第六十話 流水洞穴の最奥にて
目の前にある背丈の二倍はあろうかという白い石で出来た扉は、俺達が【転移魔術】によって下層に転移してすぐの部屋にあったものと酷似している。
「ふむ、明らかにこれまでの遺跡とは異なる雰囲気を感じる扉ですが……アークさん、どうしますか?」
「多分、ここが下層の最深部だろう」
数歩前に進み、扉に触れる。すると突然体の内から翠色の光が溢れてきた。
「アーク様! 大丈夫ですか!?」
ファティナが慌てて俺の傍にやってきて、心配そうに体のあちこちを触る。
だが体に変調をきたしているわけでもなく、俺にも何が起こっているのかよく分からない。
「恐らくですが、鍵同士が共鳴し合っているのだと思います」
メルが俺の体から生じる光を眺めながら説明する。
つまり、鍵はもうすぐそこにあるということなのだろう。
しばらくすると発していた光は消え、また周囲に薄暗さが戻ってきた。
「だとすると、この先に【流水の鍵】があるということか」
「はい。そして守護者もいるはずです」
メルによれば【緑翠の迷宮】、【流水洞穴】、【炎熱回廊】の三迷宮にはそれぞれ鍵の番人たる守護者が存在するという。
「なるほど。それでその守護者というのは、いったいどれほどのものなのですか?」
「前のダンジョンでは、大きな緑色のドラゴンでしたね」
「ド、ドラゴンって、あのドラゴンですか? まあ、アークさん達ならきっと大丈夫ですよね。ハハハ……」
チェスターが笑いながら顔を引きつらせた。
リュイン達と訪れた【緑翠の迷宮】では、守護者はSランクモンスターのドラゴンだった。
ふと、もしかしたら守護者は必ずドラゴンの姿で現れるのかもしれないと考えた。
どうしてそう思うのかといえば、ドラゴンというのはモンスターの中でも長命な種族であり、中には何千年も生きる者もいると聞くからだ。
そういったものはエルダードラゴンや古代竜などと呼ばれ、ドラゴンの中でも一際強い力を有するという。まさに鍵の守護者としてはうってつけだ。
だが疑問もある。そもそも大昔の人間が作り出したはずの迷宮において、どうしてモンスターが鍵を守っているだろうか?
「アーク様、どうしますか?」
「どのみち鍵は回収しなければいけない。行こう」
左右に手を置いて両腕に力を込めると、扉は軋んだ音を響かせながらゆっくりと開いていく。
広がった隙間から生温かい風が強く吹き抜け、砂埃が巻き上がる。
長い間、この扉は開かれていなかったようだ。
扉の先はまた大きな部屋に繋がっていた。
部屋、といっても天井も床も一切手を加えられていない。ただくり抜いて作ったという感じの殺風景な場所だった。
中には光源があるわけでもないのに見渡せるくらい十分に明るい。
岩肌の地面の先には扉と同じような材質の白い祭壇らしきものが一つだけぽつんと置かれているだけで、それ以外には何もない。
四方のうち、祭壇の奥だけは大きな池の様になっていて、水音が聞こえる。
「んん? 何もいないように見えますね。もしかして、既に誰かが守護者を倒したという可能性は?」
「いえ……鍵が共鳴したのでまだ中にいるはずです」
「とりあえずは調べてみるしかなさそうだ」
全員で部屋の奥へと進み、祭壇を調べる。
しかし、何もない。
「うーん、何もないみたいですけど」
「いえ……そんなはずは……」
全員で不思議に思っていたところで、突然俺達が入ってきた白い扉が大きな音を立てて閉まった。
「あっ!? 扉が!」
チェスターが急いで引き返し、体当たりをして扉を開けようとするがびくともしない。
そういえば緑翠の迷宮でも同じようなことがあったのを思い出す。
確かあの時も建物の扉が閉まり、リオネスがどんなに力を込めても開かなかった。
「アーク様! レイスです!」
池の方からはレイス達が壁を通り抜けるようにして現れていた。
その数は見えるだけで四体。いずれもゆらゆらと空中を漂いながらこちらへと向かってくる。
「い、いっぺんに四体も!? いったい何が起こっているんだ!?」
チェスターが急いで俺達の方へと戻って来る。
「光よ、かの者を守る盾となれ──《プロテクション》」
メルが《プロテクション》の魔術を唱え、全員にかける。もう魔力消費を気にしている場合ではないと判断したのだろう。
レイスの特殊能力により周囲が暗くなるが、メルの魔術のお陰か体調への変化は感じていない。
レイスは身を包んでいるローブで《デス》を掻き消すため、接近戦に持ち込むしかない。《ルイン》を使えば倒せるかもしれないが、著しく体力と魔力を消耗するため守護者が現れていない今の時点で使うのは得策とはいえないだろう。
そうこうしているうちに、レイス達は俺達を囲うようにして四方から徐々に距離を詰めて来る。
すかさず、俺は『インサニティ』の能力を発動させた。
ところがレイス達は、シー・サーペントやアレン達のように苦しむような素振りを一切見せない。効かないのか?
