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102 檻囚棟4

前回に次で終わると言ったな?

あれは嘘だ!


……いや、けっこう頑張ったんですが、あと少しだけ残っちゃいました。ゴメンナサイ。

今回はいつもより長めです。


 ルシアを先頭に一行は殺風景な廊下を進んでいく。


 ルシアのすぐ後ろにバルログが続き、その後をチャオ、スタン、ポルトが固まってぞろぞろとついてくる。


「へえー。じゃあバルは昔から強かったわけじゃないのね」

「でも面倒見はよかったぜ。俺もガキの頃はちょろまかした食料を分けてもらったりしてたし」


 バルログの背後ではチャオがスタンに話しかけて、しきりに山猫に居たころのバルログのことを聞き出そうとしているので落ち着かない気分になる。


 当時は支給される食料だけだとお腹が空いてしょうがないので、町で掻っ払った食料は基本すべて上納しないといけないのだが自分の分を確保して夜中にこっそり食べたりしていたのだ。まだ起きている子供に分け与えていたのはチクられたら困るので共犯者に仕立てようという計算からであり、百パーセント親切心というわけではなかった。


「……食料事情は、あい変わらずなのか?」


 バルログは、なんとなくの気まずさと話題を変えてほしいという思いでスタンに声をかける。


「いや、アルクがボスになってからは良くなってきてるぜ。アルクは基本、みんなと同じものしか食べないから、昔みたいに幹部だけが食料を独占することはなくなったからな。あと、山猫を抜けるときに町で店を出したいってヤツに資金を提供してその店で山猫の人間を雇わせたり、他にも商会の設立だとかを考えてるみたいだ。説明されてもよく解らなかったけど」

「へぇ……」


 どうやらアルクはけっこうな遣り手らしい。


「あと変わったって言えば、勉強会だな」

「勉強会?」

「ああ、アルクとエレクが文字の読み書きとか算数を教えてくれるんだ。チームを出た後に役に立つからって」

「そうなのか……」


 アルクとエレクが山猫に入ったときの年齢を考えると、その時にすでにそんな教育を受けていたのならけっこうな家柄だったのではないかと思う。そういえば、エレクはいつも大事そうに絵本を抱えていた。


 そんなことを考えていると、通路は分かれ道に差しかかっていた。


「ルシアさん、そっちじゃないです!」


 てきとうに突き進むルシアにバルログが慌てて声をかける。


 檻囚棟はもともと捕虜の収容施設だったため、大規模な脱獄を防ぐために廊下は狭く複雑な作りになっていて、最終的には講堂を通らなければ外に出られないようになっている。そのためルシアが迷いのない足どりで本筋から逸れていくのをバルログが慌てて呼び止め修正するということが繰り返されていた。


「それにしても、バルバルは一度聞いただけで、よく道がわかるな」


 正解を外れると即座に修正してくるバルログにルシアは感心したように声をかける。


「……いえ、下から三段目の石に特徴的な出っ張りがあるでしょう? 聞いてなかったんですか?」


 バルログが不審そうな顔でルシアに訊ねる。これは投降した兵士から得た情報だ。知らなければ見過ごしてしまうような小さな違いだが、そうと思って見ると間違いようのない目印が分かれ道の石壁毎に行き先を示す暗号として刻まれている。


「んん? ……ああ、そうじゃったか。どうも小さくて見づらいな。バルバルはたいしたものじゃ」


 まったく聞き覚えのない話だったがルシアは適当に誤魔化す。


 投降した兵士によると、ここにいる兵士はすべて脛に傷を持つ傭兵で、仲介者を通して雇われたので依頼人が誰なのかは知らないらしい。拐われた人々は地下の牢獄に監禁されており、武装した看守のおおまかな人数や詰所の位置まで教えてくれた。


 もともと依頼人に対する忠誠心も傭兵としてのプロフェッショナルな矜持も持ち合わせていなかったその男は泣き叫ぶ女子供までもが地下に連れ去られていく光景を度々目の当たりにして嫌気がさしていたらしく、知りうる情報を素直に開示してくれたのだ。


