第44話 『風呂ひとり、仮初めの唄』
……結局、夕食のシチューはほとんど口に運ぶことができなかった。
冷えたそれが不味かったからではない。フランカの手料理は、たかが温度程度で味を損なわせるわけはなかった。
単純に、食欲が湧いてこないのだ。
それは今日に限った話ではない。二日ほど前からどことなく食欲が減退していることを、俺は自覚していた。
理由は……まぁ、思い当たる節が色々とあるわけで。
フランカには頭を深く下げて謝った。
「いえいえ、気にしないでください。まだ病み上がりで、本調子じゃありませんでしょうし……明日の業務も、あまり無理はしないでくださいね」
柔らかな声調は、平生のそれと何ら変わりなかったが、俺は彼女の顔をまともに見ることができなかった。
ただ、「ごめん」と。
それを繰り返すことだけで精一杯だった……。
「――――っ」
ザバァ! と湯面に突っ込んでいた頭を出し、左右に振って水滴を払う。
「――。ふぅ…………」
腹の底から長い吐息を出し終えると、両手で髪をかき上げた。
……薄っすらと、目を開ける。
「あ~~~~……」
安堵のような、嘆きのような……とにかく、気力旺盛な年若い青年の口から出たとは思えない掠れた声が、周囲の岩肌に響いた。
なんとはなしに天を仰ぐと――拝めたのは、傘のように八方へ広がった木製の天井と、それを支える同じく木製の支柱と、それらの隙間を埋め合わせたような澄んだ夜空だった。
点在している星々は、今にも雨のように降り注いできそうだった。
「……。……。……言えなかった。…………言えなかった……。言わなきゃいけないのに……。フランカに……ああ、俺の意気地なしがぁ…………ブクブク」
ザブン! と、再び湯面へ頭を突っ込んだ。
――今日はフランカより先に風呂をいただいていた。
俺たちがいつも使っている生活用の風呂場は、『ファクトリー』の裏出口の隣にあった。
『ファクトリー』を訪ねる来客のための通路と隔てるため、人工的な茂みで隔たれている。俺やフランカは、いつも『LIBERA』のキッチンにある勝手口から出て、『ファクトリー』の裏手をぐるっと回って来ていた。クソジジイは……知らん。
そもそも、以前フランカに話を聞いたところによると、この風呂はボッフォイが『ファクトリー』を建造しようした際にたまたま地下の水源を掘り当て、拵えられたものだと言う。
『ファクトリー』の出入口付近にある井戸もそうだ。日頃の生活水は、時たま客人に提供する『コヒノコ』などに使用する水を除いては、ほとんどその地下水に頼っている。
ただ、不純物は少ないが元々の水温が低いため、こうして風呂として焚き出す際には、ボッフォイが協力して温度を高めてくれているらしく……認めたくはないが、気持ち良いぐらいにちょうど良い。
発見した当初は大騒ぎだったらしいが、一応、ラマヤ領の領主――ラマヤさんには地下施設もろもろ含めて許諾を得ることができたらしい。無論、地下水を商売目的で使用することは禁じられてだが。
まぁ、勝手に土地をほじくり返すこと自体が違法だしな……。
そんなわけで、風呂場はちょっとした“地下温泉”となっており、俺たちの日頃の疲れを癒してくれる憩いの場として機能していた。
「てか、あの巨体でこの湯船につかるのは無理があるのでは……」
俺の体躯の優に二倍以上はあるであろうボッフォイ。
風呂場はおそらく、彼三人分でいっぱいになってしまう程度の広さなので、少し堀のようになっている地下からピョコンと、地上に頭が突き出てしまうことになるかもしれない。
……想像してみたら、ちょっと笑ってしまいそうだ。
「…………」
……けれど。
今はそんな気分になれなかった。
風呂の順番もだ。
いつも俺がフランカの後に入るのは、説明するまでもなく、フランカの匂いをじっくりたっぷり堪能するためであるが、今日はそういった気分にもなれなかった……。
「…………」
揺れる水面に、俺の表情はよく浮かばなかった。
代わりに、たった今俺を苦しめている自己嫌悪や後悔といった薄暗い念がより鮮明になり、胸中で渦を巻こうとしていた。
俺は、また俺に失望しているのか……。
湯船の中から両手を持ち上げ、いっそこのまま顔を覆ってしまおうとしたが――直前で静止した。掌を見たのだ。
眺めていると、心なしか、異世界へ来る前よりも手の皮が些か分厚くなったような気がした。
左の瞼が痙攣した。
一ヶ月――この手でいろいろなモノに触れてきた。
フランカには、雑貨店経営に関してのノウハウや心構えを教えられ……。
ポルク村の人たちには、人との付き合い方を教えられ……。
『LIBERA』を訪れるお客さんには、笑顔と愛嬌を教えられ……。
……ついでに、クソジジイにも男気と仕事に対する誠実さを教えられ。
フランカに手伝われ、ポルク村の人たちに手伝われ、お客さんに手伝われ、クソジジイに手伝われ…………。
ルミーネとの出逢いを経て――。
俺が救おうとしたそれら全員を心配させ、介抱され、支えられ……………………。
俺は…………。……。何か、したのか…………?
