11 ゼフトの村
翌朝、ルシアの容態はずいぶん良くなったように見えるが、ユキに怒られたことがよほどショックだったのか、気落ちしたようにしょんぼりとしている。
頭の包帯を取り替えるユキのことばに神妙にうなづく姿にはもはや魔王の威厳はなく、迷子の子供のように不安そうな目をさまよわせていた。
カイトはもうロープで体を固定しなくてもだいじょうぶだと判断したが、ルシアは馬に乗せると耳元でしきりにため息をついて「もうだめじゃ、死ぬ」などと呟いて、うっとうしいことこの上ない。まあ、背中にあたる感触が気持ちいいのでプラマイゼロか、などと思ったが、なんだか必死に走るユキに申し訳ない気がした。
ユキの疲れも相当なものなのだろうが、それなりにコツをつかんできたらしく、スピードは速くないが一定のペースで黙々と走るようになっていた。
一行が出発してからほどなくすると、前方から二台の幌馬車と武装した数騎の騎馬がやってきた。馬車を先導していたのはお揃いの甲冑に身を包んだ戦士で、盾には王国の紋章が画かれている。馬車の後方には弓兵もいた。
ユキが道の真ん中で手を振ると、騎馬たちは一行の前で停止した。
「どうしたんだ?」
馬に乗った隊長らしき男がユキに話しかけてきた。
「すみません、連れが怪我をしているんです。ゼフトの村まで送っていただけませんか?」
兵士たちは顔を見合わせて馬を降りると、ぐったりしているルシアのところまでやってきた。兵士たちはルシアを見ると驚いた顔をしている。
「かなりの重傷みたいだな。どこでやられた?」
隊長がカイトにたずねる。
「魔王城の近くの街道。その娘が襲われてたから助けに入ったんだけど、相棒と馬がやられちゃって」
「どんなやつだった?」
「熊みたいに黒くてゴツくて、羽が生えてた。たぶん、アークデーモンってヤツだと思う」
その言葉に兵士たちがざわめいた。
スラスラと嘘を並べるカイトにユキは半ばあきれ、半ば感心していた。
「なるほど……。じゃあ、お嬢ちゃんはどうしてそんなところに?」
「あ、えと……わたしはガレオンの町で魔王城の調査依頼を受けた冒険者なんです。ちょっと問題が発生しまして、仲間は先にガレオンに報告に戻っています。細かいことは、守秘義務に抵触しますので……すいません」
「ああ、魔王城の調査の件は聞いてるぜ。もともと警備兵団から調査隊をだす話もあったんだ。できれば俺が町の上官に代わって報告を聞きたいところだが……そうもいかんわなあ」
隊長は納得したようにうなづいた。
「おい、クラン! このお嬢ちゃんを村まで乗せてってやれ。あと、部隊長にいまの話を報告したあと薬草と回復薬を多目に調達してこい。俺達はこのまま野営地に向かう」
「わかりました」
馬に乗った弓兵の青年がうなずき、ユキを引き上げて馬に乗せた。
二時間ほど馬を走らせ、ユキたちはようやく村にたどり着いた。
クランはユキたちを宿屋の前まで送ってくれて、部屋がとれたのを確認すると急いで立ち去った。これから上司に報告をしたあとで物資を調達して先行した部隊を追いかけるのだから、かなり忙しそうだ。
宿は村の中心からほどよく外れた静かな場所で、若い夫婦が経営している。
ルシアを部屋に運び込むと、宿の主人が薬師を手配してくれた。その間にユキは市場へ出かけ、カイトが部屋に残った。
ルシアはベッドに横になるとすぐにイビキをかき始め、カイトはとくにすることもなく椅子に座ってぼんやりとしていた。
そのうちルシアが傷の辺りをボリボリと掻きはじめたので、慌てて腕をつかんでやめさせる。
「控えよ!」
ルシアがとつぜん目を見開いた。しかし、なにやらむにゃむにゃ呟きながら目を閉じると、またイビキをかきだす。
(寝言かよ、びっくりするわ)
「ぜんぜん死にそうにないな、こいつ」
カイトは呆れた声で呟く。一時はもう助からないと思ったのだが、ユキのがんばりとルシアの生命力はカイトの予想をこえたものだった。
ユキが戻ったころに薬師が到着した。ルシアを診てもらうと、なぜか傷はふさがりかけているがそれでも生きているのが不思議だと言われた。まあ、そうだろうなと思う。三ヶ月は安静にしているようにと沈痛な表情で言われ、いくつか薬を調合してくれた。たぶん、すぐに死んじゃうとか思ってそうだ。
そのあとカイトとユキはそれぞれ風呂に入った。風呂と言っても、浴室に大きな樽が置いてあり、そこに外から引き込んだ湧き水が貯められている。外に通じる四角い穴から宿の主人が熱いお湯を満たした小さな樽を差し入れてくれ、木の桶に柄杓で水とお湯をたして好みの温度で顔や体を洗うというものだ。カイトは最初、このシステムがよくわからずに主人に説明を求めた。風呂のあとはユキが買ってきてくれた服に着替えて昼食をとった。
ふかふかのベッドに横たわったルシアは、大きなイビキをかいてなにをしても起きそうにない。
ユキはその後もルシアの体を拭いたりと甲斐甲斐しく世話をしている。
カイトは宿に服の洗濯を頼んだあとはすることがなくなったので、村を探索してみることにした。
村の通りは活気に満ちていた。広場に続く道はけっこう立派な石畳が敷かれていて、石造りの立派な建物が密集している。素朴な辺境の村のイメージとはほど遠い。
宿を出る前にユキから簡単な説明を受けたが、ゼフトの村は魔王城跡から最も近い人里ということで王国軍が駐留している。周辺にはダンジョンが点在しているので冒険者が多く集まり、武器、鎧、魔具といった店から宿屋や酒場が多く賑わい、小さな町といえるぐらいには人口も多い。交通の便さえよければ大きな町になっていたかもしれないという。
