第六十四話 平和な祝宴
俺達が冒険者ギルドから戻ったその日の夜、クラウ商会の所有する館では流水洞穴の攻略を祝う宴が催された。
「ダンジョンを攻略した若き冒険者達に! そして、トラスヴェルムの未来と商人達に! 乾杯!」
「乾杯!!」
エリオットが高らかに告げると、音楽家達による演奏が始まり、気品溢れる音楽が一階の大広間全体を包み込んだ。
「おお……」
長い食卓の上に所狭しと並べられた豪華な料理を見つめながら、ファティナが尻尾を振って目を輝かせている。
どの料理も見るだけで分かるほどの逸品ばかりで、辺りには食欲をそそる良い香りが漂っている。
ファティナもメルも、普段着ている服とは違うものに着替えている。
メルはいつもとあまり変わらないが、ファティナに関しては白のブラウスに長めの茶色いスカートだ。初めて森で出会った時に着ていた服装に似ている。商会が用意してくれたのだろう。
ファティナは「いただきます!」と宣言してナイフとフォークを握りしめると、料理を取り皿の上に乗せ始めた。そうして肉汁が滴る分厚い肉を一番に頬張ると、途端に蕩けたような、恍惚としたような表情を浮かべた。想像以上だったらしい。
「料理の方はお口に合いましたかな? どれも料理人達が腕によりをかけて作ったものです」
そんな彼女のすぐ後ろから、先程乾杯の音頭を取っていたエリオットが現れて声を掛けてきた。
「はい! 今まで食べたことがないぐらい本当に美味しいです!」
「ハハハ、お気に召されたようで何よりです。どうぞ遠慮なさらずにお召し上がりください」
「ありがとうございます、エリオットさん。この魚料理も本当に美味しいです」
「そう言っていただけると、料理人達もさぞ喜ぶことでしょう。そして、いずれの料理も我々が遠方から仕入れた珍しい香辛料の数々をふんだんに使っております」
二人から言われてエリオットも自慢げだ。彼は知る由もないが、王女であるメルが褒めたのだからこれ以上の賛辞はないだろう。
「今回の件では、本当に皆さんに助けられましたな。トラスヴェルムの代表の一人として、どうか御礼を言わせていただきたい」
エリオットは俺達に向かって丁寧にお辞儀をした。
彼は俺達がダンジョンを攻略しようとしていた理由を知らない。だから、自分だけが助けられた立場だと思っているようだ。
「いや、俺達には俺達の目的があってダンジョンに入ったに過ぎない。それに、チェスターの協力がなければ攻略はできなかった」
つまりはお互い様なのだ。
俺がそう言うと、エリオットは頭を上げてから肩をすくめた。
「そう言っていただけるとありがたい。私もまさか、騎士でも冒険者でもないチェスターがダンジョンの下層までついていくとは思ってもみませんでした。息子を守っていただき、重ね重ね感謝致します」
「いえ、こちらこそチェスターさんを巻き込むような形になってしまい、申し訳ありません」
メルが言葉を返す一方、ファティナは会話を聞きながらてきぱきと料理を口に運んでいた。【剣聖】のスキルは食事のナイフ捌きにも活かされるらしい。
そんな彼女の姿を見て、二人は顔を見合わせて笑った。
「ハハハ、おかわりも沢山用意してありますから、焦って食べずとも大丈夫ですよ。それでは私は挨拶に行きますので。今夜はどうか、心行くまで楽しんでいってください」
エリオットはそう言って、俺達から離れて別の客達の輪に混ざっていった。
「んぐっ!?」
急にファティナが胸元を叩きながら、テーブルに置いてあったグラスを手に取って一気に飲み干した。
「ぷはーっ! この飲み物もおいしいですね!」
よくよく見ると、彼女が飲んだのは葡萄酒だった。またボルタナの酒場の時みたいにならなければいいが……。
「ふう……」
料理を皿にとりながら、大広間全体をひとしきり見回す。
屋敷の大広間は宴に呼ばれた大勢の客達でごった返している。
客と言っても様々で、上品な服で着飾り、奥の広い場所で演奏に合わせて舞踏をする人間もいれば、ごく普通の身なりで大声で商人を讃える歌を歌って騒ぐ者もいる。
それらが混ざり合って一つの場所に集っているのは、何とも不思議な光景だった。
エリオットは貴賤にかかわらず、沢山の知り合い達を呼んだらしい。こうして見ているだけでも、彼がいかにトラスヴェルムの商人達から慕われているのかがよく分かった。
「……メルさん! 私達も踊りましょう!」
「えっ? あっ、ファティナさん!?」
案の定、すぐに酔っ払って顔が真っ赤になったファティナがメルの手を取り、前に出て踊り始めた。
