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第十話 偏愛

「用は済んだわ。帰りましょう」

「承知しました」


 獣人たちは金も受け取らずに踵を返す。本当に報告をするためだけに寄ったらしい。

 怪訝に思いながらも獣人の女──ファティナの姿を眺めていると、こちらをじっと見つめ返してきた。

 無表情のはずなのに、なぜか言いたいことがあるという顔をしているように思えた。


「貴方は本当に私やメルのことを忘れてしまったの?」

「メル?」


 メル……メル……誰だろう。

 覚えがないはずの名前なのに、彼女の深紅の瞳に見つめられると知っている気がしてくる。


「はっ?」


 物思いからふと我に返ると、ファティナは体が密着するほど近くに来ていた。


「我慢するつもりだったけれど、もう抑えられない」


 ファティナが細くしなやかな指で俺の胸をなぞり、顔を近付けて匂いを嗅ぐ。


「ああ……この匂い、とても落ち着く。たとえ記憶を失っても、貴方は貴方……」


 狼人族だというファティナの容姿は美しいが、行動にどこか得体の知れない恐ろしさを感じた。

 すぐに離れたかったが、まるで金縛りにでもあったかのように体が硬直して動けない。

 お互いの息が届くほどの距離で見つめ合う形になると、両手で顎を掴まれ固定された。


「やめて!」


 リーンの声が響くと、急に体が自由になった。

 慌てて手を払い除けて距離を取る。


「いきなり現れて人の男を奪うのが獣人の流儀なの? 獣と大差ないのね」


 リーンが毅然とした態度で言い放つと、ファティナは口角を吊り上げた。しかし目はまったく笑っていない。


「アークが貴女の男? 笑えるわ」


 会話に覚える違和感。

 なぜ俺の名前を知っているのか……。


「この女はいずれ貴方を裏切る。今すぐ縁を切らないと、必ず取り返しのつかないことになる」

「さっきから何なの? 私達は生まれてからずっと一緒にいるし、そんなのあるはずない」

「長く一緒にいるからといって、互いを本当に理解しているとは限らない」

「あなたに私達の何が分かるというの? 人間ですらない獣人の癖に」


 ファティナが腰に差している剣の柄頭に手を置いた。

 軋むような音を立てながら、リーンの足元の床板から入り口の壁にかけて一直線に大きな跡が付く。視認できない斬撃。人狼の首を刎ねた時と同じだ。


 ギルド中の人間が顔を引きつらせ、声を発さずにただ建物に生じた傷跡を見た。彼女の逆鱗に触れれば誰であろうと瞬く間に殺されてしまうと感じているのだ。


「よせ!」


 リーンの前に出る。もはや俺が言ってどうにかなる問題でもないが、それでも止めずにはいられなかった。


「……この場でお前を八つ裂きにすることは簡単だけど、アークが悲しむからしないでおくわ」


 ファティナはそれだけ言い残すと、まるで何事もなかったかのようにギルドを出て行った。

 獣人達の姿が見えなくなると、ようやくギルドに活気が戻ってくる。


「怪我はないか?」

「平気よ。どういうつもりか知らないけど、私を本気で傷つけるつもりはなかったみたい」

「ふう……今回ばかりはヒヤヒヤしたぞ」


 エリックが額の汗を手で拭いながら言う。


「向こうはお前達のことをよく知っているような口振りだったが、どういうことだ?」


 訊ねられるが、俺にも心当たりはない。やたらとリーンを敵視していたが、理由も不明なままだ。


「いや、前に話したとおり夜の森で出会っただけで、本当にそれだけなんだ。なんで俺の名前を知っていたのかも分からない」

「ふむ、かなりお前に執着していたように見えたがね」

「それにしてもあの女、何者なんですか?」

「そうだな……どこから話せばいいものか。俺がこの支部に配属される前の話だから詳しくないが、以前この地域で疫病が発生したことがあったらしい。その時に特効薬を作ったのがあの女なんだと。しかも三歳でな」

「三歳って、さすがに冗談だろう」

「ところが事実らしい。で、その薬を領主様に売り込んで大儲けしたおかげで小さな村を一気に綺麗な町に建て直したそうだ。おまけにあの強さだから誰も文句を言えない。ある意味、この地方でもっとも危険な相手だと言えるだろうな」

「どう考えても普通じゃないわ。何か特別なスキルを持っているとか?」


 たしかに、薬作りから戦いまで何もかも一人でこなすなんてスキルの効果によるものとしか考えられない。


「以前ギルドが【鑑定】というスキルであの女を調べたらしいが、能力値がお前達みたいにおかしくなっていて、しかも【剣聖】というとんでもなく珍しいスキルを持っていたんだとか。まあ今回は運が良かったな」


