第百ニ話 ホムンクルスの最期
イオは抵抗するような素振りを見せない。
力量差を理解し、自分一人では決して勝てないことを悟ったのだろう。
カシムの【能力無効】は仲間すらも巻き添えにする諸刃の剣だが、いかなるスキルをも無力化するという力はこの世界において強力だ。彼らを疎ましく思っていた連中がいたとして、先手を取られてもいくらでも状況を覆せるはずだ。
それに加えて、イオ自身にも転身による能力強化がある。
己の力を過信していたのは、向こうも同じことだった。
「何か言いたいことはあるか」
イオに尋ねると、彼女は顔を上げて──ありったけの憎しみが込められた目を俺へと向けてきた。
「お前も、この世界もクソだ」
「そうか」
放った《エクスティンクション》がイオに命中すると、辺りには再び静けさが戻った。
三人の遺体はこのまま放っておいてもいずれはドレイクどもの餌になることだろう。
自力で回廊を抜けてここまでたどり着ける人間は少ないはずなので、殺害が誰かに知られることもない。
「…………」
それにしても、この戦いには疑問が残った。
あまりにもあっけない終わり方だったからだ。
イオは転身したホムンクルスだが、精神操作の魔術によって能力が強化された俺にとっては脅威ではなかった。ラギウスは『苦戦するようなら増援を送る』と言っていたが、その必要もなかった。
それにしても、まさかエドワードがラギウスの仲間だったとは。
ラギウスから与えられた知識は少ないが、その中にはエドワードに関する情報もあった。
エドワードは本当の名をオズワルドと言い、【死霊術】という特別な魔術を扱う人間であること、そして、御者として俺達を監視していたことが記憶に付け加えられている。クラウ商会に勤めていたのには何かしら理由がありそうだが、そこまでは明かされていない。
『どうやらあのホムンクルスの転身は不完全だったようだ。本来ならばこの程度の強さではない』
ふと、頭の中にラギウスの声が響いた。
俺の目を通して先程の戦闘を視ていたらしい。
「そういうことはもっと早く言え」
どうりでさほど強くなかったわけだ。俺と同様にスキルを操作できるのなら、凶悪な技の一つでも繰り出してくるかと思っていたが。
『我も全てを把握しているわけではない。だが今の戦いのおかげで大体の予想はついた』
「それで、結論は?」
『…………』
尋ねるが返事はない。
かけられた魔術による影響か、それ以上知りたいという欲求に駆られないのでどうでもよかった。
『アークよ……聞くがいい。これからお前は最後の鍵を手に入れ、祭壇に捧げねばならぬ。だが、その過程でもしもアルベインが現れたら絶対に戦うな』
「どんな相手にも容赦をするなと言ったのはお前だぞ、ラギウス」
そもそもアルベインという人物の情報については何も教えられていない。
『アルベインは本物の魔術師だ。今のお前ではどう足掻いても勝ち目はない。出会ってしまったら戦闘は回避しろ。鍵が揃った後は、祭壇に向かうことを優先するのだ』
「そこまで言うなら、お前が直々に出向いて倒せばいいだろう」
『……我にも事情がある。詳しい理由を説明している時間はないが、約束は必ず守れ。分かったな』
どちらにせよ、俺の生殺与奪の権はラギウスが握っている。言われたとおりに行動するしかない。
「仮に鍵を納められたとして、アルベインが俺を逃がすという保証は?」
『鍵さえ祭壇に投げ込めれば活路を見出せる。お前はそのことだけを意識しろ』
腑に落ちない説明ばかりで疑問は残るが、三人を倒すことができたのはラギウスの助力があったからなのは紛れもない事実だ。
精神操作を受けた今ではSランク冒険者程度なら負ける気は一切しないが、それを超える強さを持つと思われるアルベインに無策で挑むのは愚かだろう。
『能力一覧』を呼び出すが、相変わらず赤いバツ印が刻まれており反応がない。
殺人でもスキルレベルが上がるのか確認したかったが、これではどうしようもなかった。
《エクスティンクション》の不可視であるという点は強力だが、それ以上何があるわけでもない。見えなかったとしても、イオには感知されてしまった。
『今のうちにクレティアの娘を殺しておけ。計画に支障が出る』
「分かった」
次の仕事は王女メルレッタを始末することだ。手早く済ませることにする。
治療が終わったらしく、ファティナはその場に座りこみながら彼女を介抱している。
メルは地面に寝かされている。その目をぼんやりと開けて暗い空をただ眺めていた。刺された時のショックや痛みから、まだ精神的に立ち直っていないのだろう。
二人に近づくと、ファティナがこちらに振り向いた。
「倒したんですね……あの三人を」
「ああ。だがまだ一人残っている」
「バルザークという人のことですか」
「違うな。殺すのはメルだ。これ以上生かしておくのは危険だからここで始末する」
突然の話に、ファティナはただ唖然としていた。
「こ、殺すって……どうして!?」
「何者かによって精神操作を受けている。これは俺達の身を守るためでもあるんだ」
「あなたは一体何を言っているんですか!? そもそも精神操作ってなんですか!」
ファティナは悲鳴にも似た声で叫びながら、メルを庇うように立ち塞がった。
「具体的な話は俺も知らない。だがラギウスがそう言っている」
「ラギウスさんが……? いつの間にそんな話を?」
「そんなのどうだっていいだろう。そこをどけ」
「やめて!」
「俺の邪魔をするなら誰であろうと死んでもらう。弱すぎるお前には何の価値もない」
イオと違って特別な能力を持たないファティナはもはや戦力の足しにはならない。《剣聖》は稀有なスキルだが、それだけでは役に立たないのだ。
この先にいるであろうバルザークとの戦いにおいてもそうなるだろう。ならば、いなくなったところで何の支障もない。
「アーク様……お願い、正気に戻って。あなたはそんなことをする人じゃないでしょう? メルさんが悪い人なわけない……」
泣きそうな顔をしながら、ファティナが俺へと手を伸ばす。
俺からの命令を受け付けないのは、ホムンクルスとしてメルへの依存度が高まったせいだろう。
ここで問答している場合ではない。
「時間の無駄だ。お前もここで──」
《エクスティンクション》を放つため、俺は右腕を前に出そうとして──
「?」
腕が持ち上がらない。
身体に不調があるわけでもない。
まるで、俺自身がファティナを殺すことを拒否しているようだ。
ラギウスの精神操作によってそんな感情はとうに消え失せているはずなのに、なぜ?
