第五十五話 下層への到達
「まったく! なんて場所だ! こんなところはすぐに出ましょう!」
ついさっきまでやっと一息つけるだの、もう水に浸かった場所は歩きたくないだのとぼやいていたチェスターは、急に奥へと続く通路へと向かって早足で歩き始めた。
「チェスターさん、急に元気になりましたね……」
一人進んでいくチェスターの後ろ姿を三人で見つめた。
「よく分からないが、そうみたいだな……」
「チェスターさんの仰ることも正しいと思います。水の溜まっている場所の近くには寄らないほうがいいかもしれません。また大型のモンスターが襲ってくるかもしれませんから」
そう言ってメルはシー・サーペントが沈んでいった池を一瞥する。
確かに流水洞穴に来てからというもの、モンスターは水の中から襲い掛かって来るものがほとんどだった。
俺自身はモンスターと戦うことには特に抵抗はない。だが、メルやチェスターはそうではないだろうし、何より魔力を即座に回復するためのポーションの本数には限りがある。
今更だが、池などには近寄らずにさっさと通り抜けることを徹底しよう。
「皆さん! どうかしましたか!」
「いや、何でもない」
俺達もチェスターと合流して、再び下層への道を歩き始めた。
「しかし、ファティナさんの剣技は本当に凄まじいですね。あのシー・サーペントの頭を真っ二つにしてしまうとは。我が商会で雇いたいくらいですよ」
「うーん、私自身もよく分かってないんですけど、なんかこう……どう動けばいいのかが大体分かると言いますか」
チェスターがそう言いたくなるのも理解できる。
ファティナの剣は怖ろしいほどに正確だ。敵によっては弾かれたりすることもあるが、俺は彼女がレベル1の頃から今まで攻撃を外したところを見た事がない。
冒険者となった後、もしも俺とパーティを組んでいなければすぐにでもSランクに昇格していたに違いない。
チェスターと話している彼女に目をやる。
思えば彼女には出会ってからずっと助けてもらってばかりいる気がする。何か俺からも返せるものがあるといいのだが。
そもそもファティナは一体どういったものが好物で、趣味は何なのかであるとか、そういったものを俺は一切知らない。よくよく考えれば、どうして俺について来るなどと言い出したのか理由すら聞いていない。聞こうとも思わなかった。
「あの、アーク様、どうかしました?」
「いや……何でもない」
視線に気付いたのか、ファティナが顔をこちらに向けた。別に何か悪気があったわけでもないのだが、何となく、すぐに前へと向き直った。
そんなことがあった後、ずっと歩いたところで──突然分かれ道が現れた。
今までは一本道だったのに、急に三本に分かれたのだ。
といっても、景色は別段変わった様子はない。壁はずっと石造で、相変わらずそこらじゅう浸水したままだ。
「道が分かれてるようですね……どちらに向かいますか?」
「あっ、左右の道は少し下に向かっているみたいですよ」
「待ってください。確か……」
メルは肩に掛けていた鞄から一冊の本を取り出した。茶色の革表紙の分厚い本だった。彼女はそれを開き、頁に目を通していく。
書いてある文字は、俺達が普段の生活で目にしているものとは全く違う言語で書かれているように見える。
「古文書に記されている通りであれば、真ん中の道の先が下層に繋がる場所です。残りの二つは下に向かいはしますが、違うみたいです」
「なるほど……つまりそこから魔術で転移した先が、本当の下層ということですか! さすがはメル様です」
「メルさんがいてくれて助かりましたね!」
つまり、下に向かう方の道はむしろ間違いという造りになっているというわけか。
「ありがとうメル。お陰で迷わずに済んだ」
「い、いえ。私にできるのはこれぐらいですから」
メルは俺達からの感謝の言葉を受けてか、照れ臭そうにしながら古文書を鞄にしまい込んだ。
そして、彼女に言われた通りに真ん中の道へと進むと少し広めの部屋に到着した。
四方を石の壁で囲まれた部屋の中はがらんとしていて、先に道はない。行き止まりだった。
どことなくだが、ダンジョンの中とは少し雰囲気が違うような気がした。
「あれっ? ここから先は何もないみたいですけど」
「はい、それで大丈夫です。チェスターさん、部屋の中央に立って、普段と同じように転移の魔術を使おうとしてみてください。実際に使う必要はまだありませんので」
「分かりました。メル様がそう仰るのであれば……やってみましょう」
チェスターによれば、ダンジョンの中では【転移魔術】は使えないという。そのため、半信半疑という顔をしながらも、彼は部屋の中央に立って目を閉じた。
そして──急に目を開けて「おお!」と声を上げた。
