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異世界道中のお道具屋さん  作者: 一色創
第二章  リカード王国滞在記
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第48話 『さぷらいず』

「お、おはようございます……。……。あ、先に目が覚めてしまったと……。……。私の方が遅れてしまうなんて、珍しいですね……えへへ」


 ――いつもの正装に身を包んでいるフランカは、頬を掻き、はにかんでいる。


 …………。


 俺は店内へと足を踏み入れた――。


「それとユウさん、今日は実はモミールクの配達が…………あ。そうだったんですか……もう、終わりましたか……。支払いも、タルもきちんと運んで…………。……。ありがとうございます、助かりました」


 ――赤いエプロンドレスのポケットから赤の三角頭巾を取り出し、それを頭に巻いていた。


 …………。


 ズンズンと、レジの方へ向かって一直線に歩いていく――。


「……。昨日は…………。……。……あ、いえすみません。何でもないです。さ、今日も一日元気に頑張りましょう! オー! …………」


 ――俺から視線を逸らし、声高々にそう言うと、フランカは歩みを再開させる。


 …………。


 代わりに俺がその場所へ辿り着くと、キュッと、左へ向きを変える――。


「…………」


 ……フランカは歩いていく。


「…………」


 俺は止まる……。

 そして――



「フランカ!」



 その背中へ声を放った。

 音は――――止まった。



 …………。



 誰も、何も語らない時間が随分と続いたような気がする……。

 景観だけが生きているように思える。息を呑むことでさえ、俺の中ではためらわれた。


「…………」

「…………」


 俺は小さき少女の背中を見ていた。はずなのに……どうしてこうも、いつも以上に大きく見えてしまうのだろうか。

 俺の身長が一夜にして突然縮むわけもないし、逆にフランカが縦に伸びたわけでもない。健康状態も良好になったことから、幻覚を見ているとも考えづらい。

 ならばどうして、彼女の小さな背中は、これほどまでに俺の胸を圧迫してくるのだろうか……。


 俺は胸に手を当て――そうになったが、それを胸ポケットの中へといざなった。

 視線は決して外したりはしなかった。



「……………………何でしょうか、ユウさん」



 と、これまで石像のごとく微動だにしなかったフランカが、ようやくこちらを振り向いた。

 目を細め、両の口端を上げたその顔は――とても笑っていた。

 実に元気で、ひょっとするとここ一週間分の記憶がすっぽり抜けてしまったのではないかと思えるほどに、そこにあったのは俺のよく知る天使様の素顔だった。


「……っ」


 俺はひるみそうに――いや、ここであえて一歩前へと足を踏み出した。


「スゥ――…………」


 ……鼻から息を吸い。


 胸ポケットへ誘われた手は、既に身体の横へ下ろされている。


「……」


 両手が手汗で湿っていることは十分に感じ取れた。どことなく口の中もかわいている。拍動は直接手で触らずとも、自らの存在を主張し始めた。


「ハァ…………――」


 口から息を吐き……。


 だが、昨夜の風呂の中で体験した発汗や動悸とはまた違っていた。“程よい緊張感”とでも言うべきだろうか……。

 昨夜は頭の中も雑然としていて、そこへ上った血がいよいよ沸騰ふっとうしたかのようだったが、今はしっかりと二本の足で地に立ち、二つの目ではっきりと現実を捉えることができていた。


 それもこれも例の白い恩人が背中を押してくれた――って、アイツに手は無いのか……。

 とにかく、何やかんや悪態はついたものの、俺は改めて心中で感謝の印としてサムズアップをするのであった。


「――」



 そして、腹をくくる。



「――っ!」


 バッ! と。

 俺は固く握り締めていた両手を、てのひらを上にする形で前に出した。


 フランカが少し驚いた素振りを見せるも、逃げ出すまでには至らなかった。が、もちろんワケが分かるはずもなく、唐突な俺の行動に小首を傾げている。


「…………」


 ――開かれた右手には植物の小さな種が三つ、そして左手にはマッチ箱。


 フランカは眉をひそめ、ますます首を傾けた。

 対して俺は何も言わず、まず左手のマッチ箱から一本マッチ棒を取り出すと――シュボッ! と火を点ける。左の親指と人差し指でつまむ。

 それからマッチ箱を胸ポケットへ仕舞おうと、種を三つ持った右手の指でそれを掴み――


「ああ……ッ!」


 思わず上ずった声を上げてしまった。


 ――バラバラバラバラ……ッ!


