第八十八話 因果応報
「……で、もう一つの件だ。山のダンジョンは異様に暑くて奥に進むのも難しいらしい。何かこの店に、それを防ぐための物は売ってないか?」
重苦しい空気が漂う中、エドワードは早々に次の話を切り出した。早く要件を済ませることにしたのかもしれない。
「……あるにはあるが、数が足りるかどうか。少し、待ってもらえるか」
「あるのか? そいつは助かるな。ああ、俺の分は用意しなくていいぞ」
エドワードはズボンのポケットに手を入れ、壁にもたれ掛かった。店の中は蒸し暑いが、陽射しが強い外で待つよりかは幾分かましだろう。
「あの、少しよろしいですか」
俺を含めた全員が、一斉にメルに注目した。
「暑さのせいか、少しめまいがしてきました。大通りのお店で何か冷たい飲み物を買ってきます」
「めまい? メル、大丈夫なのか?」
「今のところは。でも、一人だと何かあったらいけないので、ファティナさんと一緒に行ってきます。ファティナさん、行きましょうか」
メルがファティナの手を引く。ファティナは何も言わず、ただ頷いた。そうして二人は店から出て行った。
――気を利かせたのか。
メルは、ファティナをこの場に留まらせるのは好ましくないと判断したのだろう。その気持ちは分からなくはなかった。口論になって、いきなり剣に手をかけるなど、普段のファティナから考えればあまりにもおかしい。一体、何がそこまで彼女を怒らせたのだろうか。
恐らくだが、単に俺を庇ったというだけの理由ではない気がする。
これはあくまで推測だが、ファティナ自身が自分が獣人であることに何か引け目を感じている……とは考えられないだろうか。そして、それを指摘されたことで怒りを覚えたのではないか。どうしてだろうか……何となく、そんなふうに思えた。
考え事をしている間、店の中はしんと静まり返っていた。耳に入ってくるのは、ダリオが棚に置かれた麻袋などに触れる時に生じる擦れた音だけだ。俺からは何も話すことはない。
エドワードは先程と同じ体勢のまま、アイテムを探しているダリオをただ眺めていた。
「なあ爺さん。どうしてあんな事を言ったんだ。さも自分が体験したかのような口振りだったが」
「……実際に儂がそういう目に遭ったからだ。それ以外に理由などない。老人の戯言だ。もう忘れてくれ」
手を止めることなく、ダリオが言う。
「まぁそう言うなよ。誰かに話せば楽になるかもしれない。どうせ暇だから聞いてやるよ」
いつもの調子でエドワードがそう告げる。ダリオはほんの少しの間だけ手を止め、再び動かし始めた。
「……もう十年以上前になるか。その頃、儂は仲間の獣人達と共同で店を経営していた。当時は鍛冶だけでなく、余所から仕入れた魔術がかかったアイテムなどの売買も行っていた」
この店の商売は、以前は鍛冶だけに留まらなかったようだ。今ダリオが探している品も、もしかしたらその頃の物なのかもしれない。
「ある日、当時取引をしていた商会の人間がやってきて、こう言った。『新しく鉱山を開くことになったから、下見をしてから労働者を集めたい』と。儂らは二つ返事でそれを引き受けた」
「新しい鉱山? それはまた随分とデカい話だが、どうにも胡散臭いな。どうして爺さんは引き受けたんだ」
「町のすぐ近くで良質な鉱石が手に入るようになれば、より多くの武具を安く製作できるようになる。加えて、メティスで暮らす大勢の仕事にあぶれた者が新たな生活の糧を得られる手段になると考えたのだ。だから儂らは、男と共に下見に向かった」
「へぇ、それは殊勝な心がけだな」
「だが案内された場所は山にだいぶ近かった。案の定、着いて間もなくドレイクが現れた。商会が雇った冒険者もいたが、勝てない相手とみるや、我先にと逃げ出してしまった。大方、金でもケチってまともな者が……集められなかったのだろう」