「だから、そっちじゃないです!」


 再び歩きだしたルシアに何度目かになるバルログの叱責が飛ぶのだった。



 通路では要所々々に暇そうな見張りが立っていたり巡回する兵士に遭遇することもあったが、そのことごとくをルシアが問答無用で叩き伏せていく。


 ルシアも兵士を確認してから攻撃に移るまでにのんびりとした間があるのだが、それ以上に兵士の反応が鈍い。

 季節的には2ヶ月は早い薄着の美女が堂々と監獄の廊下を歩いてくるのだ。間違いなく不審者なのだが兵士たちが想像している不審者の姿とは解離しているのだろう。とくにルシアが殺気立っているわけでもなく、どちらかと言えば弛い空気を纏っているのも警戒心を遅らせる一因だ。

 兵士は一様に「は?」という顔をして大声をあげるでもなく困惑と好色の入り雑じった目でルシアを眺め続ける。そしてルシアが動き出せば何が起きたのかもわからぬまま、一瞬で意識を刈り取られていくのだ。


 恐ろしく順調に進んではいるが、それに比例してやかましいぐらいだったチャオの口数が減ってピリピリした空気を纏っていく。緊張しているのではなく、単に暴れる機会がなくてフラストレーションを溜めているのだろう。


 やがて廊下の先にアーチ型の鉄格子の扉が姿を現した。この先が地下の牢獄に繋がる階段になっているはずだ。

 本来なら鉄格子の両脇に見張りが立っているはずなのだが人影はなく、偶々用事で離れているにしてもそれほど仕事熱心という訳ではないのだろう。

 すぐ横の扉は兵士の詰め所ということなので、おおかた仕事をサボって仲間とダベっているのだと思われる。残しておくと面倒なので兵士は制圧しておく必要があった。


「はい! はいはい! わたしがやります!」


 我慢の限界に達したチャオが手を上げて宣言すると、返事も待たずに扉に向かって走り出した。


「ちょっ……! チャオ!?」


 バルログが慌てて後を追おうとしたが、ルシアはのんびりとチャオを見送りながら言う。


「まあ、チャオなら大丈夫じゃろう。ここの連中に比べると随分と魔素量が多い。中に居るのも四人程度じゃな」


 たしかにチャオのガス抜きをしておかないと、後々より面倒なことになりかねないとバルログは思い直した。 


 チャオの声が聞こえたのか、扉が開いて背の高い兵士が顔を覗かせる。

 無手で走り寄る少女に怪訝な顔を浮かべた兵士は身構えることもなく目の前までチャオの接近を許してしまう。次の瞬間には空中に飛び上がる勢いで蹴り上げたチャオの踵が真下から兵士の顎を捉えていた。

 崩れ落ちる兵士を押し込みながらチャオが部屋の中に飛び込んでいく。


「うわ! なんだこいつ!」

「おい、止ま……ぐわぁっ!」


 男の叫び声と叩きつけるような破壊音が響き、ものの十秒もすると静かになった。しばらくすると良い笑顔のチャオが入り口から姿を現す。


()ったぞーーっ!!」


 誇らしげに突き上げたその手には鍵の束が握られていた。



△▼△▼△ 



「しっかし、冒険者ってのはみんなそんなに強いのか?」


 スタンが自分と年端の変わらないチャオをまじまじと眺めながら言葉を洩らす。


「わたしは一般の冒険者とはちょっと違うんだけど、かなり強い方だと思うわ」


 チャオは腰に手をあてて得意そうに答えた。


 入手した鍵で鉄格子の扉は開かれ、地下へと続く階段の前で一同は待機していた。


 しばらくすると、斥候として偵察に出ていたバルログが階段を上って姿を現す。


「バル、どうだった?」

「地下1階と2階に牢獄がある。1階は牢獄も含めて無人だった。2階に見える範囲では見張りは二人。ここにたくさんの人の気配がある。3階もあったけど、大きな扉があって先には進めなかった」


 この先の行動の打ち合わせをして、一行はバルログの先導で静かに階段を下りていく。


 1階と2階の中間にある踊り場でバルログは足を止めた。慎重に2階の様子を窺うと、階段前の踊り場でこちらに背を向けて立っている兵士が見える。

 兵士の前にはまっすぐに伸びた通路があり、その両側に鉄の扉で閉ざされた牢獄が並んでいる。もう一人の兵士はその通路を巡回していて奥まで行くと戻ってくる。戻ってくると立っている兵士が交代してまた巡回を始めるようだ。


 巡回の兵士が戻ってきたタイミングでバルログが合図を送り、ルシアと二人で階段を駆け下りる。

 予想はしていたが、ルシアはやろうと思えば気配を消して動けるらしい。普段の雑な歩き方からは想像もできない静かな動きでバルログを追い抜き、巡回から戻ってきた兵士に一撃を食らわせて地面に押さえ込む。

