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108 ゼノギアの追憶


「それで、アルシアザード様は、今後はどうなされるおつもりですか?」


 アルシアザードが食事を終えると、ゼノギアはそう切り出した。外ではキルラメディナの演説が終わり、魔族たちの歓声が上がっている。

 アルシアザードは紅茶を飲み干すと、ティーポットから三杯目をカップに注ぎながら口を開く。


「どうもこうも、わしの代わりは決まっておるようだし、こっちはこっちで好きにさせてもらう」


 アルシアザードはカップにドバドバ砂糖を入れるとティースプーンを突っ込み、慎重にかき混ぜはじめた。


「それは、野に下るという意味ですかな? 貴女がその気ならば、私は貴女の復権に手を貸すつもりですが」


 ゼノギアは鋭い目でアルシアザードの顔色を伺う。先程までの様子で予想していた答えとはいえ、ゼノギアはまだ半信半疑だった。ゼノギアの知るアルシアザードならば、自身をないがしろにするような政策に怒り狂っているはずだ。魔王城から出てきたということは、こちらで施した魔神封じの結界にも気づいてないはずはない。魔界に愛想が尽きたにしても、なにかしらの報復を目論んでいても不思議ではない。


 アルシアザードはゼノギアの疑惑など知らぬ様子で真剣な顔でカップから溢れそうな紅茶をゆっくりとかき混ぜている。


「今さらわしが名乗り出たところで、偽物として討たれるだけであろうが。もとより戻る気はなかったから丁度よいわ」

「貴女を討つとなると、容易にはいきませんな。私なら打撃艦隊を召集します。魔神の活動期に備えて魔導エネルギーを蓄えているこの時期に艦隊を動かすこと自体、現実的ではありませんが」


 アルシアザードは手を止めると、ゼノギアに目を向けた。


「そこまで苦労はせんと思うぞ。今のわしは魔法が使えんからな」

「…………どういうことですか?」


 ゼノギアは訝しむようにアルシアザードを見つめ返す。


「結界を抜けるのに角を捨ててきた。ほれ、すっきりしておるじゃろう」

「なっ……!?」


 なに食わぬ顔で自身の頭を指さすアルシアザードに、ゼノギアは愕然とした。角がないことには気づいていたが、それは人間の中で活動するのに目立たぬよう消しているだけだと思っていたのだ。

 ゼノギアはぽかんと口を開けたままアルシアザードを茫然と見つめた。アルシアザードはカップを手に取り、甘ったるい紅茶を口に含むと幸せそうに頬を弛ませている。


 魔神封じの結界をどうやって潜り抜けたのかが疑問だったが、確かにその方々ならば不可能ではない。アルシアザードが紅茶を啜る音を聞きながら、ゼノギアは絞り出すように言葉を吐き出した。


「なぜ……それを私に明かすのですか……」

「なにか不味かったか?」


 首を傾げるアルシアザードにゼノギアはため息をつくと頭を降った。

 アルシアザードが指摘したように、いま彼女が魔王だと名乗り出ても魔界は彼女を偽物として総力を挙げて排除するだろう。それこそが元老院の狙いなのだから。

 つまり、魔界はアルシアザードに敵対しているということだ。この状況下で致命的な弱みをゼノギアに曝すなどあり得ないことだった。だが、ゼノギアははっとしてその真意に思い至る。


 アルシアザード様は、それほどまでに私を信頼してくださっていたというのか!


 ゼノギアは雷に打たれたような衝撃を感じた。

 遠い昔、アルシアザードに出会った日の記憶が脳裡に蘇る。


 その日、10年に一度の武道大会の優勝者として壇上に上がったのはアルセアと名乗る美しい女だった。艶のある長い黒髪に赤い瞳、肌は雪のように白く唇は紅を差したように赤かった。そして三本の角を持っている。


 アルセアは奴隷闘士であったが、主人を殺して長年行方をくらましていた。そのため罪人として指名手配されていたのだが、魔神との戦いの最前線に自ら志願したことで罪は不問となった。それは志願兵に与えられる特典ではあるが、もともと死刑囚や重犯罪者が送り込まれる戦場だからである。生存率は限りなくゼロに近い過酷な戦場なのだ。


