第九十三話 漆黒のオズワルド
「僕たちを殺すだって? たかだか一人倒したくらいで思い上がるなよ」
ディルムスがそう告げたのとほぼ同時に、オズワルドを中心に巨大な爆発が巻き起こる。
爆ぜた猛火は周囲を包み込み、そばに置かれていた馬車は跡形もなく消し飛んだ。
ディルムスのすぐ横に立っていた男が、オズワルドに向けて手をかざしていた。
【詠唱省略】──あらゆる魔術について詠唱を必要としないという、稀有なスキルによる攻撃だった。
暗殺者として恐るべき能力を持った魔術師は、巻き起こる風と煙をその身に受けながら、自身の勝利を確信し笑みを浮かべていた。
「大見栄を切った割にはあっけない最期だったな。これじゃ塵一つ残っていないだろう」
「おいおい、別に死んでないぞ」
「なっ!?」
しかし──煙が晴れたその場所に、オズワルドは先程の状態から一切変化なく立っていた。
「ば、馬鹿な!? どうして……!?」
「俺もアークも、お前たちごときにやられることはあり得ないんだよ。甘く見過ぎていたようだな」
ディルムスは立て続けに起こった不可解な現象に、思わず顔をしかめた。
この死霊術師が一体どのようにして無詠唱の魔術を防いだのか、理解出来なかったからだ。
モンスターすら一撃で葬り去る魔術をまともに受けて生きている人間などいるわけがない。
【詠唱省略】のようなスキルがなければ、魔術を即座に行使することはできない。未来予知でもできなければ、反応することは不可能だ。
「な、なぜ生きている……?」
「なぜ? 俺の方がお前たちよりも強いからに決まっているだろう。それじゃ理由にならないか?」
「雑魚の分際でふざけるなよっ!」
再び爆発が生じた。
一度、二度、三度……幾度となく繰り返され、その度に強い熱風が枯れた大地に吹き荒れる。
「はあっ、はあっ……! どうだ! 今度こそやったぞ!」
「もう気は済んだか?」
「っ!?」
魔力を使い切るほどに魔術を連発した魔術師は、耳に入ってきた声に愕然とする。
周囲の地面は大きく抉れているにもかかわらず、漆黒の外套を纏うその姿は依然として健在だった。
オズワルドは前に向けてゆっくりと右手を開いた。
「へっ?」
急に魔術師の男が間抜けな声を出した。恐る恐る視線を落とすと、見たことのある大剣が自分の腹に深々と突き刺さっていた。
剣を突き刺したのは、つい今しがた毒で死んだはずの剣聖だった。
「な、なんで……俺が、こんな……」
胴を貫かれた魔術師は、呻き声を上げながらその場へと崩れ落ちた。
「死霊術師を相手にしているんだ。屍を利用するのは当然だろ?」
「ひっ……ひいいいいいっ!!」
圧倒的な絶望に、ディルムス配下の男たちは叫びながらその場から逃げ出した。
この男を敵に回してはならない。
奴の強さは、もはや冒険者などという次元をはるかに超えてしまっている。
これはおよそ戦いと呼べるものではない。ただの一方的な蹂躙だ。
本来鈍足であるはずのポイズンジャイアントは、瞬く間に彼らの横を走り抜け行く手を遮った。生物としてありえない動き、だがそれも当然だった。死体は疲れない。
「く、来るなっ! 来るなああ! 《解呪》!!」
神官の恰好をした男の放った強い光がポイズンジャイアント包み込んだ。リッチすらも浄化してきた聖なる光。しかし、この深淵の権化たる怪物に通用することはなかった。
紫色の怪物から放たれる毒の息吹を受け、神官は回復する間も与えられず血を吐きながらその場に倒れた。
「た、頼む! 俺たちはただ命令されてここに来ただけなんだ! だから……あああああっ!」
残る二人の冒険者。一方は盾で叩き潰され、もう一方は剣で両断される。
もはや戦いとすら呼べない行いが終わると、辺りは戦いが始まる前と同様に静けさを取り戻していた。
「残るはお前一人のようだが」
「く……くそっ!」
ディルムスは腰に下げた革袋から、一つの赤い宝石を取り出して地面に投げる。すると、その場に突然漆黒の大狼が姿を現した。
「ネザーウルフ! 奴の首を刈れ!」
一見ただモンスターをけしかけたようにしか思えない行為だが、ディルムスには勝算があった。
オズワルドが同時に操れるアンデッドは二体まで。そう聞いていたからだ。
つまり、奴はポイズンジャイアントの他に何か別のアンデッドを使役して攻撃を防いでいる──そうディルムスは考えたのだった。
実際、剣聖のアンデッドは地面に倒れたまま動かなくなっている。
ポイズンジャイアントよりも、まだネザーウルフのほうが速い。術者さえ倒してしまえば、わざわざあの危険な化け物を相手にする必要などないのだ。
迫る黒い獣を迎え撃つかのように、地面から影のように現れたアンデッド。黒い布に身を隠す幽鬼、レイスが姿を見せる。レイスの持つ『ドレインタッチ』によって、触れられたネザーウルフは大きく吠えながらその場でもがき始めた。
──わかったぞ! こいつが魔術を防いでいた正体だ!
