第60話 『リカード王国道中記:捨てる神あれば拾う神あり』
「ごめんなさいねぇ、狭いところで」
「いえっ、ホントにお構いなく……。まさか泊めていただけるなんて……それだけでもう……。ここは俺たちにとっての理想郷です」
「まあ。上手におっしゃるわねイトバさん。オホホホ」
そう言って、ロプツェンさんは口角にえくぼを二つ作り、椅子に座ることをすすめてきた。
お言葉に甘え、俺はいそいそと食卓――と思われる――の席に着く。
座布団のような緩衝材でも敷いてあったか、腰に優しい反発があった。『荷転車』で足腰を使い倒し、なおかつ右足のケガが悲惨な状態である今だからこそマジにありがたい。
「ふい~……」と、肩の力まで抜けてくる。
なんとはなしに視線を巡らせる――「そういえば」と。
声に、顔を戻すと、ロプツェンさんが窓の外側を示すように指を向けており、
「荷車……でいいのかしら? 外に置いておいても大丈夫だから。私がここに移り住んできて数十年、一度も盗難被害に遭ったことはないし……まぁ念のために、私が何度か様子を確認しといてあげるから。イトバさんと……ええともう一人のお連れの方は、なんにも心配することなく、どうぞゆっくりしていってちょうだいな」
「い、いやそんな……! こうして家にお邪魔させてもらってるのに、おまけに”見張り役”みたいな真似をさせるなんて……」
「いいのいいの。歳なもので……寝床に入ったって、長く寝付けやしないんだし。むしろ、何かやってた方が気が紛れるものなのよ。読書とか、編み物とかね」
ロプツェンさんは、アゴを軽く上へ向ける。
つられて、俺は顔を横へ向けた。
家に入ってすぐの場所には、いま俺が着席している食卓があり、横長のそれの先には――ピチッ……! パチッ……! と。
火の粉が軽やかに舞い躍っている暖炉があり、そのそばには揺り椅子と……椅子の上には編みかけの編み物がていねいに置かれていた。
「……いつものことなのよ。気にしないで」
「…………。……恩に着ます」
「オホホ、だからいいのに大袈裟ねぇ。……。それより、足の具合はいかがかしら」
「あぁ……ええ。おかげさまで、痛みは引いた……気がします。はい。…………」
「そう、安心したわ。……さて、夕食の準備をするから、もうしばらくお待ちくださる?」
「あ、はい。ホント、何から何まですみま――」
と、言いかけて。
ヌッと体を前に出してきたロプツェンさんの存在に気付き、口を閉ざした。
ロプツェンさんは俺の目を真っ直ぐに見つめていて……おまけにピンと人差し指を立てている。
「罪のない者がわざわざ謝る必要なんてないわ。イトバさん、今あなたに必要な言葉は――『ありがとう』、よ」
そう指摘された俺は、若干の動揺のなか、「……っ。ありがとう、ございます……」。
すると、ロプツェンさんはまた口角にえくぼを作り、穏やかに微笑んだ。そして踵を返し、部屋の奥へと姿を消した。
「ふぅ……」と、肩の力が抜ける。
――ここ、リカード街道三丁目にお住いのロプツェンさんは、独り身の中年女性である。
旦那さんはいないのか、そもそも最初から結婚していないのか……くわしいことは知らない。というか、聞けるわけもない。
彼女はたまに『LIBERA』に立ち寄っては、日用品をいくつか、そして必ず血行促進・便秘解消の効能がある『チャブナブルの腎臓粉末』をお買い上げになられる、ウチのお得意様の一人なのだ。
そんなロプツェンさんと旅の道中でバッタリと出くわしたのは、不幸中の幸いと言うほかない。
俺は脚がガックガク、ナディアさんは腹がブッリブリという危機に瀕した状態だったため、旅を中止しなければならないところだった。
運に見放され、この世に神も仏もフランカ様もないのかと思ったが……どうやらロプツェンさんがその類のようだった。ナディアさんの”うん”もどうにかなったようだし。
俺たち二人がなぜこんな醜態をさらしているのか、ロプツェンさんに現況に至るまでの経緯を簡潔に説明したところ、ロプツェンさんはその表情に色を乗せるよりも早く、ナディアさんにすぐ近くにある自宅の便所へ行くよううながした。聞くや否や、ナディアさんはモーレツな風だけをそこに残して姿を消した。
直後、ロプツェンさんも自宅へすっ飛んでいき――水の張った木桶と、何だかよく分からない薬草らしきものやら液体の入ったビンやらを持ってきた。
そして、ツカツカと俺の元へ戻ってくると、俺にケガを見せるよう言い放ち、テキパキと手際よく治療を施してくれた。
治療の内容はこうだった。
まずはビンの中の液体を足に豪快に浴びせ、次にその上から薬草らしきものをぬりぬりする――「ギャッ……!」と悲鳴がこぼれたのは、傷のある状態で風呂や海に入ったことのある人であれば想像に難くないだろう。