「……っ!!」
急に声にならない声を上げたファティナが見ていたのは、俺の後方だった。
足から伸びた影が蛇の姿へと変わって──二つの瞳が赤く光っている。
『まさかホムンクルスごときに計画を邪魔されるとは思わなかったぞ』
口が勝手に動いた。
身体の自由が効かなくなり、己の意志とは無関係にファティナの手を払いのける。
ラギウスが、完全に俺の肉体を乗っ取っていた。
「その声はラギウスさん!? アーク様に何をしたんですか!」
『これ以上我らの邪魔をするな。お前には関係ないことだ』
「今すぐにアーク様を解放して!」
『それはできない相談だ。その娘を殺すことは、お前達の為でもあるのだ』
「メルさんは大切な仲間です! そんなことは絶対にさせません!」
『お前に拒否権はない。それとも、そこに転がっている死者どもの仲間になりたいか?』
身体が自然と動き出す。
「ファティナ、君を愛しているんだ。こんなことで争いたくはない」
ラギウスは俺の肉体を操って、笑顔で彼女に語りかけた。
しかし、ファティナは──
「アーク様は、私にそんなことは言わない」
──俺を睨みつけながら、ついには剣を抜き放った。
その姿を見たであろうラギウスは、ためらうことなく俺の右手をファティナに向けてかざした。
『この娘を生かしておけば、お前もいずれ死ぬことになるのだぞ』
「そうだとしても、何か解決する方法があるはずです」
『そんなものはない』
「試す前からどうしてそんなことが言えるのですか。そうやって何もかも知っているふうに振る舞って、本当は私達を自分の好きなように動かしたいだけでしょう?」
『お前……少しばかりシャルナの面影が残っていたから大目に見ていたが、図に乗るな。その気になればお前など一瞬で消し飛ばせるのだぞ』
「……?」
聞いたことのない名前が出たせいか、ファティナは怪訝そうな顔をした。
しかし、すぐに毅然とした態度で──
「たとえ殺されようとも、退くつもりはありません」
そう告げると、脅しに屈するような態度を一切見せずに剣を構えた。
一方のラギウスも、どういうわけか彼女を殺すことを躊躇しているようで魔術を使う気配はない。
『お前など殺す価値もない』
「私は自分に価値があるとは思っていません。それでも、譲れないものはあります」
『お前は本当に現状を理解しているのか? こちらは【即死魔術】を使える。避けなければ間違いなく死ぬぞ。何も成さないまま、無に還るのだぞ』
「私の命なら差し上げます。だからアーク様を返して」
『……なんだと?』
「元よりアーク様に拾われた命です。私の死で正気に戻せるのなら、いつでもお返ししましょう」
『何を馬鹿なことを……そんなものは取引にもならない』
ラギウスの言葉には多くの矛盾が生じている。
立ち塞がる相手には容赦をするなと言っていた割には、ファティナを殺さずに事を済ませようとしているように思える。
無言での対峙の後──右手に魔力が収束していくのを感じた。
ファティナは、微笑みながら俺に向かってこう言った。
「あなたは絶対に戻ってくる。そう信じています」
『ならば死ね! 二度と蘇るな!』
狂ったように叫んだラギウスは、ついに俺の体を操って《エクスティンクション》を放った。
ところが、《エクスティンクション》はファティナを通り過ぎて明後日の方向に飛んでいった。
なんだ。
結局、殺すつもりはなかったわけか。
それと同時に、ファティナは身構えるようなこともせず、どういうわけか剣を投げ捨ててメルのもとに駆けだしていた。
よく見ると、斜め上の空中に不思議な紋様が浮いていた。
ラギウスが仕掛けた何らかの魔術だろうか。
『しまっ……!!』
ラギウスが動揺する。
《エクスティンクション》は、宙に浮かぶ紋様にぶつかるとその進路を急に変えてメルへと向かっていく。
その間に割って入るかのように飛び出したファティナが、魔術をその身に受けた。
受け身も取らずに地面に倒れたファティナはぐったりとして……それきり起き上がってくることはなかった。
『まさか……先読みしたというのか? 我が《偏向》の魔術を……』
ラギウスはこの事態に驚いていた。想定外の出来事だったのだろう。
『何が間違っていたのだ……。転身も起きていなかったはず……いや、しかし……』
悲しみに満ちた言葉が聞こえてくる。
ファティナを手に掛けたことを、ひどく後悔しているようだった。
「……ファティナさん?」
メルがよろよろと起き上がり、彼女の亡骸へと手を伸ばしていた。
《エクスティンクション》が感知できない彼女には、ファティナが急に倒れただけのように映ったことだろう。
気が付けば、俺の身体は自由に動くようになっていた。
『その気高さに免じて、この娘の命は助けてやろう……。アーク、後のことは貴様に任せた』
「分かった」
メルは生き残った。
その代償として、ファティナは──死んでしまった。