第51話 『出発準備』
「た、足りない……」
オッチャンの下で副業を始めてからというもの、早くも一週間が経とうとしていた。
当初は「ちょっくら小遣い稼ぎでもしてくんべ~」ぐらいの軽いノリで始めたのだが……大間違いだった。そのような、おしるこすすった甘ちゃん的思考は、初日にして木っ端みじんに消し飛んだ。
『おらおらァ!! 手ェ止まってんぞ!! お野菜丸洗いにいつまでかかってんだァ!? お客さまァ待たせてんじゃあねぇぞこのドアホゥめがァああああああ!! 手で足りねぇなら足も使え足ィッ!!』
『はひィいいいいいい~~!! すぐに行きますッ! おゆるしを~ッ!!』
『許しを乞う前に敬称はどしたァああああああ――ッ!!』
『イエス!! ボス!!』
……という具合のことが連日続いた。
端的に言うと、めちゃくちゃ忙しかったのである。
普段『LIBERA』で働いているときも、たしかに忙しくはある。商品搬入、陳列、そうじ、売り上げの算出などなど、やることは常に山積みだ。
とはいえ、ぶっちゃけ客の入りが一日に五人か六人……多い日で十人を超えるぐらいと、そこまで多くないため、俺とフランカはてんてこ舞いになることなく、比較的のんびりとした雑貨店ライフを送っているわけである。
――だが、オッチャンの店はケタが違う。
一人終わればまた一人、それも終わったかと思えば一人二人と……「この村、こんなに人いたっけ……?」と思わされるぐらいに、わんこそば並みに客人がやって来た。
オッチャンいわく、集客率の多さの要因は、ポルク村で収穫される食物の品質の良さ、そして他店との競争率の低さにあるらしい。
そういえば、ここら一帯は『ムギーコ』の栽培が盛んで有名な土地であり、それを目当てにポルク村へ遠路はるばる訪れる人もいるとかいないとか聞いたことがある。そして、農業や酪農での自給自足を基本とするポルク村において、“商売”をメインに活動する人は限られている。もともとは、村人や近隣住民の生活に不足する物資をおぎなう目的で発足したものらしく、お互いに被らないように多様な店を小規模で展開した結果……まぁ、必然的に個々の店に客足が集中するという構図である。
つまり、“忙しさ”の度合いを例に表すと、オッチャンの店は町の中心でドンと構えているスーパーの大型店舗で、俺たちの『LIBERA』は街角にひっそりと建っているドラッグストア……みたいな感じなのである。
『ふひィ~、はひィ~』
『おい、チンタラしてんじゃねぇ! あとで腹に鉄拳食らって吐きたくなきゃあ、今ここで商売魂のすべてを込めてみやがれ!!』
『オロロロロロロロロ……』
『――ちょっ、おい! すでに吐いてんじゃねぇ! しかもそれお客さんのカバンじゃねぇか!? なんでカバンの中に商品じゃなくてゲロぶちこんでんだよッ!!』
だから自分で言うのも何だが、疲労困憊になるのも無理はない。未経験でいきなり漁船に放り込まれたようなものだ。
普段は使いもしない筋肉の部位まで総動員させ、“人”という波にもまれにもまれ……一週間経って気付いてみれば、俺はすり減りまくりの立派なボロ雑巾と化していた。
『LIBERA』での仕事と兼任していたというのもある。本来の“昼休憩”が“激務”に置き換わったうえで一日の本業を全うするのは、心身にかなり堪えた。……まぁ、”筋肉痛”をいいわけに、フランカにサロンパス的な硬膏剤を背中に貼ってもらったのは、せめてもの癒しだったか。
そんなこんなで、ボロ雑巾にはなったものの、俺は見事に、一週間の副業をこなしてみせたのである。
『フッ……。よくぞ……よくぞ一週間、泣きベソ言わずに堪え抜いたな、兄ちゃんよ。これは、そんな兄ちゃんが自らの手で勝ち得た労働の結晶だ。ありがたく、受け取ってくれや』
『お、オッチャン……ぐすん。はいっ! このイトバ・ユウ、ありがたく、お給料を頂戴いたします! 短い期間ではありましたが、大変お世話になりやしたッ!!』
『へへっ……。今さら、照れくせぇじゃねぇか。また何かあったら、俺を頼りな』
『お、親方ァ~!』
チャリン……!
