第五十四話 水の中の魔物
「こ、これは一体……道が水に浸かっているのか……?」
慌てながら、チェスターは階段の上に待避した。
中層の通路は水浸しで、乗れるような足場らしい足場も存在しない状態だった。
触れている感じでは、水はそれほど冷たくはないので体温を奪われたりすることはなさそうだ。
それに汚れているわけでもないので循環しているのだろう。
「メル、古文書にはここに関する記述は何かあるか?」
「いえ、そこまでは詳しくは書かれていません……ごめんなさい」
「そうか。とにかくこのまま進むしかない」
足を取られるぬかるみに比べればまだマシかもしれないが、戦闘には少なからず支障が出そうだ。
「ファティナは動けそうか?」
「はいっ、これぐらいなら平気です! でも、もう少し水かさが増したら難しいかもしれません」
「魔力を消費するので長時間は使えませんが、もしもの時は私の魔術を使えば水の上を歩けます」
「おお! そんな便利な魔術があるのですか! いやよかった!」
メルには【水属性魔術】のスキルがあるので、そういった魔術を使えるのだろう。
俺の【即死魔術】は戦闘に特化しているため、応用が一切利かないので助かる。
「ありがとう。もしも必要になったらその時は頼む」
「はい、分かりました」
それから全員で、靴を水に浸からせながら通路の奥へと歩いていく。
誰かが足を上げる度、ばしゃりという音が通路に響いた。
そうして長い間、通路をしばらく歩いたが新しい変化はない。一体どこまで進んだのか段々とあやふやになってくる。
「はあ……ふう……」
後ろから苦しそうな声をしたので振り向くと、チェスターが息を荒らげ始めていた。
多少なりとも水の抵抗があるので、普通に歩くよりかは疲労が溜まるのだろう。
「大丈夫か?」
「ええ、どうやら日頃の運動不足がたたったようですね……」
「あっ! 見てください、この先はまた高くなった陸地があるみたいです」
ファティナが前方を指差す。
その先は通路が終わっており、広い空間になっているようだ。中心には盛り上がった陸地が存在していて、浸水はしていない。
ここまで歩きっぱなしだったので、休憩するには丁度良いだろう。
「あの陸地まで進んでから一度休もう。ファティナはモンスターがいないかどうか警戒してもらえるか?」
「はいっ!」
ファティナの耳を頼りに、四人で通路を出て中に入る。
入った空間の中はとても広く、天井も高かった。
陸地は大分小さく、周囲はほとんどが透き通った水の池になっている。大分深いようだ。
「ああ! これでやっと一息つける!」
チェスターは陸地に上がるとすぐにその場に腰を下ろした。よっぽど疲れたのだろう。
「ここも結界の中なのか?」
「正確な位置までは分かりませんが、そうかもしれません」
「モンスターの気配は今のところないみたいです」
「でしたら、ここでしばらく休みましょう!」
安全であることを確認し、俺達は予定通り一旦ここで休むことにした。
全員で水筒に入れて持ってきていた水を飲みながら、携帯食料のビスケットを食べる。
「ううむ……」
チェスターはビスケットを食べながら顔をしかめている。
商会の息子である彼にしてみれば、単純に味が気に入らないのだろう。
そういう意味では王女であるメルも同様のはずなのだが、文句を言わずに黙々と食べている。精神的に強いらしい。
「むぐむぐ……」
そんな中、ファティナだけが美味しそうに食べていた。
彼女は今までこのビスケットについて文句を言ったところを見た事が無い。人間と獣人とでは味覚が少し異なるのかもしれない。
そうしてしばらくの間、静かに休憩を取った。
「はあ……」
チェスターが自分の膝を両腕で抱えるように座りながら、溜め息を一つ吐いた。
「我が商会のためとはいえ、これからまた水の中を歩くのは憂鬱で……ん? あれは何でしょうか?」
チェスターが指差した方角には、この陸地の周囲を覆っている池がある。
そして、そこには風も無いのに波紋が広がっていた。
「……何か嫌な感じがします」
ファティナが腰の剣を抜き放ち、池の方をじっと見つめたその時──突然地面が揺れ始めた。
