第四十五話 初転移
クラウ商会の主であるエリオットと会話をした次の日の朝、俺達は再び武具屋を訪れていた。
今日は【転移魔術】を使用して流水洞穴に行く予定ではあるのだが……何故か宿屋にやってきた商会の使者に指定された場所は、クラウ商会の商館内ではなくこの店だった。理由はよくわからない。
予定の時刻まではあと少し。
クラウ商会の魔術師を待っている間、特にすることもなく暇になったので店の中を見渡してみる。
「それで、ボルタナにある冒険者ギルドの受付のエリヴィラさんという方がですね──」
「まあ、そんなことがあったのですね。それは──」
カウンターの前では、ファティナと店主のトトがこのようにずっと話し込んでいる。
お互い、獣人同士ということで気が合うのかもしれない。
一方のメルはといえば、トトの店で購入した濃い緑色の外套を羽織りながら備え付けの鏡の前で横を向いたり後ろを向いたりしている。
このメルの身に着けている外套は蜘蛛型のモンスターが吐く糸を織って作られた品だという話で、軽くて頑丈、更には魔力の回復を助ける効果を持つそうだ。
魔術師としてはなかなか便利な装備らしい。彼女には装備らしい装備を買っていなかったので、追加で購入した。
その他、とりあえず四日分の食糧とトラスヴェルム周辺の地図を買い揃えておいた。
流水洞穴の下層までどのくらいの距離があるのかは分からないが、俺達にとっては初めて訪れるダンジョンだ。
途中で帰ることも考慮に入れ、【転移魔術】での移動を加味するとこのくらいの分量で良いだろう。
そうしてしばらく待っていると、店の入り口の扉を開かれた。
「どうも皆さん、おはようございます」
挨拶をしてきたのは、肩まであるやや乱れた長めの金髪の、二十歳前後に見える男だった。背は俺よりも少し高い。顔は整っていて目立つ傷もなく、優男と言った感じだ。
その恰好は白シャツに黒いパンツ、上半身には心臓部分を覆う革製の胸当てを付け、そして黒い外套を纏っている。
冒険者の魔術師──と言うにはいささか小綺麗な身なりで、少し違和感があった。
店の中を歩いてきた男は俺達の前までやってくると、左手を腹部に当てながら一礼した。
「私がクラウ商会の【転移魔術】の魔術師、チェスター・クラウです」
顔を上げながら、彼はそう告げた。
「クラウ? ということは、もしかしてエリオットさんの?」
「はい、私は商会の長であるエリオットの息子です」
メルに対して、チェスターは爽やかな笑顔で返した。
クラウ商会の魔術師というのは、息子のことだったのか。
「おはようございます、チェスターさん。急なお願いをしてごめんなさい」
「いえいえ、トトさんの頼みであれば大歓迎です。昨日の出来事は父から聞きました。私が不在でなければすぐに駆け付けたのですが……お怪我はありませんでしたか?」
チェスターはそう言いながらトトの近くまでやってきて彼女を見つめた。
「はい、こちらの方々に助けていただきましたので大丈夫ですよ。どうかお気になさらないでください」
トトは昨日と変わらない笑顔でチェスターにそう返す。頭の上の耳が僅かに揺れている。
どうやら二人は知り合いのようだ。取引先の商会の息子なので接点があるのだろう。
「トトさんを守っていただきありがとうございました。私からもどうかお礼を言わせてください」
「いや、たまたまその場に居合わせただけだ。それに俺達としても【転移魔術】を使わせてもらえるのだから、これで貸し借りは無しだ」
「そう言ってもらえると助かります。皆さんは【転移魔術】を使ってトラスヴェルム近くのダンジョンに向かいたいと伺いました。念のため、私の魔術の制約事項などについてお話ししようと思いますがどうしますか?」
そういえば、メルも制約があると言っていた。ここは聞いておいたほうがいいだろう。
「俺達も【転移魔術】には詳しくないので教えてもらえると助かる」