オッチャンの手から俺のてのひらへ、ハダカの給料が手渡される。
てのひらに伝わる、この重み……ずっしりとした、硬貨の感触……。
これは、もらった……! もしやすれば、金か……――
「…………………………………………」
オッチャンから手渡されたお給料――銀貨一枚。
時給換算すれば、かなりの儲けであることは間違いない。
しかし俺は、ぶっちゃけ言うと、金貨三枚ぐらいもらってもおかしくないだろうと思っていた……。
精神的に、それだけ働いていたと思っていたのに……現実として、俺の労働に対する価値は”銀貨一枚”だ。
あ……あんまりだァああああああああ~~!!
ガクン! と、膝から崩れ落ちたのは言うまでもない。
なぜ、社会に住まう大人たちがいつも口をそろえて「働きたくない」と豪語するのか……少しだけ、分かった気がします。
これが世に言う、『ブラック』というやつなんですね。自分からやっといてなんですけど……。
「足りない……ぜんぜん足りない……。こんなの、間に合うわけがない…………」
そして、銀貨一枚を前に、『LIBERA』の床に頭とひじと膝をくっつけて、ヤドカリのように小さく丸まり、ガクブルと震えているのが現在の俺である。
一週間の副業で”銀貨一枚”――その結果だけ見れば、十分な稼ぎであり、副業としては大成功である。
しかし、しかしだ……俺は”銀貨四枚”を稼がねばならないのだ。『ジテンシャ』製作のために。
つまり、あと銀貨を三枚も稼がねばならない、ということだ。単純計算で考えれば、銀貨四枚を稼ぐのに”約一ヶ月”はかかってしまうことになる。
村長の話では、『配達はできるだけ早く』ということらしい……。
とはいえ、このままちんたらと稼いでいては、リカード王国への出発が大幅に遅れてしまう。
というか、リカード王国への旅路の護衛として、一緒に付いて行ってくれるというナディアさんは、あの日以降店を訪れていないどころか、近辺でも顔を見かけないが、一体どこで何をしているのやら……。
「――ユ~ウさんっ♪」
そんな、行く手八方ふさがりの暗闇のなか……背後に”光”が現れた。
俺の”癒し”こと、マイエンジェル・フランカである。
なんだか妙にご機嫌である。
「えへへ~。ユウさん……実はあなたに、良いお知らせがありますっ……!」
「……?」
後ろを振り返ると……そこには花が咲いたようにニッコリと笑ったフランカがいて、両手は後ろに回して、両足でおふざけにも小躍りするという、実に少女らしい様子を見せていた。
耳がピョコピョコ、しっぽをフリフリ……。
これは、フランカが嬉しいときにする動作だ。
そして、もう一つ――”相手をビックリさせようとする”ときにも、似たような動作をする。
ああ、愛しのフランカよ。お前を背後からつかまえて、力いっぱい抱き締めて、南国の太陽よりもあつ~いキッスを、そのぷるっぷるの柔いくちびるに、ぶちゅぅ! とくれてやりたいところではある。
……だが、”いま”は、
「……。すまない、ハニーよ……。キミが来てくれるだけで、俺の汚れつちまった心の大地からはいつも、どこからともなく花が芽吹き、あっという間にその場は史上最高の楽園へと姿を変える――けれど! ……けれどどうか、どうか”いま”だけは、ひとり悲しく涙を流し、大地に”慰め”を与えることを、許してはくれまいだろうか…………つまり今のボクはみっともなくて泣きたい気分なんですヨヨヨ」
「? どうか、されたんですか……? お身体の具合が良くないとか?」
「いや、まぁ……”体”もそうだけど、どっちかというと、こう……”心”の方が、な。ナイフのようにとがった、社会の厳しい現実に、改めて切り刻まれているところなのさ……」
「へ、へぇ……。なんだかよく分かりませんが、おつかれさまです。あまり、ご無理はなさらないようにしてくださいね――あ! でもっ! そんなユウさんに、ピッタリのお知らせがあるんですよ……!」
「グスン……なんですって?」
「もぉー、ほら、だから言ってるじゃないですか! ユウさんにっ、良いお知らせがあるんです……!」
フランカは俺に、まるでテレビの通販番組の司会か、もしくは訪問販売の人のようなことを言ってくる。
まぁ、いつまでもメソメソしていても仕方がないし、せっかくフランカが久々に明るく接してきてくれたんだ……”好意”は素直に受け取ろうではないか。
そう思い直した俺は、フランカに向かってちょこんと正座で座り直し、「はいはい、なんでしょうか。是非ともお聞かせください、フランカちゃま」と、茶でもいっぱいすすりそうな雰囲気で、返事をした。
その言葉を聞くと、フランカは「待ってました!」と言わんばかりに、耳としっぽをピーン! と直立させ、「うへへへへぇ……」と、口元をヤガミなんたらさんのようにニヤつかせた。
コイツ、俺に爆弾でも投げるつもりじゃねぇだろうな……。
ためにためて、フランカはようやく、隠していた両手を後ろから前へバッと移動させ――。
どーんっ!! と、『それ』を、突きつけてきた。
「なっ…………!?」
俺は、言葉を失った……。