 派手な音を鳴らして、マッチ棒どもが床に散乱する。

 種を落とすまいとしていたからか、変に掴み損ねて落としてしまったのだ。


「…………」

「…………」


 その瞬間、俺たちの隙間に言いようのない静寂が訪れてしまった。

 ブワッと、冷や汗が大量に噴き出たことをきっかけに、顔の熱がみるみるうちに上昇していく……。


 俺は気を取り直す意味も込めて「ウェッホンウェッホン!」と強引に咳ばらいをすると、


「ム……!」


 左手を一旦下げ、今度は右手だけを、先程と同じ状態で前に突き出す。

 幸いなことに、フランカは突き出された握り拳に注目してくれた。


「……!」


 ――握り拳に力を込める。

 “手”だけではなく、頭の天辺から足の爪先まで、全身の血流を一箇所に集中させるような感覚で、筋肉を膨張させる。特に腹筋を意識する。

 そして、拳の中の閉ざされた世界における変化の過程を具体的に想起し、心中で念ずる――。

 これが、“魔術”の使用に際しての、基本的な心構えであり“発動態勢”である。


 すると、間もなくして……そう。

 このように、紅い火花のような閃光がパチパチと、拳の周囲を雑然と取り巻くように発生し――プゥー。


「…………」

「…………」



 思いっきり間抜けな音がした。



 …………そうだ。

 俺が、思いっきり屁をこいたからに他ならない。



「…………」

「…………」


 それに気付いて、チラリと、フランカを見やると――。

 未だ視線を俺の拳に留めているものの、どこか苦笑いをしているようにも見えなくはなかった。


 顔の熱が、再び上昇の気配を訴えていた。


「ホイッ!」


 半ば無理矢理に――というか明らかに誤魔化すために、俺は大声を張り上げて右手の拳を開放した。

 するとそこから、赤、青、緑の三色の花が、ポパパパ! と見事に咲いてみせた。

「ワア」と、そこで初めてフランカは目を丸くし、声を上げた。


「…………」


 ……さて、ここからだ。


 俺は一つ生唾を飲み込むと、右手のてのひらに咲くそれらへ向け、左手の指でつまんでいたマッチ棒の火を近付けた。

 フランカは咄嗟とっさに耳を上下に動かしたようだったが、しかし干渉はせず、じっと火の行く末を俺と一緒に見守っていた。


「…………っ」


 たかがマッチ棒の火と言えど、さすがに肌が触れそうな至近距離ぐらいになれば眉をしかめる程度の熱さにはなる。

 汗ばんだこめかみの上の小さな水滴たちが、結集し、やがて重みに耐えかねて頬まで伝ってきた……。

 俺は構わず、火を近付けた。


 火を近付け――そして。

 ボゥ! と、三色の花に引火した。


「ぇ…………」


 声にならない声を上げ、フランカは唖然としてその光景に見入っているようだった。

 俺はさらに顔をしかめたが、てのひらの灼熱に容赦などしなかった。むしろ用済みのマッチ棒の火を吐息で消すと、空いたその手で指パッチンをして、その火力を一段と底上げした。


