第九十七話 回廊を抜けて
回廊の先は、道幅が広く、黒い岩肌の坂道になっていた。
まだ空は見えない。
道の真ん中は人が通れるように岩がどかされている。ここから更に奥へ行けるようだ。
前にメルから聞いたとおりならば、この先には【炎熱の鍵】を持つ守護者と、三つの鍵を破壊することができるという女神の祭壇が存在しているはず。
守護者はともかく、祭壇のほうは無事に残っていればの話だが。
それにしても、女神の祭壇か。
女神の……。
女神?
待て。
さっきラギウスが何か言っていなかったか。
女神がどうとか。
突拍子のない話だったから適当に聞き流してしまったが、たしかに言っていた。
ふざけるなよ。
何が、『そんなものは知らぬ』だ。
その物言いを思い出して、妙な苛立ちを覚える。
「ファティナさん、平気ですか」
声が聞こえ、我に返る。
すぐ後ろで、メルが心配そうな顔をしながらファティナに声を掛けていた。
「あはは……別に大丈夫です。それよりも、先に進まないと」
苦しそうに笑うファティナの表情は、発した言葉とは正反対のものだった。
理由はやはり、先程ラギウスが話していたホムンクルスの件だろう。
俺が思っている以上に深刻なようだ。
こんな状態では、モンスター相手にまともに戦える気がしない。
ここからメティスに戻る場合、回廊を下ることになる。
道中にいるモンスターは倒していないし、このダンジョンは冒険者が気軽に足を踏み入れられる場所ではないため、大昔の罠がいまだに残されている可能性もある。
進むにしろ退くにしろ、危険が伴う。
ラギウスにここまで飛ばしてもらったことが裏目に出たか。
「ねぇファティナさん……私はあなたが何者であっても構いません。それは今までも、これから先も決して変わることはないですよ」
メルは優しげな口調でそう語りかけながら、ファティナの手を自らの両手で包み込むように握った。
気付いていたんだ。
「たとえば、あなたは私が王女で贅沢な暮らしをしているからと、嫌いになってしまいますか?」
「そんなこと、絶対ないです!」
「私も同じ気持ちです。あなたが獣人で、並の冒険者よりも強くて怖いからといって、嫌いになったりなんてできません。ファティナさんは、立場や種族に関係なく、もう私にとっては大切で、欠かせない存在になってしまっているのですから」
「メルさん……」
「だから、これからもずっと私の友人でいてくださいね」
ファティナは目に涙を溜めて、メルに抱きついた。ぶんぶんと、尻尾がちぎれそうなくらい左右に振られていた。
前にも似たような出来事があったのを思い出す。
あれはトラスヴェルムで、チェスターの屋敷の中だったか。
あの時はメルが慰められる側だった。
長い抱擁が終わると、メルが俺の方を向いて言った。
「アークさんだって、そうですよね」
「そうですよねも何も、俺はとっくにそう伝えていただろう」
「え? 一体いつの間に」
「馬車に乗ってここに向かっている途中で。もう忘れたのか」
「……言われてみればそうでしたね」
そうして、二人は笑い合った。
色々あったが、ファティナの調子が戻ったのは助かった。これでメティスまで引き返す必要はなくなった。
……それにしても、ホムンクルスか。
百歩譲ってラギウスの話が真実だとするならば、人造生命を誕生させるなどというとんでもない術がこの世に存在することになる。
俺の知らないスキルか、はたまた全く別の力によるものなのか。そもそもどういった目的で生み出されたのか……情報は何もない。
考えても仕方ない。
少なくとも、俺は信じていない。
「そうだ。ファティナさんには信頼の証としてこれを差し上げましょう」
メルはバッグから何かを取り出すと、ファティナに差し出した。
それは、美しい装飾の鞘に納められた一本の短剣だった。
濃紺色の鞘には金で模様が描かれており、赤い宝石などもあしらわれている。
一目で高価な品だと分かった。
「わ、すごく綺麗ですね!」
「城を出る際に持ち出した品です。何か特別な効果があるわけではないのですが、もしもの時に使ってください」
ファティナは急な出来事でかなり戸惑っている様子ではあったが、それでも断ることはせずに受け取った。
「わかりました。メルさんの気持ちと一緒に、受け取ります」
ファティナは、腰のベルトに革紐で短剣を括り付けた。
「ありがとうございます。見た目は綺麗ですけど、どんどん使ってくださいね」