 バルログはこちらに背を向けたまま驚く兵士に攻撃を加えるのだった。



 転がった兵士をチャオとスタンが縛り上げてる間にバルログは鉄扉の一つに近づいた。

 鉄扉はちょうど顔の高さのあたりが格子になっていて中の様子を見ることができる。部屋の中は薄暗いが人らしきものが動くのが見えた。


「誰か、いますか」


 バルログが呼び掛けると、怯えたような若い男の声で返事があった。


「誰だ……看守じゃないのか?」

「俺たちは冒険者です。皆さんを救出に来ました」

「!! ……なに!? 本当なのか!?」

「助けだって!?」

「家に……家に帰れるの!?」


 あまり広そうではない部屋の中から複数の声があがる。その声を聞いた周囲の部屋からもざわめきが広がった。


「落ち着いて、できるだけ声を出さずに指示に従ってください。いまから鍵を開けます」


 そう言うとバルログは一歩下がって鍵を持つチャオの方に顔を向けた。その瞬間、視界の隅に赤く光る物が映る。ゴウッ!っと、不気味な音が耳朶を打ち、慌てて振り返ると紅蓮に燃え上がる槍のような炎の塊が目の前に迫っていた。


 ──魔法攻撃!?


 直撃を覚悟した刹那、白い影がバルログの前に割って入り炎を薙ぎ払った。


「ルシアさん!?」


 素手の一撃で魔法攻撃を消滅せしめたルシアはそのまま通路の奥に向かって走り出す。


 通路の奥は広い空間になっているらしく、その入り口に立つ二つの人影が見えた。


「チャオとスタンは作業を進めてくれ!」


 バルログは言い捨てると無人だった1階にはなかった構造に舌打ちをしながらルシアの後を追って走り出す。


 二つの人影は空中から産み出した炎の槍をルシアに向かって飛ばすが、ルシアはスピードを緩めず邪魔だとばかりに素手で払い除ける。

 効果なしと判断した人影は高速で迫るルシアを迎え撃つべく剣を抜き放った。 


 あいつら、魔法剣士か!?


 魔法使いの後に戦士系統という変則的なクラスチェンジをしていないのであれば、Aランク相当のロードかそれに匹敵する上位クラスということになる。それが少なくとも二人というのは予想していたよりも遥かに危険な戦力だった。


