第七十六話 森での夕食
トラスヴェルムを出発して半日が経過し、空が夕闇に染まり始めた頃。
馬車はゆっくりと道から逸れ、街道のすぐ左脇に止まった。
現在はメティスに向かって順調に進んでおり、途中にある大きな森林地帯へと入ったところだ。
街道を挟むように左右に広がる森の中は木々が生い茂っていて、見通しも悪い。目印になるようなものも見当たらないので、うっかり中に入ればすぐに迷ってしまいそうだ。
「さて、今日はこの辺でいいだろう」
エドワードがそう言って御者台から降りたので、それに続くように俺達も荷台から外に出る。
「それじゃあ、私は野営の準備を始めますね」
ファティナは食料など一夜を過ごすために必要な品が入った木箱を荷台から下ろしていく。水についてはメルの【水属性魔術】スキルによっていつでも作り出せるので助かった。
「……」
メルはと言えば、両手で広げた地図を忌々し気に何度も見直している。今に始まったことではなく、馬車に乗った時からずっとこの調子だ。何か気になっていることでもあるのだろうか。
「どうかしたのか? 問題でも?」
「胡散臭いですが、あのエドワードという男は本当に優れた馬を扱う技術を持っているようです。 ……悔しいですが」
胡散臭くてしかも悔しいというのはよく分からないが、確かにメルの言う通りエドワードの馬車は驚くほど速かった。
まさしく風を切るかのような走りで、途中ですれ違った馬車の御者が後ろを振り返るほどだ。更には長時間走ったというのに、二頭の黒い馬達は疲れたような素振りも見せない。
しかもどういうわけか荷台の揺れも異様に少ないので、長く乗っていても体に負担がかかったりしない。
馬車はチェスターが用意してくれたものなので、腕利きの職人が作っていて構造自体がしっかりしているとか、よく整備されているということもあるのだろう。それにしても不思議ではあった。
「どうしてこんなに速く走れるのか気になりませんか? 何らかのスキルによるものでしょうか?」
メルが少し声を抑えながら聞いてくるが、俺にもよく分からない。馬の足を速くするスキルというのはこれまで聞いたことがない。とはいえ、今はそれほどこだわる必要がある話にも思えない。
「分からないが、メティスに早く着ければそれでいいんじゃないか?」
「そうですが……」
メルはどうにも気になっているようで、腕組みしながら悩み始める。
メティスまでは普通ならば十二日間で着く想定だ。しかし、本来一日目の目標としていた地点は随分前に越えている。この調子なら、本当にチェスターの言っていた通り何日も短縮できるだろう。
「俺は馬達と一緒に休ませてもらうとしよう」
エドワードが馬車の縄を解いて馬達から切り離すと、馬達はその場に留まって休み始めた。彼自身も地面に座り、大きな木の幹に寄りかかった。
ここまで一度の休憩もなしに走り続けてきたのだ。疲れるのも無理はないだろう。
「今日と同じ速度でこれからも走れそうか?」
「これぐらいなら大したことはないな。至って快調だ」
エドワードがこちらを向いて答えた。
「アークと言ったか。事情は大体聞いた。あのトラスヴェルムのダンジョンを攻略した冒険者だそうだな。だったらどんなに凶悪なモンスターが来ても安心だ。金をもらえて、俺も安全。文句はない」
「ああ。もしもモンスターが襲ってきたら俺が戦う」
「そうしてくれ。分かっているとは思うが、俺には戦う術は一切ないからな。ただの御者だ。持ちつ持たれつ、というやつだ」
「分かった」
エドワードと会話をし終えたところで、すぐ野営に向けて準備を始めることにする。辺りが暗くなるまでもうあと僅かな時間しかない。
「俺は薪を拾ってくる。ファティナは夕食の支度を頼めるか?」
「えっと……はい。じゃ、じゃあ料理を。あ、メルさん、手伝って……一緒に作ってくれませんか?」
「え? あ、はい。そうですね。そうしましょう……」
ファティナとメルの間に変な空気が流れた気がした。
「剣聖と王女の手作り料理か。どんなものが出てくるか楽しみだな」
エドワードがそう言うと、メルは彼を一瞥し、それからぷいっと顔を背けてファティナと二人で料理の材料を木箱から取り出し始めた。尻を触られそうになったことをまだ怒っているらしかった。
そんなに怒るようなことかと思いつつメルを眺めていたら、なぜか俺までむっとした顔で睨み返された。思考を読み取ったらしい。
俺は近くに落ちていた薪になりそうなものをいくらかファティナに渡して、辺りを調べ始めた。
「……これだと思います」
「何となく見た事がある気がします。多分」
焚火の材料を集めては地面に落としてまとめていると、ファティナとメルは様々な食材を手に取ってはしげしげと眺めていた。
料理を作るに際し、『これだと思う』とか『見た事がある気がする』という不穏な発言に若干の不安を感じつつも、俺は枝や草を集めた。
安全な町の中とは違い、森では昼夜問わずモンスターが襲ってくる。そのため、交代で番をすることになっている。それほど寒いわけではないが、念のため余裕を持って多めに集めることにする。
それからしばらくして、二人が料理が出来たというので食事にすることになった。
近くにあった大きめの石や倒木を椅子代わりにして、全員で鉄製の鍋を囲うように座る。
「な、何だこれは……本当に食い物か?」
組まれた鉄の棒から吊るされている鍋にはどす黒いスープが入っていて、その中では皮が剥かれていない野菜や、下ごしらえなどを一切せずにそのまま投入されたであろう肉が所狭しと浮かんでいる。
「ちょっと失敗しちゃいましたけど」
「ちょっとなのか、これ」
エドワードの言葉に対して、ファティナとメルはこめかみをひくひくとさせていた。
本人達が一切反論しないところを見るに、満足のいく結果ではなかったのだろう。
よくよく考えれば、二人が料理が得意かどうかについて詳しく尋ねたことはなかった。というか、メルに至っては王女なので自分で料理などするはずもないわけで。
それならそうと初めから言ってくれれば良かったのだが。
まあ、あまり食べ物の味にこだわるつもりもない。明日また動ける分だけ腹が満たされれば別にどうでもいい。
器にスープと具を入れて食べ始める。全体的に焦げたような味がして、野菜が飲み込みにくかったり肉が異様に硬かったりすることを除けば問題ない。
「ど、どうですか?」
「うまいんじゃないか」
感想を聞いてきたファティナに、具を噛み砕きながら返事をする。
その途端、不安そうにしていたファティナの顔が一変して笑顔になった。
「そ、そうですか!! あの、おかわりもありますから!」
「ああ、もらおう。皆も食べた方がいい」
「……い、いただきます」
俺が声を掛けると、メルもエドワードも恐る恐るといった手つきで自分の器に料理を入れ始めた。
「俺の夢が何だか知ってるか?」
器の中に入れられた真っ黒いスープを見つめながら、エドワードが急にそんなことを言った。
「いや、知らないな。どんな夢なんだ?」
「長生き」
こうして夕食を終えた俺達は、夜に向けての支度に入った。