 アルセアはそこで戦課をあげ続け、ついには魔神の一柱を封じたと言われる。言われる(・・・・)と表現したのは部隊が全滅し、生還したのがアルセア一人であったために本人の証言以外に客観的な事実確認が出来なかったためである。

 確かにそれ以来、その地域で魔神は確認できていないが、もとより魔神は神出鬼没のためそれ自体は珍しいことではない。部隊がなにかしらの打撃を与え撃退に成功していたとしても、一人で封じたというのは箔をつけるためのはったりだろうというのが多くの見解だった。


 なんにせよ注目を集めていたアルセアは前評判に違わぬ圧倒的な武力で大会を征したのだ。

 そしてアルセアはその壇上から特別観覧席に剣を突き付け、そこに鎮座する魔王ドルティギノアに決闘を挑んだ。観衆はどよめき狂喜した。


 大会の優勝者には出自を問わず魔王への挑戦権が与えられる。だがその権利を行使する者は稀だ。多くの場合、魔王の圧倒的な力を誇示するデモンストレーションにしかならないからだ。


 観衆は新たな余興として魔王の戦いが見れることに興奮していた。誰もがアルセアの凄惨な敗北と死を疑ってはいない。ドルティギノアの側に控えていたゼノギアもそうだった。


 魔王ドルティギノアは闘技場を見下ろす観覧席の玉座から、杖を片手にゆっくりと立ち上がった。魔王は最強であるが故に、決闘を拒むことはない。

 真っ黒なローブに身を包み、フードを深く被ったドルティギノアは軽く飛び上がるとフワリと宙に浮かび、そのまま闘技場の端に静かに着地する。

 その瞬間に空気が張り詰め、観衆はピタリと動きを止めて闘技場は水を打ったように静まりかえった。そのなかを魔王はゆっくりと闘技場の中央に向かって歩を進めていく。


 ドルティギノアから放たれる凶悪なオーラにゼノギアですら呼吸が苦しくなるのを感じて冷や汗を浮かべていた。その威圧をまともに受けているはずのアルセアは、壇上から飛び降りると長い黒髪を靡かせ臆することなくドルティギノアに向かって歩きだす。


「俺も、嘗められたもんだな」


 フードの奥から低い呟きが漏れる。それは小さな声にもかかわらず、観衆の誰もがその声をはっきりと聞いていた。


「前の挑戦者を殺したのは百年も前か……若いヤツが知らねえのも無理ねえな。もったいねえが、おまえはいい見せしめになるだろうぜ」


 荒っぽく吐き捨てると、強い風がドルティギノアの目深に被ったフードを捲り上げ、その素顔を晒した。その顔の右半分は焼け爛れたように引き吊れていた。通常は額の中心辺りに生える一本角が、右目の上から太く黒く天に向かって屹立している。火傷の痕を差し引いても異形と呼べる容貌であった。


「いつでもかかってきな。先手はくれてやる。一瞬で終わると興ざめだからな」


 ドルティギノアが告げるとアルセアは足を止める。それに合わせてドルティギノアも立ち止まった。


 観覧席から見下ろすゼノギアは、その間合いの広さに疑問を感じた。アルセアの剣が届くには、まだ程遠い距離である。だがアルセアが呪文を唱えはじめたことでその疑問は氷解する。

 ゼノギアは率直に、悪手だと思った。


「やっぱり、魔法を隠してやがったか。かなりの魔力を持っているな」


 ドルティギノアは呟くと、凶悪に口角を吊り上げる。

 アルセアはこれまでの戦いで魔法を見せていない。剣術と魔技だけで勝ち残ってきたのだ。おそらくは魔王に対する切り札として温存していたのだろう。そして先手を許されたことで長い詠唱を必要とする最大の魔法を撃ち込むつもりに違いない。その術式がゼノギアには見えているが、その効果も属性も分からぬように綺麗に隠蔽されている。剣士が一朝一夕で組み上げた術式ではなかった。魔法の腕も一流なのは疑うべくもない。


(それでも、魔王には届かない)


