第六十七話 選ばれなかった者
まるで鍵の守護者のように見えるドラゴンへと変貌したアレンを、その場にいた全員が見上げていた。
「な、何なのよこれ……どうなっているの……?」
「竜に、なった……」
盗賊のフィオーネが、驚愕と恐怖が入り混じったかのような顔でその巨体を見つめていた。魔術師のドロテアも、恐ろしさからかその場で体を震わせながら硬直している。
通りからは沢山の人々の悲鳴が聞こえ始めている。誰もが突然現れたドラゴンを見てパニックに陥り、我先にと逃げ出そうとしているようだ。
「あ、ああ……もうトラスヴェルムはおしまいだ!」
ドルトスはそう叫ぶと、他の人々と一緒になって走っていった。
「アーク様……あれは」
ファティナがドラゴンと化したアレンを見据えながら呟く。あれこそが、恐らく鍵の守護者本来の姿なのだろう。
「まるで俺達が緑翠の迷宮で戦った守護者のようだ」
「まさか、鍵そのものに守護者を生み出す力があるなんて……」
メルも険しい顔をしながらドラゴンを見ていた。
「すまない、こうなるとは思わなかった」
「いえ……どうか謝らないでください。仮にあの時選択を迫られる役が私だったとしても、同じことをしました」
だが、この事態を引き起こした責任は、鍵を渡した俺にある。
まったく予想していなかった出来事だが、こうなってしまった以上は被害が広がる前にアレンをなんとかするしかない。
先程『インサニティ』を発動させたが、効果が及んでいるようには見えなかった。ステータスにそれほど差がないためか、もしくはレイスのようにそもそも何らかの耐性があるのか。
「い、いや……お願い……助けて……」
その時、ドラゴンの足元から聞き慣れた声がした。
見れば、あと少しでも動けば踏み潰されてしまうようなその場所で、リーンが地面にうつ伏せに倒れながら助けを求めて手を伸ばしていた。
「今助けます!」
倒れているリーンに向かってファティナが走る。
だがその直後、急にドラゴンの大きな頭がその向きを変えて──青い宝玉のような瞳が俺達を睨んだ。
『──ようやく体が馴染んできたぞ』
こちらに向けて獰猛な顎が開かれると、その奥に水色の輝きが満ちていく。
──直感的に、防がなければと体が動いた。
「《デス》!」
俺は二人をかばうように間に割り込み、右手をかざす。
ドラゴンの口から放たれた水色の波動に向けて即死魔術を発動させる。
《デス》の漆黒とドラゴンの吐く波動が互いにぶつかり合った点を中心に、黒い瘴気で形作られた障壁が発生した。
リッチを倒して得た能力である『ミアズマウェイブ』の効果によって、瘴気の壁が現れたのだ。
「ア、アーク……」
「ファティナ、今のうちにリーンを連れていってくれ」
「はいっ!」
ファティナがリーンを両手で抱え、エリス達がいる場所まで連れて行った。
攻撃を防いだ後、自分のステータスを表示する。
魔力の数値を確認すると『MP:14000/15000』となっていた。
『ミアズマウェイブ』の効果により、攻撃を防いだ分だけ魔力を消費したようだ。
魔力消費量と攻撃の変換割合は不明だが、1000もの魔力が一気に消費されていた。
そもそも【即死魔術】スキル自体が相手を倒すためのものであるため、神官の《プロテクション》などに比べれば効率は悪いのかもしれない。そう何度も使うことはできないだろう。
『その力、やはり貴様は何かがおかしい……だが、今となっては私のほうが上だ!』
波動を放つのを止めたアレンは、今度は分厚い鱗に覆われた長い尻尾を振り、薙ぎ払いを繰り出した。
迫りくる尾を上に跳躍して避ける。
尻尾は路地に立ち並んだ建物にぶつかると、それらをあっさりと粉々に破壊していく。それによって生じた粉塵で視界は白に包まれた。
「アレン、どうしても戦うというなら俺が相手になる」
