第十六話 最弱冒険者
シャドウキメラの討伐からしばらくしての冒険者ギルド内。
その中には数多くの冒険者達と、慌ただしく準備をしながら動き回るギルド職員達の姿があった。
何でも、町を救ったことに感謝し、ささやかながら宴を催すとのことだった。
俺は別に出る理由もないので辞退しようとしたが、ファティナが顔を出すべきだと言うのでついていくことにした。
ようやくすべての準備が終わったのか、職員達がカウンターの前に整列して一呼吸置き──
「ボルタナの町を救ったすべての冒険者達に、乾杯!」
「乾杯!」
途端に、静かだったギルド内が急に様々な声で溢れ始めた。
この建物は酒場が併設されているわけでもなく、あくまでギルドとしての業務をするための施設だ。
そのため本来ならばこの部屋で飲み食いをするなどありえない。
しかし、今回だけは特別ということでギルドの職員達が自ら進んで開催を決定したのだそうだ。
普段は依頼用の紙や本が置かれているテーブルや、いつもなら受付嬢がいるカウンターには様々な料理や酒の樽が並び、冒険者達はこぞってそれらを奪い合っている。
「勝利の後の酒は格別だな!」
「酒樽が空になったぞ! 早く追加をくれ!」
「てめえ! それは俺の肉だ!」
まさに自由を象徴するような、何物にも縛られない冒険者達の様子を見ながら部屋の端で突っ立っていると、見知った顔の女性がこちらに歩いてきて立ち止まった。
このギルドの受付嬢だった。
彼女はそのまましばらくの間そわそわとして目を合わそうとはしなかったが、やがて頭を深々と下げた。
「アークさん、本当にごめんなさい。あの時、あなたの鑑定結果を笑ったりして」
今までの態度とは打って変わって、少し驚いてしまう。
何せ、俺のレベル上限とスキルを聞いて噴き出した相手だ。こんな風に謝られるとは思ってもみなかった。
「いや、俺は別に気にしていない。だから頭を上げてほしい」
「でも……」
「いいんだ。もう過去の話だ」
キリングベアを倒し、スキルレベルがアップしたあの時から、俺はもう過去の事について一切何も感じなくなった。
というより、あまり感情を揺さぶられることがなくなった、とでも表現すべきなのだろうか。
受付嬢は他にも何か言いたいことがありそうな顔をしていたが、それ以上は口に出さなかった。
「ありがとうございます。それでは、今日はどうぞ楽しんでいってくださいね」
そして、それだけ言って踵を返すと、カウンターへと戻っていった。
「やれやれ──またお互い生き残ったな」
横から声を掛けてきたのは鎧の男、ガストンだった。
彼は壁にもたれかかりながら、グラスに入った酒を手に持っている。
彼の顔を見て、聞きたかったことがあったのを思い出した。
「あの時、どうして冒険者達が町の外に出たんだ?」
ファティナと二人で戦っていたところで、後から冒険者達が加勢してくれた。
最初はそんな感じはしなかったのだが、何があったのだろうか。
俺が尋ねると、ガストンはグラスの中の酒を一気に飲み干した。
「んぐ……んぐ……ぷはあ! なに、ちょっと発破をかけただけさ。二人が正面切ってモンスターに立ち向かっているのに、本当に俺達はこのままでいいのか、とな」
やはり、ガストンが冒険者達を連れてきてくれたようだ。
彼はCランクに上がったばかりの冒険者だと言っていたが、これまで様々な助言を俺に与えてくれた。そして今回もまた助けられてしまったようだ。
「……俺はな、冒険者をやる前は数人の部下を持つ兵士だったんだ」
「そうだったのか。しかしどうして冒険者に?」
「まあ一言でいえば……レベル上限が30だったから、だろうな。努力してもこればかりはどうにもな」
俺の問いに、苦笑しながらガストンは答えた。
レベル上限30といえば、一般人の中ではそこそこ高い方だ。
だがそれは、逆に言えば一般人という域を出られなかったということでもあった。
大小はあれど軍隊を指揮する者であれば、それを超える強さが求められたのだろう。それ以上の能力を持つものが現れれば、すぐにとって代わられる。
「でも、今は兵士をやめたことを後悔はしていないさ」
ガストンは口元を緩めながらカウンターの近くを見た。
その視線の先では、彼のパーティメンバーの盗賊と神官が、他の冒険者達と楽し気に会話をしていた。
「……そうか」
俺はガストンと一緒に、ただその光景を眺めていた。
「おいおい! パーティの主役がこんなところで何してんだよ!」
いきなり別の冒険者に腕を掴まれ、ギルドの中心へと連れていかれる。
その途端、冒険者達がこぞって集まってきた。
「アンタのことを悪く言って申し訳ねえ!」
「今まですまなかった! よくあのクソキメラを倒してくれたな! アンタは命の恩人だぜ!」
「アンタの動き、見てたぞ! とてもレベル1とは思えねえ! 何か強くなる秘訣でもあんのか!?」
「なあ! 【即死魔術】って外れスキルだって聞いてたけど、実は強いのか?」
押し寄せてくる冒険者達に飲み込まれ、俺はすっかり身動きがとれなくなってしまった。
「アーク様、すっかり人気者ですね!」
気付けばいつの間にかファティナまでその輪の中に入ってきていた。
「いや別に俺は助けたわけじゃ──」
そう言いかけた時だった。
「今日は随分とにぎやかですね。これは一体何の騒ぎですか?」
不意にギルド内に聞き覚えのある声が響いた。
真っ白な鎧を纏う、金髪の男。
そこに居たのはSランク冒険者、アレンとそのパーティメンバー達だった。
