第三十六話 王女の依頼
クレティアの王女を名乗るメルレッタという少女は、頭を上げると強張った表情で俺達を見ていた。
「どういうことでしょうか……? その、姫様」
「先程の兵士達との戦いを見て、お二人がとても腕の立つ方々だと分かりました。そして何より、何者かも分からない私をここまで連れてきてくれました」
王女はそう言い、俺とファティナの顔を交互に見た。
「だが姫さんよ、力を貸すと言っても具体的にどうするんだ? 姫さんが本物だとして、せめて何が起こっているのか事情を話してくれなければ判断できないんじゃないか?」
店主は相手が王族だということを物ともせず、毅然とした態度で王女に話しかける。
だが彼の言うことももっともだ。
王女が城を抜け出して兵士達が追いかけるという構図は御伽噺のようで分かり易いが、それにしては兵士の様子は普通ではなかった。
「あのっ! 私は姫様の力になりたいと思いますっ!」
まだ王女は何も話していないのに、ファティナが急に手を挙げた。
「っておいおい嬢ちゃん、まだ何も聞いてないのにそれはないだろ」
「でも、この方が自分を姫様だと嘘をつく理由があるとも思えないですし、私だったらきっと一人で心細いと思います。だから助けになりたいと思って……」
もしかして、ファティナは自分が助けられたことを思い出し、それを他人にもしてあげようとでも考えているのだろうか。
(……だが、言われてみればそうかもしれないな)
「俺もファティナと同じだ。彼女に協力したい」
「アーク様……ありがとうございますっ!」
「はぁ……全くどいつもこいつも……」
店主は不貞腐れたように言い放ち、どかりと椅子に座るとカウンターの上で頬杖をついた。
ファティナはそんな店主を見てくすりと笑った。
当の王女はといえば、驚いたかのように目を見開いて硬直している。
しばらくして、彼女は雑念を払うかのように頭を左右に振った。
「……ありがとうございます。では、私がこのボルタナにやって来た理由についてすべてをお話しします」
そうして王女は語り始めた。
「皆さんは我が国が日々モンスターの討伐に追われているという事情はご存知でしょうか?」
「ああ、特にダンジョンにはモンスターが異様に多かったな」
緑翠の迷宮は他のダンジョンに比べてモンスターの数が多い。
これはリュイン達から聞いて発覚したことだった。
「そうですね。ダンジョンというものは元々モンスター達が集まりやすいような性質を持つ場所だそうなのですが、三つのダンジョンの周辺で特にそれが顕著なのです」
「三つのダンジョンというのは、ボルタナの周辺にあるダンジョンのことですか?」
ファティナが尋ね、王女は頷く。
「はい。この町の東にある『緑翠の迷宮』、北の『流水洞穴』、そして西の『炎熱回廊』。これらのダンジョンです」
「ん? あのダンジョンってそんな名前だったのか?」
俺とファティナは知っていたが、店主は初めて聞いたので不思議に思ったのだろう。
だがダンジョンの名前を知っているということは、やはり彼女がリュインの言っていた王女で間違いなさそうだ。
「三つのダンジョンの名称などに関しては、ある程度はクレティアの王家に伝わっていましたので」
「へえ、なるほどな」
「えっと、ダンジョンと姫様が逃げ出したことに何か関係があるのですか?」
ファティナの問いに対し、王女は呼吸を整えた。
恐らく、ここからがこの話の本筋となるのだろう。
「ここボルタナ地方を中心に、ある時からモンスターの数が増えて兵士の数が足りなくなりました。今や大部分を我が国を訪れる冒険者に頼る形になっています」
それはいつか店主からも聞いた話だ。
「そこで父は各ダンジョンを攻略しモンスターを排除するという名目で、一際高いレベル上限と優れたスキルを持つ冒険者達を高待遇で雇い入れることにしたのです」
「そ、それはもしかして……」
ファティナがちらりと俺の方を見た。
「現在、北の『流水洞穴』にはSランク冒険者のアレンという方が、そして西の『炎熱回廊』には同じくSランクのバルザークという方がそれぞれ攻略に当たっているはずです」