 人影が剣を振り上げた瞬間、ルシアはさらに加速して剣が振り下ろされるよりも速く鳩尾に蹴りを叩き込む。

 バルログの目にそれは今までのような加減されたものではなく容赦のない一撃に見えた。


 鈍い爆発音に似た音と共に人影は勢いよく壁まで吹き飛び、びしゃりと湿った音を響かせて赤い人形の染みを作った。


 残る一人は怯むことなく鋭い斬撃をルシアに浴びせかける。

 ルシアが反転しながら飛び退いて攻撃をかわしたところで、人影の動きが止まった。


 アサシンのスキルを駆使して背後から忍び寄ったバルログが、鎧の隙間からわき腹へと短剣を突き刺したのだ。


「なん……だと……?」


 人影は強敵であるルシアに気をとられ、尚且つルシアの影に潜むように気配を消して接近するバルログにはまったく気付くことができなかったのだ。


 命まで届き得る一刺しにぐらりと体を揺らした刹那、ルシアの回し蹴りがその頭部を捉える。

 人影はもげそうな程に顔をのけ反らすとその場に崩れ落ちた。


 ルシアは蹴り上げた脚が戻るのを待たずに残った脚で地面を蹴ると、壁側に向かって飛び出す。

 その動きを目で追ったバルログは、視線の先に背を向けて壁へと駆け寄る三人目の男の姿を確認した。


 白い光の矢が到達するよりも僅かに早く男の手が壁に触れる。その触れた部分に広げた手よりも僅かに大きいサイズの魔方陣が浮かび上がった。

 だが次の瞬間には回り込んだルシアのショベルフックが男の腹を抉り、男は反対側の壁まで吹き飛ばされていた。


 壁に貼り付いた男が力なく床に転がると、バルログは他に敵が居ないことを確認して肩の力を抜いた。ルシアは先ほど魔方陣が浮かび上がった壁の辺りをじっと見つめている。


 その鬼神のような動きと雰囲気に気圧されながらもバルログはルシアに話しかけた。


「あ、あの……すみませんでした。殺さないように言われてたのに、手加減ができなかった……」


 床に転がる三人の男はどれも瀕死に見えるが、バルログが刺した男はまず助からないだろう。


「よい。こやつらは、ちと毛色が違う。ポルトらが居る以上は、中途半端な対応をするわけにはいかん」


 先ほどまでののほほんとした雰囲気は掻き消え、鋭い目付きと声音には氷のような冷たさが含まれている。


 ルシアの言葉に改めて床に転がる男たちを見回し、バルログはその共通する事柄に気付いた。


「こいつら、魔族なのか……。それに、この鎧……。どこの組織のものなんだ?」


 人間で言えばまだ若者に見える男たちの額からは、それぞれ一本の捻れた角が生えていた。そして、全員が黒を基調とした銀のラインが入った同じ鎧を身に付けている。どこぞの軍属の正装のように見えるが、バルログが目にしたことのない物だった。


「バルバルは知らぬか。これは、魔王軍の鎧じゃ」

「え?」


 その言葉の意味を呑み込むのに少し時間が掛かり、理解した後も半信半疑であった。

 それが遥か遠い魔界からこの地に降り立ったのは、伝説の勇者が活躍したという大昔の話である。それ以来、魔族が人間界に侵攻したという話は聞かない。否、つい一月ほど前にゼフトに魔族の大規模な襲撃があったという騒ぎがあったが、それも何かの間違いか噂に大きな尾ひれがついた結果ではという見方が大勢を占めていた。

 しかし実際に魔王軍らしきものを目の当たりにすると、なにか大変なことが起こりつつあるのではという不安が不意に首をもたげてくる。


「ど、どうして魔王軍がこんなところに?」

「さて……それは妾も気になるところじゃな」


 そう言いながらルシアは牢獄への通路の入り口まで移動すると、腕を組んだまま奥の壁側へと向き直った。


 その様子が、「ここは誰も通さない」という意思表示に見えて、バルログもハッとして壁に向き直る。


 気付くと壁の向こうから馴染みのない音と振動が感じられた。


 ウィィィィィン────


 それは静かで一定で、どこか重々しくもある。そして下方からゆっくりと競り上がってきているようだった。


「ル、ルシアさん、これは……?」


 バルログは不気味なものを感じて汗を浮かべながらルシアに尋ねる。


「魔導エレベーター……じゃな」


 ルシアの回答にバルログは絶句する。それはよほど豊かな国でも王室の者しか使用できないごく僅かな施設に設置されるようなシロモノだ。それが何故スラム街の廃墟のような地下施設に備えられているのだろうか。


 程なくしてその作動音は目の前の壁の向こうで停止した。その直前に、ほんの僅かに増幅した振動はそこに大きな質量を伴う物が到着したことを確信させる。


 バルログの気配感知のスキルは最大限の警鐘を鳴らしていた。

 

「ルシアさん……この向こうに魔物がいます」

「うむ。これは、ちと厄介かもしれんな」


 ルシアの冷たい表情に、僅かに獰猛な笑みが浮かぶ。

 これまで見たこともないルシアの様子にバルログはゴクリと生唾を呑み込んだ。


 そして静かな作動音と共に目の前の壁全体がゆっくりと天井に吸い込まれていく。その隙間からは吐き気を催すような生臭い悪臭が流れ込んできた。


 壁の向こうにはがらんとした四角い空間があり、その真ん中に巨大な何かが立っていた。


 壁が完全に引き上げられると、それ(・・)は巨体を揺らしながら、びちゃりと湿った足音を立ててゆっくりと前に進み出た。


「なんだ…………こいつ?」


 それは身長三メートルを超える魚人……としか形容できなかった。

 (オーガ)のように分厚い筋肉に覆われた逞しい体は人間の形をしているが、腹部や大木のような腕の内側は真っ白で、それが背部や四肢の外側へ向かうにつれて灰色から漆黒へと変わっていく。

 長く突き出た太い首の先にある巨体な頭部は(コイ)に似た完全な魚だった。どろりと濁った大きな眼球はどこを見ているのか分からず知性が感じられない。先端にある巨大な丸い口はパクパクと開いたり閉じたりしていた。