何かを叩いたような、大きな音が聞こえた。見れば、ダリオは赤くなった右の拳をさすっていた。
「儂ら獣人は、人族と比べれば鍛えずとも足は多少速い。待遇が特別良かった訳ではないが、これまで取引をしてもらった恩もあったから、商会の人間が逃げられるだけの時間は稼ごうと考えた。途中、何人かの仲間がドレイクにやられた。それでも、なんとか町まで逃げることができた」
ダリオはそこまで言って、今度は別の棚の中を探し始めた。
「そこまで大きな問題になったんなら、その商会のヤツらもタダでは済まんだろう」
「そうはならなかった! 衛兵に話したが、町の外で起きた事は自分達には一切関与しないと言い出したのだ!」
急にダリオが怒鳴った。肩が震えていた。
「後から聞いた噂によれば、そもそも奴らの計画は王国から何の許可も得ていないものだったそうだ。つまり、違法な鉱山だったのだ。衛兵達は金を摑まされていたのだろう。揉み消されたのだ。それ以来、その商人が儂の前に姿を現すことはなかった」
ダリオは棚からそれほど大きくない、片手で掴める程の大きさの麻袋を取り出すと、カウンターの上に置いた。
「……それから数年が過ぎたある日の事だった。儂が酒場で一人飲んでいると、数人の客が入ってきた。その中に、あの時の男がいたのだ」
「また現れたのか」
「向こうは儂に気付いていなかった。奴らが何をしにメティスにやって来たのか気になった儂は、知らぬフリを装って聞き耳を立てていた。やがて酒が回って饒舌になったのか、昔の話をし始めた奴は、大笑いしながらこう言ったのだ。『あの時死んだのが獣人で本当によかった』と」
今まで相槌を打っていたエドワードも、今度は何も言わず、代わりに険しい表情をしていた。
「儂は頭に血が上り、気付けばその商人を思い切り殴りつけていた。商人は派手に床に倒れ、ようやく儂の事を思い出したようだった」
ダリオの言葉からは、怒りと憎しみが伝わって来た。
「その後、奴は儂に向かって獣人に対するありとあらゆる暴言を吐き続けた。お前らなど生きる価値もない。頭も悪く、汚らわしい。死んでも誰も悲しまない、代わりはいくらでもいる……それから儂は、座っていた商人の護衛に外に引きずり出され、袋叩きにされた」
「そいつはひどい話だな」
「衛兵がすぐ近くを通りがかったが、止めようともせず笑いながらその場を去って行った。この町の衛兵がロクに働かないのは最早周知の事実だが、被害者が獣人だと尚のこと酷い扱いをする」
先程通りがかった殺人事件の現場を思い出す。メティスでは、衛兵ですら冒険者ギルドに頼っている。この町の防衛戦力は、完全に冒険者の気分次第になっていそうだ。ただでさえ、クレティアの領土内はモンスターの数が増えているというのに。
「だが儂はこの町を去りたくなかった。負けを認めたくなかったのだ。それに、その頃には既にクラウ商会と取引があった」
「アンタとあの店は結構長い付き合いらしいからな。俺の前任者の時代からか」
エドワードが店の天井に視線を向けながら言う。昔を思い返しているのだろうか。
「クラウ商会は獣人が相手でも文句を言わず、金払いも良かった。本当はもう人族相手に商売はしたくなかったが、生きるためには仕方ないことだと自分に言い聞かせて取引を続けた。しかし、それも今思えば、儂の心のどこかに人族を信じたい気持ちがまだ残っていたからかもしれん……」
多分、そうなのだろう。
実際にエリオットやチェスターと会話をして、俺には彼らが……少なくとも、悪人ではないように思える。
トラスヴェルムでチェスターがフィオーネに言った事を思い出す。信頼を感じない相手との取引には応じない、と。
いかに傷つき、打ちのめされたダリオであっても、クラウ商会が持つ信頼には、そう思わせてくれる何かがあるのかもしれない。
「だからあの娘に同じ獣人として忠告をしたという訳か」
