第十九話 前と今
草の上に座り、ダンジョン内だというのに青々と生い茂る森を眺めながら休息をとる。
辺りを見回してみると、一緒に来ていた他の冒険者パーティも同じようにして休んでいた。
どうやら東のダンジョンを進む冒険者の間では、いつかのガストン達のようにこの空洞で一休みすることが一般的らしい。
魔術師や神官のように魔術を使用する職業は、魔術を行使すればその分魔力を消費する。この魔力は休んでいれば少しずつだが回復する。
魔力回復用のポーションを使えば即座にある程度の魔力を回復することができるが、瓶を大量に持っていくのは荷物になってかさばるし、毎日そんな戦い方をしていたら出費が激しくなる。
そういった理由から、この空洞のようにダンジョン内にある安全地帯で体を休め、魔力を回復してから次の目的地に向かうのだろう。もっとも、今回は戦闘が発生していないという珍しい状況ではあるのだが。
「はいどうぞ、アーク様」
しばらくそうしていると、ファティナが水の入ったコップを俺へと差し出してきた。どうやら俺が何もしなかったせいで、彼女に気を使わせてしまったようだ。
「ああ、すまない」
コップを受け取り、中の水を口の中へと流し込む。
喉を通っていく水は冷たく、歩いて熱を帯びていた体には心地良かった。
ファティナも自分の分のコップを持つと、俺のすぐ隣に座った。
「あの……聞いてもよろしいですか?」
「ん? 何か気になることでもあったか?」
ファティナは俺の顔を覗き込むようにして口を開いた。
「いえ、悪いとは思ったんですけど……数日前のギルドでの事、エリヴィラさんから聞きました。それと、アーク様の幼馴染の人の事とか……」
「ああ、リーンの事か」
ファティナは申し訳なさそうにそう言った。頭に生えている獣の耳はすっかりしおれてしまっている。
なるほど、そういう話をしていたからあの受付嬢と親しくなっていたわけか。
「そうです。アーク様が、あの時の出来事をずっと気にされているんじゃないかと思って」
「いや、別に気にしてはいないさ。そもそもリーンが俺を見放したのも当然だ。向こうはレベル上限80で、俺はレベル上限1だからな。そんな奴と率先して組もうと思う奴の方が少ないだろう」
つまりリーンが俺とではなく、アレンのパーティに入ったのは必然だった。
「でも、そんなのって……」
「別にファティナが気にするような話じゃないさ。それに、俺はもうあの時のことは思い出したりもしないからな」
実際、冒険者登録時の事はもうぼんやりとしか覚えていない。
今のところ思い出せるのは、この前のキメラ討伐時にアレンと一緒にギルドから去っていったリーンの恨むような目だろうか。
だがそれに対しても、これはまた嫌われたものだ、という程度にしか感じていなかった。
すると、ファティナが立ち上がり俺の目の前まで来た。そして握った両の拳を自分の胸元に持ってくると──
「あのっ! あの時私が言ったことは、決して嘘ではありませんから!」
「え?」
ファティナは急に顔を真っ赤にしながら声を張り上げた。
あの時というのは、ギルドでアレンに対してファティナが言ったセリフの事だろうか。
たしか、私はこれからもずっとついていく──というような言葉だった気がする。
「そうか……」
あの時はあまり深く考えていなかったが、最弱冒険者と呼ばれる俺にそんな風に言ってくれる人がいるとは考えてもみなかった。
ファティナは俺とパーティを組みたいと言ってくれた。
それに、キメラとの戦いでも俺の話を聞いてくれ、無茶を承知で山羊頭を倒してくれた。
俺は彼女に、もう何度も救われていたのだった。
「ありがとう、ファティナ」
今までの感謝を込めて、ファティナに向かって礼を言う。
「えっ?」
すると彼女は何かに驚いたかのように、突然目を大きく見開いた。
「ん? どうかしたか?」
「い、いえ! その、アーク様が笑ったところって、初めて見たのでびっくりしてしまって……」
「初めて?」
俺はそんなに久しぶりに笑ったのだろうか?
