓口にたどり着いた。

 担当は黒縁の眼鏡を掛けた理知的な若い女性だった。


「いらっしゃいませ。本日は、どういったご用件でしょうか?」


「クロト・ベルズマンっていう商人が商会ギルドの会員か確認したい。今は行商に出てるらしいが、家族はガレオンで暮らしている」


 リカルドはカウンターに肘をついて気安く応答する。

 見た目で冒険者というのは丸わかりだが、帯剣をしてるので護衛の兵士がこちらをチラチラ見ていた。


 ちなみにリカルドはチェニックの上衣と皮のズボンの上にハードレザーの鎧を着込んでいる。バルログは黒装束に身を包み、服の下に鎖帷子(くさりかたびら)を着込んでいた。以前はさらに黒いマントに頭巾を被り、目もとだけしか出さないスタイルだったが、今は素顔を晒すようにしている。


「それは、会員の個人情報となりますので……。失礼ですが、確認請求の理由をお尋ねしてもよろしいでしょうか」


「おお、しっかりしてるねえ。俺は、こういう者だ」


 そう言ってリカルドは懐から冒険者カードを取り出して差し出した。人指し指でクイクイ促されて、バルログも冒険者カードを提示する。


「リカルド・ベンウッド様…………Bランクの冒険者ですか?」


 カードを確認した受付嬢は、目をぱちくりさせてリカルドとバルログを眺めた。


 Bランクの冒険者が動くのは、それなりに金になる大きなクエストというのが一般的なイメージだ。


「昨日、スラムの施設に監禁されてた市民が救出されたんだが、そのなかに10歳と8歳の兄妹がいたんだ。今は冒険者ギルドの施設に保護されているが、その兄妹の父親がクロトっていう商人らしい。母親は病死していて、アパートを追い出されて行く宛もないんだとよ。ギルド会員の身内なら、そこらへんの保障とかあるんだろ?」


「わ、わかりました。調べてきますので、少々お待ちください」


 リカルドの話を聞くと、受付嬢は顔色を変えて事務所の奥へと消えていき、しばらくすると戻ってきた。


「お待たせしました。クロト・ベルズマンは当商会ギルドの会員に間違いありません。クロトにはできるだけ速やかに連絡を取るようにします。当ギルドには行商に出ている間、家族の面倒を見る施設もございます。冒険者ギルドにはすぐに職員を向かわせますので、確認が取れ次第、その兄妹はこちらで保護いたします。それと……幼い兄妹がアパートを追い出されたという経緯はご存知でしょうか?」


「細かいことは分からねえが、いまその部屋に住んでるのは、あの辺りの不動産を取り仕切ってるアルデオファミリーのベイルデンって野郎の片腕だ。アパートのオーナーはベイルデンにべったりらしいから、だいたいの想像はつくだろ」

 

「アルデオファミリーですか…………」


 受付嬢は呟くと、悔しそうに唇を噛んだ。

 商会ギルドとしては、マフィアと揉め事を起こしたくはないだろう。

 下手に睨まれると商売がやりづらくなる。場合によっては円滑に活動するためにマフィアに袖の下を渡すこともあるのだ。

 この件に関しては、商会ギルドが深く踏み込むとは考えにくい。


 それよりも、バルログはリカルドがこの短時間にそこまで調べ上げていることが驚きだった。


「ま、商売人にマフィアの相手までは期待してねえよ。こっから先は冒険者の仕事だ。ガキどもの面倒は任せたぜ」


 リカルドはそう言って窓口に背を向けると、商会ギルドを後にした。



「とりあえず、おまえが請け負った仕事はこれで完了だ」


「こ、こんな簡単に?」


 冒険者ギルドを出てから、まだ一時間ほどしか経っていない。バルログが考えていたよりも、ずいぶん単純なクエストだったようだ。


「一般常識があれば、こんなもんだ。やろうと思えばあの調査官一人ですぐに片が付く。だが肝心のクエストは領主とギルドが和解しちまって骨折り損になっちまったから、ちょっとでもおまえに良い報酬を出せるように工夫してるんだろ。ずいぶん気に入られたようだな」


「…………」


 バルログは、レイクとチャオがそこまで気を遣ってくれていることに自分が気づきもしていなかったことに軽いショックを受けていた。

 一般常識とは、どうすれば身に付くのだろうか? 

 ともかく、もっと見識を広めなければと、バルログは焦燥感に駆られた。


「こっからはプラスアルファだ。当然、おまえにも付き合ってもらうぜ」


「う、うん……」


 正直に言えば、ここから先はあまり関わりたくはない。アルデオファミリーの名前が出た時点でキナ臭い香りがプンプン漂ってきているからだ。

 そこへリカルドが絡むと、もう嫌な予感しかしない。


「まあ、そんなに時間はかからねえ。夜には調査官の野郎に良い報告を持って帰るぞ」


 悪そうな笑いを浮かべながら通りの奥へと歩を進めるリカルドを見て、バルログは重い足取りで後に続いた。


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