第九十八話 堕ちたる者
先程の攻撃がすべてを物語っていた。
イオの話は事実で、炎熱回廊の鍵は彼らによって既に回収されてしまったと考えていいだろう。
だが一つだけ不可解な点がある。
彼らがメティスに留まり続けていた理由だ。
「鍵を手に入れたのなら、どうして次の場所に行かないんだ」
「そんなの他の奴がせっせと集めた鍵を後から奪ったほうが楽だからに決まってんだろ。少し前に緑翠の迷宮が攻略されたって噂で聞いていたからな。んで、お前らがこうしてわざわざ来てくれた。正解だったってわけだ」
竜鱗鎧の戦士──ライルはそう語った。
バルザークたちは端からまともな手段で鍵を集めるつもりはなく、他の冒険者から奪う算段だったようだ。
鍵の共鳴現象は発生していない。となると持っているのはバルザークか。
本人の姿は見えないが、恐らくそれほど遠くには行っていないはず。
「【炎熱の鍵】はどこにある」
「レベル上限1の雑魚が偉そうに俺に指図すんのか?」
「まーまー、待ってよライル」
ライルが立ち上がり槍を構える。しかし、イオがそれを遮るようにして間に割って入った。
「鍵を集められたのなら、この人たちもかなり強いはずでしょ? 特にキミは前に会った時とはまるで別人みたい。もう襲ったりしないから、少し二人で話をさせてよ」
「お前と話すことはない」
「キミがリーダーなんでしょ? 話し合いには応じなきゃ〜。それとも、怖くて一人じゃ話せない?」
弓を地面に置いて、イオがゆっくりと近づいてくる。
ファティナが無言のまま意見を求めるような眼差しを送ってくるが、うなずいて前に歩き出す。
別に俺がリーダーと言うわけではないが、二人を向かわせるには危険すぎた。
何か仕掛けてくるのであれば、距離が近い方が俺としては都合がいい。範囲内であれば、ほぼ確実に【即死魔術】で仕留められる。
イオは、俺と身体がぴたりとくっつく距離まで近寄ると、耳元で囁いた。
「【炎熱の鍵】はこの先に居るバルザークが持ってるよ。でも、倒そうとするならあたしはキミとそこの二人を殺さないといけなくなっちゃう」
ほぼ予想どおりの展開だったが、「だけど」とイオは続けた。
「もしも鍵をくれるなら、キミも仲間に入れてあげる。バルザークにはあたしから取り成してあげるよ」
「断る」
考えるまでもなく即答する。
こんな危険な連中の仲間に入るなど、選択肢にすらなり得ない。
「そんなこと言わないでよお。あたしたち冒険者同士でしょ?」
「冒険者を平気で殺したくせに、よくそんなことが言えるな」
「殺した? 誰が?」
話を聞いたイオは、なぜかきょとんとしている。
まるで身に覚えがない様子だ。
「昨日の夜、メティスの酒場にいた冒険者三人が殺された。お前たちと一緒にいた人たちだ」
「あれま。あの三人死んだんだ」
「は? マジかよ。まあどのみち生きててもしょうがないような連中だったし、むしろ良かっただろ」
ライルも、彼女と同じく他人事のように言った。もう一人の仲間らしき男は先程からずっと黙ったままで、眉一つ動かさない。
「なぜあんな真似をしたんだ」
「だから知らねえって。少しばかり痛い目にあってはもらったが、町中で殺しなんてすぐバレるような真似するかよ」
「そうだよぉ。あたしたちがやったって証拠でもあるー?」
確証はない。だがこれまでの状況が、彼らが犯人であることを示している。
「そんなことよりさあ、聞いてよ。あたしたちはこの世の中を変えるために鍵を集めてるんだぁ」
「世の中を……変える?」
急に意味不明な話を切り出され、メルが怪訝な表情で聞き返した。
「知ってると思うけど、この鍵を使えばレベル上限が上がるでしょ? そしたらさ、メチャクチャ強い人たちをいくらでも増やせそうじゃない? それこそ、騎士なんかも余裕で倒せちゃうくらいに」
それは以前からメルが危惧していたことだ。
今のところレベル上限が上がるアイテムは冒険者たちの間では伝説的な扱いだが、実在していると知れれば悪事を企てる人間が現れてもおかしくはない。
「鍵の力で強くなった人たちを集めて、悪い貴族たちを倒すの。これぞまさしく英雄ってヤツじゃない?」
「まさにそのとおりだな。手始めにこの国でも滅ぼそうぜ」
「な、なんてことを……」
まるで悪夢でも見ているかのようにメルが苦しげな表情を浮かべた。恐れていたことを実行に移す人間がついに現れてしまったのだ。
彼らはそもそも、素直に国王に鍵を渡そうだなんて微塵も考えてはいなかった。
「ね? だからさ、キミもあたしと一緒に英雄になろうよ」
