第十四話 植物研究エリア、バリアントローパー(2)
まずいことになった、というのだけは理解できた。
「松明だ! あるだけ灯すんだ!」
先行していた騎士ガストンとソフィアの部隊が通路の奥から引き返してきた。
ガストンが大声で指示しながら松明を掲げると、地面から忍び寄っていた無数のツタが一斉に壁へと後退していく。
「こんな化け物がいるなんて、報告には無かったのに!」
ガストンと背中合わせに立つソフィアが、手にした剣でツタを薙ぎ払う。
「恐らくローパーの変異種だ。火に弱いのは同じらしい。まさか地下庭園が復旧したことで休眠状態から目覚めたのか? 通路が明るくなったのが裏目に出たな……」
あちこちで松明の光が灯ると、ツタは炎から逃げるように後退し始める。俺達が植物だと思い込んでいたものは、ローパーという巨大なモンスターの触手だった。
「どうにか上手くいったか」
「待って、様子が変だわ」
通路を覆っていたローパーの触手が突然密集し、壁となってエントランスエリアに通じる道を完全に塞いでしまった。
蠢くツタ──ローパーの触手で出来た壁が迫ってくる。
列の後方にいた兵士達は、すっかり怯えた様子で悲鳴を上げて逃げ出した。
さっきまでの整った行進はもはや見る影もない。
「た、隊長! 壁が迫ってきます!」
「どいて! 全部燃やしてやる!」
ソフィアが迫る壁に向かって手をかざす。
短い詠唱が終わると同時に複数の火球が連続して撃ち出された。
燃え盛る炎がローパーめがけて飛ぶ。だが蜂の巣のような六角形をつなぎ合わせた模様が現れて、触れる前に霧散してしまった。
「魔術防御!? こんなものまで……」
「ソフィア! 危ない!」
反撃とばかりに触手が一斉にソフィアめがけて放たれる。ガストンが盾を構えてソフィアをかばうと、触手は盾を絡め取ってしまった。
状況は良くない。明らかな劣勢だ。
そんな光景を前にして、なんとかしたくても、俺にできることはない。
無力。
無力だ。
己の力の無さを強く感じる。仮に五体満足であったとしても結末は変わらないだろう。
それでも、彼女を守らなければ……。
──アーク! 私が言ったことを必ず思い出せ!
そうだ。
誰かに言われた気がする。
あれはいつの話だっただろうか。
「うう……」
「どうしたの? 大丈夫?」
無いはずの右腕が急に痛み出す。
思い出そうとすると意識が曖昧になり、集中力が失われてしまう。
「お願い、しっかりして。今倒れたら置いていかれちゃう」
らしくない弱気な声でリーンは言った。
記憶の中に微かにある、どこか遠くの町で話した時の彼女にそっくりだ。
「大丈夫だ……今度こそお前を死なせはしない」
「何言ってるの……?」
自分で吐いた台詞なのに意味不明だ。だがこの気持ちを無視してはならないという心の囁きだけが確かに存在している。
リーンを救う方法はある。
それには助けがいる。
周囲の様子を確認する。後方ではバートン卿がガストン達に加勢していた。
「この通路では多方から攻められる我らが不利だ。もっと広い場所に出るまで進むしかあるまい」
バートン卿がガストンに兵の移動を促す。
「ですがバートン様、今仕留めねば追い詰められる可能性もあるかと」
「ここで戦えば多くの犠牲を強いることになる。それはできん」
「しかし──」
「責任は全て私が取る。進むのだ」
「……分かりました。全員、奥に向かって走れ! 通路が終わるまで絶対に立ち止まるな!」
ガストンの命令により、兵士達が一斉に奥へと走り出す。
「アーク殿、いけるかね」
「はい。平気です」
「殿は我らが務める。急がれよ」
バートン卿ら騎士達はローパーと対峙し、最後の兵が逃げるまで待機している。
「俺達も行こう」
「大丈夫なの?」
「問題ない。急ごう」
手を取り合って駆け出すと、すぐ横の壁が隆起して再びローパーの目玉が出現した。
巨大な目玉は壁の中を滑らかに動き、俺達がいくら走ろうとぴったりついてくる。
奇妙だ。なぜ目玉は攻撃もせず俺達に付きまとうのか。本当にただこちらを見ているだけなのだ。
いったい何を見ているのか。その疑問は、目玉の視線の先を追うことで解消した。
リーンだ。
目玉が見ているのはリーンだった。
一度も視線を外すことなく彼女を追いかけ続けている。やはり何か関係があるのだ、リーンと地下庭園には。特別な存在として認識されているのだ。
終わりの見えない通路をとにかく走る。
ローパーの目玉は相変わらず執拗についてきたが、それでも走り抜ける。
運が良かったのか、俺達の体力が底を尽く前に通路は終わり、大きな部屋へと出ることができた。