『お前が私の相手をするだと? ククク……面白いことを言う』
アレンはその巨体をこちらに向け、白煙の中で光る目を細めた。
『この力は、最早レベル上限やスキルなどという理を超越している。……今ならば分かる。これが、私が求めていた答えだ。私こそがこの世界の王となるに相応しい、神に選ばれた上位の存在だったのだと』
アレンはまるで歓喜するかのように再び咆哮を上げる。
『もう誰も私を止めることはできない。見せしめに、この都市を破壊し尽くすとしよう』
「そんな……アレン……」
エリスがすっかり変わり果てたアレンに向かって呟く。しかし、アレンはただ唸り声を返すのみだった。
俺はアレンと対峙しながら、腰に下げたミスリルの剣を抜き放つ。
どうしてそこまでして奴は上位の存在になりたいと思うのか──その理由は分からない。一つだけ確かなのは、最早説得の余地はないということだけだった。
「何だこれは……どうしてエルダークラスのドラゴンが都市の中に現れている!?」
頭上から、困惑する声が聞こえた。
声の主は、自らのドラゴンに乗っている王国騎士のイリアだった。『インサニティ』の能力から解放され、駆け付けたようだ。
アレンは大きな青い瞳をぎょろりと動かし、イリアの方へと視線を移した。
互いの大きさを比べれば、イリアの駆るドラゴンはまるで子どものようだ。
『フン、王国騎士か……最早お前達にも、国王にも媚びへつらう必要はない。この力があれば、クレティアなど容易く壊滅させられる』
「なんだと!? お前はいったい──」
「イリア! 逃げてください! そのドラゴンは冒険者アレンです!」
「姫様! 今そちらに──ッ!?」
アレンが空中にいるイリアに向けて紫色のブレスを吐いた。ドラゴンの能力で、毒のようなものを巻き散らせているのだろう。
イリアはそれを器用に飛び回ってかわしながら、弓を構え頭部目がけて矢を放つ。
放たれた黒い矢は頭の硬い鱗に突き刺さりはしたものの、貫くには至らなかった。
「ダメか! ならば──狙えルルエ!」
イリアの乗るドラゴンの口が開かれ、その先に輝く光球が形作られはじめた。光球がある程度大きくなると、そこから無数の光の波動が放たれて曲線を描きながらアレンへと向かっていく。
だが、波動がアレンの身体に命中するかと思われたその瞬間、青く輝く障壁が行く手を阻み、そのすべてを弾き飛ばした。
「魔術防御かっ!」
『ハハハハ! かつてドラゴンと対峙した時には私も悩まされたが、使う側になるとこんなにも便利だとはな』
アレンは再び翼を大きく広げ、こちらを嘲笑うかのように羽ばたく。
魔術防御が使えるということは、守護者達と同じような力を有している可能性が高い。
「ふっ!」
次の瞬間、ファティナが隙を見て剣から斬撃を放つ。元々アレン本人のものだった剣技だ。
斬撃は竜の前足へと飛んでいき――当たった途端に霧散した。
「えっ!」
『まさか私の剣技を一度見ただけで模倣するとは……。だが、たとえ貴様がレベル上限100でも、この力の前では無力だ!』
アレンが前足を振るう。真白な竜爪がギラリと光り、ファティナに迫る。
「《デス》!」
竜爪に向けて即死魔術をぶつける。瘴気の壁が展開され、ファティナに当たる前で止まった。
しかし、魔術防御があるせいか直接本体に《デス》が当たることはなく、アレンの攻撃を受けるだけに終わった。
『【即死魔術】だったか? その程度では私を止めることなどできはしない! これはどうだ!』
アレンの翼の周囲に何百という氷の槍が形成され、地面に向けて撃ち出される。
降り注ぐ氷槍の範囲にはフィオーネ達まで含まれてしまっていた。最早、かつてのパーティメンバーに攻撃が当たることすら気にしていないようだ。
「そんな! 私達まで巻き込むつもり!?」