確かに今までずっと、ただひたすらに自分が強くなることしか頭になかったので、これまでそういった余裕はなかったかもしれない。
「ゲイルさんも会うたびにずっと言ってましたよ。あの兄ちゃんは愛想がないとか目つきが悪いとか色々」
「目つきが悪いのは生まれつきだ……」
あの店主には今度会ったら復讐してやることにしよう。
そんな他愛もない話をしばらく二人で続けていると、いくつかの冒険者パーティが支度を済ませて立ち上がった。
『よし! そろそろ出発しようぜ!』
『おう! さっさと終わらせるか!』
彼らの発言を皮切りにして、他の冒険者達もこぞって休憩を終え始めた。
「それじゃあ私達も行きましょうか!」
「ああ、そうしよう」
二人で立ち上がり、他の冒険者達と合流する。
そうして俺達は再び上層の終端を目指して移動を再開した。
空洞から更に先の道は、相変わらずダンジョンの入り口からと同様に赤褐色の土といくらかの露出した岩があるだけの洞窟が続いている。
また、ここまでと同様にダンジョンにはモンスターの影はない。
モンスターがいないと戦闘で時間を食わないので移動が速い。そのため、もしこのまますんなりと上層の終端まで行けてしまえばかなり早く戻ることができるだろう。
「中層の入り口までは、あとどのくらいなんですか?」
歩きながらファティナが尋ねてくる。
「この先は俺も行ったことがない。だが聞いている話では、ここまでで丁度半分くらいだそうだ」
「じゃあ、あともう少しですね!」
ファティナはそう言って、全く疲れたような素振りを見せずに元気に歩いていく。
変にモンスターを怖がられたりするよりかは良いかもしれない。
そうしてそれからまた2、3時間ほど長い一本道を歩くと、段々と景色が変わり始めた。
「アーク様、見てください! 草が生えています!」
ファティナが指差した先の壁を見ると、そこにはツタが生い茂っていた。
「なんだか不思議ですね?」
「ああ、本当だな」
(さっきの空洞と同じように、ここにも植物が生えているのか?)
このダンジョンでは、空洞の中だけでなく様々な場所に草木が生えているのだろう。
進めば進むほどに景色には赤色よりも緑色が増えていく。
ダンジョンは各層ごとにその風景が大きく変わると聞いていた。
この東のダンジョンの上層は、先程休憩した空洞内を除けば赤褐色の土にまみれた場所しかない。
しかし今いる場所は地面にはすっかり草が生え、木の根が至る所から露出している。
多分、もう上層の終端が近いのだろう。
それからしばらく草を踏みながら歩くと、他の冒険者達が立ち止まった。
『よーし、ようやく中層の入り口まで来たぞ』
『結局モンスターは一匹も出ずじまいだったなあ』
『ま、これで金貨三枚なら大儲けだぜ!』
「うーん、ここが上層の終端ですか? 本当にモンスターがでないまま終わってしまいましたね」
「そうだな……」
モンスターの数が減ったのは、明らかにあのシャドウキメラを倒した影響で間違いない。
これからどのくらいの間上層にモンスターが出なくなるのかは分からないが、中層を進む予定だったので丁度良いかもしれないな。
ゆっくりと前方へと移動すると、俺の眼前に突然石造りの大きな階段が現れた。
階段は更に地下へと続いており、下はほのかに明るい。
「急に立派な階段が現れましたね!」
「おう、姉ちゃん見たことなかったのか? ここがいわゆる上層の終端だ。んでもってこの階段を下れば中層さ。中にはオーガやスケルトン、ホブゴブリンに魔術を使ってくるゴブリンシャーマン、他にもモンスターがわんさかいるぜ!」
「へええ……そうなんですね」
近くにいた冒険者がファティナに教えてくれた。
(なるほど、これが中層の入り口か)
今まで通っていた上層にはこういった立派な構造物は存在していなかったため、余計に不思議に感じてしまう。
確かなのは、このダンジョンは自然に作られた洞窟などではなく、明らかに昔の誰かが意図してつくった建造物であるということだ。
「アーク様、他の冒険者さん達は地上に戻られるようですよ。私達も戻りませんか?」
「ああ、わかった」
どちらにしろ、現在この東のダンジョンは封鎖状態にあるため俺達だけが先行して中層に行くわけにはいかない。ここは一旦地上に戻りギルドで話を聞き、支度を整えてから出直すべきだろう。