第一話 目覚めろ、なにもかも破壊するために
「……ク……きて……」
暗闇の中、途切れ途切れに誰かの声が聞こえて目を覚ました。
声を出そうとするが、まだ意識が朦朧としていてうまく体が動かない。
「ねえ……から……」
そもそも何をしてたんだったか。自身のことがうまく思い出せない。
「起きて、アーク」
今度ははっきりと聞こえた。ゆっくりと目を開くと、触れそうなほど近くに見知った少女の顔があった。
綺麗な金色の髪、青い瞳、それらに帳尻を合わせた整った顔立ち。忘れるわけがない。
「よく眠れた?」
「ほどほどには」
どうやら膝枕をしてもらっていたらしい。
上体を起こそうとしたが、バランスを崩して無様に床に転がる。そんな俺を見て彼女はクスクスと笑った。
「片腕だと大変ね」
「片腕?」
言われて気が付いたが、右腕が無くなっていた。
いや、そうじゃない。俺は生まれつき右腕が無かったんだった。
左手をついて座り直す。馬車の荷台は相変わらずひどい乗り心地だが、乗せてもらえただけでも感謝しなければならない。
「悪い。重かっただろう」
「別に。こう見えてけっこう丈夫なの」
「それはよかった。冒険者としても十分やっていけそうだ」
「ねえ、女の子に対してもっと気の利いたセリフは言えないの?」
「俺は男女平等なんだよ」
「そういう時は嘘でもいいから相手が喜びそうなことを喋るべきよ」
幼馴染のリーンは、そう主張しながらも優しく微笑んだ。
リーンは右目のあたりを前髪で隠している。
彼女は右目が見えないのに加えて顔半分に酷い傷跡のようなものがあった。村の住人は気味悪がって近付きたがらない。
俺達は互いにこんな姿だったから、疎まれながら生きてきた。他の子どもと違って可愛げがなかったのも原因の一つかもしれない。
片腕の俺は他の男より農作業が遅く、そのせいでよく殴られた。リーンは醜い顔だからと石を投げられた。唯一の救いは両親が見捨てずに飯を食わせてくれたことだろう。
居場所がない俺達は、成人となる十六歳を迎えるとすぐに村を出た。あんなどうしようもない所にいても不幸になるばかりで良い事など何一つ起きはしない。
二人で生き残るための方法を話し合った結果、それなりに大きな町に行って冒険者になることに決めた。
この世界でも有数の組合である冒険者ギルドはどんな者でも受け入れると聞く。身分も境遇も問われないというのだから、仕事にありつける可能性があった。
もっとも、それも能力鑑定の結果次第だが。
人間の持つ才能である『レベル上限』と『スキル』。この二つが優れていれば一発逆転が狙える。
俺とリーン、両方もしくは片方がそれなりに使える能力を有していれば、今よりもいい生活は送れるかもしれない。
どこにでもありそうな貧しい村の出身である俺達は、武器はおろか金も一銭たりとも持っていない。着ている服もボロボロだ。この馬車もたまたま村を通りがかった商人にリーンが頼んで運良く乗せてもらえたに過ぎない。
この先野垂れ死ぬことになるかもしれないがそれも覚悟の上、村に残るよりはるかにマシだ。
「もうすぐ着くみたい」
「見せてくれるか?」
リーンに体を支えられながら、御者台の方へ顔を出す。
街道の先には高くそびえる城壁が見えた。
「あそこか。ボルタナの町は」
「また間違えてる。本当に覚えられないのね」
「違ったか?」
「あそこはボルジャナートの町。私達がこれから暮らすことになるかもしれない町」
「ああ、そういえばそうだったな」
ボルジャナートは大きな町だった。長く続く壁だけ見てもそれが分かる。俺達が住んでいた村など豆粒みたいなものだ。
「お二人さん、冒険者になるんだって?」
「そうです」
御者台に座る商人がこちらに振り向き訊ねて、リーンが答える。
「こう言っちゃなんだがね、あまり期待はしないことだよ。死んじまったら元も子もない」
「他に何かよい仕事があればいいんですけどね」
風が吹いてリーンの前髪がめくれ上がると、商人は顔をしかめた。
「まあ頑張ってくれ」
会話はそれきりだった。
しばらくして、馬車が町の門をくぐった。商人は俺達を降ろすと挨拶もせず逃げるように大通りの先へと消えた。
「人、人、人。何人ぐらいいるのかな」
「さあ」
ボルジャナートの町は多くの人で賑わっている。なんだか別の世界にやってきたようだ。
「さて、どうする?」
「どうするも何も、冒険者ギルドに行って登録を済ますのが先でしょ。お金もないし、すぐにでも仕事をしないと食べ物も買えないもの」
「それもそうだ」
寝る場所についてはどこでもいいが、飢え死にするのは困る。
