101 檻囚棟3
バルログが地面を這うような姿勢で魔法使いに向かって疾走する。人間にしてはなかなかのスピードだとルシアは感心した。
耐久力が低い魔法使いをルシアが叩くよりはバルログに任せた方が安全だと判断し、そのままにしておく。
二人の魔法使いはバルログに向けて新たな魔法を使おうとしているが、すでにスペルアークへの接触は済ませてありルシアの知覚範囲内だ。その際の抵抗はほとんどなく、接触されたことにすら気づいていない様子だった。おそらくスペルアークの認識すらまともにできていないのだろう。
魔法使いと呼ぶにはあまりに未熟、稚拙である。
ルシアはスペルアークへと精神を潜らせる。
目の前に魔力で満たされていく魔術回路と術式が在った。
左の白髪の男が発動する魔法は氷属性、右の長身の男が発動する魔法は雷属性だ。
バリエーションが多いのは良いが、こいつらは自分が得意な属性すらわかっていないのだろう。
(やはりな……)
術式は先に見たものと特徴が酷似している。製作者の癖などではなく、意図的な綻びが作られているのだ。
さっき即興で作ったカウンタースペルの簡易術式を最適化して綻びに重ねると、ぴったりと合わさる。これで魔力の流れはルシアの術式に引き込まれて魔法が発動することはない。
(たしか、人間の魔法は魔術師ギルドとやらが発行している呪文書で管理されていると言っておったか)
大まかな構造は察しがついた。《システム》により素養のある者が魔法使いのクラスになり、ギルドの呪文書により魔法が与えられる。未熟ながらも高度な魔法を使う魔法使いが簡単に大量生産されるのだ。
このシステムで高位の魔法まで習得できるのなら、わざわざ危険を伴うスペルアークの開拓をする者も少ないだろう。術式の綻びは管理側の絶対的な優位を確保する安全装置なのだ。
これはこれで、理に叶ったシステムなのだろう。
おそらく、いま作り出したカウンタースペルの術式は魔術師ギルドが提供する魔法に対する万能鍵となるはずだ。管理側の魔法使いたちも同様の物を持っているに違いない。人間側の都合など知ったことではないが、ルシアにすれば手間が省けるというものである。
バルログの進路を塞ごうと動く兵士に向けてルシアが右足を振ると衝撃波が放たれる。
三人の兵士が派手に吹き飛ぶと残った兵士たちはパニックを起こした。
「なんだ、いまのは!?」
「くそっ! 敵にも魔法使いがいるぞ!」
兵士たちの魔素量を確認すると、際立って多いのは倒れて動かない隊長だった。
人間の《システム》上では魔素量が多い=レベルが高いということになる。
魔物を倒したときなどに得られるソウルオーブと呼ばれる魔素は体内に蓄積される。魔族はそれを利用して身体強化に使っているが、一般的な人族は魔素のコントロールが出来ない。それを代わりに行うのが《システム》である。
ただそのまま蓄積され続けると人体に有害となる魔素を《システム》がコントロールして身体強化に使う。その際に戦士は『力』、魔法使いは『魔力』といった具合にクラス毎に優先されるパラメーターが重点的に強化されることになる。次の強化に必要な魔素量はシステムウィンドウに表示され、強化した回数が『レベル』として表されるのだ。
《告! 『魔王』へのクラスチェンジが可能です。クラスチェンジを実行しますか? Yes/No》
唐突にルシアの脳内に無感情な女性の声が響き、視界にメッセージが表示される。
「やかましいわ」
ルシアは呟くとNoを選択した。
解析のために《システム》を受け入れてからは一日に何度も通知されるメッセージなので、少々うんざりしている。ちなみにいまの《システム》上のルシアのクラスは『戦士』になっていた。
ルシアは気を取り直して兵士たちを観察する。虎の子の魔法使いは間合いを詰めたバルログにより一瞬で昏倒させられ、隊長も意識を失ったままなので残った兵士は恐慌状態で右往左往している。
このままバルログに任せても問題はなさそうだが、少し身体を動かしておこうとルシアは思った。
(そろそろ人間への力加減を覚えんとなあ)
手近な兵士に狙いを定め、軽くステップを踏んで間合いを詰めると胸当てのまん中に掌底を当てる。兵士はいきなり目の前に表れたルシアにあっけにとられた顔のまま宙を舞った。
続けざまに近くの兵士の懐に飛び込み、もう少し弱く掌底を当てる。兵士は吹き飛んだ後に床を滑り、10メートル向こうの壁にぶつかってうめき声をあげ、ぐったりしている。このぐらいでも十分に戦闘不能になるようだ。
