第八十一話 遠くの町の酒場にて
話を聞き終えた俺達は冒険者ギルドを後にした。
扉から外に出ると、再び熱気が戻ってくる。宝珠の効果範囲外だ。
馬車に近付くと、待っていた二頭の馬達が大きな黒い瞳でこちらを見つめながら鼻を鳴らした。
「随分と早かったな」
御者台から声がする。
日よけにでも使っていたのか、真っ黒な外套を上からかぶって寝そべっていたエドワードが、外套を手で持ち上げて顔をのぞかせた。
「ああ。ダンジョンの情報はいくらか得られた」
「そいつは何よりだ。で、これからどうする? まさか、今すぐダンジョンに向かうつもりじゃないだろうな」
その口調は、まるで念押しするかのように聞こえる。
「今日は休んで、明日から探索を始めようと思う。二人もそれで構わないか?」
「はい。そのほうがいいと思います」
「そうですね! 私もメルさんと同じです」
炎熱回廊の探索を始めるにしても、体力がいる。長旅で疲労が溜まっている今の状態は万全とはいえず、無理をして進んでも集中力がもたないだろう。つい今しがた、ギルド職員のディルもそう言っていた。
加えて、ダンジョンに入るための準備も必要だ。森での黒い獣との戦いで、剣を失くしてしまった。新しくこの町で調達しなければならない。
それと、新たな能力の取得も。
「そうかい。だったら早速酒場に行って腹ごしらえをして、それから宿を探すとするか」
「分かった」
エドワードが起き上がって、御者台に座り直した。三人で荷台に上がる。馬車はギルドを離れ、大通りを進んだ。
しばらくして、馬車が止まる。到着した場所は、マグが描かれた木製の看板がぶら下がっている建物の前だ。
今度は全員で馬車から降りた。先頭を歩くエドワードが扉を開けた。
「いらっしゃい」
店に入ると、カウンターを拭いていた若い女性が声を掛けてきた。
店内には年季の入った木製の椅子とテーブルの組み合わせが壁際にいくつか配置されている。客は何組かいて、町人のほか、冒険者らしき人間達もいた。
俺達は店の奥にあるテーブルについた。俺はエドワードの隣の席に、向かいにメルとファティナが座った。
それからすぐに、女性が注文を聞きにやってきた。
「酒をくれ。この店で一番上等なやつだ。あとは三人分、旅の疲れに効きそうな飲み物を。冷えたのを頼む」
慣れた様子でエドワードは手早く注文を済ませる。注文を聞いた店員はカウンターの奥に入っていった。
椅子に座って一息ついていると、戻ってきた店員がテーブルの上に木製のマグを四つ、各々の前に置いた。
中は橙色の液体で満たされていて、透明な氷がいくつか浮かんでいる。一口飲むと、冷たく、程よい甘みと酸味が口の中に広がる。果物を使った飲み物のようだ。
「わあ、冷たくて美味しいですね。氷が入ってます」
ファティナが笑顔になって、獣耳をぴんと立てた。
「本当ですね。この地方では氷は取れないでしょうから、魔術で作られた氷だと思います」
「暑い地方では水の魔術を、寒い地方では火の魔術を扱える者が重宝されるらしいな。この町でもどこかで誰かが、毎日魔力が尽きるまで氷を作り続けているんだろう」
左腕を椅子の背もたれの上に回しながら、エドワードは冗談ぽく言った。
「それで、ギルドではどんな情報が得られたんだ?」
「北にある火山にダンジョンの入口があるそうだ。だが今はドレイクの縄張りになっているらしい」
「ドラゴンもどきか。素材はなかなか貴重らしいが、普通の冒険者なら逆に狩られる前に逃げ出すだろうな」
話しながら、エドワードはマグをテーブルに置き、手を離す。
「だが、お前達はそれでも行くつもりなんだろう?」
「はい」
メルがはっきりと答えた。
「私は下層に向かわねばなりません。彼らよりも先に……。今、バルザークというSランク冒険者のパーティが先行してダンジョンの探索をしています」
「バルザーク、か。その男の噂ならクラウ商会で何度か耳にしたことがあるな」
「噂?」
「詳しくは知らないが、他のSランク冒険者と違って至る所で揉め事を起こすんだとか。その仲間も、悪党としての噂が絶えない。そんなところだな」
先程ディルから聞かされたものとほとんど同じ内容だった。
少なくとも、俺がボルタナのギルドで見たバルザークについては噂通りという印象だ。
だが、あの猫人族の少女はどうだろうか。本当に、語られている通りの、根っからの悪人なのだろうか。だとしたら、どうしてあの時、俺に声を掛けたのか。
「そのバルザークという人にダンジョンで会ったら、戦うことになるのでしょうか?」
「軽く挨拶を交わして通り過ぎてくれる人間だとはとても思えないがね」
