第九十五話 賢き蛇のラギウス
ひとしきり話し終えたところで、先を急いだ。
光の届かない地下では時間の進み具合もよくわからない。目印もないのでもうどれくらい歩いたのか定かではないが、いくら進めども部屋らしき場所にはたどり着けていない。
炎熱回廊はダンジョンとはいえ人工物で、単純な構造であるため無駄に長い通路を造る意味などないはずだが……。
ランタンの油にも限りがある。火属性の魔術でも扱えればまた違うのだろうが、俺を含め誰も使えない。
最悪、一旦引き返すことも考慮しなければならないか──そう考え始めた時だった。
「……あれ? 何か光ってません?」
そんな中、ふとファティナが俺の方を向きながら言った。
「本当か? どこだ?」
一旦ランタンを下げて、先に広がる暗闇を注意深く眺めてみるが、それらしいものは何も見当たらない。狼人族特有の五感の鋭さによるものだろうか。
「いや通路じゃなくて、アーク様がですよ」
「俺が?」
言われて、ランタンの灯りに白い光が混じっていることに気がついた。自分の身体を確認してみると腰に近い部分が発光しているようだ。
ランタンを地面に置き、少し離れてみる。
光の発生源を探ると──俺が腰に差していた剣だった。
メティスの町でダリオから貰ったラギウス鋼の剣は、ぼんやりと明滅を繰り返している。それほど強い光でもないので、ファティナに指摘されなければ気がつかなかっただろう。
「俺じゃなくて、剣が光っているな」
「本当ですね……」
メルも一緒になって興味深げに剣を眺めた。
「こんな効果があるとはダリオさんも言ってなかったはずですが……もしかして、この回廊と何か関係があるのでしょうか?」
「どうだろう。今までこの剣を扱える人間がいなかったようだから、ダリオも知らなかったのか」
彼が言っていたのは、重くて普通の人間にはまともに振り回せないということと、この山で極稀に見つかる鉱石を削り出して造ったということだけだ。
実際、炎熱回廊に入るまではこのおかしな現象は起きていなかったはずなので、メルの言うことも一理ある。
「体はなんともないのですか?」
「ああ。別に問題はないが……鍵の共鳴に似ているかもしれない」
似通った現象として近しいものといえば、鍵同士の共鳴だ。
流水洞穴の奥に行った時、緑翠の鍵が反応を示した。ラギウス鋼もそうした特性を有しているのだろうか。
「だとすると、何かに近づいているということなのかもしれませんね」
「そうだが、鍵ではないな……」
剣は反応しているものの、俺が持っている二つの鍵はそうではない。ということは、古文書に記された竜の絵柄は鍵の守護者ではないということなのだろうか。
だとしたら、あの絵には一体どんな意味があったのだろう。
「あっ、風の音が変わりました! ようやく別の場所に出るみたいですよ!」
「わかった。俺が先を行くからついてきてくれ」
三人で通路を早足で進むと、ようやく広い空間へと出た……が、てっきり遺跡が続いているのかと思っていたのにそうではなかった。
あったのは、岩肌が剥き出しになっている広い洞窟だった。
これまでの狭苦しい通路と比べ、天井はとても高く解放感がある。岩壁の割れ目から陽が差し込んでいるため、中は明るい。
洞窟には更に奥があるようだ。まるで壁を無理矢理くり抜いたかのような通路状のものが続いている。今歩いてきた通路よりもさらに広く、中までは光が届いていないので長さもわからない。
「古文書の部屋はここか?」
「そうだと思いますが……鍵の守護者はいないですね」
「留守ですかね? それに先にも道がありますよ」
「守護者が移動するのはちょっと困るが……とりあえず辺りに何かないか探ってみよう」
ランタンの火を消して腰に括り付け、ひとまずこの洞窟の中を調べてみることにした。
「モンスターの気配はあるか?」
「いえ、何もいないみたいですよ」
ふさふさとした獣耳に手を当てながらファティナが話す。それもまた不思議で、これだけ広い場所ならばドレイクの一匹や二匹いてもおかしくないように思える。
「手分けして探しましょうか?」
「そうだな……」
危険な罠などもなさそうなので、三人で散らばりながら洞窟を調査する。
「だだっ広いだけで、特に何かがあるようには思えませんねぇ」
ファティナは小さな岩山の上に立ち、くるくると回りながら岩だらけの空間を見渡している。彼女の言う通りで、何一つめぼしいものは見当たらない。本当にこの場所に鍵の守護者がいるのだろうか。
ラギウス鋼の白い剣は、相変わらずぼんやりとした明滅を繰り返しているだけだ。古文書に記載があるということは、この部屋にも何かしらの意味があるように思えるのだが、長い時間を経たせいでそれらが失われてしまった可能性もある。
──と、その時だった。
奥の暗がりから地響きが聞こえ始めたかと思うと、それは徐々に大きくなり、やがては洞窟全体が大きく揺れ始めた。
