第十一話 分岐した世界
屋敷を出た後は、大通りで調査部隊の出発を待つことになった。
兵士達の姿はまだ見えない。町の外で合流するのだろう。
「思っていたよりずっと大きな話みたい」
リーンの口調はあくまで冷静だ。
怖気づいたわけではないらしい。
「モンスターが増えているらしいし、調査のためにも倒しながら進む必要があるんだろう」
「結局あの地下庭園って何なのかしら」
「さあ……エリックも言っていたが、どうもただの古い遺跡ではないらしい」
巨大なスケルトンが上層に出てきたのは、今回の件と何か関係あるのだろうか。
そして、そのスケルトンはファティナによって討伐された。
ファティナはなぜか俺の名前を知っていて、いずれリーンが裏切るという予言めいた言葉まで残している。
「見知らぬ人間が、俺達のことを知っているかのように話すのはどうしてだと思う?」
「森で会った狼男に、獣人の女ね。含めていいのか分からないけど、ガストンっていう騎士の人も。こうも続けざまだと、ただの人違いとは思えないけど」
「同じく。ギルドでファティナが言っていたことも謎だ」
「あの女の言うことが本当なら、どうやら私はあなたを裏切るみたい」
「突然王子様が現れて養ってくれるとか?」
「それなら有り得るかもね」
「幸せに暮らしてくれ」
「バカね。そっちこそやけに気に入られているみたいだったけど?」
「まったく身に覚えがない」
「当たり前でしょ。あんな下品な女とあったら最低だわ」
「なにもそこまで言うことはないのでは」
「あの女の肩を持つわけ?」
「いや、助けてもらった恩もあるし」
前にも感じたことだが、リーンとファティナの仲は険悪だ。
ファティナがやたらとリーンのことを敵視しているのが一番の理由だが……今後はなるべく鉢合わせしそうな場所は避けることにしよう。
しかし、なんで俺がこんなことを気にしなければいけないんだ。俺が何をしたというのか。
「この件は一旦後回しにしましょ。それらしく振舞って私達を仲違いさせるのが目的かもしれないし。今は目の前の仕事をこなさないとね」
「まあそうだ」
まずは地下庭園から生きて戻らなければ何も始まらない。
まともな仕事に就けると決まった今では、命を危険に晒すような行為には心底うんざりする。
明日自分が生きているかどうかを毎晩考えなければならない日々は、今では忌避すべき対象となっていた。
これ以上、何事も起こらなければよいのだが。
「そこにいたか、アーク」
兵士を連れたガストンに声を掛けられる。
「すまないが、少々問題が起きて出発が遅れそうだ」
「何かあったんですか?」
「薬が予定数揃っておらず、急ぎ調達しているところだ。さほど時間はかからないと思うが、必要なら屋敷で休んでもらっても構わないとアルバート様が」
嬉しい申し出ではあるが、平民が、しかも汚れた服で貴族の屋敷に留まるのは気が引ける。うっかり粗相をして問題になったら困るし、逆に気疲れしてしまう。
「では、今のうちに簡単な用事を済ませてきます」
「そうか。なるべく早く戻ってきてくれ。入れ違いになると困るからな」
「分かりました」
本当は用事なんて無いが、リーンの手を引いて足早に通りを進む。
意図を汲んでくれたらしく、彼女は無言でついてきた。
「適当に時間を潰すか」
「いいんじゃない。この辺りは初めてだし」
とは言ったものの、中心街は役所や高級そうな店ばかりが立ち並び、通行人の身なりも異なっていた。
俺達のようなみすぼらしい恰好の人間は一人として存在しない。この場に似つかわしくないことは一目瞭然だ。
早々に居心地の悪さを感じた俺達は、相応しく思える人目の少ない路地に逃げ込むしかなかった。
「散策するまでもなかったな……」
「今はね。でもお給金によってはたまに来れるようになるかも」
「夢があるな」
俺達が就く仕事は、どの程度給金をもらえるだろうか。
どんな仕事であれ、見習いの間はわずかな金しか与えられない。使えないからとすぐに追い出されるようなことにはならないだろうが、いつまで雇ってもらえるかは不明だ。
ここまで来たらアルバートを信じるしかないが、本当にこの選択で正しかったのだろうか。
もしかしたら、俺達に地下庭園を調査させるために出まかせを言ったのかもしれない。つまり騙されたのだ。
現実は想像した通りになってはくれない。
上手くいったかと思えば、途端に足を掬われる。これまでの出来事が、急に何もかも嘘くさく感じられ始めた。
「実はアルバートが善人の面を被った悪党で、今回の件が終わったら用済みとして処分される可能性もあるんじゃないか」
「この流れで何をどうしたらそんな考えが思い浮かぶの? いくらなんでも悲観的すぎ」
「もう誰かに裏切られたり騙されたりするのは御免だというだけだ」
「そんな経験いつしたの? 無いでしょ」
「無いが、考えると腹が立ってくる」
なぜだか知らないが、説明のつかない感情がどこからともなく湧き上がってきた。
「私を見てよ」
言われて、片側だけが露わになっているリーンの顔を見つめる。するとどうしたわけか、心の中にあった猜疑心のようなものが徐々に薄れていくのを感じた。これまでの言動が自分でも不思議に思えるほどに冷静さを取り戻す。
「落ち着いた?」
「……悪かった。おかしなことを口走っていたようだ」
「分かればよろしい」
リーンは腰に手を当てて胸を張り、それからクスクスと笑った。彼女の笑顔を見ていると、心が安定する気がする。
どうにか落ち着きを取り戻したところで、誰もいない道をゆっくりと歩き始める。
中心街に近いこともあってか、酔っ払いや、見るからに怪しげな者はいない。
大通り側から喧騒がいくらか聞こえてくるのみだ。