「なっなんだ!?」
チェスターとメルも立ち上がり、水面を凝視する。
すると、突如として水飛沫が巻き上がった。
「な、な……」
全員が、現れたその姿を見て硬直する。
飛沫と共に現れたのは、青い鱗で覆われた巨大なドラゴンだったからだ。
その頭は人よりも大きく、首は俺達を見下ろせるほどに長い。
通常のドラゴンと異なるのは、体がまるで蛇のように細長いということだった。
「ドラゴン!? どうしてこんなところに……!」
「ファティナさん! これはシー・サーペントです!」
「シー・サーペントだって!? う、海に現れるという凶悪な海蛇じゃないか! なんでこんな場所にいるんだ!?」
『ガアアアアアッ!』
ギルドではAランクとして登録されているモンスター、大海蛇とも呼ばれるシー・サーペントは咆哮を上げながら、俺達に向かって口を大きく開き突進してきた。
「ふっ!」
俺はその攻撃を鞘から引き抜いた剣で受け止め、何とか弾き返す。一歩間違えれば丸飲みにされてしまうだろう。
予想外に自らの攻撃を弾かれたシー・サーペントは、再び大きな音を立てながら水の中へと潜り、見えなくなった。
「メル、魔術を頼む!」
「は、はい! 水よ、我が身と調和せよ──《ウォーター・ウォーク》」
メルの魔術が四人全員にかかり、体を青色の光が包んだ。
陸地から出て水に触れると、その体が沈むことなく水の上に立った。
「この魔術は複数人にかけると魔力の消費が大きいので、あまり長くはもちません!」
「わかりましたっ!」
メルのかけた魔術により、水の上を自由に移動できるようになった。
問題なのは時間だけだ。
次に奴が姿を現した時が勝負となるだろう。
陸地の真ん中で、意識を集中させる。
恐らく次も同じ場所に現れるはずだ。
そうしてしばらくすると、今度は大きな水音が俺達の後ろから聞こえて来た。
振り向くと、そこにはシー・サーペントが再び現れていた。
恐らく水中で池同士が繋がっていたのだろう。
シー・サーペントの姿を認識した俺は、即座にレイスから得た能力である『インサニティ』を発動させる。
──その途端、レイスの時と同じように急激に辺りが暗くなる。
すると、シー・サーペントは突如として池の中でのたうつように暴れ始めた。
『ガアアッ! グアアアアッ!?』
『インサニティ』の能力が発動したことで、シー・サーペントのステータスが下がったのだろう。
どのくらい効果があったのかは数値が見れないので分からないが、かなり苦しんでいるように見える。
「い、一体何が起こったんだ!?」
「今ならっ……!」
ファティナが水の上を疾走し、シー・サーペントへと接近する。
そして、両手持ちした剣をその暴れまわる巨大な頭に向けて振り下ろした。
剣は分厚いはずの鱗をいともたやすく切り裂き──見事にその頭部を真っ二つにした。
『ギュオオ……オオ……』
シー・サーペントの体は力を失い、やがてゆっくりと池の底へと沈んでいった。
しばらくの静寂の後、お互いに顔を見合わせる。
「またしてもあの凶悪なモンスターを倒したぞ!」
「あ、あれ? なんだかあっさりと倒せてしまったような……」
ファティナ自身も予想していなかったのか、小首をかしげている。
ファティナの剣は、Aランクモンスターの強固な鱗を破壊し、両断した。
恐らく、これが『インサニティ』によるステータスの減少効果なのだろう。
「はあっ……うっ……」
「メルさん!」
メルがその場に倒れそうになったのを、ファティナが駆け寄って抱き留めた。
「魔力が枯渇したのか?」
「多分そうだと思います!」
「ああ、大変だ。さあ、これを飲んでください」
チェスターは持っていた魔力回復用のポーションの栓を抜き、メルへと飲ませる。
「あっ……すいません、助かりました」
「いや、こちらもメルのお陰で助かった」
「それにしても、Aランクのモンスターとここで遭遇することになるとは……」
チェスターの言う通り、中層の結界の中と思われるこの場所にも、下層にいるはずのAランクモンスターが現れた。
最早このダンジョンには、安全な場所はなさそうだ。