「人をゴミ扱いした奴と手を組めというのか」
「あ~……バルザークは弱い人が嫌いだからさ。あの時はキミのことを悪く言ったけど、今は状況が違うでしょ」
「俺はついさっきお前に殺されそうになったんだぞ」
「でも結果的に生き残ったんだから別にイイでしょ。そもそもあの程度で死ぬような人ならここまで来れてないってば」
イオはけらけらと笑いながら、言葉を続けた。
「この世界はさぁ、一度綺麗になるべきだって思うんだ」
「綺麗に?」
「だって理不尽なことだらけで、ちっとも楽しくないよ。キミだってそう思うでしょ?」
理不尽な世界。
心当たりがないわけではない。
「ギルドで皆に笑われたこと、忘れてないよね? 人類最弱だってさ」
外の世界に出て分かったのは、この世界は決して平等ではないということだ。
冒険者であればレベル上限やスキルによって評価が変わる。ガストンのようにレベル上限のせいで苦しんだ者をこの目で見た。アレンのように、能力が高すぎたために歪んでしまった者もいた。
獣人にしてもそうだ。
どこか不自然な形でこの世界で暮らしている彼らの境遇は、普通とは言い難い。
何か理由があるのだろうか。
「ねえ、あなたも仲間になってくれるよね? 獣人同士きっと気が合うよぉ」
イオは、今度はファティナの方へと顔を向けて話し始めた。
「あなたも、獣人のくせにーとか言われることあるでしょ? そういうのを、根本から変えられたらいいなって思うよね」
「思う時もあります」
「うんうん、やっぱりそうでしょ?」
「でも、信じられる人も、助けてくれる人もたくさんいます」
はっきりとファティナは答えた。
意外な返答だったらしく、イオは目を細めた。
「ふーん? でも他の獣人がどう思うかは聞いてみないと分からないじゃない? それに、この鍵にはまだあたしたちの知らない使い道がありそうだし」
──知らない使い道。
疑問が顔に出てしまったためか、イオは俺を見ながらうんうんと満足そうに頷いた。
「考えてもみてよ。王様はあたしたちに『鍵を三つ揃えろ』って言ったけど、どうして三つなのかなって」
「全部で三つだからじゃないのか」
【緑翠の鍵】、【流水の鍵】、【炎熱の鍵】──全部で三つだというクレティア王家の宝。
そうメルは言っていた。三つ集めた後の話は古文書にも載っていないというが、祭壇にある炎に投げ込めば破壊できるということだけは記されている。
三つ集めたら何が起きるかが重要なのに、どうして記述がないのか。
その理由までは考えたことはなかった。
俺の目的とは関係がないから、あまり興味を持たなかった。
「本当にそれだけなのかな? 最初は一つだけだと効果が薄いからかもって思ったけど、ひょっとしたら、三つ集まると何かとんでもないことが起こるんじゃないかなぁ?」
「あなたの目的が何であれ、鍵を悪用させるわけにはいきません」
無理矢理勇気を振り絞るようにして、メルが声を発した。
「あなたは誰? なんか冒険者っぽくないけど」
「私はこのクレティアの王女です。父を止め、三つの鍵を破壊するためにこうしてアークさんたちと一緒に行動しています。どうか私の話を聞いてくれませんか」
「ハハハッ! おい聞いたかよ! まさか王女様が直々においでなさるとは思わなかったぜ」
「……あなたがたは父から依頼を受けてここを訪れたのでしょう。鍵を外に持ち出せば必ずや混沌を招き、罪のない人々が大勢犠牲になります。どうか選択を誤らないでください」
「悪いけどそれは無理かなあ。大義のためってヤツ? まあ、どっちにしろあなたには今ここで死んでもらうんだけど」
「え……」
イオがあまりにも簡単に言ったので、メルは唖然とした表情のまま固まった。
「あたしは貴族が大嫌いだから、機会があったら全員殺すことにしてるの。例外とかはないよ」
「やめてください! メルさんはあなたが思っているような人ではありません!」
ファティナは大声を張り上げると、メルをかばうようにして前に立ち、剣を構え直す。
「違くないよお。こいつらにとっては民や冒険者の命なんて石ころみたいなもの。あたしたちがどんなに苦しんでいようと気にも留めないよ?」
「……なぜそこまで貴族を憎むのですか。我が国では民を大事に扱ってきたつもりです」
「あたしはこの国の生まれじゃないけど、ホントにそうなの? 獣人はどこに行っても住みづらいし、似たようなものに見えるけど。そういえば、ボルタナの近くにも相当危ない場所に獣人の村があったよね。あんな場所に住まわせるなんておかしいと思わない?」
