第四十九話 仲間
「メルさん、大丈夫でしょうか……」
大食堂のテーブルに着いたファティナが寂しそうな顔をして言った。
いつもはぴんと張っている彼女の獣の耳は、今はこれまでにないほどに前へと垂れ下がっている。
チェスターの【転移魔術】でトラスヴェルムに戻った後、俺達はチェスターの父でありクラウ商会の主であるエリオットの厚意で、商会の所有する屋敷に部屋を貸してもらえることになった。
理由としては、上層に突然現れたレイスからチェスターを守ったことへのお礼だそうだ。
そうして夜になり、全員で食事をすることになったので大食堂へと移動し今に至る。
商会の主が普段しているような食事なので出てくるものは豪勢だが、全員浮かない顔をしていて手はあまり進んでいない。
ファティナが自分のすぐ横にある椅子へと目を向けた。
そこにはメルの姿はなく、空席となっている。
食事の時間になった際、ファティナが彼女を呼びに行ったのだが、食欲がないとのことで部屋から出てこなかった。
「いきなりAランクモンスターの、しかもレイスとの戦闘になったのですから、心身共に疲れが出たのかもしれませんね。神官は体には特に異常は無かったと言っていましたよ」
念のためということで、チェスターが気を利かせて商会に雇われている高レベルの神官を呼んで確認してくれたのだが、怪我や病気などの問題はないとのことだった。
「まあ、確かに上層でレイスに遭遇すれば驚くのも無理はないでしょう。冒険者ギルドの様子を確認しに行った者の話によると、現在対応を検討中とのことだそうです」
エリオットが渋い顔をしながら言って、手に持っていたグラスに口を付ける。
彼曰く、トラスヴェルムでは今日のような出来事はこれまで一度も起こったことがないという。
「それにこう言っては失礼かもしれませんが、メルさんは何というか、あまり冒険者には見えませんな。仕草に気品すら感じます」
エリオットは何となく彼女が高貴な生まれであることを察しているようだ。さすがは商人と言ったところか。
「あのっ、何か私にできる事はないでしょうか?」
「とりあえず、今日のところはそっとしてさしあげたほうが良いかもしれませんな」
「そうですか……」
ファティナはとりわけメルの事を気にしているようだ。
「とにかく、こういう時は我々まで落ち込んでしまってはどうにもなりませんよ。食べなければ頭が回らず良い考えも浮かびませんからな」
エリオットが励ますようにそう声を掛けると、ファティナはそれに対して苦笑しながらも少しずつ料理を口に運び始めた。
俺もチェスターも、ファティナに倣うように食事をとる。
そうして静かな食事が終わると、三人は自分の部屋へと戻っていった。
俺も屋敷の二階にある自分の部屋へと入り、椅子に座ってしばらくの間目を閉じた。
そうしてどれくらいが経過しただろうか。
ふと思い立って、部屋から出る。
屋敷の中の明かりはすっかり消されており、暗くなっている。
そんな中、廊下の床に外から大きく差し込む光が見えたので歩いていく。
その先に佇んでいたのはメルだった。
彼女は二階の廊下の中央にあるバルコニーに出て、両手を手すりの上に置きながら、じっと海を眺めていた。
やがて彼女もこちらに気付いたのか、後ろを振り返った。
「アークさん……」
「起きたのか。具合はどうだ?」
「はい。ご迷惑をお掛けしました」
「いや、別に俺もファティナも迷惑だなんて思ってはいないさ。それよりも、怪我がなかったようで良かった」
そう返すと、メルは瞼を伏せて視線を逸らした。
「本当に大丈夫か? 無理はしていないか?」
「ええ、長く歩いたので少し疲れてしまっただけです。ですから別に何も……あっ」
話している途中で、突然メルの両目から涙が零れ落ちた。
「あっ、あれ……どうして……ううっ……」
必死に手で拭って涙を堪えようとする。だが、流れ出す量はどんどん増えていった。
「大丈夫か?」
「ご、ごめんなさい……私……はっ……うう……」
メルは俺の視線から逃れるように背を向けた。
「私……ずっとアークさんやファティナさんを騙してっ……」
騙す? 一体何について騙していたというのだろうか。
「別に俺は怒っていない。だから、良かったら聞かせて欲しい。何があったのか」
「私は……知っていることをわざと伝えずに流水洞穴に入るように、してっ……」
「……そうか」
メルは城から持ち去ったという古文書の内容について、これまで俺達には何一つ話していない。
