第七十五話 アレンとエリス、その後
眠り続けていたアレンがようやく意識を取り戻したのは、アーク達がメティスに向けて旅立ってから数日後の朝のことだった。
「おはよう」
ベッドのすぐ横に座っていたエリスが、アレンを見つめながら朝の挨拶をする。
「気分はどう?」
「……あまり良くはないですね」
アレンは手の甲を額に当てながら、気怠そうに答えた。
それから、自分がなぜ見知らぬ部屋のベッドで寝ているのかを考え始め、意識が途切れる前のことを思い出した。
「そうだ、私は鍵を、もう一度あの鍵を手に入れなければ」
「アレン、そのことはもういいの」
「……もういい? それは一体どういう意味ですか? そもそもここは何処です? 私はどれくらい眠っていた? フィオーネ達は?」
矢継ぎ早に質問するアレンに、エリスは何も答えようとはせず、ただアレンのことをじっと見つめた。
本来であればフィオーネ達と一緒に収監されているはずのエリスがここにいるのは、アレンが目覚めるまで一緒にいさせて欲しいとチェスターに頼み込んだからだ。
チェスターは最初のうちはエリスだけを特別扱いできないと断ったものの、最後には彼女の願いを聞き入れた。エリスが逃亡を画策しているように見えなかったことや、本気でアレンを心配している様子だったことを考慮しての結果だった。
廊下には見張りの冒険者達がいるが、アレンはまだそのことを知らない。
「こうしてはいられない。すぐに鍵を取り返さなければ」
起き上がろうとしたアレンだったが、上手く腕に力を入れることができずにベッドから落ちそうになる。
それをエリスがとっさに受け止めた。
「無理をしないで。まだ起きたばかりなんだから」
「ああ、まだ体力が十分に戻っていないようだ。リーンさんを呼んできてもらえますか? 治癒魔術を使ってもらいましょう。ポーションでもいい」
「それはもう試した。でもね、治らなかったの」
「……治らない? 一体どうして?」
エリスはアレンが眠っている間に起きた出来事を包み隠さず彼に話した。
自分達が罪人として捕らえられていること。
アーク達と戦った理由について、フィオーネとドロテアが嘘の証言をしたこと。
そして、アレンのレベル上限が90から10に下がってしまったこと。
「レベル上限、たったの……10……?」
エリスの話に、アレンは愕然とした。
戦いに敗れただけならまだしも、存在すら無視していたような低いレベル上限の人間に自分がなってしまっていたのだ。
信じ難いことだったが、確かに以前あったような力が湧き上がる感覚はすっかり失せてしまっている。否定したくても、できなかった。
アレンはようやく現状について知ったのと同時に、自分がどうしようもない状態に陥ってしまっていることを初めて理解した。
「……何なんだ、これは」
力なく呟くアレンの表情は暗く、今まで彼の心の中にあった自信は最早欠片も残ってはいない。
レベル上限10になったアレンにできることなど、せいぜい薬草を摘むかゴブリンを数体狩ることぐらいだ。
明らかに、Sランク冒険者がする仕事ではなかった。
レベルが下がったと知られれば、恐らく冒険者ギルドはもう助けてはくれない。アレンを特別扱いする必要がなくなったからだ。
アレンは部屋の中を見回す。
身に付けていた装備品一式は消えてしまっている。クラウ商会が何処かに持ち去ってしまったのだ。
もっとも、見つけ出したところでステータスが低下したアレンでは扱いきれない。スキルだけでは雇われの冒険者達を突破することは不可能だ。
アレンが独自に編み出した剣技であるソニックブレイドは剣士と風属性魔術のスキルを組み合わせたものだが、すべての能力が下がった今では威力は期待できそうにない。
ここから逃げることは、もうできない。
「……これは何かの間違いなんだ。私は確かに選ばれた人間で、鍵の力で世界を統べて……」
「それが誤解だったの」
頭を抱えるアレンに、エリスは淡々と告げる。
「私達は、選ばれた人間なんかじゃなかった」
「そんなはずはない……冒険者になった時、誰もがそう言っていた」
「アレンも私も……ただレベル上限が少し高かっただけの普通の人」
「そんなバカな」
