第五話 記憶の中、裏通りの店
複数の物音が聞こえて、目が覚めた。
起き上がって扉を開けると、明るい廊下を慌ただしく歩いている集団の姿が目に入る。ボルジャナートの町は、朝を迎えていた。
毛布の中で穏やかな寝息を立てるリーンの肩を揺さぶり、起きるよう促す。いまだ寝ぼけ眼の彼女を連れて、ほこりっぽい物置を後にした。
借りていた毛布を宿屋の主人に返して外に出る。すぐ裏手にある井戸で顔を洗い、水を飲むと少しだけ活力が湧いた。
この辺りは水が綺麗で豊富な地域らしく、他の客も同じようにしている。
空はよく晴れていた。
稼ぎが安定するまでは、この調子だと助かるのだが。
「今日もギルドに行くの?」
手に付いた雫を払いながら、リーンが訊ねる。
「エリックに頼んで金を貸してもらう。ナイフでもなんでもいいから武器を買って、もっと稼げる依頼を受ける」
「貸してくれると思う?」
「ダメなら別の手を考える」
リーンの手を引いて歩き出そうとするが、逆に引っ張り返された。
「ねえ、もうそういうのやめたら?」
「何が?」
「あの人は、ギルドの評判が下がるからって私達の冒険者登録を邪魔した。そんな人が助けてくれるって、本気で信じてるの?」
「それはそうだが……何か事情があったのかもしれないだろ」
「ないでしょそんなの」
俺だって、絶対に金を借りられるとは思ってない。
ただ、登録を終えてからの様々な助言は的確だったように思う。
特別優しいわけではないが、敵でもない。
見知らぬ土地で頼りにできるのは、今のところ彼だけだ。
「現実はそんなに甘くない。このままだと、期待を裏切られて惨めな思いをするだけだわ」
「ああそうだな。一人目はお前かもしれない」
「その時はきっと私も生きてない。不安なのは分かるけど、もっと冷静になってよ」
喧嘩腰になってしまったが、いったん気持ちを落ち着かせる。
リーンの言う通り、今の俺は金を得ることにばかり必死で冷静とは程遠い。
エリックが金を貸してくれる可能性は極めて低い。昨日の会話の中でもはっきり言われたことだ。
仮に説得に失敗した場合、俺達の心証は余計に悪くなる。ここは考え直した方がよさそうだ。
「分かった。薬草の採取以外で稼げる仕事を探そう」
「賢明な判断ね」
リーンは俺よりもはるかに現実を見て生きている。
もう一度、彼女の手を握る。今度は抵抗されなかった。
大通りに戻るため、狭い路地を二人並んで歩き始める。昨夜の記憶を辿りながら道を探した。こんなことなら宿で道を聞いておくべきだった。
「……?」
いくらか歩いたところで、妙な違和感を覚える。
この道を以前にも訪れたことがある気がする。そんなはずはないのに、自然と足が動く。
気が付けば、一軒家の前へとやってきていた。
見た目も大きさも、この町によくある普通の民家だ。
鉄の看板がぶら下がっているので、何かの店らしいことは分かる。
「どうしたの?」
「いや……この店が無性に気になるんだ」
「でもお金持ってないでしょ」
「入るだけ入ってみないか?」
「別にいいけど。どうせなら仕事があるかも聞いてみましょう」
「ああ、そうか」
金を稼ぐだけなら、冒険者である必要はない。
そもそも、どうして俺は冒険者にこだわっていたんだろう?
生きていくため以外の理由があっただろうか。
ゆっくりと扉を開けると、上部に付いていたベルが鳴った。
店内には様々な品が所狭しと置かれている。本や小物などから武器まで様々だ。部類としては雑貨店になるのだろうか。
店の中には俺達以外の人間がいた。
カウンターの前にいるのは、金髪の若い男だ。ティーカップを持って立っている。その奥には、古めかしい青色のローブを着て立派な白髭をたくわえた老人が、パイプを口にして椅子に座っていた。
二人は何も言わずに、ただ入ってきた俺達を凝視している。
何かが違っている。
この店の住人は彼らではないはずだと、漠然とそう思った。
「誰なんだ?」
思わず口から言葉が出る。
二人は顔を見合わせると、急に笑いだした。
「あっはっは! これは面白いね」
「儂も客から言われたのは初めてじゃな」
突然、リーンに頭を叩かれた。
「馬鹿ね。いきなり何言ってるのよ」
「……悪かった」
笑われてもしょうがない。明らかに部外者はこちらなのに、おかしなことを言ってしまった。
「すみません。彼、ちょっと変わってるんです」
どうやら俺は変わった人ということにされたらしい。
「いやいや、こちらこそ笑ったりして悪かったね」
「誤解がないよう言っておくが、儂はこの店の主じゃ。盗人などではない」
店主の老人は、そう説明しながらパイプを燻らせた。
「初めまして。私はリーンで、こっちがアークです」
「リーンさんにアークさんだね。僕はアルバート、この店の常連客さ。こちらは店主のウォレスさんだよ」
アルバートと名乗った男は、真っ白で上等そうなシャツに黒のベストとズボンという組み合わせの服装だ。茶を振舞われているところを見るに上客らしい。
「ウォレスさん、彼らにも茶を淹れていいかな?」
「おお、これはすみませぬ」
「構いませんよ。僕の趣味ですから」
客であるアルバートが茶を用意するという変な状況だが、それほどに二人は親しい間柄のようだ。
