第六十二話 帰還
それから程なくして、ファティナの治療が終わった。彼女の顔はすっかり血の気が戻っていて、いつも通りの見た目だ。
「もう大丈夫です! ご心配をお掛けしました!」
ファティナは座り込んでいた状態から勢いよく立ち上がると、二人に向かって頭を下げてから、地面に落ちていた剣を慣れた手つきで鞘へと戻す。
強力な鍵の守護者の攻撃を直に受けたにもかかわらずこれほどまでに回復が早かったのは、チェスターが持っていた特別なポーションが効果てきめんだったのに加えて、メルが治癒魔術をかけ続けてくれたおかげだろう。
更に、戦闘開始と同時にかけた《プロテクション》と、瘴気を祓った《ディスペル》も効果があったに違いない。ドレインタッチによる生命力の消失があと少し続いていたら、ファティナはどうなっていたか分からなかった。
「本当に、間に合ってよかった……」
メルはうっすらと目に涙を浮かべながらファティナのことを見つめている。よっぽど心配していたのだろう。
そんな彼女にファティナは「メルさんのおかげで元気ですっ」と弾むような声で返していた。
「ふう……恐ろしい相手でしたが、なんとか勝つことができましたね。私にもスキルがあれば戦えたのですが、申し訳ない」
チェスターは自分に戦闘に加わる力がなかったことを気にしているようだ。だが、戦うことだけが全てではないと思った。
「いや、礼を言うのはこちらの方だ。チェスターの【転移魔術】が無ければ俺達はここに来ることすらできなかった。それに、あのポーションはかなり高価なものだったんじゃないか? 使わせてしまってすまない」
チェスターが使ったポーションは俺達が用意してもらったものとは別枠の、滅多に手に入らないような代物ではないのだろうかと思う。それを惜しげもなく使ってくれたのだから、感謝しなくてはならない。
「いやいや、どうか気にしないでください。こういう時のために持ってきておいたのですから、お役に立てて何よりですよ」
二人のやりとりを横で見ながら、チェスターは安堵の表情を浮かべている。
確かに彼の言う通り、強力な守護者との戦いはすんなりと行ったことは一度もない。
メルが以前にも話していたように、俺の持つ【即死魔術】スキルのような例外を除けば普通のパーティで鍵の守護者達を倒すことはほぼ不可能に思える。あのリッチと距離を詰めることができたのは、俺のステータスがこれまでの戦いで大幅に上がったからだ。
そして、強力なモンスターと戦う場合において安定感に欠けている原因の一つは、このパーティに盾役がいないからでもある。
モンスターの意識を集中させることができないということは、一人一人が攻撃を受けることを想定して行動する必要があるということだ。それはあまり効率が良いとは思えない。以前一時的にパーティを組んだリオネスのように、敵を引きつける特技を持つパーティメンバーがいたならばまた違った戦い方もできたはずだ。
そして、そんな役割を持つメンバーがいない現状では、盾役のように動くべきなのは四人の中でステータスが一番高い俺だ。
即死魔術が成功すれば戦闘は終わる。だが、それに注力し過ぎては駄目だ。今後はファティナやメルが攻撃を受ける可能性があれば、すぐに守りに入る。そのために怪我をするなら、それでもいい。
「さて、これが例の『鍵』とやらですか?」
空中に浮かんでいる【流水の鍵】と思しき物体を、チェスターが距離を取りながら眺めている。得体の知れないアイテムなので、触るにはいささか抵抗があるようだ。
「はい、これが【流水の鍵】で間違いないと思います。皆さんのおかげで、こうして手に入れることができました」
「やりましたねメルさん! これで二本目です!」
ファティナがメルの手を両手で握った。彼女に対して、メルはしっかりとうなずいてみせた。
「この鍵はアークさんに預かっていただいてもよろしいですか」
「ああ、分かった」
今現在、もう一つの鍵である【緑翠の鍵】を所持しているのは俺だ。奪おうとしてくるような相手が出てこない限りは、分散させずに一緒に持っておいた方がいいだろう。
鍵に向かって手をかざす。すると、鍵は瞬時に消えて俺の体と同化した。特に違和感がないのも以前と同様だった。