こと戦いにおいては、いかに高いレベル上限と有用なスキルを授かって生まれてくるかが重要だとされている。
スキルについては武器や攻撃型の魔術に関係するものであることが望ましく、中でも剣のスキルは最も評価が高い。
それがこの世界の常識だった。
そんな中、思い返すのはあのアークという新人冒険者の存在だ。
アークはレベル上限1で、スキルも役に立たないと評判の【即死魔術】だった。
戦闘向きでないのは誰が見ても明らかだ。
しかし一方で、アレンは最弱冒険者であるはずのアークの強さを知っている。
異常どころではない、最早次元が違うと言ってもいい。明らかにレベル1の能力ではなかった。
「でも、そんなのはおかしいじゃないか」
アレンはその事実を素直に受け入れることができない。
レベル上限が高い者ほど優秀だと言われ、それを信じてきたアレンにとってレベル1のアークの強さを肯定することは自身の否定に繋がる。
アレンにはそれがとても怖かった。
自分は普通の人間とは違う、特別なんだとずっと思ってきたのに、それがただの勘違いだったなんて今更納得できるものか。
(あの強さは一体何なんだ)
実は【即死魔術】は強力なスキルだったのか。
アークは本当はレベル上限1ではなかったのか。
【即死魔術】以外のスキルを持っていたのではないか。
しかし、このうちのいずれか一つでも事実であるとすれば、冒険者ギルドによる能力鑑定の結果自体が『偽』となってしまう。
(そうだ、鑑定は……)
各冒険者ギルドに置かれている能力鑑定の力が込められた水晶玉は、すべて同じ品で統一されていると職員から説明されたことがある。
職員の言う通りならば、鑑定結果に差異はないはずだ。
ギルドでの鑑定結果が間違っていたという話はこれまで聞いたことがないし、噂も流れてこない。
現にアークの幼馴染であるリーンの能力は正しく鑑定されている。
そのことからも、アークの時だけ鑑定に失敗したとは考えにくい。
(まさか……)
やがてアレンは一つの可能性に辿り着く。
この世には、鑑定には記されない力を持つ者が存在しているのではないか、と。
だが、果たしてそんなことが有り得るのか。
レベル上限が意味をなさないほどの能力が存在するなら、それはこの世の常識を根本から覆すことになるのではないか。
そこまで考えたところでアレンはふと、あることに気が付いた。
(そもそも、レベル上限が高ければ強いという理屈を言いだしたのは誰だ?)
考えれば考えるほどに、わけがわからなくなっていく。
そんな時だった。
困惑するアレンの手を、エリスがそっと握った。
「ごめんね、アレン」
「え?」
あまりにも突然だったので、アレンにはどうしてエリスがそんなことを言い出したのかよく分からなかった。
「急にどうしたのですか?」
「これからは、私も考えるから」
エリスははっきりと力強く言った。
その言葉には、これまでただ流れに身を任せるだけだった今までの彼女からは考えられない、明確で、強い意志が宿っていた。
エリスは決めたのだ。
これからは自分がアレンを支えていこうと。
「これまで考えなかった分、アレンと考えるから。だからこれからも一緒にいてね」
「エリス……君は……」
アレンはエリスの顔を真っ直ぐに見た。それは、冒険者になって以来のことだった。
「……一つ、聞いてもいいかな」
「何?」
「僕は、どこで間違えたのかな」
「最初から全部」
あっさりそう言われて、アレンは思わず噴き出した。
「手厳しいね、エリスは」
「そうだよ。これからは覚悟してね」
かつて村で暮らしていた頃と同じような屈託のない笑顔を見せるエリスに、アレンは不安や恐れといった感情がすっかりどこかに飛んで行ってしまったことに気付いた。
すべてを失い、これから先に待つのが明るい未来ではないことは分かり切っている。
それなのに、根拠なんて何もないがすべてが何とかなる気がしてきた。過ちに対する償いも、まだ間に合うような気がして、解決できる気がした。
そんな希望をくれたのは、これまで一途に彼を想い、傍にいてくれた一人の幼馴染だった。
「ありがとう、エリス」
アレンがその手を握り返すと、エリスの頬を一筋の涙が零れ落ちた。
こうして二人は、ようやく自分達を苦しめていた長き呪縛から解き放たれたのだった。