第七十九話 メティスの町への到達
「ようやくだな。見ろ。メティスだ」
エドワードが怠そうな口調で言って、俺達三人は御者台へと身を乗り出す。街道の先には、年季の入った石造りの門と長い壁が存在していた。
トラスヴェルムを出てからちょうど八日が経過した昼、俺達の乗った馬車はようやく目的地であるメティスの町に到着した。
例の正体不明のモンスターを撃退してから三日が経つが、襲って来たのはあの一度きりだった。
毎日欠かさず見張りをして警戒していたのだが、不思議とそれ以上は何も起こらなかったのだ。
結局、多数の疑問が残されたままとなってしまった。
たとえば、どうしてあのモンスター達だけが意思疎通を図ったかのようにして現れたのかなど。
そして──何より気になるのは、【即死魔術】の能力の一つである『魂の回収』が発動しなかったことだ。
グリフォンについてはファティナが倒したのでいいが、あの巨大な漆黒の狼は死ななかったとでも言うのだろうか。
俺はあの時、《ルイン》を発動させながらミスリルのロングソードを奴の首元に突き刺した。奴はそのまま崖下へと落ちていった。この目で見たのはそこまでで、完全に息の根が止まったかどうかは確認していない。
そして実際にステータスが加算されなかったということは、奴がまだ生きているという証明になるのではないだろうか。
もちろん、俺の知らない何らかの制限に触れて『魂の回収』が効果を発揮しなかった可能性もあるが、どうにも分からないことだらけだ。
「ここが……メティスなのですね」
メルが呟いたのを聞いて、俺はふと我に返った。
町の入口を見やると、アーチ状になっている石の門の前に二人の男が立っていた。両方ともクレティア兵の鎧を着ている。どうやらメティスに常駐している兵士のようだ。
三人でその様子を眺めていると、ある程度近付いたところで兵士達が道を塞いだ。馬車はゆっくりと動きを止めた。
「旅人か。メティスに何の用だ?」
「ここで働きたいという冒険者達を連れて来ただけだ。品物を運んでいるわけでもないし、商売をするつもりもない」
エドワードがぶっきらぼうに答える。
兵士達は荷台の後ろに回り込んできて、俺達を見つめた。
「冒険者か……軽い依頼をこなす程度なら構わないが、メティスのダンジョンに行くのはあまりお勧めしないな。冒険者ギルドは大通りを少し進んで左側だ」
「ご忠告どうも」
兵士達が馬車から離れると、エドワードは馬車を再び動かした。
「今の兵士さんの言葉、どういう意味でしょうか?」
「さあ……メティスのダンジョンに行くことはお勧めしないと言っていましたね」
「確かによく分からないな」
依頼を受けるのは構わないらしいが、ダンジョンに行くのは止めたほうがいいのだとか。これはあくまで予想だが、俺達を見てあまり強くなさそうだと判断したからかもしれない。
とはいえ、炎熱回廊に行かなければ話は何も進まない。
馬車は門をくぐり、メティスの町の中へと入った。
大通りを進みながら、町の建物を眺める。町によって特徴があるのは当然なのだろうが、メティスには古びて見える家が多い。お世辞にもあまり綺麗とは言えなかった。
白が基調で煌びやかだったトラスヴェルムとは対照的に、黒っぽい石を積んで建てられた大小の家々が所狭しと並んでいて、雑多に感じる。
今進んでいる大通りはそれほど道幅が広くなく窮屈に感じる。加えて人通りは多いので、若干混雑気味だ。
「それにしても、蒸し暑いですね……」
額に汗を滲ませながら、ファティナが顔をパタパタと両手で扇いだ。
メティスに近付くにつれ、暑さが増していることは俺も感じていた。この地方はボルタナとは違って温度が高く、あまり過ごしやすい環境ではなさそうだ。
「ファティナさん、大丈夫ですか? もしよかったら、私が魔術をかけて涼しくしましょうか?」
「あー……、本当に我慢できなくなったらお願いします……」
「そうですか。遠慮なさらずに言ってくださいね」
相変わらず暑そうに手で風を送りながら、ファティナが遠慮がちにメルに応えた。
狼人族であるファティナは俺達とは体の構造も異なる。種族的に暑さが苦手なのかもしれない。毛に覆われた獣耳と尻尾が生えているせいだろうか。
加えて、彼女は重装ではないにしろ鎧も身に付けている。俺やメルとは違い、風通しも悪いだろう。
そもそも、獣人と人間の違いとは何なのだろうか。
俺の村には人間しかおらず、これまで交流も無かったので詳しくは知らない。