 【剣聖】のスキルは俺達のような村人でも聞いたことがあるくらいに有名だ。武器を扱えるスキルの中でも特別で、明るい将来を約束された強力な才能だという。しかし、それだけでは説明できないような気がする。なにか別の……。


「さて、さっきも言ったが今日のところは帰ってくれ。どうしても金がないなら今日だけは貸してやらんこともない。でも他の奴には言うなよ」


 そうだ。すっかり忘れていたが、ギルドに来たのはエリックに話があったからだった。


「そのことなんだが……実は新しい仕事が見つかったんだ。領主様の探し物を見つけた報酬として。大昔のことが書かれている古い本を見つけたから、それを渡した」

「!! そいつは本当か!? どうやったのか知らないが、すごいじゃないか!」

「これまで色々と助かった。ありがとう」

「気にするなよ。良かったな、本当に……ハハッ!」


 エリックはこれまでに見せてきた──捻くれたそれではない──本心からの笑みを浮かべているように思えた。



 ギルドでの事件から三日が過ぎると、泊っていた宿屋にアルバートの使いの兵士が現れた。俺達は馬車に乗せられて、屋敷の前までやってきた。


 アルバートの屋敷はボルジャナートの中心にあり、さすが貴族だけあってギルドよりもはるかに大きく立派な建物だった。俺達のような素性の人間は明らかに場違いだと感じたが、約束した以上は仕事をこなさなければならない。


 廊下を通って案内された部屋に入ると、中にはアルバートを含め数名の男女がいた。いずれも紋章入りのサーコートと甲冑を着ているので、兵士ではなく騎士に見える。


「来てくれたようだね。それじゃあ早速だけど始めようか。バートン卿、よろしく頼むよ」

「はい」


 アルバートが促すと、騎士の一人である口髭を生やした初老の男が口を開いた。


「では作戦概要を説明する。今回の調査はモンスター大量発生の原因に関する情報収集が目的だ。調査対象となる東のダンジョン──エヴラールの地下庭園は、かつて我が国が『神聖クレティア王国』と呼ばれていた時代に建造された施設となる」


 神聖クレティア王国。

 なんとも胡散臭い名前だ。


「神聖クレティア王国……初めて聞きましたが、どのくらい昔の話なのですか?」


 金髪を後ろで一つに結った女騎士が問う。

 バートンは「不明だ」とだけ答えた。


「ウォレス殿が解読した日記によれば、アスタルという女性が民を導いていた時代らしい。正直言って、内容が常軌を逸していてどこまでが事実なのか判別がつかない」


 領主であるアルバートがいる前ではっきり分からないと告げるとは正直だが、その分不安が増してくる。真偽の区別がつかない情報を頼りにこれから進もうというのだから。


「上層と呼ばれている庭園のエントランスエリアの地形は大方把握済みだが、下の層は何が潜んでいるか分からん。危険を感じたらすぐに撤退するようアルバート様よりご命令いただいている」

「部隊が全滅なんてことになれば、我が領内はますます弱体化する。日数はかかっても構わないから慎重に頼むよ」

「承知しました。細心の注意を払います」


 ボルジャナート周辺ではモンスターが異様に増えてきているらしい。アルバートの言う通り、騎士達がやられたら状況はますます悪化してしまうし、士気にも関わるだろう。悪化すれば仕事に就いても逃げる羽目になるかもしれない。それは困る。


「なお、今回の調査には冒険者のアーク殿とリーン殿が同行する。リーン殿の持つ特別な力で地下庭園内に隠された通路を開くことができるとのことだ。お二人を無事に返すことも任務の一つとして忘れぬように」


 今回の調査ではリーンの能力が鍵となる。もっとも、この前の通路みたいな場所が他にあればの話だが。

 疑われるのも困るので、中に入ったら例の扉を一度開いて見せたほうがよいかもしれない。


「ソフィアとガストンの部隊が先行しろ。残りは二人の護衛に付け」

「承知いたしました」

「お任せを」


 一組の男女が胸に手を当てて一礼する。

 女騎士のソフィアはなかなか風格も備わって見えるが、ガストンという男の方は若干頼りなさそうだ……。


「質問がなければ出発の準備を進める。くれぐれも兵を失うな」


 説明が終わると、騎士達は礼をしてから部屋を出て行った。

 こちらもリーンを連れて外に出ようとするが、何やら視線を感じて振り向く。

 立っていたのはガストンという騎士だ。


「以前どこかで会ったことが?」

「いや……」

「そうか。どうやら記憶違いだったようだ。不安もあると思うが、我々が必ず守り通す。君達は安心して仕事に励んでほしい。それでは失礼する」


 不安はもちろんあるが、背に腹は代えられない。この仕事さえ終われば、俺達はみじめな生活から脱却できる。今はただ、この好機にすがるしか道はないのだ。

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