しばしの休息の後、俺たちは再び本来の目的のために歩き始めた。
坂道は緩やかな勾配のため、体力的にもきつくはない。しかし、道の左右は溶岩が絶えず流れ続けている。心休まる時はない。
この先は、一体どんな場所に繋がっているのだろう。
ラギウスの使った魔術らしきものにより、俺たちは回廊の終わりに飛ばされている。
それなら、すぐに目的地に着いていいはずだ。
──ひょっとして、俺たちはラギウスに騙されたのではないだろうか。
一瞬、そんな考えが脳裏をよぎった。
いや、違うか。
さっきの魔術で溶岩の上にでも移動されれば、俺たちはあっという間に黒焦げだ。
それをしないということは、俺たちを殺す、あるいは止めることはラギウスの本意ではないということなのか。
奴が俺たちに協力した理由は一体何だろう。
俺たちを転移させる直前に告げた言葉を思い出す。
──助言。
そう、助言だ。
「メル。さっきのラギウスの助言についてどう思う」
「ラギウスさんが『戯言だ』と言っていた話ですか?」
「ああ。俺にはさっぱり意味が分からなかった」
「そうですね……アークさんは確か、『最強になるという意志を貫き通せ』でしたよね。ファティナさんは『さっき言ったことをよく考えろ』で、私は『これ以上何もするな』だそうですけど」
やはり漠然としすぎている。
「うーん……私の場合はホムンクルスの話ですよね。よく考えろって、これ以上何を考えるんでしょう」
「私なんて、『何もするな』ですからね……でも、ちょっと変ですね」
「変?」
「私の目的は、三つの鍵を父よりも先に集めてこの騒動を止めること。ですがそれは、私というより今やこの三人全員に共通する話ではないでしょうか」
「言われてみればたしかにそうだが……」
「言い換えると、『私はダメだけれどアークさんとファティナさんであれば鍵を集めても問題ない』、ということになりませんか。だからおかしいと思ったんです」
「うー、なんだか頭の中がこんがらがってきました……」
実際に二人と会話をしてみたところで、最も重要なことに気が付いた。
「俺から話を振っておいてすまないが、やっぱり考えるだけ無駄だからやめよう。ラギウスはデタラメを言っただけだ」
「どうしてですか?」
「俺はラギウスに『鍵を探しにきた』という話しかしていない。『国王が鍵を集めている』とか、『メルが国王を止めようとしている』という事情は一切説明してないんだ」
「……あっ! 言われてみれば確かに」
「つまり、助言とやらは全くアテにならない。メルの心を読んだりでもしない限りは」
「でも、ラギウスさんと鍵の関係については分からないままですね。結局……」
メルの言うとおりだ。
疑問は解決するどころか増えてしまった。
ラギウスは助言の他にも何か言っていた。
『為すべきことを為せ』だとか、メルに『お前がそれを言うのか』、など。
あれも全部、それらしいことをほのめかしていただけ──なのだろうか。
全員で坂を上り切り、一息つく。
先に見えるのは、こげ茶色の土でできた真四角に近い広場だ。
所々に人の背の二、三倍ほどの大きな岩塊が突き出ており、見通しはあまり良くない。
下は断崖で、落ちれば命はない。
空が見えた。
暗赤色の空は、流れる厚い雲に覆われている。
天井がなくなったことで圧迫感は消えたが、少し息苦しい。
これまでの経験から、ここが目的地、鍵の守護者がいる場所にふさわしい気がする。
しかし──
「……何もいない?」
守護者どころか、モンスターの一匹すらいない。
その光景に、首を傾げるしかなかった。
「何か変──」
声を発した、まさにその時だった。
何かがすぐ目の前まで迫ってきていた。
すぐさま剣を抜き、弾き落とす。
「つッ!?」
刀身に火花が散った。
矢か何かだったかもしれない。
しかしその一撃はあまりにも重かった。
それだけじゃない。飛来したそれは、正確に俺の頭部を狙っていた。
あまりの衝撃の強さに、剣を握る手が痺れている。
イリアの放つ鉄の矢とは比較にならないほどに、威力が高すぎる。
弾かれた物体が近くにあった岩にぶつかる。岩は大きな音を立てて粉々に砕けた。爆散したという表現がしっくりくる。
あとほんの僅かでも気付くのに遅れていたら、間違いなく死んでいた。
完全に常軌を逸した威力だ。
もしも今の攻撃が人為的なものであるならば、並の相手じゃない。
ふと剣を見ると、全体がぼんやりと光っている。
……ラギウスが近くにいるのか?