「……。なんっにも……変わってねぇじゃねぇか…………」
ジャボン、と力なく両手が落下する。
……水の流れる音だけが聞こえる。
左の瞼がまた痙攣した。ここ最近、ずっとそうだった。眼精疲労なのか何なのか、時折こうして目がしょぼしょぼしてしまう。
少しだけ、頭も痛い気がする。
少しだけ、胸の辺りが痛いような気もする。
少しだけ……情けなくなって、目頭が熱くなった。
「――♪ …………ねるだけを~♪ ユメと言おうかこのココロ~♪ あそーれ♪ 目を醒まし~♪ 儚きこの世をどう見るか~♪ うつーらうっつーら、嘆くこの夜をどう眠る~♪ あそーれ♪ ――♪」
……?
それは突然のことだった。
目を見開き、顔を上げ、俺は周囲に視線を走らせる――。
「…………」
が、あるのは全域を取り囲む岩肌と、簡易的な脱衣所と……風呂場にある物以外は何も無かった。
……水の流れる音だけが聞こえる。
なんとはなしに天を仰ぐと――拝めたのは、先程と変わらない光景。そして、それを目指すように上っていく白い湯気が無数にあった。
「……。俺、いよいよどうかしちまったのか……」
目をこすり、タハァー……と、右手で額を押さえる。
じんじんと、頭痛がさらに酷くなってきたように思える。
「――♪ ……鳥は舞い~♪ 明けぬ彼方へ飛んでいく~♪ あそーれ♪ 目を覚まし~♪ わたしはそれを追いかける~♪ 西へ東へ、どこへともなく駆けていく~♪ あそーれ♪ ――♪」
――が。
勘違いではなかった。幻聴でもなかった。
ひっそりとした空間にはそぐわない、陽気な声がどこからともなく響いていた。
それがはっきりと分かると、途端に背筋にうすら寒いものが走った。
前にも言ったかもしれないが、実は俺はホラー耐性皆無なのである。ホラー映画を一人で観ることはできないし、お化け屋敷も一人では入れない。一度、高校の修学旅行で肝試しをやった際に気絶して、救急車のお世話になった経験があるしな……。
ともかく、こんな日の落ちた時間帯に目の前で怪奇現象になんて遭遇した日には、卒倒オサラバ待った無しだ。
硬直した俺は恐々と、縦横、左右にくまなく視線を配らせる。
深い碧色をした岩の外壁――脱衣所――ヒノキ色をした木製の柱――天井――――
「……あら?」
と、柱の先――傘のように開いた天井に近い部分――に、何やら拡声器らしきものを発見した。
そういえば、あの拡声器って何のために取り付けられてるんだ……?
