第五十一話 洞穴の変化
「なるほど、そのような事情がおありでしたか」
これまでの出来事をチェスターに説明すると、彼はそう言って給仕が持ってきたティーカップに口をつけ、紅茶を一口飲んだ。
「はい。ですので必ずしもチェスターさんの望んだ通りの結果になるとは限りません。ですが、この一件が解決した後は私も最善は尽くします」
メルはチェスターに向かって今までにないほど真剣に説得を試みている。
なぜかといえば、チェスターが言っていた『王女を助けて貸しを作る』という行為は、現状では達成される見込みがほとんどないからだ。
クレティア国王は三つの鍵を手に入れるためにSランク冒険者を雇ってダンジョンの攻略をしている。それに対し、逆にメルは鍵を破壊しようとしている。
彼女に協力したとなれば、むしろクラウ商会は国王に対して反逆していると思われる可能性すらあった。
「いえいえ、いいんですよ。我が商会としてもそれだけが目的ではありませんから」
だが、そんなメルにチェスターは気さくに笑いながら返す。
「そうなのか?」
「ええ。トラスヴェルムはクレティア王国内に存在しているものの、現在は力のあるいくつかの商会を中心として自治管理されています。自分で言うのもなんですが、我がクラウ商会もその一つなのです」
そういえばチェスターの父であるエリオットも初めて会った時にウィオル商会のことで何か言っていた。
「ですが、今最も強い影響力を持っているのはウィオル商会になります。少し前にSランク冒険者パーティを雇い入れたということで評判も上がり、連中と揉め事になった際に彼らが出てくるのをみな恐れています。何せ冒険者の中でも最強ですから、傭兵を雇ってもまず勝てないでしょう」
つまり、この都市ではクレティア兵達が治安を守らない代わりに、商会としての力が強いほど権力を握れるということなのだろう。
「これは私の推測ですが、そのSランク冒険者……アレンという方も父から流水洞穴の下層への入り方を聞いたのでしょう。それで【転移魔術】のスキルを持つ者を探していたはずです」
メルの言う通り、アレンがウィオル商会に雇われているのもそれが目的なのだろう。
ということは、既に下層の探索を開始しているはず。
「恐らくメルレッタ様──いえ、メル様のおっしゃる通りでしょう。そして、我々も困っているのです。トラスヴェルムにある多くの店が、ウィオル商会のドルトスという者に脅されて一方的に不利な契約を結ばされていると聞いています」
「ひどいです……そんなの絶対許せません!」
ファティナが頬を膨らませながら強めな口調で言う。
確か俺達がトトの店に入った時、冒険者を引き連れた男がやって来ていた。彼女もあれがウィオル商会の人間だと言っていた。
これまでトラスヴェルムで見てきた出来事が、一つに繋がったように思えた。
「ドルトスの悪どい手口に不満を抱く者も大勢います。それに何よりも、トトさんを傷つけようとしたことは許せない!」
言いながらにチェスターは拳を硬く握りしめた。
彼にとってはよほど彼女が大事なのだろう。
そんな彼の様子を見て、ファティナとメルが揃って「おお」と声を漏らした。
そこでチェスターは我に返ったかのようにはっとした顔になり、咳払いを一つした。
「ええとですね……そこで話が戻りますが、我々がウィオル商会に先んじて流水洞穴を攻略したとします。そうすると、どうなると思いますか?」
「ウィオル商会の面目は丸つぶれになるだろう」
「そういうことです! 逆に我々が雇った冒険者がダンジョンを攻略したということで商会の株が上がり、Sランク冒険者達はウィオル商会に雇われる理由も失う。これで一気に彼らはトラスヴェルムでの影響力を失うはずです」
なるほど。
つまり、たとえメルとの約束が果たされなかったとしてもチェスター達には利益があるわけだ。
「ですから、どうかご安心ください。トラスヴェルムのためにも、私も皆さんと共に参りましょう」
そう告げるチェスターに、メルは「ありがとうございます」と言って頭を下げた。
「では早速行きましょう! 支度をしてきます!」
ファティナは紅茶を一気に飲み干すと、意気揚々と立ち上がり自分の部屋へと戻って行った。
「協力してくれて助かる。本当にありがとう」
「いえ、お互い様ですよアークさん。そうだ、一旦冒険者ギルドに寄りませんか? 何か新しい情報があるかもしれませんから」
「ああ、そうしよう」
チェスターの提案に乗り、俺達は一度冒険者ギルドに向かうことにした。
それから大食堂を出て、各自で支度を整えた。
そうしてしばらく経ってから大広間に三人で集まると、チェスターが必要な携帯食料や豪華な装飾がなされた瓶に入ったポーションの類を用意してくれた。商会で扱っている品々だろう。
チェスターは出掛けることを使用人に告げ、俺達と一緒に屋敷を出て歩き出した。
「……ん?」
トラスヴェルムの冒険者ギルドの前までやって来ると、前回訪れた時とはどことなく違った雰囲気が見て取れた。
建物の中に入ると、あちこちから冒険者達の話し声が聞こえてきた。
「上層にレイスが出たんだってよ……」
「冗談だろ……? アレは下層にいるはずのモンスターだって聞いたが」
「もしそれが本当なら、もうダンジョンに行くのはやめて適当な依頼を受けたほうがいいかもな……」
既に昨日の出来事は冒険者達の間でも噂になっているようだ。
対処する方法が少なく、また触れるだけで命の危険があるレイスとダンジョンに入ってすぐに鉢合わせする可能性がある今の状況では尻込みしてしまうのも無理はないだろう。
俺達はカウンターに進み、受付嬢のシエラの前に立った。
シエラは以前と同じように、こちらに向かって一礼する。
「おはようございます。ご用件を伺う前に連絡がございます。現在、南のダンジョンにおいて生息範囲を大きく越えて移動しているモンスターが多数確認されております。そのため、探索の際はお気をつけください」
シエラの言葉に、全員で顔を見合わせた。
「えっ!? 多数ですか? レイスだけじゃないんですか?」
ファティナが驚いて声を上げる。
彼女の反応にシエラも少し困ったような顔をしていた。
「はい……本来中層にいるべきCランク以上のモンスターも上層に現れていると今朝方報告が入っております。現在ギルドではダンジョンの封鎖に関して検討中です」
「あ、アーク様……これは──」
「ああ」
恐らく彼女が言いたいのは、こういうことだろう。
──これでは緑翠の迷宮の時と同じだ、と。




