第九話 不穏の影
予定していた東のダンジョンに行くことを取りやめ、森からボルタナの町へと戻った。
出発時と同様に町の大通りはすっかり静まり返っていて、歩いている人影はない。
こんな夜更けでも明かりが点いているのは酒場ぐらいだろう。
そんな今、ここに来て大きな問題が一つあった。
出遅れたせいで、宿屋で部屋が借りられないのだ……。
真夜中だからというのもあるが、宿はボルタナを訪れている多くの冒険者達によって借りられており、部屋が一つも空いていない。
今日はダンジョンに潜る予定だったので、他の冒険者達と入れ替わりで宿屋に入るつもりでいた。
背中で静かに寝息を立てながら眠っている狼人族の女性は、一向に目を覚ます気配がない。
このまま見捨てるわけにもいかず、無理に起こしたところで事態が好転するとも思えないのでそのままにしている。
仕方なく、表通りから今度は裏通りに入り再び宿屋を探す。
だが結果は同じだった。
俺が昨日部屋を借りた宿屋も既に満室だった。
「今回ばかりはさすがに野宿というわけにもいかないしな」
そのまま再び歩いていると、一軒の店の前に差し掛かった。
今日、ダンジョンで得た素材を売った店だった。
不思議なことに店の中からはこの時間でも窓から明かりが漏れている。
どうやら店主は起きているらしい。
とはいえ、あの性格だ。
さすがに寝床を貸してくれるような気がしない。
だが、他を探すにもいつ見つかるか分からない。
万が一ということもある。駄目なら駄目でまた他を当たるかと思いつつ、俺は店の前に立ち扉を数回叩く。
するとしばらくしてから扉が少しだけ開き、例の髭面の店主が顔を覗かせた。
「おいおい、こんな夜更けに一体何の用……ん? 朝の兄ちゃんじゃないか」
「突然ですまないが、気を失っている女性を寝かせるためにベッドを貸してほしい。宿屋がどこも空いていないんだ」
店主は俺と眠っている女性を交互に見やると、溜め息を一つ吐いた。
「そりゃこんな夜になればどこも空いてないだろ……ったくしょうがねえ」
「え?」
意外な言葉が出てきて思わず驚いてしまう。
「何だよ、そんなにおかしいか?」
「あ、いや」
店主に続くように俺達は店の中に入った。
カウンターには酒瓶が置かれており、店の中には酒の匂いが立ち込めている。
朝っぱらから酒場に行ったというのに、また酒を飲んでいたようだ。
「一応聞いておくが、その嬢ちゃんは何者なんだ? まさかとは思うが、何か厄介ごとじゃないだろうな?」
「いや、さっき森でモンスターに追われていたところを見つけた。今は眠っている」
そう言うと店主は途端に呆れた表情になった。
「森って、この時間に森に入ったのか? まったく何を考えているんだか……。で、宿屋の部屋が埋まって借りられなかったってことか」
店主はそう言いながらカウンターの後ろにある扉を開けた。
その先には、ベッドと机が置かれた小綺麗な部屋があった。
店の中との差に少し驚く。
「いくら俺でも寝る場所ぐらいは綺麗にするさ。まあそこを使ってくれ」
すぐに女性をベッドに寝かせる。
「別に怪我みたいなものはしていなさそうだな?」
「ああ。気を失う前にポーションを飲ませておいた」
「だったら大丈夫だろう。このまま寝かせておくか」
俺は店主と一緒に部屋を出て店内へと戻った。
「しかし、こんな時間になんで森になんて入ったんだ?」
カウンターの椅子に座りながら、店主が尋ねてきた。
助けてもらった恩もある。何となく、この店主には隠すことはしたくなかった。
「俺は冒険者で、レベル上げのためにダンジョンに入るつもりだったんだ」
「まず今朝の恰好で冒険者をやっていたというのが俺としては衝撃的なんだが……。しかも一人でモンスターと渡り合えるぐらいの強さとは驚いたな」
「いや、実際こちらも危ないところだった」
あそこであのモンスターが攻撃を仕掛けてきたらどうなっていたか分からない。
「そういえば、もしかしてあのアンデッド化したオーガの骨も自分で倒したのか?」
「そうだが……」
「なっ!? だったらどうしてギルドに持っていかないんだ?」
「別に何か問題を起こしたわけじゃないが、俺がどのくらいの強さなのかを証明するのが難しいからあまり気が進まないんだ」
店主は一瞬驚いた表情になり、そしてまた大きな溜め息を吐いた。
「だったら最初からそう言ってくれればよかったな。最近は曰くつきの品を持ってくる冒険者もいるから警戒してしまっていたんだ」
「意外と普通の店だったんだな」
「意外は余計だろ! それにしても……あの嬢ちゃんは何で森にいたんだろうな」
店主は椅子から立ち上がって腕組みしながら壁に寄りかかり、狼人族の女性が眠る部屋の扉を見つめた。
「俺にもよくわからない。ただ、森の闇に溶け込むようなモンスターに追われていた」
「なんだそりゃ? そんなモンスターが森にいるなんて聞いたことがないな。で、そいつはどうなったんだ?」
「急にどこかに去っていった。獣のような唸り声に、蛇のような鳴き声を出すモンスターだった」
「さっぱりわからんな……。ただ、この辺にそういう大蛇のようなモンスターがいるという話は今まで聞いた事がないな」
だが、確かにそんな声だったように思う。
ということは、キリングベアのようにたまたま移動してきたモンスターなのだろうか。
「どこかの村がモンスターに襲われて、ここまで逃げてきたのかもしれないな。こんな時間に森の中を移動するような人間もそういないだろう」
「だが村には兵士達がいるんじゃないのか?」
「まあ、そういうわけにはいかないのがボルタナ周辺の現状だ。しばらくは町の外に出るのは気をつけた方がいいかもしれないな」
店主は酒を飲み始める。
一体朝からどれだけ飲んでいるのだろうか。
「今朝も話したが、クレティアは国王が強い冒険者を優遇してモンスターを倒している。どうしてか分かるか?」
「いや、知らないな」
「モンスターが多すぎて、クレティアの領内にある村や町に回す騎士や兵士が全然足りてないんだ。だから冒険者に対応させているというわけだ。ダンジョンに巣食うモンスターを放置すると、しまいには地上に出てくるからな」
俺は上層にやってきたスケルトンオーガのことを思い出した。
奴は元々中層にいるべきモンスターだったはず。
だとしたら、もしかしてあの森にいたモンスターはダンジョンから地上へ出てきたという可能性もあるのではないだろうか。
「まあ、ここで俺達が考えても仕方ないな。後はあの嬢ちゃんが起きてから考えるとするか。じゃあほら」
店主は毛布をこちらに投げてよこした。
「ま、お姫様以外はこんなもんだ」
店主はそれだけ言って、椅子に座ったまま毛布をかぶると目を閉じた。
俺も同じようにして、椅子に座り目を閉じて朝を待つことにした。