 頭頂部から背中にかけては真っ黒な背びれが立ち上がり、固そうな鱗に覆われた全身はヌメヌメとした粘液に覆われている。

 そして、その太い腕には人間ほどもある巨大な両手持ちの大剣が握られていた。

 だが両手でしっかりと握られた大剣は、ただ握っているといった風情であり、その重量のせいか前傾姿勢となった魚人は大剣に誘導されているようにふらふらと体を揺らしながら夢遊病者のような足どりで前進し、それを振るうだけの知能や力量があるのかと疑念を抱かずにはいられない。


 こいつ……頭は悪そうだし動きも鈍いぞ……


 バルログは危険な予感と異様な雰囲気に圧倒されながらも、つけ入る隙はありそうだと討伐への道筋を見出だしていた。

 だがその計算は、次の瞬間には脆くも崩れ去ることとなる。


 ルシアがおもむろに足もとに転がる鉄兜を蹴り飛ばした。

 金属音を響かせて至近距離から砲弾のような勢いで打ち出された鉄兜は、真っ直ぐに巨大な魚の頭部への軌道をとる。反応する間もなく直撃するかと思われたそれを、稲妻のような速度で振り上げた大剣が両断していた。


 一流の剣士のような動きで大剣を振り上げた姿勢のまま停止した魚人は、思い出したように力なく両腕をだらりと下げると再び前進を開始する。


 バルログはその超重量であるはずの大剣の異常な剣速を目の当たりにして背筋に冷たいものが走った。


「やはり、魔神の眷族が混じっておるな……」


 ルシアは怒りを含んだような鋭い視線を魚人に向ける。

 バルログは魚人の動きに絶望を感じながらも、いま手にしている短剣だけでは深手を与えることは難しいと判断した。ダンジョンに潜るときは小剣を持っていくのだが、潜入調査では邪魔になりかねないし最悪でも相手は人間だろうと考えて置いてきている。


 足もとの少し先には魔族が使っていた長剣が転がっている。

 バルログは気配を殺しながら、ゆっくりと身を屈めて長剣へと手を伸ばしていく。


 その柄に手が触れそうになったとき、不意に魚人がぐるりとバルログに向き直った。

 魚人はその巨体からは想像もできない素早い動きで、一気にバルログの目の前に迫る。


「うわあっ!」


 思わず叫び声が漏れた瞬間、パチン! と、ルシアが指を鳴らす音が響いた。


 それは一瞬の出来事だった。

 魚人の胴体を範囲結界と思われる球体が包み込み、その内側に暴力的な高密度のエネルギーを蓄えた白熱の光が閃光を撒き散らす。

 次の瞬間には、どちゃり、と湿った音を立てて魚人の頭部と肘から先だけになった両腕がバルログの目の前に落ちてきた。少し離れた場所に太ももの中ほどから下だけになった両足が立っていたが、すぐに丸太のようにゴロリと転がる。


 バルログは腰を抜かしたようにその場に座り込んだ。

 目の前に散らばる魚人の四肢の断面からは薄く煙が立ち上ぼり、数瞬前にそこに存在した超高熱の余波は熱風となってバルログの肌をジリジリと焼いた。巨大な頭部は濁った目をギョロギョロと動かし、大きな口はいまだにバクバクと音を立てて以前よりも速いテンポで開閉されている。


 冒険者としてパーティーと共に数えきれない魔物を討伐してきたバルログは、何が起こったのかは理解していた。


「これ……魔法ですよね」


 震える声でルシアに確認をとる。


「そんな大層なモノではない。ただのインスタントじゃ。それでも魔力切れをおこしかけておるがな。もっと小さく纏めるつもりじゃったが、危うく暴発させるところじゃったわ。やはり、無理はいかんな」


 これがインスタント!?


 バルログの感覚では極大魔法に匹敵する威力だった。そんなものは実際に目にしたことはないのだが。もしこれが暴発していたらと思うと、背筋が凍るどころではない。


「さて……と」


 ルシアは魚人が握っていた巨大な剣をまるで棒切れのように拾い上げると、いまだ動き続ける魚人の頭へと振り下ろした。


 そして、鉄塊のようなそれを肩に担ぐとバルログに背を向けて歩き出す。


「ル、ルシアさん。どこへ……?」


 呆然と座り込んでいたバルログはルシアに目を向けた。


「地下3階に開かぬ扉があると言ったな? 少しそこを覗いてくる。バルバルたちはここで皆を助けてやってくれ」


 ルシアはそう告げると表情の消えた顔で歩き去るのだった。



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