第十三話 植物研究エリア、バリアントローパー(1)
モンスターの姿が広場から完全に消えると、兵士達は次第に落ち着きを取り戻したのか固まって行動し始めた。
バートン卿は俺達の仕業だと気付いたようだったが、「しばし待たれよ」とだけ告げて騎士達の集まりへと歩いていった。
疲労を感じる。
付近の兵士と同じように座って休むことにした。
兵士達は口々に「古傷が消えた」とか「持病が治った」とか嘘みたいな話を言い合っている。
広場には治癒魔術に似た効果が発現しているらしい。しかし、俺達二人に身体的な変化はない。
「治ってないな」
「生まれつきだから?」
生きているだけでも奇跡に近い。
高望みしすぎかもしれない。
日記の写しを所持していなければ最悪全滅していた。
ファティナが一緒に戦ってくれればこうもならずに済んだはずだが、バートン卿とのやりとりを見た感じ、彼女は領主軍と敵対しているようだ。助力は得られそうにない。
そして、あえて口に出して言うようなことはしないが……本当にリーンには特別な力があるのかもしれない。エリックから聞いているのは能力値が異常を示していること、スキルは毎回必ず固定で三つあったということだけだが、それが原因なのか?
「本当にありがとう。おかげで命拾いした」
不意に声を掛けられた。
騎士のガストンだ。
危うくキメラに食われかけていた彼だが、無事な様子が見られてなんだか妙にほっとした。
「君の彼女は本当にすごいな。ここの仕組みはとんでもないぞ。モンスターは絶対に侵入できないし、道中の安全さえ確保できれば治療院として機能するかもしれない」
「まあ、たまたま運が良かっただけだと思いますが……」
「そうかもしれないが、その運を引き込めたのも君が善い人間だからかもな」
さすがにそれは言い過ぎだ。
「では私も話し合いに参加してくる。また後できちんと礼をさせてくれ」
「もう町に帰れそうですか?」
「あー……すまないがそれは私にも分からない」
微妙に言い淀んでガストンは去っていった。
まさか奥に進むつもりじゃないだろうな。
「まあ、領主様からも危なくなったら引き返せって言われていたし、もう調査を切り上げて帰るんじゃない? はいこれ」
さっき渡した日記の半分を返してもらう。
バートン卿と騎士達の話し合いはまだ続いている。今は特にすることもない。
「読むか?」
「うん」
まだ何かが起こるかもしれない。
今のうちに残りを読んでおくことにした。
『植物研究エリアを観覧した後、神官達に呼び止められた。シャディヤがホムンクルスだからという理由で礼拝街エリアへの立ち入りが許されないという。シャディヤとロディくんは、自分達は戻るから二人で楽しんできてと言った。だけど私は頭にきて、一緒に引き返すことにした。まあ、その後はみんなで町を散策して美味しいものを食べたし、十分楽しめたからよかったけど……』
「四人は途中で帰ったのか」
「そうみたい。獣人って昔は身分が低かったのね」
「どういうことだ……? じゃあどうしてリタは隠し部屋にいたんだ」
「言われてみれば。普通に考えるなら、後になってもう一度来たとかだけど」
「なんのために?」
「私にばっかり質問しないでよ。理由は分からない。けど何があったにせよ弔ってあげたいわ」
「まあそうだ」
後でバートン卿に言って運ぶのだけでも許可してもらうか。分けて運べば俺達二人でもいけるだろう。
「ねえ、続きを見て」
リーンに促されて、先の文章に目を向ける。
『エヴラール様が亡くなった。見つかった時には既に心臓が止まっていたそうだ。七賢者の方々は魔術によって寿命を延ばしていて、ほぼ不死に近いとさえ言われていたはずなのに』
なぜか死因の部分が丸で囲われている……。
恐らくリタが記したものをウォレスがそのまま転写したのだ。理由までは書かれていない。
「待たせてしまった。方針について少し意見が割れたのでな」
バートン卿が戻ってきた。
休憩を終えて立ち上がる。
「いえ。それでどうなりましたか?」
「先に言わせてもらうが、我々はまだ地上に戻ることはできない」
「…………」
黙ってバートン卿を見つめ返す。
俺達の顔には「今すぐ帰りたい」とでも書かれていたことだろう。