通路から繋がった部屋は白い壁があちこち崩れかけているものの、全員が入ってもなお余裕がある。天井は吹き抜けになっていて上から攻撃される恐れもない。ローパーと戦うには適した場所に違いなかった。いくら形状を変えられるとしても、この部屋全体を覆うほど広がれはしないだろう。
『ゲヘヘェ……』
知っている獣の鳴き声が響く。エントランスエリアから逃げたキメラだ。
どこからともなく落下してきたキメラは、再び俺達の前に姿を現した。
「さっきのキメラか!!」
「よもやこんな時に現れようとは……」
タイミングが悪すぎる。兵士達の統率が乱れているうえ、両方を相手にはできない。
『ヴォウ!!』
キメラは即座に飛びかかってきた。
あまりにも躊躇のない一瞬の出来事で、もう避けきれないと思った。
ところが、キメラの巨体は急に後ろに引っ張られるようにして離れた。
ローパーだ。部屋の中まで入ってきたローパーがキメラの四肢に絡み付き、引きずり込もうとしている。
『ギャウウウ!』
『エゲゲゲゲゲ!』
『フシュルル!!』
キメラの頭がそれぞれ叫び声を上げ、暴れながらローパーに飲み込まれていく。恐ろしい光景を前に誰もが言葉を失う。
「モ、モンスター同士で食い合ったのか……」
「だがこれで残るはあやつのみ。叩くなら今だ」
ローパーは背の高い体を緩やかに動かしていたが、急に触手が痙攣するかのようにびくりと震えた。無数の触手は絡まり合うと、やがて三つの束に分かれた。束の先端がそれぞれにキメラの頭を形作る。
ローパーの予想外の変化に唖然としていると、三頭の目が光り始めた。
光は徐々に強くなっていく。まるで何かを発動するために力を溜めているようだ。
「──ッ!? まずい! 散開しろ!」
ガストンの指示は間に合いそうになかった。
このままでは誰も生き残れないと思った時、気付けば俺はローパーに向かって走り出していた。
どうしても必要なことだった。
「アーク! 待って!」
困惑するリーンの声が聞こえる。
「アーク!? 何をしている! 戻れ!」
「ガストンもう間に合わない! 私達も逃げないと!」
「しかし!」
三つの頭が同時に俺を見た。
長い首が蠢き、品定めするかのような視線を向ける。
俺にもし何かしらの力があったとしたら、それはきっと右腕と一緒にどこかへ行ってしまった。
だから、ローパーを倒すためには他の誰かを呼び寄せるしかない。
思い浮かぶのはただ一人のみ。
必要なのは意志を示すこと。
意志を示せば、彼女はやってくる。
「すまない。助かった」
一陣の風が吹くと、三つの頭が横に真っ二つになり一斉に爆発した。
触手の端から赤い体液が噴水のように舞い上がり、周囲に雨となって降り注ぐ。
ローパーを一瞬にして仕留めたファティナは、血の雨に打たれながら静かに佇んでいた。
「他人を当てにするなんて、情けないと思わないの?」
「ああ。情けないな」
「私が来なかったらどうするつもりだったの?」
「来るさ。予感とか、願望とかそういうものじゃない。君は俺を見捨てないし、いつも助けてくれる」
「つまり何の根拠も無かったってこと」
「根拠ならある。それは信頼だ。信頼は形はないが、確かに感じられるものだ。小難しいことを言わなくとも」
「ずいぶん懐かしい話だわ」
不思議だ。
怖かったはずの彼女の真赤な瞳が、どうしてか今は頼もしくもあり、懐かしくもあった。
「記憶が完全に戻った、という訳ではないみたいね」
「何も覚えていないし、村で育った俺にそんな記憶があるはずがない。それでも、君と一緒にいたんだ。ファティナ」
ファティナはうつむいて何も答えない。
言いたいけど言えない。そんな感情が少しの仕草から読み取れる。
「行きたい場所があるんでしょう」
「この下に俺が必要とする何かがある。それを手にしたら前に進める」
「期待するようなものが何一つなかったとしても?」
「知りたいんだ。それでも」
「分かった。私も一緒に行く」
「ありがとう。君がいてくれて心強いよ」
「……もっと早く、そう言ってほしかった」
ファティナの言いたいことは、分かるようで分からない。でも一緒にいれば理解できるようになるはずだ。
「話し合いは無事に済んだかね」
会話がちょうど途切れたところで、バートン卿が話しかけてきた。
「気付いてた?」
「何が?」
「この人、私が貴方を助けると知っていたから先に進んだの」
「はて、何のことやら」
「気を付けることね。もう騙されないように」
バートン卿は言っていた。剣のスキルは刃を交えた相手の気持ちが分かると。
この老騎士は、どうやらとんだ食わせ者らしい。