もしかしたら、住んでいた村ではよく踊ったりしていたのかもしれない。
「ちょ、ちょっと! 落ち着いてください!」
と思ったが、ファティナがメルの背中に手を回してその場でひたすらくるくると回っているだけのように見える……。
それを見ていた客達からは、沢山の笑い声が聞こえてきた。好評で何よりだ。
「どうも、楽しんでますか? アークさん」
そんな不思議な舞をしばらく眺めていたところで、チェスターがやってきた。
彼も着飾るのかと思いきや、白シャツに黒パンツという普段通りの恰好だった。
「ああ、お陰様で」
踊っているファティナ達に視線を移す。すると、チェスターもそれを見ながら笑っていた。
「流水洞穴では色々と助けられた。ありがとう」
「いやいや、私は勝手についていっただけですから。それに、戦闘はからっきしでしたしね」
「戦闘だけじゃない。ギルドで商会の名前まで使って俺達の実力を保証してくれただろう。あと……あの時チェスターがいてくれなければ、ファティナがどうなっていたか」
「ああ、そのことですか」
彼はそう呟いて、顔を伏せながら手に持っているグラスを少し傾けた。
「私は早くに母を亡くしましてね。あの時、もしも治療薬があったなら間に合ったかもしれないと父はよく言ってましたっけ」
チェスターの母親の姿を屋敷内で見掛けたことはなかった。気にはなっていたもののあえて聞かずにいたが、既に亡くなっていたようだ。
もしかしたら、リッチの攻撃を受けたファティナに即座にポーションを使ったのもそういった経験があったからなのかもしれない。
しばらくの沈黙の後、チェスターは「おっと」と声を出し、急に我に返ったように顔をこちらへと向けた。
「折角の宴でしみったれた話をしてしまいましたね。アークさんも一杯どうです? 今日の為に蔵から出してきた上等な葡萄酒ですよ」
「いや、悪いが酒は飲めないから気持ちだけ受け取っておく」
代わりに皿にとりわけた魚料理を口に運んだ。メルが言っていた通り、とても美味しかった。
チェスターは「それは残念ですね」と苦笑しながら、広間の端を見つめた。
彼の視線の先にいたのは、猫人族のトトだ。
トトは他の女性達と一緒に楽し気に話している。彼女もエプロンを外しているだけで普通の服装だ。ドレスを持っていないか、元々あまり着飾らないのかもしれない。
思えば、彼女が気を利かせてクラウ商会に俺達を連れて行ってくれなければこうしてチェスター達と出会うこともなかった。だから感謝しなければならない。
しばらくして、トトはチェスターの視線に気付いたらしく、こちらをちらりと見て微笑んだ。そんな彼女に、チェスターははにかんだような笑顔を返すだけだ。
「話をしに行かなくてもいいのか?」
思うに、チェスターには彼女に色々と話すことがあると思うのだが。
しかし、彼は「うーむ」と唸るだけで行動に移そうとはしなかった。
「……ダンジョンの奥に向かうよりもよっぽど勇気が要るかもしれませんね」
言いながら、チェスターはぽりぽりと指で頬を掻いた。どうやらこの仕草は彼の癖らしい。意外と及び腰のようだ。
……いや、少し前までは俺も彼と同じだったか。
「そういえば、アークさん達はあとどのくらい滞在するので? 何なら、トラスヴェルムを拠点に生活されてはいかがですか? 屋敷は自由に使っていただいて結構ですよ」
「それはありがたいが、あまり長くは居られないんだ」
「……そうですか。いや、分かっていてわざと聞いてしまいました。すみませんね」
俺達にはクレティア国王よりも先に三つの鍵を集めるという目的がある。
それはチェスターにも説明したことだ。だから、それが終わるまではゆっくりしていられない。
本当なら、最後の鍵がある『炎熱回廊』に向かうため、すぐにでも三人で明日からの事を相談しなければならないだところだが……。
そう思って広間の奥を見やると、さっきまで踊っていたはずのファティナは敷かれている絨毯の上で猫のように丸まってすやすやと寝息を立てていた。
その横では、メルが周囲からの失笑と視線を浴びながら、顔を両手で覆っていた。
「……」
仕方なく、寝ているファティナを抱えて二階にある彼女の部屋まで運んだ。
その後は、エリオットとチェスターに言って早めに休ませてもらうことにした。
まだまだ続くであろう宴の音を聞きながら、自室のベッドに寝転がって目を閉じる。
明日は、これからのことを二人と話し合うことにしよう。
だから、これ以上は何も起こらずにいてほしかった。