バルザーク達もまた、クレティア国王から依頼を受けて炎熱回廊の最深部にある鍵を手に入れようとしている。あっさりと身を引くとは思えない。
「まあ、考えていても仕方のないことだ。覚悟しておく必要はあるが、出会わなければそれで良し。もしも出会った場合には、その時はその時なんじゃないのかね。こっちは既に二つ攻略済みのパーティだ。負けないだろう」
エドワードが酒をあおる。
その通りかもしれない。ここであれこれ悩んだところであまり意味はなく、仮に戦いになった場合には、そういうものだと割り切るしかない。
「明日にはもうダンジョンに入るのか?」
「ああ。そのつもりだ」
「それなら、俺が連れて行ってやろう」
「えっ?」「はい?」
ファティナとメルが揃って声を上げた。
正直、驚いた。エドワードとは今日で別れるものとばかり思っていたからだ。
「チェスターから受けた依頼は、俺達をメティスまで送り届けることじゃなかったのか?」
「そうだがな。まあ、しばらくはトラスヴェルムに戻らなくても怒られはしないだろう。それに、さっきも言ったが今日の酒代はお前達持ちだからな。その代わりだ。長々と山道を歩いて無駄に疲れるのも嫌だろう?」
「しかし、山はモンスターがうろつく危険な場所だ。それでもいいのか?」
「お前達を送ったらさっさと町に戻ることにする。帰りは自力で戻ってくれ。それなら構わんだろう」
「それは助かるが……」
そんな場所に自ら進んで向かうなど、『夢は長生き』だと話していたエドワードがすべき選択にはどうにも思えなかった。
「ここで別れるのも、チェスターの旦那に悪い気がするのさ。俺も焼きが回ったのかもしれないな」
自嘲気味に言って、エドワードはまた一口酒を飲む。そんな彼を見て、俺とファティナは互いに顔を見合わせた。
「……」
ふと、メルが物憂げな顔をしているのが視界に入った。テーブルに置かれたマグの中を上から覗き込んだまま、一人静かにしている。
「メルさん。大丈夫ですか?」
「えっ? あ、いえ。別に何も……」
普段とは明らかに違う様子に同じく気が付いたらしく、ファティナが声を掛ける。メルはハッと我に返ったように顔を上げた。首を振って否定するが、とても何も無いようには思えない。
「何か気になることがあるなら、話してくれないか」
全員の視線が集まる中、メルはしばらく黙り込んでいたが、やがて口を開いた。
「今更かもしれませんが……イリアのことが心配なのです」
「確かドラゴンに乗ったクレティアの女騎士だったか。そういえばトラスヴェルムで見掛けたきり姿が見えないな。和解したんじゃなかったのか」
「兵達と一緒に王都に戻りました。無事でいてくれるとよいのですが……」
「ふむ」
メルが話すと、エドワードは顎をさすった。
メルを追ってトラスヴェルムにやってきたイリアは、俺達の話を聞いて兵士達と共にクレティアの王都へと戻った。彼女がその後どうなったのかは分からない。メティスに向かうことは既に話してあり、後から合流することだけは決まっていた。
気掛かりがあるとすれば、国王や騎士団に対して納得のいく説明ができているかどうかだ。
もっとも、ドラゴンを操ることができ、更にステータスが並の冒険者よりも高いイリアであれば仮に怪しまれても早々捕まるようなことはないはずなのだが。
「一つ聞くが、そのイリアがドラゴンに乗って飛んだ場合、追いつける人間は騎士団にいるのか? 誰かが空を飛んで追いついている場面を、お姫様は実際に見たのか?」
エドワードの言葉に、メルが「えっ」と小さな声を出す。
「い、いえ。この目で見た事はありませんが……」
「だったら考えるまでもない。いざとなればあの女騎士はいつでも逃げられる。それだけのことだ。違うか?」
当然のようにエドワードが言い放つ。メルは何も返せなくなっているようだった。
「あの、私もエドワードさんの言う通りだと思います。イリアさんならきっと、大丈夫ですよ」
ファティナがメルの肩にそっと手を置いた。
「──そう、ですか。そうですよね」
不安そうにしていたメルの表情が少し明るくなる。
城を脱出してからこれまで、様々な出来事があったせいで、俺やファティナが思っていた以上に気持ちが沈んで、悪い方向に考えてしまいがちだったのかもしれない。
「長く森の中にいたせいもあるだろう。今日のところは早めに休んだほうがいい。飲んで、食って、明日のことは、また明日考えるのさ」
エドワードはもう一度店員を呼んだ。そして、料理と、上等な酒を注文したのだった。
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一箇所、酒を飲んでいたのがチェスターになっていた部分を修正しました。