アレン。
バルザーク。
(……ここに来て、まさかその名前が出るとはな)
特にバルザークに関してはあの一件以来会っていなかったが、西のダンジョンを攻略中だったということか。
バルザークのパーティは、俺に声を掛けた猫人族の少女と鎧を着た二人の男達だったはずだ。
「二人を知っているのか?」
「はい。彼らは父がダンジョンを攻略するために呼び寄せた冒険者です。そして、彼らにはもう一つの特別な依頼が与えられています。それが『鍵』の探索です」
「鍵? なんだそりゃ? 扉とかに使うあれか?」
店主が手首を捻るような動作をしてみせた。
「『鍵』とは、クレティア王家の古い言い伝えに出てくる三つの宝です。各ダンジョンの最下層に一つずつ安置されていると古文書に記されています。それらにはとてつもない力が秘められており、決して解き放ってはならないともありました」
彼女の話に店主はしたり顔で頷いた。
「あのダンジョンはもうずっと攻略されてないという話だからな。そういう伝説の一つや二つはあってもおかしくはない」
「実際、これらのダンジョンの難易度は他とは比べ物にならないという報告が以前からありました。そこで父は、もし鍵をすべて見つけ出したら爵位を与えるという約束をして彼らを招集したのです」
それを聞いた店主は、今度は口をあんぐりと開けた。
「い、今爵位って言ったか? 聞き間違いじゃないよな? いくら何でもたかが冒険者にそんなものを与えるなんてあり得るのか?」
「嘘だと思います。恐らく、鍵を手に入れた後は……」
そこまで言うと、王女は俯いた。何となく想像がつく。
(だとすれば、アレンやバルザーク達もそれに気付いているはず)
とするならば、彼らは最初から国王からの依頼をまともに遂行するつもりはなく、鍵を奪うつもりに違いない。
「やがてボルタナに緑翠の迷宮から黒いキメラとモンスターの大群が押し寄せました。その知らせを聞いた父は、『鍵』の存在を確信したようです」
シャドウキメラが率いていたあのモンスターの群れのことか。
「それ以来、父は人が変わったように鍵に執着するようになり、私が探索をやめるよう説得しても聞こうともしなくなりました。そして、最後には私を城の塔に監禁したのです」
「実の娘にそんなことをするなんて……」
「ですが、すぐに私は親しかった侍女や騎士達に助け出されました。そして古文書を奪い、王族しか知らない地下通路を通って城から一人抜け出し、王都から馬車でここまでやってきたのです」
「たった一人で城を抜け出してここまで来るとは、随分と大胆だな……」
店主も王女の行動力に腕組みしながら感心していた。
「だがそれがほんの数日前だとすれば、クレティアの兵士達が気付くのが早すぎると思うが」
彼らの巡回はまるでボルタナに王女がいることを知っていたかのように見えた。
「恐らく私がリュインに宛てた手紙が読まれていたのだと思います。そうなることは予測していましたので、核心に触れることは書きませんでした。私が逃げた場合、ここに来るのは想定済みだったのでしょう」
だからリュインに宛てられた手紙の内容が抽象的なお願いだったのか。
そして、ボルタナに到着したところで今に至るということなのだろう。
「まだ城にいた時、リュインのパーティが緑翠の迷宮を攻略したと聞きました。それが真実であれば、鍵の一つは彼女が持っているはず。私はそれを奪われないように警告するためここにやってきたのです」
「いや、鍵は俺が持っている」
「──えっ?」
俺は体の中から緑翠の鍵を取り出すように頭の中でイメージする。
すると、胸の前辺りの空中に黄金に輝く鍵が出現した。
鍵は光を放ちながら、宙に浮かんでいる。
「こ、これはまさか……? どうして貴方が?」
「リュイン達が使い道がないからと言って俺に託したんだ」
王女は宙に浮く鍵を見つめた後、俺の顔を見上げた。
「お願いします。私と共に残りのダンジョンに赴き、鍵を破壊してください」