突然、自分達だけが世界から切り離されたかのような感覚がした。
もちろん、ただの錯覚だろう。
しかし妙な気分だ。気持ちが一時的に昂ったせいだろうか。
「ねえ、あそこ」
リーンが指差したほうに目を向けると、路地の先に真っ白な建物があった。
白い石材か何かで組まれたであろう古めかしい三角屋根の建物は、民家の二階建てほどの大きさがある。いくつかある窓には色とりどりのステンドグラスがはめ込まれていて、中の様子は窺い知れない。
「金持ちでも住んでいそうだな」
「教会じゃないの?」
言われてみれば、本か何かで見た教会だ。
この地方で信仰されている宗教の施設だろうか。俺達の村には無かったから珍しく思える。
こんな場所に立派な建物を持っているくらいだから、信者の数も多いに違いない。
「ねえ、調査が無事終わるようにお願いしましょ。ご利益があるかも」
「いつからそんなに信心深くなったんだ」
「教会って、困っている人なら誰でも受け入れてくれるものでしょ?」
「物語の中ではそうだが、現実じゃ追い出されるだけだ。やめとけって」
この場所は俺達が普段暮らしている外周部分とは別世界だ。貧乏人が訪れることはないし、用も無いだろう。
しかし、リーンは扉を開けてしまった。
教会の内部は概ね想像していた通りだった。厳かな雰囲気の空間に二列の長椅子が整然と並び、床には赤い絨毯が敷かれている。凝った調度品や金の燭台など、質素とは程遠い。
しかし、何よりも目を引いたのは──奥の祭壇へと続く階段に座り込む一人の女性だった。
純白の修道服を着た女性は、高い位置にある一際大きなステンドグラスから射し込む太陽の光をじっと見つめている。
やがて女性はこちらへと振り向き、立ち上がった。
背丈は俺とほぼ同じ。腰元まで伸びた珍しいエメラルド・グリーンの髪は、彼女の儚げな雰囲気に絶妙に似合っていて、同色の瞳はどこか憂いを秘めているように思える。
「…………」
絶世の美女。
そう表現しても差し支えないほどに美しい女だった。
無表情で愛想はないが、問題にはならない。
目や鼻、身体の線に至るまで、すべてが正しく、文句の付け所がない。
他に替えなどいないと思わせられるほどに完成された存在感。リーンも顔の傷さえなければ十分に美人な部類のはずだが、そうした美しさともまた違う。人の形をとっているのに、人外ではないかとさえ思わせられる。
「いてっ」
「あんまりじろじろ見ない。失礼でしょ」
「そうじゃないって……」
リーンに背中を叩かれて我に返る。
見惚れてしまっていたのは確かで、不注意だった。
「信徒の方ではないようですが、どのようなご用でしょうか」
女の澄んだ声が響く。
この教会で働いている神官か何かだろうか。
「突然すみません。私達、道を歩いていたらたまたまこの教会を見つけたんです。だから、信徒というわけでもないんですけど……祈りを捧げてもいいですか?」
「もちろんです。どうぞこちらに」
「ありがとうございます」
思案する様子もなく、女は祭壇へと俺達を案内した。
「不安なのですね」
「えっ?」
一瞬だけ驚いた顔になったリーンを見て、ようやく理解する。
「まあ、そういうわけではないんですけど……」
ああ、そうか。
いつも気丈に振舞っているが、心の中はまったくそうではなかったのだ。
だから教会に入ろうだなんて言い出したのか。
──長く一緒にいるからといって、互いを本当に理解しているとは限らない。
ファティナの言葉を思い出した。
石で造られた祭壇の前までやってきたが、神を模した像などは配置されていない。名前はおろか、どんな姿形なのかも不明だった。
「神様のことを教えてもらってもいいですか?」
「申し訳ございませんが、名前や性質は私も存じ上げません」
「あれ? そうなんですか?」
「この教会に祀られているのは、名を忘れられた古い神。今では覚えている者もいるかどうか」
少しばかり気味が悪くなってきた。
教会内には女神官の他に誰もいない。礼拝の時間ではないのか信者の姿もない。おまけに自分達が崇拝している対象も分かっていないときた。
何の施設なんだ。ここは。
「神は常にあなたがたと共にあります。たとえ姿形が想像できずとも、祈りは必ずや届くことでしょう」
「なるほど……分かりました」
二人でその場に跪き、名もなき神に祈りを捧げる。
意味があるとも思えない行為だが、それでリーンの気が紛れるのなら構わないだろう。
少しばかり長い祈りを終えて立ち上がると、女神官が長い黒紐の付いた小さな麻袋をリーンに差し出した。
「どうぞこちらをお納めください。足を運んでいただいた御礼です」
「これは?」
「教会で作っている護符です。困りごとが起きた際には中を開いてみてください。導きが得られることでしょう」
無償で配っているなら特別な品というわけでもないだろう。
神様のありがたいお言葉か何かでも書かれているに違いない。
「素敵な品ですね。大切にします」
リーンは護符を受け取ると、すぐに身に着けた。どうやら気に入ったらしい。
「時間はよろしいのですか」
「あっ、しまった」
そうだ。入れ違いになったら困るからとガストンに念押しされていたのだった。すぐに戻らなければ。
「リーン、早く戻ろう」
「色々とありがとうございました。また来てもいいですか?」
「ええ。いずれまたお会いしましょう」
「さようなら。また……」
名残惜しそうにしているリーンの手を引き、教会から出る。
リーンが他人にここまで懐くのは初めて見た。
大慌てで来た道を引き返した俺達は、すぐにガストンを見つけて合流した。
そして、部隊と一緒に危険な地下庭園を進むことになったのだった。