「そうだ。どんなに役に立とうと思っても、結局、我々は人族と同等には扱われん。儂はそれを伝えたかったのだ。あの商会……ウィオル商会の商人のような者がのさばっていることをな」
「んん? おい、ちょっと待て。今、ウィオル商会と言ったか?」
「そうだ。今にして思えば、クラウ商会もトラスヴェルムが本拠地だったか」
エドワードは俺の方をチラリと見て、微笑を浮かべた。俺はただ頷く。
「なるほど、事情は分かった。だがアンタがされたこと、感じたことがこの世の全てじゃない。そこは分かってくれないかね」
エドワードが諭すように言うと、ダリオは俯いた。
「ああ……分かっている。分かってはいるつもりだ」
「それと、一つ面白い話を聞かせてやろう。ウィオル商会だが、問題を起こして潰れたぞ。今じゃ主とその息子は取り巻き達と一緒に牢屋に入っている。そして、その問題を解決したのがチェスターの旦那とこの三人だ」
「な、なんだと……? それは……本当なのか。あの商会が……」
「嘘を吐いたところで俺に何の得もないだろ。信じられんと言うなら、ダンジョンを攻略した後にトラスヴェルムまで送るが」
ダリオの皺くちゃの顔には驚愕だけがあった。体を震わせながら、俺を凝視している。
ややあって、嗚咽とともにその黄色い瞳の目からは涙が溢れ始めた。
「ああ……そうだったのか。ああ、ああ……ありがとう。ありがとう、アーク。これで、あの時死んだ者達も少しは浮かばれることだろう」
「いや……たまたまウィオル商会が雇った冒険者と因縁があっただけだ。別に商会を潰そうとしてやった訳じゃない」
ダリオにとっては良い話だったかもしれないが、それはあくまでトラスヴェルムで起きた出来事の果ての、副次的なものに過ぎない。
俺は鍵のためにアレン達と戦った。ただそれだけだ。
「たとえそうだとしても、儂はお前のお陰で気が晴れた。過去から、ようやく解放されたのだ。ありがとう。本当に……」
店のカウンターに手をつきながら、ダリオはただ泣いていた。これまで抱えていた感情が、一気に解き放たれたのだろう。
それからどれくらいの時間が流れただろうか。店の扉が開き、二人が戻ってきた。
ダリオは泣き腫らした顔で、ファティナに駆け寄った。
「ファティナよ、すまなかった。私は、この世の人族は全て敵だと考えていた。しかし、そうではなかった」
「お爺さん、さっきは私も急に怒ったりして、ごめんなさい」
ファティナは小さな声でダリオに謝った。彼女の気持ちを表すかのように、獣耳もすっかり垂れてしまっている。相当落ち込んでいるのだろう。
「ああ、そんなことはもういい。もういいんだ。さあ、これを持っておいき」
ダリオがファティナの手を掴んだ。それから麻袋の中から何かを取り出すと、彼女の手のひらの上に置いた。
「これは?」
ファティナの視線の先にあったのは、青く輝く菱形の宝石が嵌め込まれた首飾りだった。宝石の中では、白い渦のようなものが動いているのが見える。
「これは儂らが以前取引で手に入れたとても珍しい品。冷気を発するアミュレットだ。これを身に付ければ、ゼパルト山のダンジョンの奥にも進むことができるだろう」
ダリオは、俺とメルにも同じ物を渡してくれた。アミュレットは、触れるだけで体中が冷たくなるのを感じた。いつも身につけるには寒すぎるぐらいだ。
「ファティナ、お前の思った通りにやってみなさい。儂は、いや……儂らはいつでも、お前の無事を祈っているよ」
「お爺さん……ありがとう」
ダリオはファティナを抱きしめ、優しく頭を撫でた。そんな二人を見てメルが微笑み、エドワードは肩をすくめた。
やがて二人の体が離れ、ファティナは俺の横に戻ってきた。
「行こうか。炎熱回廊に」
「はいっ!」
笑顔のファティナが元気な声で返事をする。
耳はもう、すっかりぴんと立っていた。




