第七話 名称不明 上層エリア
見失わないように冒険者パーティの後ろ姿を小さく視界に捉えつつ、町を出て東の森へと入った。四人に気付かれないよう距離を取り、隠れながら追跡する。
ダンジョンの奥へと進むには、誰かにモンスターを倒してもらうほかなかった。決して安全とは言い切れず、問題も多い。見つかれば不審に思われるし、最悪襲い掛かってくるかもしれない。それでも、今はどうしても書物を手に入れる必要がある。
依頼人のアルバートは領主だ。俺達が役に立つと証明できればもっと仕事をもらえるかもしれない。口添えで職に就ける可能性だってある。そのためにも交渉する材料が必要だ。
冒険者達を観察する。四人は何事かを話しながら森の奥へと伸びる道を進んでいる。既に薬草を採取した地点は通り過ぎた。モンスターとも遭遇しておらず、今のところは至って順調だ。
このまま何事もなく済んでほしいと願っていると、動きがあった。大木の影に身を潜め、様子を窺う。
「……気付かれたか?」
「大丈夫だと思うけど、隠れたほうがいいかも」
冒険者達はしきりに周囲を警戒している。俺達のいる方向とは見当違いの場所を調べていることから、尾行に気付いた訳ではないようだ。やがて安全を確認し終えたのか、再び進み始めた。
「やけに辺りを気にしていたみたいだけど、なんだったのかしら」
「さあな。少し距離を取ってから進もう」
凶悪な魔物が出入りしているのかも、と思わず言いそうになったが、リーンの気が変わったら困るので黙っておくことにした。
「見て。木の幹に何か描かれてる」
「これは……」
ちょうど道を挟むように立つ二本の大木に、円をいくつも組み合わせた赤い印が大きく描かれている。どんな意味が込められているのかは分からないが、塗料が血のようで気味が悪い。
「罠じゃないみたい」
「今は深く考えてもしょうがない。見失ってしまう前に先へ進もう」
さらにいくらか進んだところで、ついに大きな横穴が現れた。目指していたダンジョンの入り口のようだ。
冒険者達は各々が準備していた松明やランタンに火を灯すと、躊躇なく暗闇の中へと消えていった。
「着いたみたいだ」
「本当に入るの? 考え直すなら今のうちだと思うけど」
「いまさら引き返せない」
「そう」
「不満か?」
「不満だけど、どうせ私達は片方欠けたらその時点で終わりだわ。一人でも生きていけそう?」
「想像したことすらない」
無駄なおしゃべりを止めてダンジョンの入り口を見やる。いつ、どんな目的で建てられたものかも不明。しかもギルドの調査によれば周囲の環境にさえ影響を及ぼしているという。ますます謎だらけだ。領内にこんな得体の知れない場所があれば、アルバートでなくとも気になるだろう。
リーンにランタンの火を灯してもらい、意を決して歩き始める。
「大して明るくならないな。暗闇に負けそうだ」
「むしろ気付かれにくくて都合が良いんじゃない?」
「それはそうだが……転ばないよう足元に注意しよう」
薄暗い幅広の通路は、生温い風が流れている。ほんの少し足を踏み入れただけなのに妙に気持ちがざわつき、不安を掻き立てられる。先の見えない暗闇が本能的に恐怖を感じさせるのかもしれない。
幸い、身を隠せる大きさの岩石があちこちにある。音を立てないように進めば問題はなさそうだ。道が複雑でないことを祈ろう。
先行する冒険者達の光を目印に進む。入口が遠くなるほどに不安も大きくなってきた。
ほんの少し進んだところで、四人が止まった。リーダーらしき男が松明を地面に落とし、剣を抜き放つ。ギャアギャアと喚くような声が聞こえた後、また静かになる。冒険者達は再び歩き出した。
騒ぎのあった地点の地面を照らしてみると、緑色の皮膚をした背の低い人型──多分ゴブリンというやつだろう──が、二体横たわっていた。
「……冒険者はこんなのを相手にするのか」
「エリックさんに少しだけ感謝の気持ちが湧いた」
「ナイフを買わなくて正解だったかもしれない」
武器があればどうにかなるなんて甘い考えだ。俺達はまともな冒険者にはなれそうにない。
ざっと見た感じ、ゴブリンは金目の物は所持していなかったので触らずに通り過ぎた。
運が良かったのか、それからは戦いは起きなかった。階段を下ってさらに奥深くまで進んでいく。空が見えず、時間の経過を確認する術もない。とはいえ一本道のようなので、戻ることは難しくないだろう。
「ねえ、奥のほう、明るくない?」
「本当だ。それどころか木が生えているように見える」
道の先、木々が生い茂る場所が存在しているのが遠目で分かった。俺達は下に向かって進んでいたはずだが……。
「火を消してもらえるか」
「うん」
中は広い空間だった。頭上には太陽らしきものが輝き、森があって小川まで流れている。どう見ても外だった。
「本当にダンジョンの中なのか?」
「不思議な所ね。地下なのにとっても明るいし」
