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110 ゼノゼノ


 なんということだ……

 アルシアザード様が、角を捨てられただと!?


 衝撃の告白に茫然としたゼノギアは、アルシアザードが魔王となる前のアルセアと名乗っていた頃の姿を思い出していた。

 魔王ドルティギノアが倒されたあの光景は今でも瞼の裏に鮮烈に焼き付いている。


 あの頃のゼノギアは、ドルティギノアを倒して魔王になる機会を虎視眈々と窺っていた。ドルティギノアはそれを知った上でゼノギアを側近に取り立てたのだ。それはドルティギノアの自信の表れだが、ゼノギアにもあと少しばかり力をつければ魔王に挑むだけの実力があるという自負があった。


 だが、ドルティギノアがなす術もなく葬られるのを見た時に、そんな野望は消え失せていた。自分では千年かかろうとも

アルシアザードには勝てない。あんなバケモノの挑戦から逃げることもできない立場など、まっぴら御免だ。そんな事まで考えてしまう。結局のところ、ゼノギアは自分が魔王の器ではないということを思い知らされたのだ。


 だが、いま目の前にいるこの御方はなんと言った?


「角を……捨てられたのですか」


 はっきりと耳にしたことだが、それでも何かの間違いではないかと問い返してしまう。魔族にとっての角は魔力の貯蔵庫のようなものだ。それを失ったのであれば、もう以前のように強力な魔法を使うことはできないだろう。最強と呼ばれたあの頃の魔王アルシアザードは、もういないのだ。


 そして、その重大な事実をなぜ俺に明かす?


 角を捨てなければ脱け出せなかった魔神封じの結界。それが魔界の手で施された事は分かっているはずだ。そして先ほどのキルラメディナの演説を聞けば、アルシアザードが元老院に切り捨てられた事も分からぬはずがない。

 それでも、あえてその不都合な事実を自分だけに打ち明けてくれた(思い込み)ことに、ゼノギアは不覚にも目頭が熱くなった。


「うむ。いまのわしなら、貴様と全力で戦っても勝てるかわからんな。全力だぞ。それはそれで、楽しそうではないか」

「楽しい、ですか?」

「うむ、楽しいな。今は、毎日が楽しい」


 そう言ってアルシアザードは子供のように笑う。


 いつも無表情でピリピリした空気を纏っていたアルシアザード様が、こんな顔をされるとは……


貴女(あなた)は……そんな顔で笑うのですね」

「む?」


 つい口を滑らせたゼノギアは、あわてて一つ咳払いをした。


「失礼ですが、最近、強く頭を打たれたことはありませんか? 角を失った後遺症の可能性も捨てきれませんが」

「なんの話じゃ?」

「その……なんと申しましょうか、以前に比べて少々知能が低下しているのではないかと……」

「ホントに失礼なヤツじゃな! そう言えば、お前はそういうヤツであったな! ゼノゼノ!」

「ゼノギアです」


 ゼノギアは仏頂面で訂正する。アルシアザードは人の名前にはあまり興味がないのか四文字以上になるとすこぶる覚えが悪く、適当な呼び方をする。ゴルデアあたりは気にもしないが、ゼノギアはその線は譲れなかった。それは、この愚かな魔王をどこかで見下しながらも敬愛しているからに他ならない。その美しい口から放たれる自分の呼び名が大雑把なのは我慢がならないのだ。


「わしはもう取り繕うのをやめたのじゃ! 我慢は嫌じゃ! やりたいことをやりたいようにやる! いや……やり過ぎると怒られるのじゃが……。と、とにかく、これが本当のわしじゃ! 文句があるか!」


 前のめりにまくし立てるアルシアザードをゼノギアは仏頂面で見詰めた。アルシアザードは肩を怒らしながら顔を赤らめてゼノギアを睨んでいる。姿は変わらないのに、その様子はまるで幼い子供のように見える。