『【流水の鍵】の力により、ステータス上限を解放しました』
またメッセージが表示される。鍵の持つ力により、ステータス上限が解放されたので再び『魂の回収』の効果で成長することが可能になったようだ。
しかし、前から思っていたがこのメッセージに表示される内容は不思議だ。一体どこから鍵の名前などを得ているのかすら分からない。鍵が持つ何らかの情報を読み取ってでもいるのだろうか。
レベルアップの仕組みといい、様々な部分に妙な違和感があるせいか、まるで自分のスキルには思えないのだった。
「大丈夫だ。鍵は本物だった」
「おお、よかった! 鍵も手に入り、ウィオル商会に先んじてこのダンジョンを攻略できました。早速トラスヴェルムに戻りましょう!」
気付けば、閉まっていたはずの部屋の扉は入ってきた時と同じように開いている。俺達は部屋を出て、来た道を戻り始めた。
下層の帰り道は、しばらく歩いてもモンスターが現れることはなかった。守護者を倒したことで、このダンジョンに留まらなくなったのだろうか。
リッチの影響によるものか、多かったアンデッド達の影も今は消えているように思える。
そうして、このダンジョンで唯一転移魔術を使うことができる小部屋まで戻ってきた。
扉を開けると、先程通過した時にいた男──アレンのパーティと行動していた【転移魔術】スキルを持つ魔術師がいなくなっていた。
下層で戦った後、負傷したアレン達はトラスヴェルムに帰ったのだろう。今はどこで何をしているのかは分からないが、少なくとも彼らがウィオル商会に雇われる理由はもうなくなったはずだ。
俺達はチェスターの転移魔術で再び中層に戻った。中層もすっかり静かになっていて、ただあちこちから水が流れる音が聞こえてくるだけだった。
そのまま上層まで歩き、ダンジョンの入口まで戻った。外はうっすらと明るくなりだした頃だった。下層の薄暗い場所にしばらくいたせいか、それでも少し眩しいぐらいに感じる。
ダンジョンの中で魔力を回復するポーションを飲んでいたチェスターは魔力が十分に回復したようで、すぐに転移魔術を使ってトラスヴェルムに転移してくれた。
クラウ商会の商館前に出ると、やっと全員が肩の力が抜けたように安心した表情をしていた。
「チェスター! 無事だったか! 一体どこに行っていたんだ!」
商会の扉を開けると、すぐにエリオットがこちらに駆け寄ってきた。その表情からは普段の聡明さが失われていて、代わりにひどく疲れて憔悴したような顔をしていた。普段であればまだ人々が起きているような時間ではない。彼はずっと、寝ないでチェスターの帰りを待っていたのかもしれない。
「父さん、ご心配をお掛けしました。今、ダンジョンの探索から戻ってきたところです」
「ダンジョンに入ったのか!? 何と無謀なことを……!」
「何も告げずに出て行ってすみません。ですが、アークさん達と一緒にダンジョンを攻略しました。これでウィオル商会の暴挙も落ち着くでしょう」
「!! そ、それは本当か! でかしたぞチェスター!」
エリオットはチェスターの両肩に手を置いて彼と共に笑い合う。
「チェスターさん、良かったですね!」
「これでこの都市も、少しは平和になるでしょう」
親子の姿を見ながら、ファティナとメルも顔を見合わせて笑っている。
俺達は鍵を手に入れ、彼らもトラスヴェルムの平穏を再び得ることができることだろう。様々な問題はあったが、その分多くのものを得ることができた。
ステータスを開く。
右下の枠には、冠を付けた骸骨のシンボルが追加されていた。それを指で軽く触れる。
『ミアズマウェイブ:リッチから得た能力。即死魔術が瘴気を生み出すようになり、攻撃を防ぐことができるようになる。防いだ攻撃の威力に応じて魔力を消費する』
「さあ、皆さん。長くダンジョンにいたのですからお疲れでしょう。どうぞゆっくりとお休みください。そして、今夜は大勢呼んで、盛大に宴を開くことにいたしましょう!」
エリオットの言葉に甘えて、俺達は戦いの疲れを癒すことにした。今日のところは全員が疲弊している。冒険者ギルドへの報告などは、また改めて行うことにしよう。残る鍵は、あと一つだ。