「聞くなメル。これ以上の話し合いは時間の無駄だ」
元々彼らは説得できるような相手ではなかった。
それだけのことだ。
「今すぐ鍵を渡せ。抵抗するなら容赦はしない」
「あっそう。じゃあ仕方ないね」
イオが言った次の瞬間、彼女の顔のすぐ横に見慣れた物体が姿を現した。
──宙に浮く半透明の板。
そして、そこに書かれた様々な文字。
それは──俺の持つ、能力を表示するものによく似ていた。
「あ、これ見えるんだ?」
一瞬で危機を察知する。
自然と体が動く。
イオのすぐ後ろ、ライルがこちらに向かって走って来るのが見える。
しかし、俺のほうがまだ早い。
「《デス》!!」
イオに向けて即死魔術を放つ。
この距離ならば外すことはない。
ごぽり、と左手から黒い無数の髑髏が溢れ出る。
──が。
「やっぱりキミも普通じゃなかったんだ」
イオが腰から短剣を勢いよく引き抜き、そのまま下から上へと斬り上げた。
《デス》が効果を発せずに、その場で煙のように霧散する。
時間がゆっくりと流れているような感覚の中、イオが相変わらず余裕の笑みを浮かべているのが見えた。
人間相手に本気で使ったのは初めてだったが、防がれた。魔術防御でもないように見える。
すぐさま右手に持っていた剣を振るい、水平に斬りつける。
刃がイオへと向かう。
しかしその刹那、突然四肢から力が抜けた。
身体に明らかな不調を感じる。
「ぐッ!?」
肩が抜けてしまうほどの重さを感じて、思わず剣を手放す。
剣が地面に落下すると、どすんと重量感のある音が響いた。
──今まで問題なく使えていた剣が、重すぎて持てない!
「《デス》!」
今度は魔術が発動すらしなかった。
何が起こっているのか理解できない。
「ごめんねぇ。まさか正々堂々戦おうとしてるなんて思わなかったから。もしも【即死魔術】がホントに問答無用で相手を即死させるんだとしたら、あたしが本気で戦っても勝てるかわかんないしさぁ」
イオが嗤う。
まさかこれも彼女の持つ能力の一つなのだろうか。
完全に油断していた。
慌てて距離を取ろうとして──しかし思うように力が入らず、これまでのように跳ぶこともできないため後退る。
「アーク様!」
ファティナとメルがこちらに走って来る。
しかしファティナの動きは普段よりも俊敏さに欠け、どこかぎこちない。
「何か攻撃を受けた。体が重い」
「私もどうしてか、思うように動けなくて……」
メルは特に問題なさそうに見える。
全員が何らかの影響を受けているわけではないのか。
周囲を見渡したところで、変化に気づいた。
さっきまで何もしていなかった紅蓮の外套を着た男が、こちらに向けて手をかざしている。
イオでないとしたら、奴が何かをしているのだと思った。
イオは短剣を持ったまま、こちらを見ていた。
そして、告げた。
「この世界では、レベルとスキルで強さが決まる──なら、もしもそれを無効化できたらどうなると思う?」
まさか、と思った。
外套の男の能力は──スキルやレベルをすべて消し去るとでも言うのか。
「【能力無効】──モンスター相手には何の役にも立たない能力だし、近くにいるあたしたちまで影響を受ける厄介なスキルだけど、対人間相手には本当の意味で平等になる──」
イオのすぐ隣までやってきたライルは、紅い槍を肩で担ぐようにして立っている。鎧を着ているのに、それほど重さを感じていないように見える。ただの防具ではなく、特別な物品なのだろう。
「まあ、その場合は単純に準備をしていたほうが勝つよねー」
イオが距離を詰めてくる。
すぐに使えそうな武器は何もない。
後ろを振り向くと、ファティナがよたよたとおぼつかない足取りで剣を握っていた。
【剣聖】のスキルが消滅したことに加えて、シャドウキメラの剣は重すぎてまともに振るうこともできない様子だった。
「狼人族は俺が殺る。そっちの小僧はカシムなら遊んでても余裕だろ」
ライルが槍を構え、ファティナを見据えた。
まずい。
どんなに念じても、空中で指を動かしても、能力一覧が現れない。
何もしていないはずなのに、妙に息が苦しい。
アミュレットが効果を発揮しているはずなのに、体が熱い。
スキルは封じられたことでレベル1相当になった俺は、ボルタナに来たばかりの時とまったく同じ状態に戻っていた。
このままでは何も抵抗できず、ただ殺されるだけだ。
「……」
カシムと呼ばれた赤い外套の男が、腰の両脇に括り付けていた簡素な片手斧を、それぞれの手で握る。
そして、襲い掛かってきた。