『どうしてそんなことを……?』

 あるいは、

『どうしてそんな残酷なことを……?』

 と、フランカは思っているかもしれない。

 けれど、これらはすべて、これから目の当たりにする結果において必要な過程であり材料なのだ。


 こうして、生まれたばかりの花々はみるみるうちに燃え盛り、わずか一瞬にして小柄な肉体は灰と化した――。


 ――バァン! と、小さな爆発を添えて。


「…………」

「…………」


 プスプスと、焦げ臭いにおいが周辺にただよっている……。


「……。ちょ、ちょっとクサイですね……ケホ、ケホッ」

「…………おかしい。ゴホッ」


 本来ならば、ここで乙女の鼻腔びこうをくすぐるフローラルな香りが充満しているはずなのだが……。

 "火"もそうだ。なんとか火力を調節できたとは言え、想定していたよりも熱かった。というか爆発している。

 本来ならば……もっとこう、花々は燃えるのではなく水をまとったように全姿をきらめかせ、最後は宙に小さな花火として打ち上がるはずなのだが。


 ……いずれにせよ、一つも想定通りとはいかなかった。

 そして、そんな俺のてのひらの上に残されたのは、小盛りになった灰だけであった。


「…………」

「…………」


 ただ静寂だけは、どんな時でも無情を波のように運んでくるのだった……。


「……。……えっと、これは――」

「あの……。……。これって、まだ続きますか……?」


 声に、フランカを見やると、“退屈”と言うよりかは“心配”の情を思わせる眼差しを俺に向けていた。

 どちらにせよ、興は削がれているようだった。


「…………」


 それに対して何とも応えられず、俺は右のてのひらに視線を戻すと、もう片方の左手を使って灰の中に指を突っ込んだ。

 自分でも驚くぐらい、その動作は期待など微塵みじんも感じさせないほどあっさりとしたものだった。


「…………。……」


 しばらく指でまさぐった後、灰の中から静かに指を引き抜き、もう一度フランカを見た。

 フランカは依然として、例の表情で俺を見続けていた――が。

 それもしばらくのことで、


「…………。そろそろ……開店の準備がありますので……」


 クルリと……。

 きびすを返し、俺に背を向けようとした――――



「ごめんッ!!」



 てのひらの上の灰を握り潰し……。

 俺は、フランカに深々と頭を下げていた。


「…………」


 カツ、カッ……と、靴音が止んだ。


「……。もー、ビックリしたじゃないですか! 突然あんなことして。ユウさんってば、ほんっとーに突拍子がないんですから! まぁでも、さっきのはそれなりに楽しめた――」

「違う……ッ!!」

「……!」


 俺は、どうやら俺が思っている以上に大きな声を出しているようだった。

 現に前向きに言葉を発していたフランカは押し黙り、安静を保っていたこの場の空気も震えた。


 ……それは俺もだ。

 拳から、唇も……かすかに震えていた。


 ――それでも。

 結果的にこうなってしまったからには、もう言うしかなかった。


「フランカ……俺は……! ……っ。俺は、結局……なんにも分かっちゃいなかったんだ……!」


 ……フランカは何も言わない。


「俺はずっと……ずっと……異世界ここで暮らしてきて、『LIBERAリーベラ』の一員になって、お前らと家族のように楽しく過ごすことができているって……そう思い込んでたんだ……!」

「! そ、それは間違ってなんか――」

「違うんだ……ッ!!」

「!!」


 フランカは再び押し黙った……。


「俺は……お前らのことなんて、これっぽっちも分かっちゃいなかったんだ……! ルミーネやカルドの言う通りなんだよ……! 俺は、お前らを……フランカのことを知った気になっていただけなんだ……!」

「…………」

「フランカが本当に何に笑って、何に怒って、何に泣くのかを知らなかったんだ……! 俺はただ、俺がバカをするたびに笑ってくれるお前の笑顔が見たいがために、そんなことをしていただけで……。……ッ。本当にお前のことを想って行動したことなんて、何一つだって無かったんだ……!」

「…………」

「ルミーネに対して自分勝手に勇んで出て行ったのもそうだ……! お前らの気持ちなんて考えてもいなかった……! だからたくさん迷惑もかけたし、本来守るべきだったはずの人たちに、俺は支えられて今ここに立ってる……! 俺はお前たちを守るどころか、むしろ傷付けてしまったんだよ……!」

「…………」

「だから教えてくれ……! フランカ! お前は今何に悩んでいるんだ……! 俺に対してどう思ってるんだ……! 俺、もう後悔したくないんだ……! 先走って行動して、後から『知っときゃよかった』なんて、そんな都合のいい愚かさに甘えるのはもう嫌なんだ……! 教えてくれ、フランカ……! バカな俺にもっと、もっと……色々なことを教えてくれ……! 俺は、もっとお前のことが知りたいんだ……ッ!」