「皆さん! 持ちこたえてください! 光よ、かの者を守る盾となれ──《プロテクション》!!」
メルがその場にいる全員にプロテクションの魔術をかける。
飛来する氷槍を、フィオーネは避け、エリスは大盾で防ぎ、ファティナはメルとリーンの前に立って剣で弾いた。
「姫様!」
イリアが近くを飛び回り、乗っているドラゴンの魔術防御を展開してメルを守る。
「……炎よ、渦巻く猛火となれ──《ファイアストーム》」
そんな中、ドロテアの詠唱とともに俺達の眼前に炎の渦が出現した。燃え盛る炎が壁となり、氷槍がこちらに来るのを妨げた。
『ハハハハ! この体は魔力が湧き出てくる! いつまでもつのか楽しみだ! ────グオアアアッ!』
今まで人の言葉を話していたアレンが、急にモンスターのような雄叫びを上げ始めた。
「ア、アレン!? どうなってしまったの……?」
「もしかしたら、鍵の力に意識を奪われつつあるのかもしれません」
「そんな……」
呆然とするエリスに対し、メルが説明を加える。だとすれば、アレンはもう完全に鍵の守護者となってしまったのだろうか。
「お願い……どうかアレンを……助けて」
エリスが俺に向かって囁いた。
その言葉にどんな意味が込められているのかは分からない。
ただ一つ言えるのは、ここでアレンを倒さなければならないということだけだ。
地面を蹴り上げ、全力で駆ける。
俺の接近を感知したのか、アレンは後ろ足で立ち上がった。
その時、竜の腹にある心臓部分で、流水の鍵が青く輝いているのが見えた。
『グオオオォォォ!!』
竜の口から再び放たれる水の波動を空中に大きく跳んでかわすと、それに合わせたかのように氷の槍が飛んできた。
それを剣で切り払い、粉々に破壊する。
「破滅よ、全てを食らい無へと還せ──《ルイン》」
《ルイン》が発動する寸前に、刀身が漆黒に染まったミスリルの剣を鍵めがけて思い切り投擲する。
剣は腹にぶつかる手前で魔術防御の障壁に阻まれた。そして、そこから死神の姿が生まれる。
破滅属性の即死魔術──《ルイン》が発動したのだ。
『ギュアアアアアアアッ!』
鎌が鍵めがけて振るわれると、アレン──いや、流水の守護者は途端に苦しみ暴れ出した。
『なっ……バカな……この魔術は──私の魔術防御が……力が消えていく──』
「アレン、これ以上──俺から奪うな」
火花を散らしながら、徐々に刃が障壁へとめり込んでいく。
「そんな……この力は最強であるはずだ──私は選ばれて──」
次の瞬間、障壁は硝子が砕けるような音を響かせて壊れ、それと同時に鎌の切っ先が流水の鍵にぶつかった。
『────』
途端、守護者は声にならない声を上げ、全身から光を放つ。
目が眩むほどの閃光が辺りを包み込んだ。
「くっ……アーク様! これは……!」
その場にいた全員が思わず腕で顔を覆う。
そうして光がゆっくりと収束した後には、地面にアレンがただ一人倒れていた。
「ドラゴンが、消えた……?」
「う……」
「アレン!」
エリスがアレンのもとに駆け寄る。
アレンの身体はかろうじて動いていた。《ルイン》で鍵を狙ったせいなのか、即死魔術の対象とならなかったようだ。
やがて、空からゆっくりと流水の鍵が落ちてきて、俺の目の前で止まった。手をかざして鍵を回収する。
「……終わったんですね」
ファティナとメルが近くまでやってきて、辺りを見回す。戦闘の余波で周囲の建物は壊れ、ひどい有様だった。
「ああ」
建物が崩れ、すっかり見通しが良くなった瓦礫の山の近くでは、フィオーネやドロテアが呆然と立ちすくんでいる。
そして──座り込みうなだれていたリーンの姿を見た時、
「私は……選ばれてなんていなかったんだ……」
ぼそりと、ひどく後悔しているかのような呟きが聞こえた。




