第八十七話 永遠の剣
事件現場を大きく迂回する。一旦大通りに出て、それから再び先程と同じ横道に入った。しばらく歩くと、金属同士がぶつかり合うような甲高い音が聞こえてくる。町でよく耳にする鍛冶仕事の音だ。
エドワードは、音の発生源である古びた小さな建物の前で立ち止まった。
建物の横の、屋根だけがある場所には、炉や金床など鍛造に必要な器材の一式が置かれており、その中心では一人の年老いた男が熱され赤くなった金属を鎚で叩いていた。銀色の短髪に口をすっかり覆う髭、頭からは狼のような耳が生えている。狼人族の男だ。
「よう、久しぶりだな。ダリオ爺さん」
「……エドワードか。一体何をしに来た? 次の納品はまだ先のはずだろう」
ダリオと呼ばれた老人は、こちらを向こうともせず、鎚を振り下ろしながら言った。その姿は、いかにも職人気質で頑固な老人を彷彿とさせた。
「今日は商会の仕事で来たんじゃないんだ。こいつらに見合う武器をアンタから買おうと思ってな」
エドワードが答えると、ダリオはようやく手を止めた。それから、椅子から立ち上がって俺達をじっと見つめた。
「こんにちは! よろしくお願いします!」
ファティナが率先して挨拶をすると、ダリオは革手袋を手から外した。
「同族か。まだ若いようだな」
「ファティナです! 以前はボルタナの近くに住んでいました」
「ボルタナか。それはまた随分と遠くから来たものだ」
ダリオが返事をする。最初の印象からして無口で頑固そうに見えたのだが、実際にはそうでもなかったようだ。狼人族同士なので、打ち解け合いやすいというのもあるかもしれないが。
「それで、何が必要なんだ」
「こいつらは冒険者でな、山にあるダンジョンで十分に戦える剣が欲しいんだ。それと、ダンジョンに入るための道具は何かないか?」
「剣ならば在庫がいくつかあるが、この娘が腰に差しているのも相当な業物だろう。探しているのはそれ以上の品か?」
「いや、剣が要るのはこっちの奴だ」
エドワードは俺を指差して言った。
「アークだ。よろしく頼む」
挨拶をするが、ダリオは特に俺を見ることはせず、エドワードの方を向いたままだった。
「この前モンスターと戦った時に剣を失くしたんだ。こいつはパーティの要だ。だから一番良い武器を持たせてやって欲しい」
「獣人の娘を盾にしながらモンスターを狩るような人間がパーティの要とは、恐れ入る。余所へ行け。売るような物はない」
ダリオは再び手袋をはめると、炉の方へと行ってしまった。
確かに、ダリオから見れば俺とメルは軽装で、ファティナだけが鎧を着ている。たった一人でモンスターの攻撃を一身に受けながら、俺達が後方の安全圏から魔術を使って戦う姿を想像したのだろう。
「まあまあ、そう言うなって。説明するとだな──」
「アーク様は、そんなことはしません!」
突然、ファティナが叫んだ。
「アーク様はいつだって、自ら進んでモンスターに立ち向かい、私の命を救ってくださいました。決して、貴方が思うような人ではありません!」
「……お前はまだ若いから、世の中というものをよく知らんのだ。人族は、心の中では常に獣人を見下している。立場が弱い者は、強い者にいつでも、簡単に切り捨てられる。誰かを犠牲にしなければならない時、お前が真っ先に選ばれるのだ。これ以上傷つきたくなければ、愚かな幻想など抱かず、今すぐに冒険者なんぞ辞めることだ」
「やめて! もしも、それ以上言うなら──!」
ファティナが剣に手をかけた。その様子を横で見ていた二人が驚く。メルがすぐに上から手を乗せて、剣が鞘から抜けないように押さえ込んだ。
「ファティナさん! 気持ちはわかりますが、どうか落ち着いてください!」
「おいおい……そんなに熱くなるなよ。それと、爺さんよ、いくら何でもそれは言い過ぎだろう」
今にも噛みつかんばかりに怒りを露わにしているファティナを、エドワードがなだめる。ファティナはダリオを睨みつけたままだ。普段の彼女からは想像できないほどに気が立っている。