 思いの丈を吐き出し終えると、俺は祈るようにギュッと目をつむった。


 フランカは……やはり何も言わなかった。まるで空気に語りかけているみたいだ。

 そして俺は、フランカがこのまま目の前から消えていなくなってしまうことが、何より恐ろしかった。


 だから、俺は全霊で祈っていた。


 …………。


 驚いているのか、困惑しているのか、それとも答えようと考えてくれているのか……頭を下げ続けている俺にフランカの現状など知る由もなかった。

 それに、どうやら俺はこの頭を持ち上げてそれを確認することもできそうにないと、心のどこかで悟っていた。


 ただ、待つばかりだった。


 …………。


 静寂はまったく苦にならなかった。

 というより、むしろ俺は今この場でフランカから答えを得られるのであれば、喜んで沈黙を貫こうとさえ思えた。


 …………すよ。


 ……気のせいだろうか、前方よりそよ風が通り過ぎた。

 俺は目を開けた。



「…………………………………………ホント、ですよ」



 ……間違いなかった。

 それは、フランカの声だった。


「人の気も知らないで…………いつも、勝手ばっかり……」


 ――が。

 それは、俺の想定していたものとは随分と異なるものだった。


「嫌がることを平気でして怒らせてくるし……えっちなことを言って困らせてくるし……笑いたくない時でも笑わせてくるし…………。…………泣きたくないのに泣かせてくるし……」

「…………」


 彼女の口から紡がれる言葉の一つ一つを、俺はどう受け止めればいいのか分からず、相変わらず口をつぐみ低頭し続ける他なかった。


 スッ……と、彼女は一呼吸置き、


「……。…………かと思えば、手際は良いし、お客さんには気をつかえるし、意外と繊細ですし……。……優しいし」

「……!」


 ムズムズと、この、腹の底から込み上げてくる炭酸のような刺激は一体何だろうか……。

 やがてそれは手足の先まで伝播でんぱし、筋肉の緊張を解きほぐしていくようだった。


 ブンブン、と俺は頭を小刻みに振り。

 それではダメだと――


「――ッ!」


 次の瞬間にはもう、俺はたまらず顔を上げていた。

 俺の頭を押さえるものなど、もはや何も無かった。



「――ごめんなさいっ!!」



 …………。


「……………………へ?」


 自分でいうのも何だが、こんな頓狂とんきょうな声を出すのも無理はないと思った。

 再び目にした前方の景観に、謝罪していたはずの人物がいなかったからだ。


 いや、“いない”という表現は少し語弊ごへいがある。相手は今も、確かにそこに存在している。

 ただ前方ではなく――もっと下。


 ……しかも、俺がその人へ向けて謝罪していたはずなのに、まるで入れ替わるようにして、その人は俺に向けて謝罪していた。


「私も……! ……いえ。私の方が、謝らなくちゃいけないんです……!」

「……!」


 俺は足を一歩引き下げてしまった。


「私は……ユウさんは、ずっと頼りになるって……。お店で働いてくれている時でも、何か困ったことがある時でも、本当に頼りになるって思います……! ユウさんが思っている以上に、私はユウさんに助けられて……そして感謝してるんです……!」

「…………っ」

「いつも元気で明るくて、清々しいぐらいに前向きで……。本当に、本当に……心から尊敬しています……! 私のつたない言葉は、確かにあまり重みがなくて響かないかもしれませんが……ウソじゃないんです……! これだけは信じてください……!」

「…………」

「でも、私はそんなアナタに……まぶしいアナタに、甘えてしまっていたんです……! ユウさんは私のことを何も知らないって言ってましたけど、それは私もなんです……! アナタが悩み、苦しみ、弱々しくなる一面なんて、これまで一つたりとも知らなかった……! いえ、見ようとしなかったんです……!」

「…………」

「ユウさんは、いつでもどんな時でも頼りになるって、私の支えになってくれるって……そんなことはないはずなのに……! アナタはどこにでもいる『人間種』で、“普通”の男の子だったんです……! そんな都合のいい幻想を、当たり前の事実を、しくもあの一件で壊されて、気付かされてしまったんです……! 私がアナタを……! ……っ」