それから、ブツブツと……薬草まみれの両手で俺の足を優しくさすりながら、ロプツェンさんは聞き取れないほどの小声で何かをつぶやいていた。
するとかすかに……ポワっと。光の珠のようなものがいくつか目の前に現れ、ケガに触れては瞬き――消え、瞬き――消えを繰り返した。
最後のそれが消失したとき、ナディアさんの治療時と同様、痛みはウソのように無くなった。ぼんやりとしていた頭も、清明さを取り戻した。
これにて一件落着……と思いきや、腰を上げたロプツェンさんは依然として眉間にシワを寄せており、
「……。話を聞く限り、あのお姉ちゃんが施した『回復魔術』の系統が間違っていたわけではない……むしろ上出来。とするとこりゃあ、ちと厄介かもしれんね……」
そんな不穏な響きを残した。加えて、『リカード王国』に着いたら、ケガに対して適切な処置を施すことのできる人物を尋ねるよう言われた。
「は、はい……」と、俺はあいまいな返事しかできなかった。
話は聞いていた。しかし、言葉の一つ一つが頭に入ってこなかったのだ。
地面に置かれたカンテラによるロプツェンさんの表情の陰りが、とにかく胸をざわつかせて仕方がなかった…………。
…………カタカタと。
何かと思えば、俺が貧乏ゆすりをしている音だった。足の動きを止める。
頬を膨らませ、「フゥーー……………………」と腹から息を吐き出し……何度目か、食卓のあるその部屋をぐるりと見回す。
……カタカタと、また音が鳴って――――甘酸っぱい匂いが鼻をくすぐり。
「お待たせしてごめんなさいね~。さあさあ、夕食にしましょうか」
ロプツェンさんが食卓に現れた。その両手には、”鍋”のような大きな調理器具があった。
ロプツェンさんは、それを食卓の真ん中にドンと置くと、「食器を取ってくるわね」と、また部屋の奥へ戻っていった。
……首を伸ばして”鍋”の中をのぞいてみる。
真っ赤な色をした、具材の入ったスープらしき料理が、静かに湯気を立てていた。
甘酸っぱい匂いがさらに鼻の奥を刺激し…………グゥ~~と、腹の虫は正直な感想を口にした――。
バン――ッ!! と、俺の背後にある玄関の扉が勢いよく開け放たれる。
「いやぁ~~、スッキリスッキリ~!!」
ナディアさんだった。
わざわざ顔を見ずとも、憎たらしいほどに爽やかな声と、こちらへ歩み寄るいやに軽快な足音を聞けば、その表情と幸福度はある程度計り知れるものだ。
ガタン、と俺の座っている椅子がかすかに振動する。背中に、ナディアさんの左手の親指が当たっている感覚がある。
ナディアさんは、俺の真横で、食卓にグイっと体を乗り出すような体勢になった。
「スゥー……………………ハァ。ふわぁ~~~~、なんだコレ、めちゃくちゃ良い匂いだ! さっき出したばっかだっていうのに、また腹に入れたくなってきちゃうぜ」
「……。出したとか出さないとか、いちいち大きな声で言わなくていいんですよ……。ハァ……調子はもういいんですか?」
「ああとも。この通りさ!」
そう言って、ナディアさんは両手で腹の辺りをポンポンと叩いてみせる。
ついさっきまで顔色ルーレットしながら地面を転がっていた人とは思えないな……。
ほら表情だってニッコニコ……おまけに肌も照明に当たれば光沢を放ち、もはや誰もが羨む”うるツヤ肌”になっている。老廃物が体外に出るだけで、人はこんなにも変わるものなのか。胃腸、恐るべし。
「あら……? あらあら、戻ってこられたのね」
声が聞こえ――顔を向けると。
片手に台形型の食器を三つ、もう片方の手に『パンズー』の入った”木籠”のようなものを持って、ロプツェンさんが戻ってきたところだった。
「どう? お腹の具合は」
「ええ。おかげさまでそれはもう……ドピューン、ザバーンと。御開帳、大満足発射でした!」
「だからいちいち言わんでいい……!」
「おほほほほ! まあまあ……面白い御方。ははっ……。頃合いが良かったわ。ちょうど、夕食ができあがったところなの。食べられるかしら?」
「――是非にッ!」
「ハァ……。ホントにもう……」
ナディアさんの物怖じしない、あっけらかんとした性格は嫌いではない……むしろ好きなぐらいだが、こういった場面で発揮されるそれに対しては頭を抱えたくなってしまうから不思議だ。俺が気にしすぎなだけなのか……? ロプツェンさんも笑ってるし。
「お好きな席にどうぞ」と、ナディアさんはロプツェンさんに席をすすめられている。
ナディアさんは「んー……」と、しばし迷うも、結局は俺の左隣の席に落ち着いた。
その間に、ロプツェンさんは、俺たち二人の食器に優先してスープをよそってくれた。フワッと、甘酸っぱい匂いが一段と強くなる。
これは、もしや…………。
「さ、いただきましょうか」