 二百年も幽閉されていたとはいえ、この急激な変わり様は尋常ではない。だが、ゼノギアには心当たりがあった。


「なるほど……。まずは、今後の話をしたいのですが、ご自身の立場は理解しておられますかな?」


 ゼノギアが低い声で告げると、アルシアザードはきょとんとした顔をして、ゆっくりと身を引いた。質素なイスに深く腰をかけ直して脚を組むと、その目がすっと細まる。

 一瞬で空気が変わっていた。

 

「妾の立場か? どうでもよいことではあるが、貴様らに言っておきたいことは幾つかある。よかろう、話を聞こうではないか、ゼノギア」


(やはり、出てきたか)


 ゼノギアはよく知った威圧感に冷や汗をかきながら、抱いていた疑惑を確信に変える。


「お久し振りでございます、アルシアザード様」


 ゼノギアは深々と頭を下げた。


「うむ、貴様も健勝そうでなによりじゃ。その様子では、妾の状態にも察しがついておるようじゃな」

「は……怖れながら、人格が分離されておられるのではと案じております」


 多重人格は魔法使いに見られる精神異常の症状の一つだ。スペルアークに深く潜りすぎて、人が知覚できる世界の限界を越えてしまった高位の魔法使いほど発症しやすい。


「察しの通りじゃが、特に困ってはおらん。いや、もう一人の妾のおかげで妾の願いは叶った。この安寧を妨げるつもりなら、誰であろうと容赦はせぬぞ」


 高まる圧力をゼノギアは正面から受け止めた。ゼノギアにとってこのぐらいの圧は慣れたものであり、アルシアザードが本気で苛ついているわけではないのが分かる。むしろ、これほど機嫌が良さそうなことは珍しいと言える。


「私は、アルシアザード様の部下であります。魔王に戻られるつもりがないのなら、貴女様のことは私の胸に納めておく所存です」

「貴様はもう妾の部下ではないぞ。敬称はいらん。堅苦しいのは、もう面倒じゃ」

「はっ……」


 ゼノギアは畏まって頭を下げるが、言葉遣いを改めるつもりはない。なんと言われようと、ゼノギアにとっての魔王は目の前のアルシアザードだった。


「そう言えば、妾の名を騙るあの女は何者じゃ?」

「あれはキルラメディナ……取り潰しになった公爵家の者で、前魔王ドルティギノアの姪子にあたります。元老院が保護していたらしく、貴女の替え玉として魔王に据える計画は以前から進んでおりました」

「なるほど、元老院のやつらが考えそうな事じゃな。丁度よい操り人形として隠し持っていたか」

「貴女様を見知った貴族や幹部連中には根回しは済んでおります。魔界では元老院が後ろ楯となってキルラメディナをアルシアザード様として承認されました。よって、現状は貴女様が偽物という立場になります。角を失った貴女様の存在が知れれば、魔界は総力を揚げて貴女様の討伐にかかるでしょう」

「『総力を揚げて』とは、いくまい。どこまでやる気かは知らんが、人間に宣戦布告をしておったな。妾に戦力を割く余裕があるのか?」


 そう言ってアルシアザードは甘ったるい紅茶を啜った。


「それは……確かに仰るとおりです。しかし、今すぐとは言わずとも、いずれ面倒なことになるのは変わりありません。魔界に気取られぬよう、出来るだけ目立たぬように自制なさってください」


 ゼノギアは自分で口にしながら、なんとなくそれが無理筋な提案だと気付いていた。昨日だってアルシアザードは魔界が密かに建設していた軍事施設を徹底的に破壊したのだ。


「妾とてわざわざ貴様らに関わるつもりはない。しかし、目の前を五月蝿く飛び回っておれば話は別じゃ。人間界には関わらず、おとなしく魔界に引っ込んでおるのじゃな」


 予想どおりの返答にゼノギアはため息を吐いた。それはゼノギアにどうこうできる問題ではなく、アルシアザードもそれを理解した上で言っている。つまり、こちらの都合など関係なく好きなようにやるということだ。そして、アルシアザードは魔界が人間界に手を出すことを快く思ってはいないということがわかる。ならば、遠からずまた衝突することになるだろう。