「じゃっじゃじゃあ~~ん!! ……コホン。あらためましてっ、ユウさ……イトバ・ユウさん! あなたを! 『LIBERA』の正式な”雑貨店店員”として、認定いたしますっ! ――そしてっ、約一ヶ月のおしごと、大変おつかれさまでした! こちらは、一ヶ月働いていただいた分の”お給料”となります! わ、渡すのがちょっと遅れてしまい、そこはすみませんでした……!」
……………………。
「……? ユウさん?」
「…………いま……なん、と……?」
「え……いやほら、だから”お給料”ですってば! もっと喜んでくださいよ! ユウさんが、何でも自由に使っていいお金なんですよ? お洋服でも小道具でも、お部屋に飾る装飾品でも……! ユウさんの好きなモノを、なぁ~んでも買ってくださいな! 遠慮なさらず!」
「…………」
フランカの、てのひらの上には――朱色の小さな皮袋があった。
皮袋は、女の子の手の真ん中にちょうど収まるぐらいの大きさで、口元はヒモで軽く結われている。
フランカは、それを乗っけた両手を、俺が見えるように高く掲げてくれていた。
……いつの間にか、俺は両手を”水をすくう”形にして、”受け皿”として、フランカの手の下へスス……と差し出していた。
――ポスン。袋が落とされる。
俺の両手に、”一ヶ月”という時間の重みがのしかかる。
「中身を見ても?」と、フランカに尋ねると……フランカはわずかに緊張した面持ちを見せたが、「どうぞどうぞ」と、結局は行為を阻むことはなかった。
「ゴクリんこ……」
シュル……ヒモは思っていた以上に、簡単にほどけた。
皮袋の中身があらわになり、こちらをのぞく――。
「……。いちまい……にーまい……さんまい…………。……っ」
「ちょ、ちょっとユウさん。さすがに、声に出して数えないでくださいよ……。な、なんだか分かりませんが、ちょっと恥ずかしくなるじゃないですか……!」
「…………っ」
フランカのその言葉は、きちんと耳で拾っていた。……しかし。
普段の俺であれば決して有り得ないことだが、そんなことがどうでもよくなるほど、今の俺の精神は目の前の皮袋の中身に釘付けだった。
もう一度、中身を数えてみる……。
いちまい……にーまい……さんまい…………よんまい。
……………………。
いちまい……にーまい……さんまい…………よんまい。
……………………。
いちまい……にーまい……さんまい……………………よんまい。
…………………………………………。
何回数えても……”四枚”。
――――”銀貨四枚”。
副業を除けば、『それ』が、俺が異世界に来て正式にもらう初給料だった。
『LIBERA』の”雑貨店店員”としての、初給料だった。
ギチギチ……と、俺は壊れた機械人形のように首を振り、フランカを見やる。
「…………コレ、マジすか……」
「ど、どうですかどうですか……!? スゴイでしょう、銀貨が四枚も! だなんて! ゆ、ユウさんはいつも張り切っておしごとやってくれてますからね……! おそうじも、率先して! だ、だからこれぐらいはまぁ、何と言いますか、当然の対価と言いますか褒賞と言いますか……あはは~、これからも一緒にお店を盛り上げていきましょう! 的なモノでして……。……っ。……………………」
そこまで言うと……フランカは、少し照れくさそうに、指で頬を掻いた。
ちょっとだけ、頭も下げた。
「じ、実を言うと……不安だったんです。ユウさんに、喜んでいただけるか、どうか…….。”銀貨四枚”は、他の職業と比較すると、高いとは言えないお給料です。”魔術師”なんて、最低でも”銀貨六枚”はもらっているわけですし……。店はもともと、立地的にこんな片田舎にあって、あちこちに手足を伸ばして事業を拡大しているわけではありませんし……かと言って、ここの売り上げがめちゃくちゃあるわけでもないです……。ユウさんは、もしかするとすでにお気付きかもしれませんが……王都の住宅街に住む人たちのような裕福さは、ここには無いんです。えへへ……」
「…………」
「あっ、で、でも気にしないでくださいね! 毎月”銀貨四枚”ぐらいをお支払いできる余裕は、まだありますから……! ま、まぁ、ユウさんの今後の働き次第ですけどねっ! ムフン! なーんて……」
「…………フランカよ」
俺は、キュッと、皮袋の口元をヒモで結い直した。
そして改めて、フランカに向き直る。
「は、はい……! なんでしょうか……」
フランカは、少しだけ手櫛で髪を整えなおすと、同じく俺に向き合った。
スゥ…………フウ……………………。
深呼吸して、呼吸を整え――――
「フランカたまァああああああああああ――――ッ!! あいらァーびゅゥ――――ッ!! あーッ、本日も世界は平和なりィいいいい!! 晴天なりィいいいい!! フランカ様が、ここに在りィいいいいいいいい――――ッ!!」
くちびるをすぼめ、ぶちゅう! しに行くべく、俺は水泳の”飛び込み”のごとくピョンとその場で跳ねると、フランカ目掛けて一直線に頭から突っ込んでいった。
「ぎ……ぎィいいやァああああああああああ――――ッ!! 突然なんですかっ!? 意味が分からないです気持ち悪いですゥうううう!! とにかくこっちへ来ないでくださいブッ飛ばしますよォおおおおおおおお――――ッ!!」
バシコーン!!