そして彼の隣には、俺やファティナの装備よりも遥かに高そうな、白を基調とした美しい神官用のローブに身を包んだリーンがいた。
冒険者達の視界に彼らが入った途端、建物内は静寂に包まれた。
「アレンさん、こちらのアークさんがこの町を襲ったキメラを見事打ち取ったんですよ」
受付嬢が出てきて説明すると、アレンはにこりと微笑んだ。
「なるほど。そんなことがあったのですか。君があの黒いモンスターをね……」
アレンはこちらに近寄ってくると、俺の顔をまじまじと見つめた。
「えっ? アークが……? そんな、だって」
彼の後ろでは、リーンがひどく驚いた様子で何事かを呟いている。
すると、アレンは顎に手を当てて思い悩むような仕草をとった。
「……ああ! 君がリーンさんの幼馴染でレベル上限1だという噂の最弱冒険者か! ということは、君が例の【即死魔術】スキルとやらでこの町をモンスターの脅威から救ったというのか!」
仰々しく話すアレン。恐らく、彼らはたまたま俺の即死魔術がキメラに当たった程度にしか思っていないのだろう。
「ハハハ。いやこれは傑作だな」
「テメェ、さっきから何がそんなにおかしいんだよ」
「……なに?」
声を上げたのは、ガストンのパーティの盗賊だった。
「アイツはな、命がけで俺達を救ってくれたんだ。それを笑う奴は誰だろうと俺が許さねえ」
睨みつける彼に対して、アレンはいつもと同じように微笑みながらゆっくりと近付いていく。
「何か大きな誤解があるようですね。私はSランク冒険者でレベル上限は90。もしも本気で勝てると思っているなら救いようがない。許すかどうかは私が選ぶ方ですよ。そうだ、例の【即死魔術】を当てれば勝てるかもしれませんね」
「ふざけやがって!」
「──それ以上、アーク様を侮辱するのはやめてください」
二人の間に割り込むように、ファティナがアレンの前へと出た。
「貴方はレベル上限90だと言いましたね」
「ええ、そうですよ。冒険者の中で最も高い上限値でしょうね」
「私のレベル上限は貴方よりも高い100です。嘘ではありません。証明することもできます」
「な……レベル上限100、だと……?」
ファティナの言葉に、アレンとそのパーティメンバー達の顔に明らかな動揺が浮かんでいた。
パーティリーダーであるアレン自身よりも更に上限が高い相手を見たことがなかったせいだろう。
「それでも、私はこれからもずっとアーク様についていきます。なぜなら私の命を救ってくれたから。森の中に捨てても良かった私を暖かいベッドまで運んでくれて、村を滅茶苦茶にしたモンスターを倒してくれたから」
「そうですか」
ファティナの話を聞いたアレンは、呆れた様子で言った。
「たったその程度の事で人生を棒に振ると? 冗談でしょう? レベル上限1ですよ? ゴブリンに数発殴られれば死ぬような人間とこれからも一緒にいると?」
「貴方にとってはたったその程度の事かもしれません。でも私にとっては違います」
ファティナははっきりとそう告げた。
「私は、私を助けてくれた人を今度は助けたいと思うから。それがどんなに辛い道のりであったとしても、決して報われない人生だったとしても受け入れます」
「まったく理解できませんね」
「理解できないのは、お前がそういう道を一切選ばずこれまでやってきたからだろう」
ガストンが言い放った。
「アークは自分がどれだけ馬鹿にされようとも、決してお前のように誰かを見捨てたり、見下したりはしなかった。そればかりか、沢山の人間を助けた。それで皆、気付かされたんだ。レベル上限が高ければ、ランクが高ければ偉いわけではないとな」
その場にいた全員が、アレンの事を見ていた。
でも、もう誰もかつてのような羨望の眼差しを向けてはいなかった。
アレンの顔に今までのような笑顔ではなく、苛立ちが満ちていく。
「あなたは生まれ持った力を誇示することでしか自分を表現できない、悲しい人」
「き、貴様……ッ!」
そして次の瞬間、アレンがファティナに向けて拳を繰り出し――
俺はそれを横から掴んで止めた。
「なにっ!?」
アレンが信じられない物を見たかのように顔を歪ませた。
こんな展開になるとは一切考えていなかったのだろう。
「やめておけ」
「な、なぜだ……!? どうしてレベル1のゴミが……!」
必死に俺の手を振り払おうとしているアレンの顔に、困惑と焦りが浮かんでいく。
力を込めているようだが、その腕は微かに震える程度だ。
多分、俺のステータスはもうアレンを上回ってしまったのだろう。俺の手を振りほどくことすらできないアレンが、急に弱く感じられた。
腕を放すと、アレンはマントを翻してそのままギルドの入り口へと向かった。
そして、こちらを振り返ると忌々し気に俺を睨みつけ──
「……何の力も持たないゴミどもが」
それだけ言って、ギルドを出て行った。
「あ、アレンさんっ!?」
リーンは恨むような目で俺を一瞥してから、アレンの背中を追いかけた。すっかり嫌われたものだ。
彼らがいなくなった後は、再びギルドに喧騒が戻ってきた。
「さて、飲み直しだな」
ガストンはパーティメンバーの盗賊を連れて酒樽の前に行ってしまった。
後には俺とファティナだけが残された。
「これからもずっと、までは少し言い過ぎじゃなかったか」
「ま、まああれはそのぐらいの規模感と言いますか何というか……」
しどろもどろになりながらファティナが説明するが、よく聞き取れなかった。
結局、ギルドでの宴は夜通し続いたのだった。