「お、奥から何かがすごい速さで近づいてきます!」
「二人とも俺の近くに来てくれ!」
「は、はい!」
鞘から剣を引き抜き、洞窟の奥に向かって身構える。
音が近くなるたびに剣の明滅が激しくなっていき、やがて輝き始めた。
間違いない。この剣は、奥から来る何かに反応している──。
地響きの中、暗闇から姿を現したのは──白いドラゴンの頭部だった。
「ド、ドラゴンッ……!?」
ドラゴンと思しき頭は俺たちのすぐ真上までやってきた。頭から繋がっているはずの胴体はなく、首らしき部分が洞窟の至る所を覆っていく。
洞窟の四方を埋め尽くす、途方もない長さのびっしりと分厚い鱗の生えた白い胴体……町の民家ですら容易く丸呑みにできてしまうであろうそれは、緑翠の守護者すらも比較にならないほど巨大モンスターだった。
このモンスターに手足はない。まるで蛇のような──。
「これは……ワームだ」
「ワーム!? ドラゴンじゃないんですか!」
「ああ。どちらかというと蛇だな」
洞窟に現れたワームは、モンスターにしては神々しいほどの白い光を全身から放っていた。
その燐光は、俺の持つラギウス鋼の剣が発するものにとてもよく似ている。
長く生きたモンスターは一際強い力を持つという。このワームは、冒険者ギルドの基準で言うならSランク相当のエルダーワームという位置付けとなるだろう。
周囲はすっかりうねる胴体によって埋め尽くされてしまっていた。まるで、この洞窟全体が怪物と化したかのような感覚だ。
この大きさでは、剣による攻撃で傷を負わせることは難しいだろう。倒すなら【ルイン】の一撃で仕留め切らなければならない。
エルダーワームは、鎌首をもたげながら俺たちを見下ろしている。やるなら今しかない。
『……客人とは珍しいな』
──突然、厳かな声が洞窟内にこだました。
俺や、ましてやファティナでもない。
声の主は他でもないワームだった。
「モ、モンスターがしゃべってる──!」
ファティナが驚いて声を上げる。俺を含め、三人とも突然の出来事に呆気に取られてしまった。
『どうした? そんなに言葉を喋る異形が珍しいか』
目を細め語るエルダーワームの顔は、どうしてか笑っているように思える。俺たちが面食らっているのを見て、愉しそうだ。
人語を解するモンスターなど御伽噺の中の存在だとばかり思っていたのに、まさか実在していたとは。
「……お前は一体誰だ」
『いきなり我が棲み処に入ってきて一言目がそれとは、もう少し礼儀を弁えたらどうだ……まあ、随分と久しぶりの人間だ。今回は大目に見てやらんこともない』
白くまばゆい光を放つエルダーワームは、俺たちにゆっくりと顔を近づけた。
『我が名はラギウス──この地を守護する者だ』
白いワーム──ラギウスは、鋭い牙が幾重にも生えた恐ろしい口を開けながら、そう名乗った。その気になれば、俺たち三人などいとも容易く呑み込めてしまうだろう。
「……ラギウス?」
「あれ? そういえばこの剣の素材になった鉱石がそういう名前でしたよね……確か」
『我が鱗を削って剣を造り出したのか。面白いことを考えたな』
ラギウスが自身の身体からより強く光を発すると、剣も同じように輝きだした。まるで自らの一部かのようだ。
つまり、ラギウス鋼の正体はこのワームの落とした鱗だったようだ。道理で他と違ってあまりにも硬く重いということに、なんだか妙に納得できてしまった。
「もしかして、古文書に描かれていたのはこのラギウスなのではないでしょうか?」
「……そういうことか」
メルの言葉にようやく合点がいった。
ラギウスはモンスターではあるものの、こちらに敵対する意志を見せてはいない。
会いたくば……と書かれていたのは他ならぬラギウスのことを指していたようだ。
『さあ、聞かせろ。お前たちはどのような素性の者だ』
構えを解き、ファティナに目配せすると彼女も剣を鞘に納めた。
「俺はアークだ。冒険者をしている。そしてこっちがメルに、ファティナだ」
名乗り終えたところで、ラギウスがその大きな頭をさらに近づけた。
メルがとっさに俺の後ろに隠れると、ラギウスはすぐ隣に立っていたファティナに大きな金色の眼を近づけた。
『お前はホムンクルスだろう』
「ホム……? いえ、狼人族ですけど」
『なんだその狼人族というのは』
ラギウスはファティナを凝視し続けている。理由はよくわからないが、彼女のことが気になっているらしい。
「逆に聞くが、そのホムンクルスとはなんだ?」
『……? 人間がホムンクルスを知らぬのか』
「どういう意味だ?」
『ホムンクルスとは人によって創り出された存在だ。人間を基として、他の生物の持つ身体機能を兼ね備えたことで過酷な環境下でも生きることが可能な種族……他にもいくらかの型がいたが、まあ色々と試行錯誤を繰り返したのだろう』
あまりにも唐突に荒唐無稽な話をされ、唖然とする。