「わかりました、それではご説明致します。まず、基本的に【転移魔術】で移動できる場所は術者が訪れたことのある場所のみに限定されます。また、移動可能な距離と対象の数や重さなどは術者の魔力に依存します。つまり、レベル上限が高いほうが効果も上がるということになります」
なるほど、どこへでも好きに移動できるわけではないということか。
「えっと、例えばですけど何度も連続で魔術を使用すれば遠くに移動できますか?」
「それは可能ですが、この魔術は一度使用すると術者の魔力はほぼ枯渇します。そのため連続使用するためには完全回復するまでポーションを大量に使わなければなりません。ですから、それを何度も繰り返すというのは難しいですね」
「な、なるほど……」
便利ではあるものの、制約も多いようだ。ダンジョンまで移動するのに何度も枯渇するようであれば、普通に馬車で移動したほうがいいかもしれない。
「トラスヴェルムからダンジョンまでは一回で移動できるのか?」
「はい。私のレベル上限は40で既に最大まで上がっていますが、ここから皆さんと一緒に近くまで転移することはできると思います。ですが、ダンジョンのすぐ近くやダンジョン内には行けません」
「えっ? 中には入れないんですか?」
「残念ですが、ダンジョンのように【転移魔術】が干渉するような場所には飛ぶことができないのです。感覚的には、通りたくとも壁があって邪魔をしているようなイメージです」
「つまり、逆にダンジョン内から外に出たりすることもできない……ということですか」
「はい、その通りです」
(……やはりそう簡単にはいかないか)
ダンジョン内で【転移魔術】が使えるのであれば途中で引き返すこともできると考えていたのだが、早々上手くはいかないようだ。
今の説明で疑問は解決した。早速転移をしてもらうことにしよう。
「大体把握した。早速で悪いが転移を頼みたい」
「分かりました。それでは、すぐに【転移魔術】を使います。私の近くに集まってください」
チェスターに言われ、三人で彼の近くに集まる。
すると、チェスターを中心として地面が輝きだした。
「皆さん、どうかお気をつけて」
そして、トトの優し気な声が聞こえたかと思ったら、視界が光に包まれた。
次に気が付いた時には、そこはもう店の中ではなく……草木が生い茂る森の中だった。
近くには、地図に記されている大きな川が見えた。ダンジョンの近くまで一瞬で移動したようだ。
「す、すごいです! いきなり全然違う場所に出ましたよ!」
ファティナが驚いた様子で周囲をしきりに見回している。
「ええ、ここがダンジョンの近くです。今回は私もダンジョンに同行させていただきます」
そう軽く言いながら、彼はポーチからポーション瓶を取り出して一気に飲み干した。魔力を回復しているのだろう。
「中は危険だ。同行までする必要はないんじゃないか?」
「ですが私がここで抜ければ帰りは【転移魔術】が使えなくなりますし、それに私もダンジョンの中までは入ったことがありませんので、一度この目で見たいと思っていましたから」
確かに、チェスターとここで別れることになれば当然だが帰りは徒歩で戻るしかなくなる。
「それに……トトさんを助けていただいた方を置いていくことはできませんからね」
「随分と彼女と親しいんだな」
「ま、まあ……その、それほどでもないですが、もう少し親しくなりたいとは思いますね」
そう言ってチェスターは照れ臭そうにポリポリと頭を掻きながら苦笑いをした。
彼の言葉を聞いた二人は、興味津々と言った感じでチェスターのことを見つめたのだった。
それから川沿いにしばらく歩くと、急に目の前に地面が大きく隆起した場所が現れた。
中はかなり大きな空洞のようになっており、そのまま進んでいけそうだ。
しばらくその空洞の先を見つめていると、大きな荷物を持った数人の男女が出てきた。全員それぞれに鎧やローブを身に着けている。戻ってきた冒険者パーティだろう。
ということは、ここが──
「ここがダンジョンの入り口です」
そう、チェスターは告げたのだった。