 そこまで吐き出すと、相対する者はおもむろに身を起こした。

 ……視点は定まっていない。

 身体の横で震えていた小さな拳を、さらにギュッと固くしていた。


 ッ。


 軽く息を吸う気配がして――。

 やがて脱力したかのように五指を開放すると、その人物は今度は、自分の両肩を抱き、



「……。私は、怖い……。…………アナタが、いなくなってしまうことが…………」



 か細く消え入るような声音で、そう言った。

 そしてそれ以上、彼女の口から言葉が発せられることはなかった。


「…………」


 今、彼女のすべてを目の当たりにし……。

 それを何よりも待ち焦がれていた俺は、嬉しいのか――もちろんそうだ。驚いているのか――それもある。


 だが、俺一人が先に感情の波に揺らされているわけにはいかなかった。

 なぜならまだ、崖の上で足踏みをし、飛び降りることのできていない少女がいるのだから。


「――――」


 では次にどうすべきか、ということについては、わざわざ頭で考えずとも既に身体が理解していた。


 だから、俺は床に片膝をつき――


「……フランカ、聞いてくれ」


 わななく少女の手の上から毛布を被せるように、俺はそっと、彼女の――フランカの肩に両手を置いた。


 その時、フランカの耳がわずかに反応したかのように見えた。

 ……うつむき加減だったフランカの顔が少しだけ持ち上がる。


「……。俺は…………」


 スッと、息を吸い――



「俺は、お前たちと過ごす日常が大好きだ……!」



「――――」


 ハッ、と。

 フランカの目が見開かれ、横合いから差す光によって輝きを帯びた。


「俺は……そうだ。俺は、お前が言っていたように、無鉄砲でお調子者で、フランカの困るようなことばっかりしていて……」


『ああ、そうだよ! 俺はフランカが好きだ! 大好きだ! 将来の結婚を視野に入れた未来予想図を毎晩寝床の中で考えんのが俺の楽しみだよ! ……そうさ。だから最初は、そんな卑いやしい動機だったんだよ。あそこで働こうと思ったのは』


「散々迷惑かけて……どうしようもないヘタレだけど…………」


『――でも、でも。それから一ヶ月の間、色んな人たちと出逢って、話して、笑い合って……。そうしてたらいつの間にか――好きになっちまってたんだよ! この、何の変哲も無い、“普通”の日常が! あれだけ忌み嫌ってた“普通”の日常をよぉッ!』


「でも……俺もそうなんだ、フランカ。俺もお前に信じてほしい……!」


『そんでそれらがあるこの居場所も――――愛してるんだよッ!!』



「ポルク村の人たち、露店商のオッチャン、村長、モナ、これまで『LIBERAリーベラ』に足を運んでくれたお客さん、カルド、ボッフォイ、そして――――フランカ。お前たちと仕事ができるこの場所が、お前たちとバカ騒ぎできるこの日常が……好きだ。大好きなんだ……ッ!」



 グッと、手に力が入る。


「自分勝手な行動をして、傷付いて、お前たちを傷付けさせた俺に言えた義理じゃないのは分かってる……。信用に足る根拠も何一つ示すことはできないけど…………」


『――――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()! ()()! ()()()! ()()()()()()()()()()()()()ッ!!』


「それでも。この気持ちだけはウソじゃないんだ……! 信じてほしい……! 確かに、後先考えず衝動的にルミーネと戦った行動は今でも反省してるし、間違ってた……」


 間違ってたけど――――


「ルミーネからその日常を、平和を、お前たちを守りたいと願った“信念”は、正しいと思ってるんだ……! 俺はそう信じてるんだ……! ――だからフランカ!」


 今一度、グッ! と。

 手に力をこめ、揺らし、目の前にいるちっぽけな存在を懸命に感じようとした。感じさせようとした。


「俺は、どこにも消えたりなんてしない……! 大好きなお前たちの……お前のそばで、ずっと一緒に歩いていくよ! これから何があろうと、どんなことが起きようと、誰が何と言おうと、俺のこの気持ちだけは邪魔させない……! フランカ、お前の信じるモノを俺に見せてくれ……! そして、俺の信じるモノをお前に知ってほしい……!」