獣人は人間が創り出したものだった──そんなことが有り得るはずがない。別の種族を創り出すなんて、どんな魔術やスキルを使ったとしても不可能だろう。何より、これまでそんな話を一切聞いたことがない。
そもそも、ラギウスが本当のことを言っているという確証は何一つ無い。以前にも他の人間と話をしたことがあったようなので、その際にまことしやかに嘘を教えられたに違いない。
「…………」
しかし、ファティナは目を開けたまま呆然としていた。まるで金縛りにでもあったかのようだ。
よもや、信じているわけではないと思うが。
『──なぜそんなに落胆する』
「なぜって……」
「おい、適当なことを言うな。そんな馬鹿な話があるわけないだろう。ファティナも真に受けるな」
「あ……そ、そうですね」
間に割って入ると、ラギウスは頭を引っ込めた。
ファティナは正気を取り戻したかのように、はっとなって、ようやく視線を動かした。
『ふむ……面白い世になったものだ』
ラギウスはせわしなく頭を動かし、様々な角度から俺たちを見た。敵意は感じられない。単純に人間に興味があるようだ。
『永き時の果て、なお人とこうして対話ができるとは──これもまたアスタル様のお導きか』
「アスタル……?」
俺の背後に隠れていたメルが出てきて呟いた。
「誰なんだ? それは」
そう尋ねると、ラギウスは頭を地面に置いて、げんなりしたかのように鼻から息をゆっくりと吹きかけてきた。
『もしや、この世界の神を知らないと言うのか?』
「いや、知らないが……」
『どこかで聞いたことくらいはあるはずだ。時を司る、慈愛の女神のアスタルを』
「悪いがないな。今の時代、神の存在を信じている人間のほうが圧倒的に少ないはずだ」
『……それはおかしい。ふうむ、妙だな』
大きな目を閉じて、ラギウスはしばしの間動かなくなった。それから急に頭を上げると、瞼を開いてこう言った。
『……ミコはどうした?』
「ミコ?」
『神の言葉を伝える者だ。今もいるはずだ』
「教会で働く女性のことでしょうか?」
助け舟を出すように、メルが耳元で囁いてくれた。
「ああ……巫女のことか」
巫女というのは宗教上の、要するに神事などの進行役みたいなものだ。と言っても、俺の村にはそういったしきたりは特に無かったので詳しくは知らない。
『そう、アスタル様の巫女だ。加護を授かり生まれた巫女。女神に愛されし天の娘……。加護があれば、アスタル様の導きを得られる。女神の加護を持つ巫女は今、何処にいる?』
「何処って……何か知っているか?」
二人に尋ねてみるが、ファティナは頭を横に振った。メルの方も思い当たる節はなさそうだ。
「残念だが、その巫女とやらには会っていないし、聞いたこともない」
『……そうか。いないのか』
ラギウスはさも残念そうに言った。
この白いワームの話によれば、この世界にはアスタルという名の女神がおり、その声を聞くことができる巫女という特別な人間がどこかにいるらしい。
しかし、俺は巫女と呼ばれるような人間に心当たりはない。これまで出会った記憶もないはずだ。
そもそもクレティア以外にも国はあるわけで、世界中でたくさんの人が暮らしている。確率的に言うなら、それこそ奇跡に近い。
なんというか、ラギウスの話は要領を得ない。
先程のホムンクルスにしてもそうだが、昔はそういう宗教が流行っていた……という程度の話なのだろう。
俺たちの知らない様々な古い知識を持っていそうなラギウスは、随分長くこのゼパルト山に棲んでいるようだ。
これだけ大きな体のエルダーワームともなれば、それこそ何千年と生きていても不思議ではないだろう。
「ラギウス、お前は一体どのくらい昔からここに棲んでいるんだ」
『さてな。もうずっとここから外に出ていない。我は来るべき日に備え、この地を守護し続けている』
「守護とはなんだ。もしかして、お前が鍵の守護者なのか?」
『──鍵だと?』
波のようにうねっていたラギウスの体が、まるで石像と化したかのようにその動きを止めた。
洞窟内がしんと静まり返り、風の吹き抜ける音だけが辺りを包んだ。
『そんなものは知らぬ』
──だが、出てきたのは求めていた答えではなかった。
ずっとこの山にいるという話なので、もしやと思ったが当てが外れた。
しかし、それはおかしいのだ。
古文書にラギウスを示す絵があるのに、ラギウス自身は鍵のことを知らないと言う。この矛盾は一体何なのだろう。
俺には鍵についてラギウスが嘘をついているようにしか見えなかった。
でも、これ以上問い詰めるのはあまり得策ではないように思う。
ホムンクルスや女神──あまりに突拍子もない、真偽の程も定かではない話の数々。
しかし、これ以上、ラギウスから何かを聞いてはいけない気がする。
その先には、何か思いもよらぬものが待ち受けている気がしてならない……。