「せっかくですけど、私達、お金を持っていないんです。だから何も買えません」
「おや、ではどうしてこの店に?」
「仕事を探しています。店番でも掃除でも、何かありませんか?」
「昨日から冒険者になったんだが……いや、なったんですがあまり稼げず困っているんです」
途中でリーンがぎろりと睨んできたので、敬語に変える。
怖いだろうが。
「へえ、冒険者とは羨ましいね。僕も生まれが違ったら真っ先になっていただろう」
アルバートは嬉しそうに語りながら、ポットを持って二組の綺麗な模様の入ったティーカップに茶を注いだ。口ぶりと身なりから察するに、裕福ではあるものの自由がない身分かもしれない。
「さあどうぞ」
「ありがとうございます」
差し出されたカップからは良い香りが漂う。受け取って一口飲むと、体が温まった。
「わあ、とてもおいしいです」
リーンは味が気に入ったようだ。
「それはよかった。この地方で栽培している茶葉でね、僕としても鼻が高いよ」
なぜアルバートが自慢げに言うのか知らないが、恵んでもらえるなら拒む理由はない。
一方のウォレスに目をやると、パイプを片手に分厚い本を読んでいる。
俺達が茶を飲み終えると、ウォレスはこちらを向いた。
「残念じゃが、頼めるような仕事はないのう」
ウォレスの答えは、ある程度予想していたものだった。
貶すつもりはないが、この規模の店に二人も小間使いは要らないだろうし、繁盛している様子もない。
「そうですか。無理を言ってごめんなさい」
「儂も昔は貧しい冒険者だったから気持ちは分かる。力になってやりたいが、見ての通り客もあまり来ない有様での」
ウォレスはかつて冒険者だったらしい。旅の魔術師らしいローブを着ているのも、その頃の名残かもしれない。
「仕事を探しているのなら、僕が頼んでもいいかな?」
と、不意にそう言ったのはアルバートだった。
急な話だが願ってもない。彼は金持ちの商人か何かに見えるので、商会の仕事だろうか。
「本当ですか? どんなお仕事でしょう?」
「君達には冒険者として、面白い話を集めてきてもらいたい」
「面白い話?」
想像の斜め上というか、奇妙な依頼だった。
冒険者はモンスターの討伐などが主な仕事だが、今回は情報そのものを仕入れろということになる。
「僕はこの地方について調べていてね、それで歴史に詳しいウォレスさんの所によくお邪魔しているのさ」
「この地方の歴史……ですか?」
「儂は若い頃、冒険者をしながら興味本位で遺跡の調査なんかもしておっての。その腕を買われて、こうしてアルバート殿の仕事を引き受けておるんじゃよ」
二人には歴史調査という共通点があり、それがきっかけとなって知り合ったようだ。
人気のない裏通りまでわざわざ足を運んでいるあたり、ウォレスのような歴史に関する知識を持つ人間はそう多くはないのかもしれない。
「もう少し具体的な内容を教えてもらえますか?」
「たとえば、この町から少し東にダンジョンがあるだろう? あれがどんな目的で、誰によって造られたのかを君達は知っているかい?」
アルバートの言うダンジョンとは、おそらく立札に書いてあった場所だ。エリックから近付くなと警告された森の奥にある。
「いえ、知りません」
「そう、誰も知らないんだよ。年代すらも不明な古い遺跡が、なぜか森の中にぽつんと存在している。不思議だよね」
たしかに不思議だとは思うが、冒険者は歴史そのものに興味があるわけじゃない。金目の物が欲しいだけだ。
ダンジョンの構造に関する情報を得られれば、隠された道を発見できる可能性はある。しかし、そんな情報があるならとうの昔に誰かが宝を持ち去っているだろう。
「君達に依頼することは二つ。一つは、ダンジョンなどの噂話を僕に伝えること。もう一つは、可能であればだけど、この地方に関する古い書物……『古文書』を手に入れることだ。もちろんタダでとは言わないよ」
アルバートは腰にぶら下げた小さな革袋を手に取ると、三枚の銀貨を取り出した。
「これを前払いの報酬として渡そう。二つのうちどちらかを達成できたら、この店に戻って来るといい。噂話は内容次第、古文書の方はとても珍しいから、金貨二十枚で買い取らせてもらうよ」
前払いで銀貨三枚、古文書が手に入れば金貨二十枚。達成できれば当面は金の心配はなくなる。
だが、噂話はともかく古文書の入手方法については不明だ。二人が持っていないことからも、そう簡単に手に入る品ではないのだろう。
「しかし、俺達は新人です。期待されているような成果は出せないかと」
「これは投資のようなものさ。遠慮せず受け取って欲しい。ああ、くれぐれも危ない真似はしないようにね」
リーンの意見を聞きたいと思い視線を向けるが、彼女ですら決めあぐねている様子だった。
俺が決めるしかない。
「分かりました。やってみます」
「ありがとう。期待しているよ」
意を決して銀貨を受け取る。
うまくいくかどうかに限らず、どのみち金を受け取らなければ俺達は生きていけないのだから。
思わぬところで金を得た俺達は、こうして奇妙な依頼を引き受けることになった。
多分、期待はあまりされていない。
それでも、生きるためには必要なことだ。