第五十八話 リーンの後悔
アーク達のパーティが去った後──流水洞穴の下層でリーンはただ一人呆然と立ちすくんでいた。
「う、うう……ああ……」
彼女のすぐ近くでは、パーティメンバーが地面に倒れながら呻き声を上げている。
魔術師のドロテアに至っては一撃もアークの攻撃を受けていないはずなのに、エリスやフィオーネと同じように倒れたまま苦しそうに荒い呼吸を繰り返していた。
リーン自身も最初は恐怖と共に奇妙な倦怠感に襲われたものの、今は回復しておりふらつきもなくなっている。
原因は、アークの能力である『インサニティ』が範囲内に入っていたアレン達に向かって発動したためだ。
リーンは少し離れた壁に視線を移す。青い瞳に映ったのは、地面に倒れているアレンだ。
アークの持つミスリルの剣によって斬りつけられたアレンは、下層の壁に激しく叩きつけられて気絶している。
真白で曇り一つなかった彼の鎧には胴体を斜めに両断するように斬りつけられた大きな跡が残っているものの、肉体までは達していなかった。鎧が彼の命を救ったのだった。
「……」
この惨事を前に、リーンの頭に思い浮かんでいるのは『どうして?』という疑問だけだった。
レベル上限1という最弱の冒険者だったはずの幼馴染、アーク。
あの時冒険者になるためにアークと共にボルタナを訪れたリーンは、漠然と『このまま私は彼と一緒にいるのだろうな』と思っていた。
別にリーンはアークの事を嫌っていたわけでもないし、もしもアークから何か言われたら素直に受け入れていただろう。
だが、そんな気持ちは冒険者ギルドで能力鑑定を行った時を境に変わってしまった。
自分はレベル上限80。そして、優秀なスキルを3つも所有している。
この世界では、レベル上限は70を超えれば英雄になるとされている。上限が80のリーンであれば、誰もが憧れる存在であり最強とされるSランク冒険者になることも夢ではない。
それに対して、アークのレベル上限はたったの1。普通の基準である20や30よりも低い。いや、低いどころではなく最低だった。更に所有するスキルは外れとされる【即死魔術】のみ。
冒険者にとって、レベル上限とスキルは絶対だ。
だからこそ、自分は偉く、そして冒険者パーティにアークのような弱者の席は存在しないのだとリーンは思った。
そんな時に現れたのが、既にSランク冒険者となったアレンだった。
アレンはリーンのレベルを聞いて、すぐにパーティメンバーに勧誘してきた。
その瞬間、リーンはかつてアークと一緒に読んだ冒険物語を思い出した。
何でも無かった村人の少年が冒険者として旅立ち、邪悪なドラゴンを倒して英雄になる話だった。
まるで──自分がその主人公になったかのように錯覚した。
そうしてリーンはアレンのパーティに入った。
それからすぐに装備を買ってもらい、ダンジョンでレベル上げをし、クレティア国王からの依頼を聞かされた。
更には、三つの鍵を集めることができれば貴族に取り立ててもらえるという。
これまで平凡な村人だったリーンにとってはまさに夢のような話だった。
ところが、リーンの順風満帆な人生はボルタナの冒険者ギルドでの一件が起こってから少しずつおかしくなり始めた。
見限ったはずのアークがボルタナを襲った凶悪なモンスターを倒したのだという。
無論、レベル上限1であるアークがそんなことをしたなど、リーンだけでなくアレンのパーティメンバーは誰も信じていなかった。
それなのに、冒険者達はなぜかすっかり信じ切っており、更にはアレンを超えるレベル上限を持つという獣人の娘まで現れアークとパーティを組んでいるという。
あの一件以来、気が付けばアレンのパーティはボルタナでは白い目で見られるようになり、仕方なくトラスヴェルムへと移動した。
トラスヴェルムに着いたアレンは焦るようにして下層に潜ることを提案し、そこに丁度現れたウィオル商会のドルトスと契約を結んだのだった。
下層での戦いは、熾烈を極めた。Aランクモンスターが複数で現れるなど、これまでアレン達も遭遇したことがなかったからだ。
それでも何とか下層のモンスターの数を少しずつ減らしていき、対応できるようになってきていたところでアークのパーティと遭遇し、今に至る。
しかも、今度は冒険者どころかクレティア王国の王女までも彼と一緒にいた。下層にやって来たということは、自分達と同じく鍵が目的なのだろう。
アークの強さはSランク冒険者であるアレン達から見ても異常だった。
人間ではなく、まるでモンスターのようだとリーンは思った。
盗賊のフィオーネが放つ急所への攻撃やドロテアの魔術をあっさりかわし、エリスが後ずさるほどの威力の攻撃を行う。そして怪しげな能力まで行使してみせた。
さらには、何度か見た事があったアレンの剣技すらもアークは容易く避けたのだ。
リーンはアレンの剣技がモンスターに当たらなかったところを見た事が無かった。さすがはSランク冒険者だと感心していたぐらいだ。それをアークが避けたのだから、口には出さなかったもののパーティメンバーは全員驚いた。最早打つ手はないように感じられた。
リーンはアーク達が去っていった先の暗がりを見つめた。
(もしもあの時、私がアークを見捨てていなかったら……)
彼の隣にいたのはあの獣人族の娘ではなく、自分だったのではないだろうか。
そんな風に思ったのだった。
「はあっ……はあっ……い、一体何なのよこれ……」
それからしばらくして、エリスが自力で立ち上がってきた。『インサニティ』の効果が消えたのだろう。
アークに斬られたフィオーネやドロテアも立ち上がる。
そしてアレンもゆっくりと起き上がり、俯きながらおぼつかない足取りで歩き始めた。
「ありえない……私が負けるなど……」
アレンはぶつぶつと独り言を呟きながら立っていたが、やがて顔を上げた。そして──
「私はまだ負けていない。鍵が手に入りさえすればそれでいい……」
そう言いながら、アレンは自分のパーティメンバー達のいる方を見て口元を歪めたのだった。