 ゼノギアは心のなかで呟いた。なぜなら──


 ドルティギノアは指先一つ動かすことなく自身を結界で包んだ。あらゆる魔力を跳ね除ける絶対魔法防御アンチマジックシールドの結界だ。未だかつて、この結界を打ち破った者はいない。アルセアが万に一つの勝機を見出だすなら、魔法ではなく剣で挑むべきだったのだ。

  

 だが、ドルティギノアを取り囲むように巨大な魔力場が発生すると、ゼノギアは驚愕に目を見開いた。

 同時発生した七つの魔力場はどれも極大魔法級の魔力を内包している。


「「馬鹿な!」」


 ゼノギアとドルティギノアが叫ぶと同時に魔力場が弾け、その猛威を晒す。灼熱の炎が、絶対零度の凍気が、大気を焦がすほどの高速の岩塊が、稲妻が、暴風が、重力波が、暗黒の穢気が、あらゆる属性の極大魔法がドルティギノアに殺到して混ざり会う。

 そのどれか一つでも都市をまるごと破壊しかねない威力がある。同時に展開されたドルティギノアを覆う範囲結界は、周囲に被害が及ばぬようにと配慮されたものではない。ドルティギノアの逃亡を封じると同時に威力を逃さず内部の魔法圧力を高めるためのものだ。


 その暴威はドルティギノアの絶対魔法防御の結界を力ずくで押し潰しにかかっている。魔力の渦に呑まれてもはやその姿も見えなくなる寸前、ゼノギアはドルティギノアの角が極紫色の光を放つのを見た。その異形の角はドルティギノアの肉体を蝕むほどの常軌を逸した魔力を産み出す。魔王ドルティギノアがなりふり構わず全力で結界を維持しているのだ。


 ドルティギノアが七色の奔流に埋め尽くされて数秒か、或いは数分か。ゼノギアの時間の感覚は麻痺していたが、その嵐は唐突に消え去った。


 そこには、無傷のドルティギノアが立っていた。右の顔面から薄く煙を立ち昇らせ、杖で体を支えるようにして疲弊を滲ませているが、それでも勝利を確信し口元に笑いを浮かべて怒りの目でアルセアを睨みつけた。


 その顔に驚愕と絶望が貼り付いたのは、今しがたアルセアが呪文の詠唱を終えた事に気付いたからだ。

 先程の七つの極大魔法の同時発動は、呪文の詠唱とは別に無詠唱で発動させたという事になる。ゼノギアはそれが本命の詠唱を終えるまでの時間稼ぎだったと気付き、背筋を氷らせた。


 そして詠唱の完了とともにアルセアの背後に魔力で構築された建造物のようなものが競り上がる。


「積層型魔方陣だと!?」


 それは広大な闘技場の半分を埋め尽くす巨大な魔方陣だった。無数の魔方陣が立体的に複雑に絡み合ったそれは、城壁ほどの高さにまで達している。


「馬鹿な……! あり得ないッ……!!」


 ゼノギアは叫んでいた。七つの極大魔法とそれを完全に封じ込めた結界だけでも、どれだけの魔力を消費したのか想像もつかない。現にそれに耐えきったドルティギノアは既に疲労困憊している。今まで魔力量で底を見せたことがない魔王ドルティギノアが、だ。 


 呪文の詠唱は積層型魔方陣の組み立てとセッティングの為のものだ。常識ではこんな短時間に組上がるようなものではない。まだ起動していないところを見ると、これから魔方陣に魔力を流し込む作業が残っているはずだがこの規模の魔方陣となると数十人の高位魔法使いが魔力を流し続けても十日、或いは一ヶ月はかかるはずだ。


 だがアルセアの顔に焦りの色はなく、その冷たい目の奥にゼノギアは怒りと狂気を感じ取っていた。


 アルセアが二本の指を揃えて片手を高く掲げると、魔方陣は不気味な赤い光を放ち、起動した。

 何層かのブロックに分かれた魔方陣は最上段が時計回りに、その下が逆回りにと交互に向きを変えながら軋むような音を立てて回転を始める。


「嘘だ……あり得ない……」


 再び溢れたゼノギアの絶望の呟きは、魔方陣が起動したことではなくその魔方陣から現れたモノに向けられた声だった。








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