10 夜営にて
カイトは夜営地の周囲に魔物避けの罠を張った。念のためにユキたちと馬には反応しないように設定しておく。
ルシアは呼吸が浅いが、どうにか持ちこたえていた。
意識はあるらしく、ユキがスープを口に運ぶとしっかり飲み込んでいる。体温が下がっているので、その日はユキが添い寝をして温めながら夜を明かした。
翌朝、ルシアはしっかりと目を開くようになっていた。
道中もカイトの耳元でなにかぼそぼそと呟いたり、話しかけるとほとんど聞き取れないもののなにやら短くことばを返してくる。
昼の休憩のときには馬から降ろすと、驚いた事に自分の足でよろよろと立ち上がってみせた。
「さすが魔王」と、カイトはその生命力に感心していた。
そして、その日の晩──
カイトが夜営の準備をしている間にユキは疲れて眠ってしまった。
周囲には魔物避けの罠を張ってあるので、カイトはそのまま二人を残して水を汲みに野営地を離れた。
その間に事件が起こった。
ユキが目を覚ますと、辺りはすっかり暗くなっている。
火が焚かれているが、カイトとルシアの姿がない。
「!」
ユキは慌てて飛び起きた。
周囲を探すが人影はない。カイトが瀕死のルシアを連れ出しているのだろうか? 不安な気持ちで立ち尽くしていると、ガサガサと茂みが揺れた。
驚いたことに、ルシアが山羊ほどのサイズのワイルドボアの子供を片手で引き摺りながら現れた。
「起きておったか」
ルシアがユキに声をかけてきた。気丈に振る舞ってはいるがまだ顔色は悪く、替えたばかりの包帯は赤く染まっている。
ユキは拳をぎゅっと握って下を向いていた。
「なにを……しているんですか」
「ふん、いつまでも世話になってはおれぬでな。晩飯を獲ってきてやったぞ」
パン!
乾いた音が響き、ユキに横面を張り飛ばされたルシアは一瞬きょとんとした顔をして、次に激昂した。
「きさま! このわしにむかって──」
言い終わる前にユキがルシアの胸ぐらをつかんだ。
「なにをしているんですか! 馬鹿なんですか! まだ傷もふさがってないのに! 死にかけているのに! あなたが動かなくていいように私たちが頑張っているのが解らないんですか! 本当に馬鹿っ!!」
「いや、わしは……」
ユキの剣幕にルシアはたじろいだ。
「あなたが強いってことは、ちゃんとわかってます! でもそういうことは『もう大丈夫だ』って言えるようになってからにしてください! 申し訳ないって思うんだったら早く傷を治すことに専念してください! 死んでしまったら、なんにもならないんだから! 死んでしまったら……」
「ま、まて……なぜお主が泣く?」
怒った顔で涙を流すユキに、ルシアは本気でうろたえた。
怒りや憎悪をぶつけられるのには慣れていたが、ユキのそれはルシアが知っているものとはまったく違うものだったからだ。
「わたしのことはいい! あなたはおとなしく寝ててください!」
「む…………わかった…………」
こんな怒られかたをしたのは生まれて初めてのことだった。
どうしていいかわからず、ルシアはすごすごとユキが指差した地面に横たわると、外套を丸めた枕に頭を乗せ背中を向けて小さくなった。
「えーと、水汲んできたよ。あと食料も」
戻ってきていたが、声をかけるタイミングを失っていたカイトが、わざとらしく登場する。
「お魚とってきてくれたんですね、ありがとうございます」
ユキは涙を拭いながら、何事もなかったようにカイトを迎える。
カイトは魚を枝に突き刺して火のそばに並べると、黙ってルシアの獲ってきたワイルドボアを捌いた。
「ルシアさん、お魚焼けましたよ」
「……あとでたべる」
「あの、ルシアさんが獲ってきてくれたお肉、美味しいですよ」
「……いまはたべたくない。あとでたべる」
ルシアは背を向けたまま、蚊の鳴くような声で返事をする。
振り向くことができなかった。ルシアは子供のようにポロポロと涙を流していたのだ。
なぜ泣いているのか自分でもわからない。この状況が悔しくて腹立たしいが、その感情をぶつける場所がわからなかった。
ユキは小さく肩を震わせるルシアを心配そうに見ていたが、見かねたカイトが声をかけた。
「ユキも疲れてるんだから、そろそろ寝たほうがいい」
「でも、ルシアさん、なにか食べないと……」
「俺が起きてるから、だいじょうぶ。ちゃんと診ておくよ」
「……じゃあ、おねがいします」
ユキは毛布をかぶって横になると、すぐに寝息をたてはじめた。
しばらくすると、ルシアがむくりと起きあがる。
「こっちを見るな」
「見てないよ」
カイトは近くの森から引っ張ってきた太い木の枝に腰かけ、横を向いたまま星空を見上げている。
ルシアは皿に取り分けられた肉と魚を黙々と食べはじめた。
「足りぬ」
「じゃあ肉を焼くよ」
「こっちを見るな」
「どうしろってんだ」
そのあと、ルシアはけっこうな量の肉をたいらげた。
「傷はどうなの?」
「おかげで、再生の魔法が起動したようじゃな。まあ、弱々しいものじゃが。……たしかに、まだ予断を許さぬ状況じゃ」
そう言うとルシアは、自分の体を抱くように身を縮めた。
「……寒いな」
大量に血を失ったせいで体温が下がっているのだ。
「またユキに温めてもらえよ」
ルシアは大きな寝息をたてているユキに目を向けた。
「こんなやつ、嫌いじゃ」
拗ねたようにぽつりと呟く。
「起きてるときに言えば?」
「……嫌じゃ。こいつは怒ると恐い。だから、しばらくおとなしくしておる」
そう言うとルシアはユキの毛布にもぐり込み、ピタリと身を寄せると眠りはじめた。