ゼフトに居た頃は角を失った直後だったせいで、堰を切ったように体内から魔力が漏れだして身体強化もまともに機能していなかった。激流のように荒れ狂っていた魔力の流れも、現在はかなり落ち着いてきたので体の調子は良い。その分、攻撃を意識すると思わぬ力が出てしまうので細心の注意が必要だった。
ユキの不興を買うのが恐ろしいというのもあるが、ルシア自身も無意味な殺生をする気はない。
ユキやカイト、とりわけゼフトの子供たちとの出会いはルシアの認識を大きく変えていた。
魔界では力こそが正義であり、弱い者には虫けら程の価値しかない。成り上がる力のない平民はただ搾取されるだけの存在だ。ルシアは最底辺の奴隷から、力だけを追い求めて頂点へと駆け上がった。それですべてが手に入ると信じていたのだ。
だがルシアは何一つ満たされることはなかった。空っぽの心を抱えたまま、自分にとって魔王の座などなんの価値もなかったのだと知った。勇者の封印により永い時を城に幽閉されて過ごしたが、そこで考え続けて出した結論は、最も価値がないのは空っぽの自分自身だということだった。
だが、力のほとんどを失ったときのゼフト村での日々は驚きと衝撃の連続だった。力だけが価値のすべてではないのだと知った。弱く小さい者にも価値があるのだと知った。ユキや子供たちと過ごすうちに心が満たされていく自分を知った。
村の子供たちはルシアにとって何物にも代えがたい宝物になっていたのだ。
故に、ポルトと妹の窮地を救ってやりたいと思ったのだ。かつては子供だったはずの兵士たちの命も無駄に奪うことはしたくなかった。
残った四人の兵士は一斉にルシアに斬りかかる。力任せに斬り伏せようとする者や、タイミングを見計らいフェイントを織り交ぜて確実に手傷を負わせようとする者など様々だが、その刃がルシアに触れることはない。
完璧に剣筋を見切ってひょいひょいとかわしていくルシアはなにやら考えごとをしている様子で視線をさまよわせ、兵士たちを見てすらいないのだ。兵士たちはその態度に怒りを募らせ、さらに苛烈な攻撃を繰り出す。
ルシアに兵士たちを馬鹿にしているつもりはなく、その能力の解析にとりかかっていた。
四人のうち一人だけが、他に比べて剣の扱いが上手いことにはすぐに気付いた。そこで四人のスペルアークに接触し、《システム》の魔術回路を勝手に起動させる。
ルシアの視界に四人のステータスウィンドウが表示された。
うち三人のクラスは『戦士』でレベルはそれぞれ11、11、12である。腕の立つ残る一人のクラスは『剣士』でレベルは16。パラメーターも他の三人に比べて高い。
《警告! ハッキング行為を確認しました。禁則事項に抵触しています。管理者権限のないシステムへの干渉は重大な──》
「だから、うるさい」
ルシアは回路の一部を停止させて《システム》からのメッセージの受信を遮断する。
「ふっ!」
ルシアの鋭い呼気と同時にルシアを取り囲んで剣を振り下ろした三人の兵士が一斉に吹き飛ぶ。
それぞれに同じ力加減で掌打を当てたのだが、戦士の二人は倒れたまま、剣士は剣を支えにすぐに身を起こすが立ち上がることができない。もう戦意を失っているようだ。
残った一人も剣を捨てて両手を上げた。
その後、バルログ、チャオ、スタンが手分けして兵士たちをロープで縛り上げた。
「ル、ルシアさん。魔法使いは目を覚ますと厄介ですよ。警備隊なら魔法使いを拘束する魔道具を持っていますけど、呼びにいってる時間がありません」
バルログは短剣を手に縛り上げた魔法使いを見下ろしている。暗に殺しておこうと言っているのだ。
「心配には及ばん。もう、こいつらは魔法を使えぬ」
魔法使いのスペルアークにはマスターキーを設置してある。この二人の実力では自力で解除することはできないだろう。
「わかりました」
バルログはあっさり納得すると短剣を鞘に納めた。
ルシアの言っていることはバルログの常識では考えられないことだが、実際に魔法使いを無力化するところを見てしまった。その上で10人の兵士を素手で苦もなく叩きのめしたのだ。
すでにルシアがバルログの常識では量れない存在だと認識していた。そのルシアが言うのなら、そういうことなのだろう。時間が惜しいので詮索も後回しだ。バルログはいつも通りに感情を無視して効率を優先することに決めていた。
檻囚棟の話は長くても二話ぐらいで済ませるつもりだったんですが、なかなか話が進みません。さすがに次で終わらせます。