そんなことを考えていると、馬車が止まった。
「さて、冒険者ギルドの前に着いたぞ。顔を出して行くんだろう?」
エドワードが俺達の方を振り向いて言った。
左手には、他より一際大きな建物があった。灰色の石を積み重ねてつくられた二階建てだ。道に突き出した看板からも分かる通り、ここがメティスの冒険者ギルドらしい。
「ああ。これからメティスのダンジョンを進むにしても、まずは情報が欲しい」
「その方がいいだろう。いくらお前達が強いとはいえ、ここでは勝手が違うだろうしな」
「エドワードはこれからどうするんだ?」
「俺はここでしばらく休む。宿探しよりも、まずは休憩だ」
エドワードは御者台に寝転がった。ここまでの旅でとうとう疲労が限界に達したのかもしれない。
「ギルドでの用事が終わったら起こしてくれ。ついでだから後でお前達に美味い酒でも奢ってもらうとしよう」
「それは別に構わないが、どうせ休むのならギルドの中の方がいいんじゃないか?」
「ただでさえ暑苦しいのに冒険者達がたむろするギルドなんざ行きたかないね」
「分かった。なら俺達だけで行こう」
「はいっ」
俺はメルとファティナと一緒に馬車から降りた。
長らく整備されておらず、所々石畳みが割れたり無くなっている部分を避けながら、木製の扉を開けて中に入る。
すると、急に体を涼しげな風が吹き抜けるのを感じた。
「あれ? 何でしょう? 建物の中なのに、ひんやりしていて涼しいです」
「本当ですね。これは一体……」
二人が言う通り、ギルドの中はなぜか外と比べて冷えていて、暑さをまったく感じない快適さだった。
周囲を見回すと、他の冒険者達パーティもいて全員涼んでいる様子だ。
彼らは入ってきた俺達をチラリと見たが、すぐに興味を失くしたらしく、再び会話を再開した。
冒険者達はいずれも見て分かるぐらいによく手入れがなされた良い装備を身に付けている。ボルタナと比較すれば、その差は明らかだ。
どうやらメティスには、ランクの高い冒険者が集まっているようだ。
「どうだい? この宝珠の効き目は。気に入ってもらえたかな?」
カウンターに立っていた男が俺達の方を向きながら話し掛けてきた。受付担当のギルド職員だろう。
切れ長の目に、きちんと整えられた短めの金髪が特徴のその男は、優し気な笑みを浮かべている。年齢的にはチェスターと同じぐらいだろうか。真っ白いシャツの袖を肘まで捲って留めている姿は、職員の雰囲気がよく出ている。
「宝珠、ですか?」
ファティナが聞き返すと、男性職員は「そうだよ」と言って、カウンターの奥にある台座を手で指し示した。
台座の上に置かれているのは、こぶし大の青い球体だ。大きな水晶玉のようなそれの内部では、白と水色の淡い光が渦を巻くように回り続けている。
「これはメティスのダンジョンで発見されたアイテムの一つでね、周囲の温度を下げる力があるんだ。だからこの暑い土地でもギルド内では快適に過ごせるんだよ。頑張って依頼をこなす冒険者さん達への、ちょっとした感謝の表れみたいなものだね」
職員の説明に、ファティナが感心した様子で青い球を眺めていた。
「へええ、とってもすごいものなんですね! どこかで買えたりしますか?」
「ううん、残念ながらこれ一個だけだね。冒険者さんが見つけてきてくれたら、ギルドで買い取りたいぐらいだよ」
「そ、そうですか。そうですよね……」
ファティナは酷くがっかりしていた。この球が欲しかったのだろうか。よっぽど暑いのが嫌なのだろう。
「僕はディル。ここメティス冒険者ギルドの受付担当だよ。よろしくね」
「俺はアーク、Cランクの冒険者だ。こっちはパーティメンバーのファティナとメル。早速で悪いが、メティスのダンジョンの情報が欲しい」
すると、ディルは「ふむふむ」と言って頷き、それから再びにこりと笑った。
「ちなみにアークさんは、メティスのダンジョンが他と一味違うというのは聞いているかい?」
「いや……そういった情報もまだ持っていない。できれば詳しく教えて欲しい」
「じゃあ教えておこうか。メティスのダンジョンは今、火吹きドレイク達の縄張りになっているんだ。だから、無事に侵入するのも一苦労な状況でね」
ドレイクというのは、ドラゴンの亜種のようなモンスターだ。ドラゴンよりも体が小さい種族だが、外見的な特徴はほぼ一緒だ。ギルドが定めるランクではドラゴンがS、ドレイクはA相当となる。
どうやらそのせいで、高ランクの冒険者達がメティスに集まっていたようだ。




