104 ミハエルの申し出
ルシアが手下(?)を引き連れて檻囚棟へ突撃を開始した頃、カイトは情報収集のために城下町を動き回っていた。
情報収集と言っても現状に関しては昨晩にリズから叩き込まれたので、兵士たちの動きに気を配りながらリズの知り合いの情報屋を回って情報を仕入れるだけの簡単な作業だ。
目立った情報は、主に昨晩のグレイフィールド城の庭園での騒ぎに関するあることないことで、大破壊の真犯人であるカイトにとっては特に価値のあるものではなかった。あとはガレオンの裏社会を牛耳っているアルデオファミリーのアジトに殴り込みがあったというものだが、これもカイト達に関係はなさそうだ。
「次は……ガレオン一の情報屋か。たしか、ライラ婆さんとか言ってたっけ」
リズに渡されたメモを見ながら呟く。立ち寄る場所は事前にリズから聞いてはいるが、さすがにすべてを覚えきることはできないので、メモには記憶を補助する程度の端的なヒントが綴られていた。
移動の途中でリズがキープしている幾つかの隠れ家を下見しておくのもカイトの仕事だ。手書きの地図を確認しながら近場の隠れ家を探す。
「おっ?」
しばらく歩くと隠れ家のある路地裏の入り口に兵士が直立不動で立っているのが目に入った。
カイトは気配を消して兵士の前を通り過ぎ、ちらりと路地裏を確認する。すると、細い道の途中に兵士が集まっているのが見える。おそらくは隠れ家である廃屋の前だ。
「うーん……」
カイトは首を捻ってしばし考えると、踵を返してリズとユキが潜伏しているストラーデ商会の倉庫に向かって足を早めるのだった。
▲▽▲▽▲
「ああ、やっぱり」
倉庫まで戻ったカイトは、離れた場所から入り口を固めている兵士たちを見ていた。
目の前を騎士たちに囲まれた黒塗りの箱馬車が石畳の道を倉庫に向かってゆっくりと進んでいく。
カイトは裏口に回ってみるが、そこも多くの兵士で固められていた。路地裏を移動して倉庫の側面を確認すると、ここにも何人かの見張りは立っているが手薄のようだ。同時に複数の拠点を包囲しているために充分な人手を回せていないのだろう。だがさっきの箱馬車がユキたちの護送用だとすれば、すでに所在は確認されていると見るべきだろう。散っていた兵士もすぐに集結してくるに違いない。
路地から兵士の様子を伺っていたカイトは石ころを拾い上げると、スナップを利かせて放りあげた。石ころは高い放物線を描いて隣の路地の入り口辺りに落下する。
「む……なんだ?」
兵士は訝しげに呟くと、石ころの転がった路地に向かって警戒しながら移動を始めた。
カイトは兵士の背中を確認すると、足音を立てずに路地から勢いよく飛び出す。そのまま倉庫の壁を斜めに駆けあがると二階の窓の敷居に手をかけてぶら下がった。
片手で手早く窓を開けると次は両手を使って体を引き上げ、開いた窓に頭から飛び込む。床の上でくるりと前転して立ち上がり、周囲を確認した。
ここは階段前の踊り場で、目の前の廊下には扉が三つ。廊下の突き当たりには壁がなく、吹き抜けの倉庫が見下ろせる。
静かに窓を閉めながら路地を見下ろすと、兵士が首をかしげながら持ち場に戻るところだった。
カイトは階段を下りながら倉庫の様子を伺う。まだ兵士は侵入していないようだ。
一階に降りるとユキたちの居る部屋へ足を向ける。途中、階段の下の木箱が不自然に動かされているのが目に入った。もともと木箱のあったスペースにはマンホールの蓋がある。
慌てていればユキとリズが既にここから脱出したのかと思うかもしれないが、あまりにも雑である。リズならもっと上手くやりそうなものだ。わざと目につくようにしてあるのだろう。
カイトは気にせず扉の前に立ち、ドアノブを回すと扉はあっさりと開いた。中ではユキとリズがテーブルで向かい合って紅茶を飲んでいた。
「あら、カイトさん。おかえりなさい」
「おかえり、カイト。お疲れ様ね」
「ただいま。えーと、外の状況はわかってる?」
二人が普段通りにくつろいでいるので念のために確認してみる。
「もちろん。カイトが戻るのを待ってたのよ」
