第四十七話 洞穴の影
引き続き、ダンジョンの奥へと歩いていく。
「……ん?」
すると、地面が濡れていることに気付いた。
たまに水が滴るような音がするので上を向いてみると、天井から飛び出しているいくつもの岩から水滴が落ちていた。いわゆる鍾乳石というものと似ている。
「水か……」
天井だけではなく、洞穴の壁である岩の隙間からは湧水が流れ出ていた。
見た目上は汚れているわけではないが、なるべく飲んだり触れたりしないほうがいいだろう。
このダンジョンに入る前、すぐ近くに大きな川があった。その下か横を通っているようなものなので、どこからか水が浸入してきているのだろう。
「あ、あの……このダンジョン、まさか水没したりしないですよね?」
急にファティナがすぐ後ろにいる俺達の方を振り向いて、口を開いた。
「いえ? そういう話は聞いたことがないですね。もしもそんなことが頻繁に起こっていたら大変ですよ。はっはっは」
チェスターが平然とそう答えると、ファティナは「で、ですよね!」と自分に言い聞かせるように胸の前で拳を握った。
あくまで推測となるが、このダンジョンはずっと昔に建てられたはずだ。
それが今もこうして残っているわけだから、わざと壁に向かって強力な魔術を使うとか、凶悪なモンスターが現れて破壊するでもしない限りは大丈夫なはずだ。
「水に関しては、いざとなれば私が魔術を使って避けることもできますから。安心してください」
「そ、そうですか! もしもの時はメルさんにお願いしますね!」
確かにメルは水属性の魔術が扱える。いざという時には彼女の魔術で対応してもらうことにしよう。
それからしばらく進んだ先で、広い空間へと出た。
天井は大分高いのだが、左右に池があるせいか道は人一人分程度に細くなってしまっている。
池は深く、底は暗くて見えない。
「こ、これは落ちないように気を付けなければなりませんね……」
チェスターが狭くなった道の先を見据えながら息を呑む。
「ああ、ここはゆっくり慎重に進もう──」
そう話した矢先、池の中で何かが動いた気がした。
「待て、何かがいる」
「えっ!? ど、どこですか!?」
チェスターが慌てながら剣を抜くと、水中から巨大な魚が姿を現した。全部で十匹以上はいるに違いない。
「ひ、ひいい! こ、これもモンスターなのか!?」
魚型のモンスターの鱗は真っ黒で、体長は人間と同じぐらいあり背びれや歯は鋭く尖っている。
『ギシャアアア!』
モンスター達が俺達に向かって一斉に鳴き声を上げると、徐々に空中に水が集まっていき──こちらへと放たれた。まるでメルがクレティア兵に使った魔術のようだ。
「モ、モンスターが魔術を使うのかっ!?」
「チェスターさん! 下がってください!」
ファティナが前に出て、剣でモンスターから放たれた水の塊を切り払いながら叫ぶ。
「氷よ、敵を貫け──《アイスニードル》」
メルが詠唱をすると、彼女の目の前に複数の氷柱が出現しモンスター達の下に一直線に飛んでいく。
『シュオオオッ!!』
放たれた氷柱のうちいくつかがモンスターの胴体に直撃し、その体を貫いた。だが、氷柱を回避したモンスターは水中に潜りながらこちらの様子を窺っている。まだ諦めたわけではないらしい。
俺は前へと出て池に近づき、【マルチプルチャント】で捕捉した全てのモンスターを対象として即死魔術を放つ。
「《デス》」
放たれた漆黒の波動は水の中へと逃げた残りのモンスターを追いかけていき──命中した。
しばらくして、残ったモンスター達の体がぷかりと力なく浮き上がる。
「お、終わったのか……」
チェスターは額から汗を流し、剣を持ったままモンスター達を見つめている。
「ああ、そのようだ」
「た、助かった……ふう、上層とはいえ油断できないな……」
このモンスター達はあの魔術のような技で水の中から攻撃してくるため、近接攻撃を主とする戦士ではなかなか倒しづらい。対処できるとすれば、魔術師や弓を扱う職業になるだろう。
「それにしても、このダンジョンではモンスターが急に現れますね?」
「恐らく水の中があちこちと繋がっているのでしょう。だからどこから出てくるかも推測しにくいですね」
ポイズントードは滝壺から突然現れたし、今回のモンスターもそうだった。
緑翠の迷宮ではオーガやミノタウロスなど純粋に力が強いモンスターが多かったが、流水洞穴はそうではなく、不意を突くように見えない場所から突然襲い掛かってくるものが多いようだ。
「では進もう」
「え、ええ……そうですね」
池に挟まれ細くなった道を通り、次の場所へと向かう。また先程と同じような普通の通路に入った。
「それにしてもファティナさんに続き、お二人の魔術の腕前には驚きました! とてもCランク冒険者には見えません。それにアークさんの魔術……あれは一体何属性なのですか? いきなりモンスターが倒れましたが」
「俺が扱うのは【即死魔術】だ」
「そっ! 【即死魔術】!?」
俺の返答にチェスターが声を上ずらせながら叫ぶ。そして、しばらく呆然とした後、「あっ!」と何かを思い出したかのようにまた声を発した。
「も、もしかしてアークさんは例のボルタナを襲ったモンスターを【即死魔術】で倒したという冒険者ではありませんか!?」
「あれはトドメを刺したのが俺だったというだけだ」
「や、やはりそうでしたか! 貴方の噂はトラスヴェルムまで届いていましたよ! この目で見るまで正直信じられませんでしたが、いやはやこの強さならば納得ですね!」
チェスターは先程から一転して急に笑顔になった。そんな彼を見て、ファティナとメルが顔を見合わせながらくすくすと笑った。
「アーク様、複数の足音がこちらに向かってきます」
ファティナが急にそう告げ、ダンジョンの先をじっと見据えた。
「どんな様子か分かるか?」
「何だか急いでいるような感じです……もう近くまで来ています」
そうしてしばらく経った後、複数の音が近づいてきた。
様子を見るためその場で待っていると、そこに現れたのはこちらに向かって走ってきている冒険者と思われる一行だった。
「お、おい! アンタ達! 早く逃げろ!」
その内の盗賊風の革鎧を着た一人が俺達に気付いたのか、声を張り上げた。
「どうした、何かあったのか?」
俺が話し掛けると、すぐそばまでやってきた男が息を切らせながら口をぱくぱくとさせた。
「どっ、どうしたもこうしたもないぜ! レイスだよ! レイスが出たんだッ!」
それを聞いたチェスターの顔が一気に青くなっていく。
「レ、レイスだって!? じょ、冗談じゃないッ!! 君達が連れてきたのか!!」
「俺達じゃない! 上層から中層に行こうとしたところで出てきたんだよ!!」
「なんてことだ……早く逃げないと!!」
チェスターが我先にと逃げ出そうとしたところで、急に周囲の温度が下がった気がした。
「これは……アーク様!」
「ああ」
俺とファティナはほぼ同時に剣を抜き放ち、その発生源であるダンジョンの先をじっと見つめた。
やがてゆっくりと姿を現したのは、頭からすっぽりと真っ黒な布でくるまれた黒い影だった。
 




