第三話 転身する巫女
ボルジャナートの東門から外に出た先、街道から逸れた場所にある広い森に入った。
森の天井は背の高い樹木の葉に覆われているものの、隙間から陽の光が射し込んでいるので明るさは十分にある。何もないような所を想像していたが、踏み固められた道と、その途中には立札なんかもあるので安心感があった。
立札によれば、さらに東に進むとダンジョンがあるらしい。
まあ、今の俺達では行くだけ無駄だろう。
「道から外れた場所で探すか」
「袋は私が持つから」
「どうも」
多少開けた場所まで移動すると、紙に描かれた草はすぐに見つかった。単体でぽつぽつと生えているわけではなく、群生しているようだ。後から文句を言われないよう、丁寧に根を掘り起こしては麻袋に詰めていく。
「俺達みたいな冒険者が多くいるなら、採り尽くされているかと思った。薬草ってそんなに繁殖力が強いのか?」
「そうみたい。これならすぐに集まりそう」
「森の奥まで行かなくて済みそうだ」
エリックがこの仕事を紹介したのは良い判断だったと思う。比較的安全な下積み仕事と考えれば決して悪くはない。だがこれ以上簡単な仕事はギルドにはないという話だから、報酬についての過度な期待はしないほうがよさそうだ。
薬草を探しながらリーンの様子を見ると、鼻歌交じりに土を掘り返していた。
「楽しそうだな」
「こういう地道な作業もいいと思わない?」
「そうかね」
「私は嫌いじゃないわ。細かいこと、何も考えなくていいもの」
「たしかにな」
俺としても、農作業をしているのとさほど変わらないから特に苦労はない。
それからしばらくの間、お互いになるべく離れないようにしつつ薬草を探した。
黙々と作業を続け、薬草を集め終えた頃には日が沈みかけていた。
明かりになるようなものは何も持っていないので、夜を迎える前に終えられたのは幸いだ。
「これくらいでいいだろう」
「そうね」
リーンが抱えている麻袋には薬草がぎっしりと詰まっている。これなら不足と判断されることはまずないだろう。怪我をするような出来事も無かったし、冒険者生活の初日としてはまずまずだ。
「戻るか」
「うん。働いたらお腹も空いてきたし」
「腹いっぱい食えるほど金がもらえると思うか?」
「まったく」
「まあそうだよな……」
掘り返した土の跡を辿りつつ、森の入り口まで戻り始める。その途中だった。
すぐ近くでパキッ、という木が折れた音がして、びくりと体が震える。
息を潜めながらリーンの前に出て身構える。モンスターか、話に聞いていた獣人か。いずれにせよ俺達が取れる手段は逃げることぐらいだ。
最悪の事態を想定しながら、森の奥をじっと見つめた。
しかし、現れたその姿にほっと胸を撫で下ろす。
森の奥から出てきたのは人間だった。
あちこち擦り切れている黒い外套を身に着けたその人物は、フードを深く被っている。こんな場所に一人でいるのだから、同業かもしれない。
「よ、ようやく、見つけたぞ」
外套に身を包んだ人間が、男性と分かる声を発する。男は素早く乱暴にフードを剥いだ。
金色の短髪に、こけた頬。切れ長の目がこちらを凝視している。
外套の隙間から覗く服は、生地の薄そうな白いシャツに黒ズボンという旅には適さない組み合わせだった。エリックが着ていたものとよく似ている。
とはいえ、冒険者ギルドの職員がこんなところにいるはずもないが……。
「記憶を頼りにここまで来た。本当に長い時間がかかったぞ。アーク」
なぜか男は俺の名前を知っていた。だがどこかで会ったような記憶はない。
「クッ……ククク……アハハハハハ!」
男は急に気が触れたかのように不気味に笑い始めた。
何がそんなに可笑しいのか、顔を手で覆いながらひとしきり笑うと、今度は無表情になり俺を見た。
「お前に関わったせいで僕は死んだ。あの裏切り者……オズワルドにやられたんだ」
男がブツブツと呟きだす。オズワルドという名前も初めて聞いたものだった。
何かよくないことが起こりそうな気配がした。いつでも逃げ出せるようにリーンの手を握る。しかし、男はそんな俺達の考えを見越してか森の出口側に回り込みながら一方的に話を続ける。