 …………。



 ……すべてを出し切った。

 口の中はカラカラで、少々息切れをしている。

 もうこれ以上、腹の底から一滴も言葉は出てこないだろう。空っぽになった頭では、なぜかそんな気がしていた。


 何も言わず、何も応えず、ただ押し寄せる荒波が岩を打つ音を感じていたはずのフランカから、未だに何かしらの音が生まれてくることはなかった。

 ――ただ、いつしか小さな震えは止まっていた。


 …………。


 沈黙はつのるほどではなかった。

 静寂の幕をめくるように、フランカは手の甲で俺の両手を持ち上げると、今度はそれぞれが向かい合う形で手を握り直した。

 左右の四本の指が、フランカの手の内側に包み込まれている。


「…………やっぱり、ズルい……ですよ」


 顔をうつむかせているので表情までは分からなかったが、フランカは確かにそう言った。

 それから、俺の指を握る手にクッと力が込められ、フランカは顔を上げ。


 そして――


「……そんなこと言われたら、私……何も言えなくなってしまうじゃないですか」


 眉は情けなく下がり、目元は笑い、口元は歪んだ曲線を描いている……。


 それが何という表情なのか、言葉で言い表せる表情なのか、無知な俺には到底理解できそうもない。

 けれど、フランカの……しっかりと強く、俺の指を握り返してくる小さな手が、言わずともすべてを物語っているように思えた。

 彼女も、例の崖を飛び降りることができたのかもしれない……。


「……。私、これからもユウさんにたくさん迷惑かけてしまいますよ……?」


 ――フランカは尋ねる。


 俺は彼女の温もりから、ゆっくりと離れた――。


「…………。私……ユウさんのイタズラには、やっぱり怒りますよ……?」


 ――フランカは尋ねる。


 灰にまみれた手で、胸ポケットをまさぐる――。


「……………………。これからも、いっぱい喧嘩して、たまに変なお客さんが来たりして…………辛いことがたくさんあるかもしれないですよ……? いつか、こんな片田舎じゃなくて……私とじゃなくて…………もっと、もっと別の――――」



「――――それら全部ひっくるめて、俺と一緒に、乗り越えてくれませんか?」



「え…………?」


 俺は両手の指で、てのひら一杯分ぐらいのサイズの四角い紙をつまんでいた。

 フランカは目を丸くし、それに視線を投げている。


今日ここからもう一度、“俺”という存在を知ってもらうために――」


 俺は両手を前に、頭を下げた。


「――受け取ってください」


 それは、俺の職業と名前が書かれた、いわゆる“メイシ”というものだった。以前ルミーネやナディアさんにあげたものと同じやつだ。

 ただ、四つ角が折れていたり、所々黒く焦げてしまったりして汚れているのは申し訳ない……。


「…………」


 またしてもフランカは何かを言うわけではなかった――が。

 間もなくして、指に挟まっていたそれが丁寧に抜き取られる感触が伝わってきた。


 …………。


 ……俺は顔を上げた。

 見慣れないものに戸惑っているのだろうか、フランカはまじまじと“メイシ”を見つめていた。

 俺は一瞬たりとも、フランカから目を離さなかった。


「…………ぅ」


 目を閉じ、一つ息を吐いたフランカは、それを大事そうに両手で胸に抱えると――



 …………。



 静かに、首を縦に振った。――笑顔で。


「…………」


 俺は今、どんな表情をしているのだろうか……。

 認識する術が無いためどうにも分からないが、きっとフランカ以外の誰かには見せられない表情をしているに違いなかった。


 俺はフランカを見つめたままでいた。

 彼女もそうだった。


 床につけていた膝を離し、俺は立ち上がった。

 言いようのない静寂が訪れ、普段であれば誤魔化していたこれも、どうしてかお互いに誤魔化せないでいた。

 どちらも、終幕を悟っているのに、いつまでもそうして固まっていた……。




「……っと。そうだ」


 フランカと仲直りすることに精一杯でうっかりと忘れていたが、その一件がひとまず落着したことでやり残していたことを思い出した。

 俺はフランカに対して改めて向き直る。


「フランカ。……もう一つだけ、聞いてほしいことがあるんだ」

「……?」


 フランカは眉を小さく持ち上げ、不思議そうに小首を傾げた。

 発言の合図と捉え、俺は語り始めた。



 村長からの依頼で、“あの日”ポルク村へ持っていった“長剣ロングソード”を、今度はリカード王国へ配達しなければならなくなったこと――。

 急ぐ必要はないらしいが、そんなわけで、近々俺が店を離れてリカード王国へ行かなければならないかもしれないということ――。

 それに関して、ナディアさんが同行を申し出ており、一緒に連れて行っていいのかどうか決めあぐねているということ――。


 ……また。

 昨日ルミーネと再会し、ルミーネから一通の手紙の配達を依頼されたこと。そしてそれを……この首にぶら下げているペンダントと引き換えに、請け負ってしまったということ――。