行き交う人々のなかにはわずかだが亜人種と呼ばれるエルフ、ドワーフが混じる。冒険者のパーティーに混じる子供みたいに小さいのはハーフリングとかいうやつだろう。他にもよくわからない種族や魔族らしき者もいた。
多くの種族が行き交う光景は、カイトの記憶にある風景とはまったく違っていてあまり現実感がない。
カイトはこの世界についての基本的な知識はあるが、目にするすべてのものが新鮮だ。それは行ったこともない国の知識をテレビや本などで見て知っているという感覚だ。それとは別に、カイトにはこの世界とは違うまた別の世界の記憶があった。それは、知識ではなく記憶なのだとわかる。自分はその世界に生きていた人間だ。しかし、その世界のことは覚えているのだが、自分に関する記憶がすっぽり抜け落ちている。自分が誰なのか、どんな人間なのかわからない。感情の起伏が少ないということは自分でも気づいていたが、それが自分に関する記憶の欠落に起因するものなのか、もとからの性格なのか、どちらとも判断はつかなかった。だがそれはこの世界で生き抜くには都合がよかったので、カイトはあえて気にしないことにしている。
ベルキシューの胸に短剣を突き刺したときも、真っ二つに切り裂いたときもカイトに迷いはなかった。だがカイトの知る世界ではそんなことが平気でできるヤツはサイコパスだとか快楽殺人者だとか、ちょっとまともな人間ではない。しかし、もしあの場面でカイトが躊躇していればユキもルシアもいま生きてはいなかっただろう。だから、「いまはこれでいい」とカイトは納得している。
そんなことより、市場にきていまさら気づいたのだが、カイトはお金を持っていない。お金がなければ買い物ができない。宿でユキが支払いをしているのを見たが、すべてユキにまかせるわけにはいかないし、おそらく資金もそんなに潤沢ではないだろう。
自分の装備やアイテムがどうなっているのか、ここに至ってようやく少しは把握しておくべきだろうとカイトは考えた。こういう無頓着さは、自分でもちょっとどうかと思う。
カイトが着ているのはユキが買ってきてくれた麻のシャツに黒く染めたズボンで、品質は思ったより悪くない。赤茶色のブーツはカイトが最初から装備していたものだ。革ベルトも初期装備で、ポーチやポケットがついていて短剣をベルトに差したり腰にはいたりできるので使い勝手がいい。いまは短剣を腰の後ろにはかせているので、正面から見るとただの村人っぽく見えるとカイトは思っている。ポーチの中は開けたことはないが、鍵開けや壁登り、罠の解除などに使う盗賊の七つ道具が入っている。はずだ。
念のために確認しておこうとポーチを開けてみると見事に空っぽで、カイトは少しうろたえた。そういえばやけに軽いし、ガチャガチャ音がしないのはおかしいよね。なんで道具が入ってるとか信じてたんだ、俺?
自分につっこみながら軽く手を入れてみると、何かのイメージが頭に浮かんだ。
(これは?)
盗賊の七つ道具にその他の小道具がまるで目の前にあるように認識できる。キーピックの小道具に意識を充てると指先に感触があった。ポーチから引き出すと、先の曲がった針金のような細い金属が二本、その手に握られていた。
これは、〇〇えもんの四次元ポケット的なものに違いない。
ファンタジーの定番だが、それなりに貴重品だと思われる。もう一度手を入れて中のものをイメージで確認してみる。お金はないようだ。
小さなポケットにも指を入れてみるが空っぽだ。
ん?
最後のポケットに指を入れると冷たい感触があった。取り出すと、銀色の指輪だった。
なんだ、これ?
カイトは鑑定スキルを使ってみた。
《銀の指輪》『銀製の指輪 価格:銀貨6枚』
盗賊の鑑定スキルは賢者みたいになんでもかんでもオッケーというわけではなく、アイテム限定で一般的な価格を調べるためのものだ。魔力が込められていても判別はできないため、魔力要素を除いた平均的な価格だけを知ることができる。
召喚英雄の所持品なのだからなにかしらの魔力が込められている気がするが、いまのところ謎のアイテムだ。左手の中指にはめてみるが、とくにどうということもない。害はなさそうなので、そのままにしておく。
わかったのは、どうやら自分は一文無しだということだ。
さて、どうする?
カイトは自分の指先をじっと見つめた。
盗賊には【ピックポケット】というスキルがある。いわゆる《スリ》だ。この世界には盗賊ギルドなる大きな組織があり、多くの盗賊はそこで基本的なスキルを学び、一人前になるとギルドへ上納金を納める。盗賊ギルドの資金源の多くはこのスリ行為により賄われていると言われる。
カイトは通りを行く人々に目をむけた。大きな皮袋をかついだ女、鞄を大事そうに抱えて通りの端を歩く男、巡回の兵士、店先で大声で話している商人、路地の横に座り込む酔っぱらい、俯いて目だけをキョロキョロと動かしフラフラ歩く男──あれは盗賊だ。ピカピカの鎧をつけた冒険者。
カイトがその気になれば、誰にも気付かれることなく彼らの懐から財布を抜き取ることができる。
買い物帰りの主婦の後ろを小さな子供が泣きながら追いかけていく。
「うん、無理」
カイトは両手をポケットに突っ込むと通りを離れる。
どうやら自分はそれほど悪人ではないらしい。カイトは少しほっとしていた。