「そうだ、あれは夢だった。こっちが現実なんだ。そんなの当然じゃないか……」
男の話はまるで要領を得ない。相手は丸腰なので、最悪近くに落ちている枝か何かで殴りつけることも考えた。
「僕が負けるはずがない……そうだろう? 全部分かっている……うっ! ぐぐぐ……」
突然、男が呻き声を上げながら地面に両手をついた。
服が破れ、ミシミシと音を立てながら全身が肥大化し、黒い体毛が四肢を覆い始める。頭部も人のそれではなく、顎が前方に突き出たような形状へと変化する。
「逃げるぞ」
「でしょうね」
彼女の手を取り、全速力で駆け出す。
後ろを振り向いた時には、男は見上げんばかりに大きく、異様に手足の長い人狼とでも呼ぶべき姿へと変貌を遂げていた。
人間がモンスターに変化したのか、それとも最初から人間じゃなかったのか。
疑問ばかりが頭の中に浮かぶが、今は悠長に考えている時間はない。
方向的に森の奥に進むことになってしまったが、それでも走るしかなかった。
『お前を殺シ、オズワルドを殺セバ僕ハ解放さレル! 誰ニモ、邪魔ハサセナイ!』
腹に響くような低い声で叫びながら、人狼が追いかけてくる。
木々を倒しながらも速度を落とさず直進できるほどの凄まじい筋力だ。あんなのに捕まればひとたまりもない。
森の中、道なき道を闇雲に走り続ける。
でもそれでどうなる? 何か打開する策があるわけでもない。いずれは俺かリーンの体力が尽きて追いつかれる。今はまだ距離を保てているが時間の問題だ。
「前から何か来るわ」
すると、急にリーンがそんなことを言った。
走りながら見回すが何も見つからない。ただ同じような景色が続くばかりだ。
焦っていると、リーンは足を止めてしまった。
「どうしたんだ! 早く逃げないと!」
必死に言い聞かせるも、リーンはその場から動こうとしない。
そうこうしているうちに、人狼に追いつかれてしまった。鋭い獣爪を有する腕が振り上げられる。
冗談じゃない!
せっかく村を出たのに、普通に生きることすら許されないのか。
無意味だと思いつつも、リーンを庇うように覆い被さる。
『アハハハハハ! 終わリダ!』
「──喋る魔物を見たのはこれで二度目だわ」
『ア?』
人狼が間抜けな声を出した。
すぐそこまで迫っていたはずの右腕は、どこかに消えていた。人狼の腕の付け根から、勢いよく鮮血が飛び散る。
『ギヤアアアアアアアアッ!!』
仰け反りながら、人狼が絶叫する。奴と同様、俺にも予想外の出来事だった。
『グギギ……オマエ……!』
人狼の視線の先──そこには剣を片手に佇む白銀色の髪の女と、すぐ後ろに二人の男が立っていた。
いずれも頭の上に獣のような耳が生えていて、エリックから聞いていた話と一致する。彼らが獣人の巡回なのだろうか。
「言葉が通じるみたいだから一応聞いておくけど、あなた、誰?」
『アアア……コロス……コロシテヤル……アーク、オズワルド……』
「そう」
獣人の女はさも興味なさげに言い、剣を鞘に納めた。
次の瞬間、人狼の頭が宙を舞った。
「…………」
な、なんだ今のは……。
何が起こったのかまったく理解できなかった。
一つだけ確かなのは、この女が人狼をいとも容易く仕留めたということだけだ。
呆然と立ち尽くしていると、後方の獣人がランタンに火を灯した。光によって女の容姿が露わになる。
剣を腰に差していることを除けば、白のブラウスに青色のスカートというごく普通の服装だ。森の巡回にしては装備らしい装備もしていないようだが、その必要すらないのかもしれない。
俺では彼女の攻撃を視認することすらできなかったので、よほど剣の腕が立つというのは分かる。
「私に何か言うべきことがあるんじゃない?」
獣人の女は、血のように真赤な瞳で睨みつけてきた。どうしてか、とても怒っているように思える。
言うべきことってなんだ。
そういえばまだ礼を言っていなかった。
「ありがとう。どこの誰かは知らないが、本当に助かった」
感謝の意を述べると、女は俺の頬を思い切り叩いた。