しかし、ダリオはどうしてあんな話をしたのだろう。自分が、以前にそういう経験をしたとでも言うのか……。
「何か大きな誤解をしているようだが、アークはこのパーティの中では最も強い。Sランク冒険者でも相手にならないほどにな。本職は魔術師だが、接近戦もやれる。だから剣が必要だと言ったんだ」
「……フン」
エドワードが説明すると、ダリオは鼻を鳴らした。
「Sランク冒険者とは、また大きく出たなエドワード。お前はそういう類の冗談を言うような男ではないと思っていたが」
「冗談ではなく事実だからな。それ以上でも以下でもないぜ」
「ならば、その言葉に偽りがないか試させてもらおう。来い」
店の扉を開けて、ダリオが中へと入っていく。俺達もその後をついていった。
店の中には様々な武具が所狭しと置かれていた。客に見せようという気がないのか、むしろ倉庫と呼ぶ方が近い。品々は、どちらかと言えば無骨な見た目の物が多い印象だった。装飾よりも実用性を重視しているのだろうか。
ダリオが壁際にある台のところまで行き、敷かれた白い布を引っ張り、取り払った。布の下から現れたのは、曇り一つない、輝くような真っ白な刀身の剣だった。
刃渡りは長剣とまではいかず、小剣との中間ほど。普通の店で売られている規格の物としてはこの長さの剣はあまり流通していないだろう。しかし、剣士のスキルを持たない俺からすれば手頃に思えた。
「これは、古くからラギウス鉱と呼ばれるゼパルト山の奥で採取された特別な石を長年に渡り削って作り上げた剣だ。現在武具に使われている如何なる素材よりも高密度で、どれだけ長い時を経ても錆びて朽ちる事が無い。代わりに、この大きさであっても凄まじい重量を持つ」
ダリオは振り返り、俺の方へと向き直る。
「もしもお前がこの剣を振るうことが出来たのならば、あの娘の言う話を信じよう。使うと言うなら代金も要らん。くれてやる」
ダリオに促され、俺は剣の前へと歩み出た。
よく見ると、剣自体が仄かな光を発しているように見えたのは目の錯覚だろうか。
握りの部分を右手で掴み、ゆっくりと引き上げる。腕に僅かな重みを感じた。
「お……おお……!」
持ち上がったところで、力を込めて一気に振り抜く。風が生じ、周囲に置かれた武器が一斉に震えてぶつかり合い、奇妙な音を奏でた。
「何ということだ……これは一体……」
その光景を目の当たりにしたダリオは、これ以上ないほどに大きく目を見開いていた。
この白い剣は確かに少し重たい感じはするが、振り回せないほどではなかった。能力値が上がっているためだろう。むしろ、俺にとってはこれぐらいの方が力を込められて丁度いい。重心のバランスも良く、しっくりとくる。まるで、手が剣に吸い付くかのように馴染んでいた。これまで使ってきた物の中では、間違いなく一番の品だった。
「まさか、儂が生きている間にこの剣を扱える者に出会えるとは……」
「爺さん、そいつは大袈裟過ぎだろ」
「この剣は、Aランク冒険者でもほんの僅かに持ち上げるので精一杯だったのだ。それを、まさかこうも容易く振るうとは……」
「感動しているところ悪いが、約束通りこれはアークの物だな。今更返せと言われてももう遅いぞ」
エドワードがニヤつきながら言うと、ダリオは俺のすぐ目の前までやってきた。
「儂の言葉に偽りはない。それよりも、アーク……と言ったか。お前にこれほどの力があるとは。疑ってすまない。許してくれとは言わん。だが、どうか謝らせてくれ」
「俺のことは気にしなくていい。さっきの話の謝罪なら、ファティナにしてくれ」
「……そうか。ファティナよ、先程はすまなかったな。どうやら、お前の言う通りだったようだ。儂が悪かった。このとおりだ」
「……」
頭を下げるダリオを、ファティナは口を閉ざしたまま見つめていた。その顔は、まだ先程の事を根に持っているようだった。




