第九話
「この日記は、僕が長年頭を悩ませてきた問題を解決するための鍵になるかもしれない」
アルバートは、ウォレスの机に置かれている日記を見つめた。その眼差しには、決意のようなものが秘められている気がした。
「隠すつもりはなかったのだけれど、僕はこの地方の領主なんだ。先祖の代から正体不明だったあのダンジョンをどうにかする手段が無いものかと、長い間考えていた」
「それは……知りませんでした。まさか領主様だとは思わず」
「いや。領主が護衛もつけずに一人で町をうろついているとは誰も思わないだろうからね」
アルバートの正体はエリックから知らされていたが、正規の方法ではない。説明することはあまり好ましくないだろう。あくまで知らなかった体で話を聞くことにした。
「地下庭園のモンスターは最近異様な増加傾向にある。正直なところ、いつ地上に出てこないか戦々恐々としている有様さ。僕としてはこの問題を早々に解決したい。だから、どうかもう一度だけ力を貸してくれないだろうか」
アルバートはまだ仕事をさせるつもりのようだ。事はそう単純ではなかった。
「俺達は何をすればいいのですか」
「地下庭園に兵を派遣するから、調査に協力してもらえないだろうか。危険な目には遭わせないと約束する。リーンさんがいれば新しい道を発見できる可能性がある。報酬も出そう。でも決して無理強いはしない。この日記だけでも十分な成果なんだ。君達の意思を尊重するよ」
再びあの危険な場所に向かえというのか。
冗談じゃないと断りたいところだが……今回は代わりに戦ってくれる兵士がいて、しかも報酬まである。
アルバートは地下庭園のモンスターが地上に出てくるかもしれないと考えているようだ。
本当にそうなるかは定かではないが、俺達がこの近辺で働くと仮定した場合、解消されていたほうがより安全に生活できる。
……もっとも、そんなに根の深そうな問題がリーンの同行で解決できるとも思えない。
リーン自身はどう思っているのだろうか。彼女が首を縦に振らなければこの話は始まらない。
「どうする?」
「行きましょう。せっかく良くしてもらったんだもの」
リーンは思案する様子もなく即答だった。
それらしく言っているが、俺と同じように考えたであろうことは何となく理解できた。
「すまないね。身の安全は保障するよ」
アルバートはなんとも申し訳なさそうに言った。
裕福な家に生まれても、幸せだとは限らないのかもしれない。
◆
店を出た後は、特にすることもなくなった。日暮れまではまだ時間がある。
アルバートは二、三日中に調査部隊を手配するそうだ。
それまでは町でゆっくりと過ごすのもいいだろう。
「あまり悩まず承諾したが、よかったのか?」
「お金も貰えるし、悪くない提案じゃない? 本気であのダンジョンをどうにかしようとしているみたいだから、何か起こっても私達を見殺しにはしないはず」
「同感だ。しかしいくらなんでも話が突飛すぎやしないか」
「それはそう。さっきの日記の話、どれくらい信じてる?」
「正直に言えばまったく」
「でしょうね」
地下にとんでもない施設を造った連中に、錬金術ギルド。挙句には獣人を生み出したとか。
どうも俺達のような人間には受け止めきれない内容ばかりだ。あの日記が昔の人間の単なる妄想なのか、はたまた事実なのか……謎だらけだ。アルバートは信じているようだが、解読したウォレスはどう思っているのだろう。今度会った時にそれとなく訊ねてみるか。
「で、これからどうする?」
「何も考えてないわ」
「少し早いが宿を取って休むか?」
「それでもいいけどね」
急に暇になって悩んでいるのはリーンも一緒らしい。
つい今しがたまでは生きていくためにあらゆる手を尽くすつもりだったが、その感情も失せている。もう無理をして薬草を摘みに行く必要もないのだ。
薬草といえば、もう冒険者ギルドを訪れる意味もないのか。
「時間があるうちにエリックに別れを告げておかないか」
「いいんじゃない。少しはお世話になったし」