「アーク様!!」
異変に気が付いたらしいファティナが慌てて剣を抜きながら叫んだ。
「……敵だ。攻撃を受けている」
「で、でも、私の耳でも音を拾えないなんて──」
「今はいい! それよりも俺の後ろから出るな!」
「は、はいっ!」
二人を守りながら戦っていられるほどの余裕はもうない。
岩陰に隠れるか?
いや、それもダメだ。岩ごと貫かれる。
前方を見るが、誰もいない。いないどころか、生物の気配もない。
剣を構えてしばらく待つものの、攻撃は飛んでこなかった。
もしかしたら、次の一撃を放つのに時間がかかるのかもしれない。
これまでとは異なるタイプの守護者なのだろうか。
「攻撃が止んでる。離れずついてきてくれ」
「はい」
「分かりました。気を付けて……」
敵の正体が不明なまま、二人だけを残しておくことはできない。
相手が長距離からの攻撃を仕掛けてきているなら、間合いを少しでも詰めなければ。
警戒しながらゆっくりと先へ進む。
すると、そこにいたのは──予想外の相手だった。
「おっ! あたしの矢を受け流すなんて、どんな人がきたのかなって思ったらこれはびっくりだね!」
弾むような声の主は、いつの間にか少し先に見える岩塊の天辺に立っていた。
革鎧に身を包み、黒い長弓を持った少女。
ふんわりとしたボブカットの髪で、頭の上には獣のような耳が生えている。
おぼろげだった記憶が、急に鮮明になったような感覚がした。
……バルザークのパーティにいた猫人族だ。
とてつもなく嫌な予感がした。
剣を構え、いつ攻撃が来ても反応できるようにする。
「ちょっと待ってってば。さっきのは誰だか分からなかったから撃っちゃっただけだよぉ」
構えは解かなかった。
さっきの一撃は、確実に相手を射殺すためのものだった。焦りや戸惑いが微塵も感じられない、無慈悲な一撃だった。
目的のためならば人を殺めることすらも厭わない──それは、以前戦ったアレンたちと同じではないのか……。
「誰だよこいつ。イオの知り合いか?」
岩陰から現れた男が乱暴な口調で言った。
竜の鱗らしき物がびっしりと張り付いた鎧を着ている。肩に担いでいるのは、身の丈ほどもある大きな赤槍だ。
そしてもう一人、戦士とは逆側から前に出てきたのは、紅い外套で身を包んだ魔術師らしき男だ。
魔術師は黙ったままこちらを見つめている。口元は布で覆われており、表情を窺い知ることはできない。
「ボルタナの冒険者ギルドでバルザークにぶつかってビクビク震えてた人でしょ~? ライルってばホント忘れっぽいんだから」
「……あっ! 思い出した! 確かレベル上限1で、しかもスキルが大外れの【即死魔術】だった最弱野郎だろ! けど、なんでそんな奴がこんなトコにいるんだよ」
「アーク様、誰なんですか」
ファティナが少し怒り気味に言う。
「バルザークのパーティだ。でも本人がいない」
「この人たちが……」
ここにいるのは、イオと呼ばれた猫人族、ライルという名前らしい槍を持った戦士、赤い外套の魔術師だけだ。
バルザークの姿はない。
イオはしなやかな動きで岩から飛び降りると、こちらに近づいてきた。
「ねぇねぇ。あたしの矢を弾き飛ばしたのってキミでしょ? それってレベル上限1じゃ絶対無理だよね~」
イオは獣耳をしきりに動かしながら、興味津々といった様子で見つめてくる。
「ところでさ、持ってるんでしょ?」
「……何の話だ」
「とぼけてもダメだよぉ。【炎熱の鍵】を取りに来たんでしょ? 一つでもいいけど、二つあったらこれで全部揃っちゃうねっ!」
今、イオは何と言った。
全部揃う──そう言ったのか。
「まさか……鍵の守護者を倒したのですか」
恐る恐るといった口調で、メルが尋ねた。
イオは笑顔で答えた。
「あのでっかいドラゴンのこと? そんなのとっくに倒しちゃったよ」
 