今はまだ日も高い。時間がもったいないのでさっさと済ませることにしよう。
「ほら」
「ん」
知らない人混みの中を二人で歩く。リーンは右目が見えないので、左手で彼女の手を引くとお互いに補い合えて楽だ。
「不安か?」
「別に。そっちは?」
「特に変わりはないな」
「そ」
「割と余裕がありそうだ」
「私にもよくわからない。だけど、なんとかなりそうな気がする」
「へえ」
なんでも悪い方に考えてしまうよりかはずっといい。
大通りを少し歩くと冒険者ギルドはすぐに見つかった。大きな二階建てだ。
中に入ると、様々な武器を携え鎧やローブを着た人間達でごった返していた。あちこちからひっきりなしに話し声が聞こえてきてうるさいくらいだ。
「カーシャ! 依頼書はまだなの!」
「今やってるってば~!」
「エリヴィラは全体的に仕事が遅い! もっとテキパキ捌いて!」
「はい! 次の方どうぞ!」
カウンターでは三人の受付嬢が慌ただしく行列の相手をしている。これだけの数の冒険者だ。仕事も楽ではないだろう。
立ち止まって見回すと、左端に『冒険者登録受付』という札がかかった場所を見つけた。そこには水晶玉が置いてあり、若い男が一人で暇そうに座っていた。列もできていないことから待ち客はいないらしい。
「冒険者登録はあそこだな」
「そうみたい。行ってみましょ」
二人でカウンターに向かうと、男は面倒くさそうに顔を上げた。
「冒険者ギルド、ボルジャナート支部へようこそ。職員のエリックです。本日はどういったご用件で?」
「冒険者登録をお願いします。二人分」
リーンが話を切り出すと、エリックと名乗ったギルド職員は俺達を交互に見てからうんざりしたような顔をした。
「お前ら勘違いしてねえか」
「どういう意味ですか?」
「うちは冒険者としてまともに仕事ができる奴を求めてんだよ。痩せこけた汚いガキはお呼びじゃない。外で物乞いでもしてろ」
「でも冒険者には誰でもなれるはずですよね?」
「"誰でも"じゃねえ。そっちの奴なんて片腕が無いじゃねえか。ドラゴンとでもやりあったのか?」
「腕が一本だと冒険者になれないとはどこにも書いてないですね」
「依頼の達成率は組織の信用にかかわる。失敗したら俺達の責任になる。ギルドは慈善事業じゃない。だからお前らみたいなおかしい奴らは登録の段階で弾く決まりになってるってワケだ。分かったらとっとと失せろ」
参ったな。まさか門前払いを食らうとは思わなかった。
何か方法はないだろうか。
とりあえず思いついたことを話してみる。
「だが、能力鑑定もしないまま結論を出すのは早すぎるんじゃないか?」
たしかに俺達は体に問題を抱えている。でも鑑定で有益な能力があると判明すれば採用してもらえる可能性はあるはずだ。
「夢を見るのは勝手だが、俺達ギルド職員は現実を見ている。レベル上限は30もあれば運が良い方で、大半はそれ未満だからな。身体的なハンデを背負った状態だとステータスも低くなる。スキルも似たようなもんだ」
これも駄目か。取り付く島もない。
「この度は当ギルドをご利用いただき誠にありがとうございました。怪我したくなきゃ今すぐ消えろ」
「本当にそうかしら?」
リーンがもう一度聞くと、エリックは口元に手を当てて考えるような仕草をした。
「……そうだな。俺も少し言い過ぎたかもしれん」
なんだ?
急にエリックの態度が軟化したことに違和感を覚える。
さっきまでは敵意すら感じるほどだったのに。
「では、鑑定してもらってもいいですよね?」
「ああ。だが俺が決めた基準を超えていなければ登録は認めない。レベル上限は最低でも『40』以上だ」
エリックが提示した条件は無理難題としか思えないものだった。運が良くて30という話なのだから、俺かリーンが40を超えられる可能性は極めて低い。状況は大して好転していなかった。
「40……ちなみにこれまで鑑定を受けた人の中で一番高かったのはいくつですか?」
「ギルド本部が取りまとめている記録によれば80だ。それもだいぶ前に一度出たきりだな」
「ねえアーク、私が先に試してもいい?」
「俺は構わないが」
「どっちでもいいからさっさと手を出せ。それで全部分かる」
リーンが手をかざすと、水晶玉が輝きだした。これが噂に聞いていた鑑定の水晶という品らしい。
程なくして、水晶の横に置かれていた紙に文字が浮かび上がる。エリックが紙を手に取り目を通す。
「あ? なんだこりゃ」
紙をめいっぱい顔面に近付けて、エリックが呟いた。
「レベル上限『800』……? 水晶が壊れてんのか」