『インサニティ』はレイス達には効力を発揮しないとしか考えられない。全てのモンスターに効くわけではないようだ。
『オオオ──』
そうこうしているうちに、一体が速度を上げてファティナに接近してその手を伸ばす。
だが、ファティナはそれを抜き放った剣で上手くタイミングを合わせて斬り払う。
『オオオオオ!!』
するとレイスの霊体の腕が斬られて空中で霧散した。レイスは悶えるように体を左右に激しく揺さぶっている。
どうやら彼女の持つ剣はゴーストに対しても効果があるようだ。
「はッ!」
その瞬間を見逃さず、再びファティナが剣を振るった。
飛ぶ漆黒の斬撃、アレンの動きを真似たあの技だ。
漆黒の刃は地面を這いながら、レイスに向かって突き進んでいく。
レイスは身を守ることすらできず、その一撃をもろに受けると空中で消滅した。
「や、やった!」
俺もドレインタッチを受ける覚悟で別のレイスに接近し、剣でその体を思い切り突き刺す。
レイスが両手で俺の首を掴む。また段々と命がすり減っていくかのような感覚に襲われるが、構わずに【即死魔術】を放つ。
「《クアドラプル・デス》」
防御できないまま即死魔術を受けたレイスは、断末魔の声を上げながら同じようにして消え去った。
「!! ────オオオオオオオ……」
すると残った二匹は急に俺達から離れ始め、すうっと壁の中へと消えていった。
「レイスが逃げていきます!」
「きっと私達に恐れをなして逃げ出したんですよ!」
それにしても妙にあっさりとレイス達は逃げて行った。いくら勝てそうにないからといって、アンデッドがそんな行動をとるものだろうか。
──剣を鞘に納めたところで、急に寒気がして体が震えた。
また池の先から何かがこちらに寄ってくるのを感じる。俺だけではないようで、全員が同じように池の先を見つめていた。
やがて輪郭が見えてくると、空中に骸骨の顔をしたアンデッドの姿が浮かび上がった。
アンデッドは頭に鉛色の冠を付け、眼窩から蒼い光を放っていた。
身に纏っている灰色のローブはレイスのようにあちこちがボロボロだが、元々がかなり質の良いものだったらしく、胴体部分には赤だったり金だったりと色のついた装飾が施されているのが見て取れる。
そして、その手には漆黒の長い杖が握られていた。
全身からはアンデッドが放つおぞましい霧──瘴気が肉眼で見えるほどに強く発せられており、これ以上近寄ることすら憚られる。
こんなにも、外見からして絶望を感じる姿に該当する存在は一つしかない。
「……リッチか」
Sランクのアンデッドモンスターであるリッチは、冒険者の間では決してまともに戦ってはいけないとされる相手の一つだ。
リッチはアンデッド化する前は強力な魔術師であり、高位の魔術を扱う。魔力も人間であった頃に比べて遥かに高まっているという。
流水洞穴にはゴーストタイプのアンデッドが多数存在していた。
レイスやシェイドが大量にいる時点で、警戒しておくべきだったのかもしれない。
「リ、リッチだと……まさかこいつが鍵の守護者だというのか……?」
チェスターが宙に浮いているリッチを凝視しながら呟く。
リッチはふわりとした動作で祭壇のすぐ前の地面に降り立つと、ゆっくりと杖を振りかざした。
「ファティナ! メルを抱えて後ろに飛べ!」
「はいっ!」
叫んでからすぐに、俺はチェスターを肩で持ち上げるようにして後方に大きく跳ぶ。
「うわっ!?」
その直後、俺達が立っていた位置で巨大な火柱が発生した。
チェスターを降ろし、剣を抜き放つ。
「そんな……守護者がアンデッド化している……?」
メルが愕然とした顔でリッチを見つめる。
リッチはただ、真っ黒な眼窩に宿る蒼く光る眼を、静かに俺達へと向けていた。