 話していて改めて気付いたが、昨日は色々と尋常ならざることが起こり過ぎた。

 それに、昨日はそんな出来事の一つ一つに臨機応変に対応できるような気力も無かった。だからこうして、俺はフランカに話すと同時に頭の中で過多な情報を整理し直していた。


「…………というのが、昨日の出来事なんだ。昨日すぐに言うべきだったんだが、今まで黙ってて悪かった……」

「…………」

「……? フランカ……?」


 何も言わないフランカを怪訝に思い、俺は軽く下げていた頭をすぐに戻した。


 フランカはまたもやうつむき、身体の前で両手を重ねている。

 一度に流れ込んできた大量の情報にやはり混乱しているのか、それとも何か別のことを考えているのか……。フランカにのみぞ知ることだった。


「……。……いやです」

「え……?」


 けれど、既に崖から飛び降りることのできたであろう今の彼女に、本心を包み隠す程度の臆病さはどこにも無かった。

 スッと、息を吸い上げ、


「正直に言うと……イヤです。ユウさんには、行ってほしくありません」

「…………」


 少しだけ眉根を寄せ、真っ直ぐに俺を見つめて、彼女ははっきりとそう答えるのだった。

 先程までの彼女に比べると、驚くほどに強気で、瞳は澄んだ空のように透き通っていた。


 俺は言葉に詰まってしまう……。

 と言うのも、案の定というか、先程からの流れでこの話が安易に受け入れられるはずがないと予期していたからだ。


「……と、言いたいところなんですが」


 しかしそうではなかった。

 フランカの言葉には、まだ続きがあったのだ。


「それは、私のワガママに他なりません。……私たちはあくまで雑貨店定員です。雑貨を売ったり、配達依頼をこなしたりするのが仕事です。この店を――『LIBERAリーベラ』を存続させるために、働いて働いて、少しでも金銭をかせがなければなりません。それが、私にこの店を託してくれたお師匠様の、願いでもありますので……」

「…………」

「つまり、勝手に私情を挟んで、それをさまたげてはいけないんです。ですのでユウさん――」


 名を呼ばれ、今度も反射的に顔を上げた。

 そこには――


「リカード王国へのお使い、頼みましたよ」

「フランカ……」

「お客様から請け負った大切なお荷物、しっかりと届けてきてくださいね!」


 今度こそ明確に、“笑顔”と言い表すことのできる表情が、そこに存在していた。


「…………」


 だが、俺はまだ……色づいた花に向けて口元を緩められる余裕はなかった。

 まだ、不安が残っているのだ。


「……ユウさんは、その……ナディアさん、という人を信用していますか?」


 ――と。

 またしてもここで、フランカから予期せぬ言葉が飛んできた。

 突拍子のない、加えて鋭い質問に、俺は思わず頬を掻いてしまう。


「ま、まぁ……そう言われてみれば、人柄とか性格とかもろもろ含めてルミーネよりは断然信用できると思う……。そもそも、ルミーネから俺を助けてくれたのは、あの人だし……。理由は知らないけど……」