「そもそも、なんの目的で人間と戦争を始める? そろそろ魔神の活動期が近いと思うのじゃが、そんなことをしている暇はあるのか?」

「はっ、名目は『労働奴隷の確保』ということですが、元老院の狙いは私にも分かりません。元老院直属の部隊が世界中に散ってなにやら企てているようなのですが、はっきりとしたことは何も……。魔神の方は、眷族の動きが活発化しており活動期の兆候が見られます。もし戦争が長引いてる間に魔神が押し寄せるような事があれば、まずいことになりますな」

「…………ダメではないか」


 アルシアザードは呆れ顔でため息を吐いた。


「それこそ、今の妾にはどうにもならぬ事ではあるが、魔神が人間界に雪崩れ込むような事態は歓迎せぬな」

「同感です。それは魔界が滅びる事と同義でもありますから」


 ゼノギアはしかめっ面で首肯する。魔界は暗黒大陸の北端に位置し、西方諸国のリディア聖王国と国境を接している。暗黒大陸を支配する魔神の侵食を長年に渡り食い止めており、計らずしも魔神が人間の統治するリディア聖王国に進行する防波堤となっていた。


「それで、貴様らはここでなにをしておる? これからなにをするつもりじゃ?」


 ゼノギアは押し黙るとしばらく考え込んでいたが、やがて諦めたように息を吐き出して話しはじめた。


「我等がここへ来たのは魔王城パンデモニウムを管理するため。人間どもが何かの間違いで貴女の封印を解かぬように近くで見張るのが目的です。ここの領主代理と交渉し、そのための拠点の設営や活動の許可を得ております。交換条件として領主の治療とこの国の王を廃する手助けをすることになっております」

「王を廃する、じゃと?」

「はっ、ここの領主代理はなかなかの野心家のようでして。この国の王を討ち、治療中の領主を後釜に据えるつもりのようです」

「まあ、この国の権力争いなどに興味はない。せいぜい妾の目に触れぬように動くことじゃな」

「………………」


 おそらくそれは不可能だろう。ゼノギアは暗鬱な表情でため息を吐いた。忠告をするつもりが、何故か忠告をされる側になっている。だが、それもこの御方らしいと思う。以前は何度もこのようなため息を吐かされたものだと、妙に懐かしい気分になった。


「あまり出娑張るのは好ましくない。妾はそろそろ引っ込むぞ」


 そう告げると、アルシアザードの表情が消えて目の焦点がぼやける。すぐに、ハッとして自分を見下ろしながら「お、もうよいのか?」と誰にともなく呟いたときには先ほどまでの威圧感は消えてなくなっていた。


 まだ眠たそうに伸びをするアルシアザードを、ゼノギアは不思議なモノを見るような目で見つめていた。多重人格は発現する人格によっては厄介な病なのだが、アルシアザードは便利に使いこなしているようにみえる。先の発言から察するに、元のアルシアザードが心の底で望んでいたことを、この子供のように奔放なアルシアザードが叶えているのだろう。


「うむ、一眠りすると気分が落ち着いた。わしはそろそろ町に戻るぞ。きっと、連れが心配しておる」

「お連れの者が居るのですか」

「ああ。わしは、あいつらとこの世界を旅して美味しいものを食べ歩きたい」


 そう言ってアルシアザードはティーカップを煽って紅茶を飲み干した。溶け残った大量の砂糖まで啜り終えると、満足そうな顔で立ち上がる。


「町まで転位魔方陣でお送りします。私にも立場がありますので、次に会うときは敵同士となるやもしれません。お忘れなきよう、アルシアザード様」

「それと、これはだいじな事じゃが──」


 扉へと向かうゼノギアの背に声がかかる。


「わしをアルシアザードと呼ぶな。わしの名は、ルシアじゃ」

「ルシア……様、ですか」


 ゼノギアは振り返ってアルシアザードを見た。


「うむ、良い名であろう」


 ルシアは腰に手をあてながら嬉しそうに笑っていた。















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