「一時間ほど前に魔法でスキャンされてたようなので、私たちがここにいるのは、もうばれちゃってるみたいです」
「そのわりにはなかなか踏み込んでこないのよね。おかげでカイトが間に合って助かったんだけど。外はどんな様子?」
「まあ、囲まれてるよね。騎士団と馬車が到着したから、そろそろ動きがあるんじゃないかな。リズはどうするつもり?」
今なら強引に突破してカイトが兵士の相手をしてる間に逃げることも不可能ではない。
「もし踏み込んできたら、奥のクローゼットから天井裏に潜伏しようと思ってたんだけど、動きがあるまでは様子を見るつもりよ。何かしらの交渉をしてくるかもしれないから」
「交渉?」
そのとき、倉庫の入り口の辺りで勝手戸の扉が開く音がした。ユキの耳には聞こえなかったがカイトとリズは同時に壁の向こうに目を向ける。そして声を張り上げる女性の声が響いた。
「領主代理、ミハエル・グレイフィールドの使いの者です! リズ・ベルディネット様、ユキ・ヴァルツスカヤ様は居られますか! ミハエル様からの手紙を預かっております! 危害を加えるつもりはありません!」
「お、きたわね。じゃあ、いってくるわ。私の紅茶、飲んじゃっていいわよ。二人分の痕跡しか残したくないから、新しいカップは使わないでね」
「気をつけてくださいね」
リズは席を立つと、扉を開けて出ていった。
カイトが戸口に立って覗き見ると、入り口の近くに一人の女性騎士が立っている。
「そういえば、ルシアさんは元気にしてましたか?」
ユキが思い出したように尋ねる。出掛けに様子を見てくると言っておいたのだが、それでもこのタイミングでその話を振ってくるのは、ユキもけっこう図太いというかマイペースである。
「ちょうど留守にしててね。散歩にでも行ってたんだろうな」
「散歩……ですか」
ユキは難しい顔をして黙りこむ。カイトも正直に言えばルシアの安否に関してはまったく心配していないものの、姿が見えないというのは嫌な予感しかしない。ユキも同じ気持ちなのだろう。だがこちらも手が離せないので『そうだったらいいな』という理由をつけて心の安定を図っているのだ。
「余計なことしてなきゃいいけど……」
思わず心の声が洩れてしまい、カイトは口をつぐんでテーブルの上のティーカップに手を伸ばした。紅茶を口に含むと芳醇な香りが広がり、少し気分が落ち着く。ゼフトで飲んだものよりも香りが高く上品な味わいは、かなり高価なものだと想像できる。
女騎士と短く言葉を交わしたリズは手紙を片手に部屋に戻ってきた。イスに座ってナイフを取り出すと蜜蝋の封印を開けて手紙を取り出す。ユキは立ち上がってリズの背後に回り、肩越しに広げられた手紙を読む。カイトも横に並んで反対側の肩越しに手紙を見ていた。
内容を要約すると、身の安全は保証するので案内の騎士とともに城まで来てほしい。来てくれたら明日の午後にはパーティー全員を解放する、というものだった。
「……どう思います、これ?」
ユキは困惑したように意見を求める。
「ずいぶんと唐突ね。申し出を信じるなら、明日の午後には拘束しておく理由がなくなる……ということかしら」
カイトは同意を示すようにうなずいた。
「連中の目的は、明日の午後までユキのパーティーを拘束して監視下におくこと。それが済めば用済み、逆に条件を外れた場合は以降の身の安全も保証されないと思ったほうがいいね」
「万が一罠だった場合を考えると全員が拘束されるというのはかなりの不安要素なんだけど、いまはカイトがいるから心強いわね。ここは申し出を受けましょう。というわけで、頼んだわよ、カイト!」
「まかせといて。俺も二人を追って城に潜入するから、なにかあったらすぐにフォローするよ」
方針が決まるとユキとリズは部屋の片付けをしながら身仕度を整える。あらかじめすぐに逃げ出す用意をしていたので、ものの5分で準備を終えた。
「んじゃ、むさ苦しい連中を連れ戻しにいきますか。全員揃わないことには、なにも始まらないからね」
「はい!」
リズとユキは部屋を出て待機している騎士たちのもとへと歩きだした。