俺たちの向かい側の席に着いたロプツェンさんの一声で我に返り、姿勢を正す。
ロプツェンさんは、流れるような動作で食卓の上に両手を出し――握った。
左を見やると……ナディアさんはすでにその構えを完成させていた。先ほどと打って変わって微動だにせず、石のように沈静している様に少々ギョッとすると、俺もすぐに二人にならい手を合わせた。
――窓から仄かに射し込む茜色が、波が引くように消えた。
ギシ…………ギシ……と、不規則なリズムを刻む、木が軋むような音。
スっ……と軽く息を吸う音がそこに割って入って、混ざり。
「――――豊穣の女神のご加護があらんことを」
「我らは是として「わ、我らは是として主からの祝福を受け入れます」ます……」
祝詞を言い終えると、二人は構えを解き――食器を持って、静かにスープを口に運んだ。
俺も遅れて食器を手にすると――いただきます。
小声でつぶやき、グイっと食器を傾けた。
……口の中に一気に広がる温かな酸味。
だがそこに不快な刺激は一切なく、突風が過ぎ去ったあとの静寂のような……日暮れ時の海にあらわれる凪のような……甘味だけを舌の奥深くに残す。
ホッ、と。
思わずため息がこぼれてしまい、
「美味い……。そうだ、やっぱりこれ『マトマ』だ……! どこのやつだろ、めちゃくちゃ飲みやすい……」
「ふふふ、お口に合って何よりだわ。……ちなみに、ポルク村のよ? それ」
「え……え? ウソ……マジすか……? ほへぇ……」
「そうよ? ふふっ、ウソなんてついても仕方ないじゃない。そんなに驚くことかしら」
「いえ、まぁ……はい。…………気付かなかった……」
言われてみると、その感覚は、あまり特別ではないように思えてきた。
鼻や口から取り入れる空気のようにありきたりで素朴な感覚を、俺はいつも味わっていたのだ。
そのはずなのに、どうしてこんなにも美味いのか……。
ロプツェンさんの料理の腕前が良いのはそうなのだろうが……。他所様の家で食べているせいもあるのか……?
そうしてアレコレ思考を巡らせていた俺の目の前に――スス……と。『パンズー』の入った”木籠”が現れた。
おひとついかが、ということらしい。
すすめられるままに、俺は苦笑いを浮かべながら首を縦に振る。
ロプツェンさんは、『パンズー』をひとつ手に取ると……そこに木のヘラ(?)のようなもので『バトゥーアー(この世界における有名な乳製品の一つで、『モミールク』に含まれる脂肪を練り固めて冷やしたもの)』をたっぷりと塗りつけた。
手渡され――一口、思いっきりかぶりつく。
縦横無尽に駆け回る『ムギーコ』の風味を追いかけるようにして、『バトゥーアー』の塩味が、単一ですでに形を成していた世界に新たな色を添える……。
さらにそこへ『マトマ』のスープの酸味を加えると、すべては戸惑うことなく調和を始め、シャボン玉のように浮かぶ「美味い」という感情が次々と弾け出し……………………その世界には”満足”の二文字しか残らない。
「ふはぁ…………ホント、こんな贅沢が許されるなんて……つい先ほどの事態を思えば夢のようですよね。ね? ナディアさん――」
はたと気付いた。そういえば、ナディアさんの声が響いてこないぞと。
いつもなら、子供でさえ一歩引いてしてしまうほどの『うンめぇ~~~~!!』みたいな大絶叫が聞こえてきそうなものだが……左耳には特に何の振動も訪れない。
そういう意味も含めて、ナディアさんに話を振ったのだ。
「…………」
が。
ナディアさんは俺の声が聞こえなかったのか――そんなはずはないと思うが――反応がなかった。
『パンズー』を手で小さく千切っては口へ運び、『パンズー』を置くと、両手で容器を持ち――少しだけ上へ傾ける。その繰り返し。
正面を向き、ただ黙々と食事をしている……。
「……? 大丈夫ですか……?」
怒っている、というわけではない。
上手くは表現できないが……誰かが怒りを露わにしているとき特有の空気の”歪み”というか、そういった嫌な雰囲気はないのだ。
だから、俺を意図的に無視しているというわけではないと思うのである。
というよりむしろ、横から見るナディアさんの表情はとても澄んでいた。
まるで風呂上がりに夜風にでも当たってきたかのような、どこか清々しささえ見受けられる。
「……………………」
そう……異常は無い。
だが、”普段のナディアさんとは違う”という”違和感”が、俺にそう言わせたのだ。
「――ところで」
ピチャッ、と音が跳ねた。ナディアさんが口を開いた。
透き通りながらも、一音一音がしっかりとした重さをもっている声に、若干ながら身を引いてしまう。
ナディアさんは、ロプツェンさんの方へと顔を向けていた。
「……。ご夫人は、”魔術”が苦手……お嫌いなのでしょうか?」