「――では、信じます」

「え……何を……?」


「アナタの信じるモノを、私も信じてみようと思ったんです――――」


「……………………」


 フッ、と。

 頭を掻き、気付けば口端から笑みがこぼれていた。


 こちらに向けられる、彼女のあまりにも眩しい純粋さに苦笑したのではない。

 ――“かなわない”、と。

 この時初めて、俺は本心からフランカを一人の人間として尊敬したからだった。



 その時。



「「……!」」


 どこからともなく、朝のオルゴールが鳴った。――開店の合図だ。


 俺とフランカは同時に天を仰いでいたようで、顔を戻すタイミングもこれまた同時だった。

 俺はこの明るい曲調と相まって、思わず吹き出しそうになってしまう。


 昨日の夕暮れに聞いた、哀愁漂う音色とは似ても似つかなかった。

 いや、この音色は何も変わってなどいないのだ。変わったのは――俺だ。

 今の俺にとって、この音色は幸せの鐘の音にも匹敵する美しい響きを内包していた。


「…………」

「…………」


 再び、彼女と顔を見合わせる。

 そして俺は、なんとはなしに彼女へ汚れていない方の手を差し出した。


 目をパチパチと、彼女は呆けたような表情で、俺と俺の手とを交互に見比べていたが、次第に表情が崩れ……静かに微笑むと。

 赤いエプロンドレスのポケットに俺の渡した“メイシ”を仕舞い、俺の手を取った。


 ――俺たちは自然に踊り始めた。

 紙を折り曲げない程度の力加減で、その柔らかい手を握り、優しく引き寄せ、俺はフランカを優雅な鳥へと変貌させる。

 フランカはぎこちない足取りでリズムを刻むが、徐々に慣れてきたのか、緊張した頬を緩ませていった。


 俺も当然ながら社交ダンスなんてやった試しもないので、機械仕掛けの人形のようなカクカクした動きをしている。

 ……だが、それでもよかった。

 今はこの流れるようなラプソディ調の音色に身を任せるのが正解であると、おそらくフランカも、そう思っているはずだった。


 俺の思うように、そしてフランカの思うように――。

 音色の行き先を信じるのが、おそらく正解だった。


 〜♪ 〜♪ 〜♪ 〜♪


 俺たちは随分とサマになってきていた。

 個々人で自由に踊る一方、時に手を取り合い、時に離し、また手を取り……回り……靴でリズムを刻み。

 音を存分に堪能していた。


 また、俺たちだけではなかった。

 俺たちのダンスに魅せられたのか、『LIBERAリーベラ』の店内で退屈そうに縮こまっていた道具たちも、一人また一人と愉快軽快に踊り始めた。


 羽ペンは舞い、宝石は照明……衣服はカーテンとして色鮮やかに空間をいろどり、薬品の入った大瓶小瓶はカキン! と乾いた音で合いの手を――。

 水の入ったサイフォンはグツグツと泡立ち、ボゥボゥ! と時折火がトランペットのような息を吐く。本はバスドラム、壁のツタはバイオリン、食器やオモチャはソプラノを奏でた――。


 タッタッタラッタ〜♪ タタンタンタン♪

 タッタッタラッタ〜♪ タタンタンタン♪


 店内はお祭り騒ぎになっていた。

 が、皆派手に暴れるのではなく、基本的に曲調にのっとった動きで俺たちのダンスを中心としてグルグルと回っていた。

 世界が、俺たちを乗せて回っていた――。


 チャララララン♪ チャララララン♪ チャ〜♪

 チャララララン♪ チャララララン♪ チャ〜♪


 誰も止めようとはしない、められない、止まらない。

 というか、俺たちはコレを止める術を知らなかった……。

 曲が自分で止まるか……あるいは俺たちが終わりを見極めるしかなかった。


 ――ただ、俺は。

 これほどまでに楽しいひと時を知らなかった。

 だから、こんなにも楽しいひと時は、永遠に終わらなければいいとさえ思った――。


 もう一度、フランカの手を取る。引き寄せる――。

 回るフランカ――吸い寄せられる。

 顔を寄せた――が、愚かなキスはしない。


 片腕でフランカの背を支え、押し倒す。

 身を任せていたフランカは、抵抗の一つも見せなかった。

 そして俺は、もう片方の腕をバッと真上に上げて――そして。


「…………」

「…………」


 曲は止まった。

 同時に、俺たちの演舞にも幕が降りた。


 またちょうどその時――カランカラン! と。

LIBERAリーベラ』の、緑の扉が開け放たれ――


「やぁとも、イトバ君! 昨夜はぐっすり眠れたかい? 約束通り、同行の件について答えを頂戴ちょうだいしに来たよ」


 ナディアさんが姿を現した。

 白い陽光を背に受けながら、堂々と立っていた。


 俺はそのままの体勢で、ナディアさんに顔だけを向け、こう言った。

 とても清々しい、良い表情をしていたのではないかと思う。



「ええ。――是非とも、よろしくお願いします!」



これで一区切りつきます。

ただ、第二章はまだまだここからです。

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