「本当です! ダンジョンでは転移が使えないはずなのに、ここでは使えますよ!」
「やはりここで合っているようです。通常の【転移魔術】スキルは一度行った場所にしか行けませんが、この部屋は特別で、下層に移動できるようです」
「よかったですね! アーク様!」
「ああ、そうだな」
全員の表情が明るくなった。
そして、チェスターの下へと集まる。
「では、早速転移しますよ! 皆さん、準備はいいですか?」
チェスターの言葉に、三人で大きくうなずいてみせた。それを合図に、チェスターが目を閉じた。転移魔術を使うのだろう。
しばらくして、急に床が青く輝き始めた。見てみると、円の中に見慣れない紋様が浮かび上がって光を放っている。これがこの部屋に仕掛けられた装置か何かなのだろう。
やがて、これまでの転移の時と同じように視界が光に覆われた。
そして光が消えると、急に今俺達がいた部屋とは対照的な白い壁と扉が目の前に現れた。
どうやら無事に下層に転移できたようだ。
「ひっ!? ひいいっ!」
そしてそれとほぼ同時に、後ろの方で誰かの声が聞こえて来た。
「ん?」
振り向くと、白い部屋の中には魔術師の着るような黒いローブをまとい、フードを深く被っている見慣れない男がいた。男は俺達を見ながら、恐れるように部屋の隅まで走って移動した。
「ええと……どなたでしょう?」
「ああっ! こ、こいつは!」
チェスターが男を見て突然大声を出した。
「知り合いか?」
「この男は見た事があるんですよ! ウィオル商会が雇っている【転移魔術】の魔術師です!」
「ク、クラウ商会のチェスターか……ど、どうして貴様がここに……」
魔術師の男はチェスターを見て怯えている。
「やはり、既に下層の探索をしていたのですね……」
メルが男を見つめながら呟く。
ウィオル商会に雇われている魔術師がこの下層にいる理由。それは一つしかない。
「アークさん、こいつをどうしますか?」
「ま、待ってくれ! 俺はただ、ドルトスの旦那に頼まれただけだ! それで、ここで待っているだけなんだ!」
「Sランクパーティを……ですか?」
「そ、そうだ。俺には敵意はない!」
メルの問いかけに、魔術師の男は首を縦に何度も振りながら答えた。
「あんな卑怯な奴に与しておいて、何を今更!」
「ひいいっ! ゆ、許してくれえ!」
チェスターは部屋の隅で縮こまっている魔術師の男に詰め寄った。
ここまで来て、ようやく理解できた。
下層に至るまでの道でモンスター達を倒していたのは、アレン達のパーティだ。
つまり、この先に彼らがいる。
「一人でここで留守番か? いい身分だな」
「そ、そうだ。奴らとはここで待ち合わせをすることになっている。ここはモンスターが入ってこないからな……き、貴様だって、ここで待つんだろう?」
「お前のような意気地なしと一緒にするなっ!」
「ぐはっ!!」
チェスターが思い切り男の顔面を殴り飛ばすと、彼の体は力を失って床に倒れた。どうやら気を失ってしまったらしい。
「ふう……残りは帰りにでもしますよ」
チェスターは赤くなった拳をさすりながら、俺達の所に戻ってきた。
「先に進もう」
俺は目の前にあった大きな白い石で出来た扉を開け放つ。
すると、視界に飛び込んできたのは古い建物が点在する巨大な遺跡だった。
遺跡は大部分が水に浸かっている。建物はほとんどがボロボロで、歩けそうな場所には折れた柱が等間隔で並んでいる。以前は道があったのかもしれない。
緑翠の迷宮のように常に光が差しているわけでもなく、全体的に薄暗かった。
「こ、これがこのダンジョンの、本当の下層……まだほとんど人が入っていないのか……」
「この先に、鍵があるんですね」
「はい……」
全員で辺りをひとしきり見回しながら、先へと歩いていく。
何となくだが、とても嫌な予感がする。
「俺が先に行く。皆は少し後からついて来てくれ。ファティナは二人を守ってほしい」
「は、はい……」
何かが起きるとしたら、全員が巻き込まれてからでは遅い。そう思い、声を掛けておく。
朽ちた遺跡が建ち並ぶ下層は、光が少なく暗い。そんな中を、先に歩いていく。
そして──
「炎よ、爆ぜて我が敵を打ち砕け──《エクスプロージョン》」
ぽつりと聞こえたその声に反応するかのように、咄嗟に後ろに大きく飛び退いた。
次の瞬間、俺が立っていた場所を中心にして──轟音と共に巨大な爆発が発生していた。
「アーク様!?」
「……大丈夫だ」
すぐに近くへとやってきたファティナに言葉を返す。
「ふむ……どうやら逃げ足だけは速いようだ」
聞き覚えのある声が、辺りに響き渡る。
暗闇からゆっくりと姿を現したのは、白く輝く鎧に身を包んだ男──Sランク冒険者のアレンと、そのパーティメンバー達だった。