二体までしか操れないということは、このレイスがオズワルドを何かしらの力で守っている。そう判断したディルムスは、別の魔物を呼び寄せた。
ゼパルト山の方角から、隠れていたグリフォンが急接近する。その脚にはもう一匹のネザーウルフが掴まっていた。
空中から舞い降りたネザーウルフは、ディルムスの持つスキルである【魔獣使い】から発せられる命令に従い、その巨体を限界を超えて疾走させオズワルドの背中へと肉薄する。
「取った!」
ディルムスが歓喜の声を上げる。
だが、ネザーウルフの爪がオズワルドに振るわれた時、異変は起きた。
バチリ、という電撃にも似た音とともに爪が大きく弾かれたからだ。
オズワルドとネザーウルフの間に現れたのは、瘴気の壁。死霊術師の全身を包み込むように、黒い霧が覆っている。
「悪いが俺のスキルには屍を動かす以外にも色々と能力があってな。倒すにはちと足りなかったようだ」
「は……?」
想像を超えた種明かしにディルムスの顔が恐怖に歪む。
オズワルドの能力は、自分が獣を使役するようにただ屍を操作するだけだと思い込んでいた。だからこそ、これまで勝ち目があると考えていたのだ。
しかし、実際にはまったく違った。この男は決して自分と同列などではない。
死と破滅を呼ぶ、悪魔だ。
逃亡者を始末し終えたポイズンジャイアントが高く跳躍し、間に割って入る。戦斧を振るうと、ネザーウルフの頭部は綺麗な放物線を描いて遠くに飛んで行った。
「ま、待ってくれオズワルド! 僕はもう君たちを追うのはやめる! だから――」
「お前たちをここで仕留めるのは、アークの手を血に染めるのが嫌だったからだ」
「な、なに?」
「毎日誰かしらを『処分』という名目で殺しているお前にはわからないだろうが、アークは不幸な境遇に置かれながらもいまだに人殺しにはなっていない。それは、まさしく奇跡なんだ」
まるで独り言のように、オズワルドは続ける。
「人は力を持てば必ずそれを振るいたくなる。だがアークは、あれほど強い能力を得ながらそうはならなかった。きっと、あいつがこれまで出会ってきたのが……優しい人間たちばかりだったのだろう。俺と違ってな。だから俺は、この奇跡を守ることにした」
「そ、そんな理由で、彼らを庇おうというのか?」
「そんな理由、か……確かにそうかもしれんな」
オズワルドは苦笑した。
「か、鍵が揃えばこの世界がどうなるかわからないんだぞ! 僕たちは、この不完全な世界を必死で支えてきた! それを、お前はここで終わらせようと言うのか!」
「世界の行く末に興味はない。俺は三人を信じている……必ず、これ以上悪いようにはならないと。その未来は、俺の手では掴めないものだ。だから、汚れ役は代わりに引き受けよう」
「ここで僕を殺したところで、絶対に逃げ切れないぞ! 今ならまだ間に合う!」
「俺はこの歳になって、ようやく自分の道を歩むことができた。それで十分だ」
オズワルドのすぐ脇には、骨だけになった二頭の馬が佇んでいた。
馬だけではない。数えきれないほどのスケルトンたちが、彼を囲んでいた。アンデッドを二体までしか操れないという情報は、オズワルドの嘘だった。
そして、あえてそれを隠すことなく見せたということは、『逃がすつもりはない』という意思表明だとディルムスはようやく理解したのだった。
ディルムスは死者の軍勢を前にしながら、憎しみを込めた瞳でオズワルドを睨みつける。
「こ、殺してやるッ! 殺してやるぞオズワルド!! 地獄から這い出し、お前たちを追い詰め必ず殺す!」
「この世界から消えろ。それが今お前にできるたった一つの償いだ」
「オズワルド貴様ァァァァァ!!」
それが、この世界におけるディルムスの最後の言葉となった。