『ブッ飛ばします』と言い終わらないうちに……というか、言う前から、フランカは”平手打ち”の構えに入り、俺のくちびるがフランカのくちびるに届くまであと数センチ……というところで、内角高めを打ちとらえた。
なかなか、堂に入ったものである。
「ぐぼはゥわァああああ……ッ!!」
快音とどろき、俺は店内の真ん中から壁際の方までチリ紙のように吹っ飛んでいった。
さいわい、体が当たるなどして店内の道具類に損傷が出ることはなかったが……どどしんっ! と床を転がり、そして止まったとき、ニワトリのような形をしたヌイグルミが、いくつかポトポトとおしりに落ちてきた。
「あいてっ、あいてっ」と、抵抗する間もなく、俺はそれらの餌食となる……。
さ、さすがフランカ……。こ、この調子じゃあ、海外進出も、すぐそこだぜ……。
結果的にフランカにはブッ飛ばされたものの、俺の中では圧倒的に強い別の”歓喜”があったため、ヒリヒリするほっぺたの痛みも、それはそれでスカッとした爽快感をもたらしてくれた。
キラッと、緑色の光が目に映って――。
”でんぐり返し”の状態で、両足の間から見上げると……”さかさまフランカ”が、腰に両手をあてがい、「ハァ……」と、ほとほと呆れた様子を見せていた。
「ユウさんは……驚くほど相変わらず、ユウさんのままですね……」
「そこがボクの魅力です」
さかさま状態のまま、俺はグッと親指を立てると、フランカに逆さまウィンクをバキューン! とお見舞いする。
「はぁーあ……」と、もう一段深いため息を吐いたフランカは、今度は額に手を当てて目を覆った。
こうして、今世紀最大のファインプレイをかましたフランカの偉大な功績により、俺の……”銀貨四枚を集める”という目標は幸運にも達成され、リカード王国へ出発するまでの時間がグンと短縮されたのである。
――その後、間もなくして。『ファクトリー』一階の”作業場”にて。
「おーらおら! 約束通り、ちょっくら稼いできてやったぜクソジジイ……! そっちはそっちで、”準備”の方はできてンだろうなァ!?」
「……っ! ……………………。…………どんな手を使った?」
「はっ! 今さら何を……――――天才、ですからっ」
「…………」
「……ん? あっ、ちょっとお前! バカ! またいつぞやの時みたく”魔導衛士”に電話しようとしてるだろ!? ポリぃスメンによォおおおお!! マジで合法的なカネなんだって! 信じてくれッ! あーそうですよ俺の給料ですよ初・給・料! これでまたスカンピン、一文無しの若造だい!! もってけドロボォー!!」
こうして、ボッフォイに『ジテンシャ』をつくってもらえることになった。
『ファクトリー』から雑貨店の方へ戻ると、フランカには再度、”リカード王国へ旅立つ”事情と、そこで”『LIBERA』の雑貨を売りさばく”計画を伝えた。
そして、そのための旅支度や雑貨の選別などを、フランカと一緒に、今日から整えることになった。
いろいろな”準備”が、ようやく動き出したという感じである。
冒険の始まりは、すぐそこだ……!
それから、時間は飛ぶように過ぎていき……。
またまた早くも、約一週間が経とうとしていた――――。