「申し訳ないとは思っている。だがモンスターの増加はあのキメラの仕業と見て間違いあるまい。彼奴を討伐するまでアルバート様に報告はできない」
そんなのは困る。これでは命がいくつあっても足りない。
そもそも一度全滅しかけているのだ。無策で進んだりしたら生還は絶望的だ。
「ですが、この先にはキメラだけでなくあの獣人もいます」
「承知している。しかしあの娘に戦う意思はなかった。私も剣のスキルを有しているせいか、能力を通じていくらか相手の思惑や力量が読めるのだ」
バートン卿も手加減されていたことに気付いていたようだ。
「それにアーク殿はあの娘と何かしらの因縁があるのではないかね」
「因縁というほどのものでもないですが、助けられたり話したことはあります」
「そうかそうか。まあ、そういうこともあるのだろう」
バートン卿は一人で勝手に納得してから、「あれを見たまえ」と奥の通路を指差した。
先程まで暗闇に包まれていたはずの通路は、どういう仕組みか光源も無しに明るく照らされている。
「今まで停止していた施設が再び稼働し始めたのかもしれん。これは我々にとっても好機なのだ。正直に言えば私も半信半疑だったが、リーン殿の力が関係しているに違いない。治癒と保護の魔術が展開されているこのエントランスエリアを新たな拠点とし、奥へと進むべきだ」
「いや、ですが──」
「キメラの討伐さえ終わればすぐに町へ帰る。私からも十分な額の報酬を約束しよう。今はどうか我々と共に来てもらいたい。このとおりだ」
バートン卿が腰を少し曲げながら頭を深く下げた。
俺達だけでなく、近くにいた兵士達までもが彼の様子に驚いていた。
領主の指示を無視してでも討伐を優先する気持ちは分からないでもない。
ここで一旦引き返したとして、再びキメラが姿を現すという保証はどこにもないのだから。
今日出会ったばかりではあるが、バートン卿は騎士としての見栄のために俺達を連れ回すような人物には思えなかった。彼は事態が深刻になる前に解決しようと努めているだけなのだ。
そして、断ったせいで何かが起きたりすれば……俺には責任を取ることができない。
少しばかりの休憩が終わった後、再び行軍が開始された。
エントランスエリアから続く通路は、これまでと異なり床から天井まできっちりと白い石材で舗装されていた。道幅は庭園入り口の二倍はあるのでかなり広いが、一方で壁の一部を完全に覆ってしまうほどに木の根やツタが好き勝手に生えていて歩きにくさも感じる。
途中途中にある階段を下りるたび、自分が地上から離れつつあることが理解できて少しの恐怖を感じる。それに加えてまたキメラの襲撃があるのでないかと余計に緊張する。
リーンの様子を確認しようと、隣に顔を向けると視線が合った。
「疲れてないか?」
「今のところは平気だけど……この道ってどこまで続いているの」
「日記によれば植物研究エリアという名称らしいが」
「そのわりには部屋なんて見たことないけど」
リーンの言う通りだ。
ここまで扉らしきものを一つも見ていない。
もうエントランスエリアを出てかなりの距離を歩いたはず。そんな不便な造りにするものだろうか……。
バートン卿や騎士達は気付いていないのか?
キメラの襲撃を警戒してそれどころではないとか?
戦いの素人である俺ですら、今の状態は危険だと感じる。
すぐに引き返すべきだと進言しないと。
バートン卿に話し掛けようとしたところで、急に少し前を歩いていた兵士が派手に転んだ。
痛そうだと思いつつも、妙な親近感が湧いた。疲れているのは俺達だけではなかったらしい。
すぐ横にいたバートン卿が、兵士に手を差し伸べて起き上がるのを手伝う。その途中で──なぜか彼は剣を抜いた。
「ツタを切れ! 早く!!」
バートン卿が大声で叫ぶと、目が覚めたような気がした。
見れば前も後ろも兵士達が何人も倒れ込んでいて、その足首には太いツタがまるで意思を持つ生物のように絡みついていた。
……これは壁じゃない。
ただ植物が茂っているだけだと思っていた通路の壁。
その一部が十字に裂けると、人の頭よりも大きな目玉が現れた。
通路全体を覆っているモンスターが、四方から兵士達を壁の中へと引きずり込もうとしている……。