リーンは冒険者登録時における問題のせいでエリックを嫌っていたはずだが、今は拒否しない程度の恩義を感じているらしい。
エリックは様々な情報を提供してくれた。でも、よほどのことがない限り俺達はもう冒険者として活動しない。
生きている間には二度と会わない可能性もある。だから今のうちに挨拶しておくことにした。
大通りを歩いて冒険者ギルドの前に到着すると、入り口近くで話し込んでいる冒険者パーティが複数目に入った。建物内は歩くのも一苦労なほどに混んでいる。
「今日はやたらと人がいるな」
「みんな動き出すつもりがないみたいに見えるけど……どうしてかしら」
「一応訊ねてみるか」
人混みを縫うように奥へ進む。カウンター近くでは、普段暇そうに座っているはずのエリックが別の職員と立ち話をしていた。
水晶玉の置かれた場所まで近寄って、エリックに声を掛ける。
「何かあったのか?」
エリックが会話を中断して振り向く。
「今日は草むしりは禁止だ。町から出ずにじっとしていろ」
「話がまったく見えないが……」
「お前達はスケルトンというモンスターを知っているか?」
「名前だけなら」
「森の奥のダンジョンに異様にデカい奴が現れたらしい。しかも腕が四本あるんだと。今は状況を確認中だ」
スケルトンは森やダンジョンで人知れず倒れた生物の骨から成るアンデッドのモンスターだ。
アンデッドを実際に見たことはない。
それでも、頭の中で想像することはできた。
見上げるばかりの巨体に、ぽっかりと空いた二つの眼窩は真っ黒。
地下庭園の森に現れたそれは、何がそんなに憎いのか、俺を叩き潰そうと執拗に追いかけ回してくる。四本の腕がまるで意思を持つかのように蠢き、あらゆる生命を無慈悲にも奪い続けるのだ。
「おい。大丈夫か?」
「え? ああ……」
「しっかりしろ。冒険者ならたまにある話だ」
エリックの声で我に返る。
すっかり妄想に浸っていた。自分で考えたことのはずなのに妙に生々しい。現実の体験であるかのような錯覚を引き起こした。
「そのスケルトン、いつ現れたんですか?」
「昨日の夕方だ。中層に潜ったパーティが命からがら逃げてきた。理由は分からんが、普段入ってこないような場所まで追いかけてきたらしい。人を追って外に出た可能性もある。おかげでこの町の冒険者はほとんどが待機中だ」
それで冒険者達がギルドに集まっていたのか。
昨日といえば俺達はダンジョンにいた。遭遇しなかったということは、例の隠し通路を出た後に現れたのか? あと少し時間をかけていたらと考えると恐ろしい。おかしな出来事が起こったのはただの偶然なのか……今となっては知る術はない。
「そういうわけだから、今日のところは引き上げてくれ。明日はもう少し割のいい仕事を紹介してやる」
「実はそのことなんだが──」
もうここには来ない旨を伝えようとしたところで、急に建物内が静まり返った。
何事かと思い冒険者達の視線を追うと、入り口に見知った姿が立っていた。
銀色の髪をした獣人の女だ。
夜の森で会った時と同じ服装で、後ろに四人ほど仲間を引き連れている。冒険者達は露骨に嫌そうな顔をしながらも、彼女を避けるように道を開けた。
なぜギルドを訪れたのか。不思議に感じていると目が合った。しかしそれもほんの一瞬で、すぐに視線を外される。
カウンター中央に座っていた受付嬢のイサラは、獣人達を睨みつけている。敵意を含んでいることは明らかだった。
獣人達はイサラの前までやってくると、一人が白い布に包まれた何かを置き、開いてみせた。大きな骨片らしき塊がいくつか転がる。
「ダンジョンの上層で暴れていたスケルトンはファティナ様が退治してくださった。感謝しろ」
「ご報告ありがとうございます。報酬をお支払いしますので少々お待ちください」
「要らん。もうあの場所には近寄るな」
「我々は国王陛下より許可を得て活動しています。この権利は正当なものです」
「時間の無駄だわ」
ファティナという名前らしい獣人の女は、呆れた口調で言い放った。
──違う。
彼女のことなど何一つ知らないのに、そんな冷たい言い方は決してしないはずだと心の中で思ってしまう。