過去回想:三千年前
「ザリフさん……どうしてこんなものを……」
薄暗い研究室の奧、若年の錬金術師ライアスは驚きを隠せない様子で自身の背丈よりも高い装置を見上げた。
たくさんの管が繋がれ、薄緑色の液体で満たされた楕円型の透明容器の中には、一糸纏わぬ少女が浮かんでいる。真白で美しい髪と褐色の肌を有するその少女は、目を閉じて胎児のように体を丸めていた。人間であれば十五、六歳ほどだが、狼のような耳と尻尾が生えている。人工生命体であるホムンクルスだ。
困惑するライアスのすぐ横では、錬金術師ギルドの主であるザリフ・エルラハージが静かに物思いに耽っている。
今ではすっかり落ちぶれて、アスタルという女神を崇拝する怪しげな教団の下部組織に成り果てた錬金術師ギルドでは、人ではない何者かの創造を行っている。その基礎技術は教団から与えられたものであり、ギルドが独自に改良を加えながら実験を繰り返していた。
この計画は『人工生命創造計画』と呼ばれていて、人より優れた種を生み出すことを目的としているが結果は芳しくなかった。人工生命の創造という技術が、錬金術師達の想像よりもはるかに高度で難解だったからだ。
このまま成果が出せなければ、教団からの援助も打ち切られてしまい、ギルドは存続不能となるだろう。そう考えたザリフは賭けに出ることにした。
それは、教団の巫女であったシャルナという女性の遺骨を素材として利用し、新型のホムンクルスを誕生させるという手法だった。
シャルナには生まれつき高い魔術適性があり、さらには周囲の人間の思考を誘導する超能力──異能を持っていた。シャルナの生体情報を基にしたホムンクルスならば、教団の期待に応えうる人材になるはずだとザリフは判断したのだった。
ところが、誕生したホムンクルスには致命的な問題があった。調整を行ったにもかかわらず、なぜか容姿がシャルナそっくりになってしまったのだ。
シャルナ自身は既に老衰で亡くなっているが、彼女をモデルにした肖像画は数多く残されている。白い髪、褐色の肌、青色の瞳はシャルナの特徴であり、生前は村人達から大切に扱われたという。
その村人達の子孫が、神聖クレティア王国を実質的に支配している七人の大魔術師である【七賢者】として君臨しているのだ。
だから、このホムンクルスを教団に差し出せば彼らの怒りを買うことは目に見えていた。シャルナのコピーを創造したこと、遺骨の入手経路のことも。
「聞いてますか? ザリフさん。いくらなんでもこれは納品できませんよ」
「ふむ」
しかし、ザリフはそうはなるまいと考えていた。
教団は強い力を持つホムンクルスを求めている。それがどんな理由によるものかは一切明かされていないが、必要だからこうして錬金術師ギルドも巻き込んでいるのだ。
もしも自分が全知全能を有する神ならば、他人に仕事を任せたりはしない。つまり、アスタルは王国の人々が想像しているような完璧な存在ではないのだとザリフは考えている。
何らかの隠された事情があり、それは他の全てに優先される。即ち、目に見える成果こそ最も価値があるということだ。
「測定結果はどうだ」
ライアスは大きな溜め息を吐くと、宙に浮く半透明の板を指で叩いた。板にはホムンクルスの少女に関する様々な情報が記されている。
「各能力値は通常の人間の約十倍です。発現した異能については剣と魔術の二つで、効果量はどちらも上級相当でした」
「巫女の異能が発現しなかったのは残念だが、それでも想定以上だ」
「今回もそうですが、どんな異能が発現するかについては法則性が一切見えませんね。なんだったかな、教団主導でやっている変な名前の計画も、最近になってようやく適合者を一名確保できたとか聞きました」
ザリフが教団から与えられた権限で閲覧可能な情報の中には、異能の法則性に関する記述はない。アスタルや七賢者ですら解明できてないのだろう。
「教団との接触は最低限にしておけ。七賢者の機嫌を損ねれば、こんなギルド簡単に潰される」
「だったらこのホムンクルスが納品できないことだって分かるでしょう? 枢機卿のラギウスは、巫女シャルナに飼われていたそうじゃないですか。こんなことがバレたら、僕ら生きたまま丸飲みにされてしまうかも……」
「案ずるな。話は既に通してある」
「教団と? いつの間にそんな繋がりが出来たんです?」
「本当に知りたいか?」
「い、いえ……それなら魔術学院への編入手続きはいつも通り済ませておきます。名前は決まってますか?」
「シャディヤだ。リタと同じ『A』クラスに編入させろ」
「第五世代型ホムンクルス、個体名シャディヤ……と。そうだ、ついでにリタお嬢さんの様子も確認しておきますね」
「娘は最近どうだ」
「元気ですよ。この前会った時にはエヴラールの地下庭園に行きたいと言っていました。地中深くに存在しているのに、まるで地上のように太陽が昇る不思議な場所だそうです」
地下庭園についてはザリフも知っている。七賢者の一人である賢老エヴラールが、アスタルの慈悲深さの象徴として建造したのだとか。
要するに寄付金の回収装置だ。ザリフ自身は死んでも行かないと心に決めている。
「お嬢さんも僕と一緒に見て回るのを楽しみにしていると。へへへ……」
「そうか」
浮かれ気味に話していたライアスだったが、素っ気ないザリフの反応を訝しんだ。
普段であれば『娘に指一本でも触れたら切り刻んでキメラの餌にしてやる』と恫喝するところなのに、今日に限っては違っていたからだ。
だから、ライアスは思わず言ってしまった。
「もう手遅れかもしれませんけど……僕だってまだ死にたくないし、ザリフさんにももっと生きていてほしいって思うんです」
こんなことを続けていれば、いつか必ず取り返しのつかないことになる。その時には二人とも生きてはいないだろう。
教団にとって用済みと判断された人間は、ただ処分されるだけではない。最初から存在しなかったかのように人々の記憶からも消去される。
本当にいなくなるのだ。この世界から。
「お前が何をどう思っているかは知らないが、私は無計画に事を進めている訳ではない。さあもう仕事に戻れ。すべきことは山ほど残っている」
その言葉に束の間の安らぎを得たのか、ライアスは無言で頭を下げると研究室を出て行った。
ザリフは顔を上げ、ぼんやり光る培養槽の中で眠るシャディヤを冷ややかに見つめた。
「くだらん芝居はよせ。起きているのは分かっている」
シャディヤがゆっくりと目を開け、不敵な笑みを浮かべた。眠ったふりをして二人の会話を盗み聞きしていたのだ。
このホムンクルスは、他の個体と根本的な何かが違う。
肉体の強靭さのみならず、高い自己認識力と狡猾さを併せ持つ。ザリフがこれまで創造してきた生物の中でも間違いなく最高傑作と呼べるだろう。
ザリフは培養槽の中で微笑むシャディヤを見て、長く胸の内に秘めていた疑問を改めて考える。
アスタルは、どんな目的があって人々の前に姿を現したのだろうか。
私利私欲を満たすための楽園の構築?
愛すべき人類の繁栄と謳歌?
死と絶望が蔓延る暗黒の世界?
それとも……。
ザリフは背後の暗闇から何者かの気配を感じ取った。