こちらから聞こうとしなかったということもあるが、何か必要な情報があるならばいずれ話してくれるだろうと思っていたからだ。
彼女が冷静になるまで、俺は何も言わずに待つことにした。
すっかり夜も更けたためか、バルコニーにはただ静かに波の音だけが繰り返し聞こえてきていた。
やがて落ち着きを取り戻したのか、彼女は再び向き直ってから口を開いた。
「古文書には、恐ろしい鍵の番人達の事が書かれてます。でもそれを告げた時、二人がもし行くのをやめると言ったらと考えたら……急に話すのが怖くなりました」
それが俺達にわざと何も言わなかった理由なのか。
今にして思えば、彼女は父であるクレティア国王を止めるために一人ボルタナにやってきた。
メルの傍には気を許せる侍女達も、彼女を助ける騎士達もいない。そしてたまたま出会った俺達と初めてダンジョンに入り、恐ろしいレイスを目の当たりにした。
まだ若い王女であるメルにとって、どれだけ心細かったことだろう。そして、孤独だったに違いない。
「そして今日、レイスと出会った時に思いました。私は……自分の身勝手な願いのために、皆さんを犠牲にしようとしていると」
それが彼女が感じた一番の恐怖だったというわけか。
「ですが、これ以上皆さんに迷惑は掛けません。私は城に戻ります」
その考え方……メルはボルタナにいた頃の俺に少し似ていると、そう思った。
「俺も少し前まで、メルと同じだった」
「私と……同じ……?」
「ああ、俺もずっと一人で戦っていた。独力だけで目の前の何もかもを倒さなければならないんだとずっと思っていた。それでファティナに言われたんだ。『何でも一人で解決しようとしていないか』と」
それはあの時、シャドウキメラとの戦闘で彼女から言われた言葉だ。
「パーティを組んでいるのに、わざわざ危険な場所に一人で行く──そんなのはパーティじゃないと彼女は言っていた」
そしてそれは多分、正しい。
ファティナだけじゃない。
ゲイル、ガストン、リュイン。
これまで出会った面々を思い浮かべながら思う。
いまだに俺もよく分からない。
でも、あれが仲間というものなのではないだろうか。
メルは無言のまま、ただ俺の話に耳を傾けていた。
「俺はただの冒険者に過ぎないが、メルを仲間だと思っている。だから、たとえどんなに危険な場所だとしても一緒に行こう。それはこれからもずっと変わらない」
そう告げると、メルは今まで見せたことがない程に目を大きく見開き──
「ありがとうございます。アークさん……」
そうはっきりと言葉にしたのだった。
彼女の顔からは、今まで見えていた憂いはすっかり消え失せていた。
「私の知っていることを、全てお話しします」
それからメルは、古文書から得たであろう様々な情報を教えてくれた。
ダンジョンの奥に存在する鍵の守護者のこと。
鍵を破壊するための方法のこと。
そして、流水洞穴の隠された下層へと進むための方法。
これらの情報は、明日またファティナ達にも伝えることにしよう。
「ありがとう、色々と分かって助かった。続きは明日にしよう」
明日に響くので、今夜はこの辺りにしておこうと思い話を切り上げることにした。
「聞いてもいいですか」
「ん?」
不意にメルが尋ねてきたので振り返る。
「アークさんは自分にも鍵が必要だと以前おっしゃっていましたが、それはなぜですか?」
「俺が強くなるためだ」
「どうしてあんな危険な目に遭ってまで、強さを求めるのですか?」
俺はボルタナを初めて訪れた日の事を思い出す。
すべてはあの日、冒険者ギルドに行った時から始まった。
最弱冒険者の俺は、あの森で最強になると誓った。俺と似たような存在の代わりに。
「──スライムだな」
「スライム……ですか? あのモンスターの?」
メルは不思議そうな顔をした。
もちろん彼女に意味が分かるはずもない。
でもそれを何とか自分なりに解釈しようとでもしたのか、しばらく何も言わずに考え込んでしまった。
そして顔を上げたところで、互いの視線が交わった。
「こんなことを言ったら変だと思われるかもしれませんけど、私はかわいいと思います。スライム」
「……そうか」
そんな風に思う人間もいるのかと思いながら、二人で連れ立って廊下を歩きだす。
それにしても、一体何の目的で昔の人々がこの鍵を作ったのかは分からないが、厄介な物を残してくれたものだ。
「王女も色々と大変だな」
「――大変ですが、今は頼れる仲間がいますから」
そう言ってメルは俺に向かって明るく微笑んだのだった。
 