広場の中心部では冒険者達が腰を下ろして休息を取っている。緊張が感じられないことから安全なようだ。身を隠せる樹木が大量にあるので俺達にとっても都合が良い。
「見つからないように壁際を移動しよう」
「ところで、目当ての品はありそう?」
「……悪かった」
古びた遺跡のような場所であることを願っていたが、建物どころか生活の痕跡が残っていない。そう簡単にいくはずもなかったか……。
広場の奥にはさらに道が続いている。このダンジョンは想像以上に広いのかもしれない。
このままでは収穫無しだ。あのパーティがどこまで行くのか知らないが、まだ帰ってもらっては困る。
隣では、リーンが興味深そうに蔦に覆われた壁を触っている。
「この壁、人工物みたい」
「自然にこんな場所ができるとは思えないしな」
「どうやって造ったのかしら」
「昔の天才建築家が建てたとか、そういうのだろ」
リーンが壁伝いに歩いていくと、突然、ガサガサと擦れるような音がした。見れば、蔦がまるで意思でも持っているかのように彼女の立つ位置から離れていく。
「ッ!! 危ない!」
慌ててリーンの腕を掴み、壁から距離を取る。蔦は元の位置まで戻ると、何事も無かったかのようにその動きを止めた。
「植物型のモンスターかもしれない」
「そんな感じはしないけど」
リーンが再び近寄ると蔦がまた動き出し、すっかりなくなった跡には傷一つ無い綺麗な石壁が存在していた。
「だから、危ないって」
「別に襲ってきたりはしないみたい」
「ちょっと待ってろ」
リーンを後ろに下げて、ゆっくりと近付いてみる。蔦はまた元の位置に戻った。どういう仕組みか、この蔦はリーンが傍に立った時だけ上に動くようだ。
「どうしてお前にだけ反応するんだ」
「知る訳ないでしょ。建てた人に聞いてよ」
「とっくにいないだろ」
リーンが前に立って待っていると、壁に長方形の線が引かれていく。線の輪郭は徐々に鮮明になっていき──最後には両開きの木製扉へと変化した。想像もしていなかった光景に、思わず息を呑む。
「扉だわ」
「冗談だろ。こんなものは知らない」
「初めて来たんだからそのセリフはおかしいでしょ」
「……? それもそうか」
まるで幼い頃に読んだ冒険譚のようだ。隠された扉の先にある財宝。夢のある話だ。
「まだ誰も見つけてない道だとしたら、本どころか宝があるかもしれない」
やや興奮気味に語ると、リーンは哀れみを込めた目をしながら溜め息を吐いた。
「ハァ……そんな訳ないでしょ。ボルジャナートにどれだけ冒険者がいると思ってるの? とっくに知られてるに決まってる」
「少しくらい夢を見てもいいだろ」
すっかり呆れられてしまったが、たしかにこの場所なら大勢が足を運んでいるだろう。喜んで損をした。
リーンがそっと押すと、扉はゆっくりと開いた。二人分ほどの幅の無機質な白い通路は、どこからか採光している訳でもないのにぼんやりと明るい。通路の先には同じような扉がもう一枚見えている。
「それで、どうするの?」
「大した物は残ってないだろうが、念のため調べるか」
冒険者達が休むほどの安全な場所なのだから、危険は無さそうだ。
奥の扉は錠もかかっておらず、すんなりと開いた。
「なんだ? ここは」
土砂で半分ほど埋まっている小さな部屋だった。あるのは今にも壊れそうな長机と、椅子の背にもたれかかるように座る朽ちた人骨だけだ。
人骨は、青いラインの入ったフード付きの白いケープを羽織っている。多少汚れてはいるものの、妙に綺麗だ。売れそうだとも考えたが、剝いでいくには気が引ける。
長机の上には青い長方形の箱が一つ置かれている。それ以外には何もない。
「あまり近付くなよ。アンデッドかもしれない」
「そんなふうには見えないけど」
金属製の箱を開くと、中には茶色い革装丁の本が三冊入っていた。
書物は風化もしておらず、手触りも良い。すぐ傍にある亡骸とは対照的で、まるで最近置かれたかのようだ。
一冊を手に取って頁をめくる。ぎっしりと綺麗な文字が書かれているが、何一つ読むことができない。古い文字か、はたまたどこか遠くの国の言語なのか。
「本当にあったぞ」
「…………」
リーンは返事もせず、ただ人骨を見つめている。
「何か見つけたか?」
「この人、どうしてこんな場所に一人でいたのかしら」
「俺達が気にしても仕方ない」
「それはそうだけど」
「しっかりしてくれ。丁寧に埋葬してやれるほどの時間はないんだ。すぐに戻らないとまたモンスターが現れるかもしれない。じっくり調べたいなら、金を受け取ってから護衛でもなんでも雇って来ればいい」
「……そうね」
にしても、こうもあっさりと目的の品が手に入るとは。出来過ぎているような気がしなくもない。
ひょっとしたら無価値な物かもしれないが、どのみち判別できる知識は俺達には無い。こんなに目立つ場所に置いてあるのに持ち去られていないのは疑問だが、とにかくウォレスの店に持ち込むべきだ。
「それらしき品は手に入った。こんな場所は一刻も早く出よう」
「うん」