俺は首を真上に向けたまま、今いる場所から反対側の場所へと移動した。その角度からはほとんど鮮明に、湯煙の中の拡声器を捉えることができた。
異世界に来てから一ヶ月、元の世界と同様に毎日風呂に入ってはいるが、それを見つけたのはつい最近になってからだった。
俺が異世界に来た時点で、既にあったのかもしれないが、しかし俺がそれを視認してから今に至るまで使用されたことはないはず――
「……………………きもちいいのかい」
……考えようによっては、声の源はそこからだった。
ゴクリ、と生唾を飲み込み。アゴ先の水滴が落ち。
俺はジッと、拡声器を見続けた……。
「…………おゆかげんは、ええのかい」
……だがどうも、些か声が聞き取りづらい。
スッと、耳に手を当て。眉を八の字にし。
俺はじっと、拡声器から発せられているであろう声に耳を傾けた……。
「……ええのかい」
「……?」
「……。……それで、ええのかい」
「……もしもし?」
「…………………………………………」
スゥ――――……と、一呼吸置いたのち。
「イエェェェェェェェェェェエエエエイッ!! お湯加減はァァッ!! いかがかいィィイイイイッ!? ブゥリィッヤッッフォォォォオオオオウウウウゥゥィィ――――ッ!!」
「ぎょえ……っ!!」
鼓膜が消し飛ぶかと思った。
慌てて耳をふさぐ――も。ぐらつき、声をよく聞こうといつの間にか立っていた俺は、湯船の中でひっくり返った。
ドブシャァァン! と激しく水しぶきが上がる。
「ヘーイ、ヘーイ、ヘ~イ♪ 『亡霊種』になって三百年、みんな大好きカルドだよん! お湯加減はよろしいかいおじょーさん!? カーカッカッカッ!!」
打ちつけた腰をさすりながら、もう片方の手で濡れた髪をかき上げると、拡声器が陽気な声に合わせてルンルンと踊っていた。
声の主は……例のボケガイコツのようだった。
「ってぇ……いきなり何なんだよ、マジで……あ、っつ、耳いった……」
キーン――――……という例の、この状況ならではの謎の金属音に加え。
鼓膜の上にさらにもう一枚膜が張られたかのように、ボワンボワンと……水の流れる音が鈍く聞こえる。
「あら? あららら? あらおろろ? その声はぁ……っと、声は……もしやもしやのイトバのアニィ!? どうしてそこにいるのかしらん!?」
「……。よくそんなことが呑気に言えるなボケガイコツ……。こちとら唐突に叫ばれて、あわや鼓膜がブチ切れ寸前だぜ……。ちなみに堪忍袋の緒は手遅れだ」
「もしやついに手を染め――いんや、でもこの感じ……あの御方の気配はあらず……。そもそもあの御方に限って許すはず…………。あっらー……そう。今日はなんだか違うみたいねん。――ま、いいや!」
何やら一人でぶつぶつと、カルドは俺を置いてけぼりにしていたが、最後はコロッと機嫌を戻した。
「そ・れ・よ・り――もうっ、なーんでちゃんと返事を寄越さないんですかぃ! てっきりこっちの声が聞こえていないのかと思ったじゃないですかい!」
「……あのなぁ。そういうのは、ふつー一言断ってから話すモンだろうが」
「だから最初に歌ってさしあげたでしょーに! アレで応答がない場合は緊急事態だってことになってるんですから、こっちを心配させないでおくれよ~」
「知らんわンなこと! 初耳じゃい! ……てか拡声器って、お前と話すためにあったのかよ」
再び立ち上がり、踊る拡声器にビシッと指を向けてみる。
「正確にはおいらではなく、『ファクトリー』とねん♪ さっきも聞いたお湯の調節とか、何か要望があれば拡声器でおいらへ繋げて、んでそれをおいらがオヤビンに伝えるって構造ですわ」
「うっさんくせぇモンかと思ってたら、なんか意外に便利だなおい」
そんな便利なものがあったなら、俺も存在に気付いた時から使っときゃあよかったぜ……と思ったところ、思い出した。風呂上がりのフランカが俺と交替ですれ違った時、たまに牛乳ビン(らしきもの)を片手に携えていたことを。
最初は、風呂場のそばに一杯喉を潤すための冷蔵庫的な何かが設置されているのかと思いきや、周辺にはそういった影も形もなく、不思議に思っていたものだが……この瞬間、判明した。
フランカは、そのカルドのサービスを受けていたのだ(どこでそれを手に入れるのかは、未だに分からないが……)。
しかし、俺にはこれまでそんなサービスを提供されたことは一度たりともなかった。そもそも、この拡声器の向こう側が『ファクトリー』に繋がっていたなんてことは、たった今カルドに知らされるまで露ほども知らなかった。
「……。まさか……」
先程のカルドとの嚙み合わない会話を反芻していたところ、一つの仮説が浮かび上がり、徐々にそれが俺の中で確信めいたものへと変わってきていた。
「あ……あんのクソジジイめェェエ……ッ!!」
ふつふつと、俺は煮えたぎる憤怒を視線に込め、拡声器――その背後――天井と柱の隙間を埋め合わせるような夜空――その背後にそびえる豪快な建物――もしかすると、その奥底――を恨むように睨みつけた。
「でよでよォ、イトバのアニィよォ♪ せ~っかくこうしてたまたま出会えたんですから、男水入らずの話でもしましょうや! あ、風呂に水はあるんですけどね! カーッカッカッカッ!!」
「…………」
カルドの頭が高速回転しているのが容易に目に浮かぶ。
俺はそんなカルドを、言うまでもなくウザイと思うし、もちろん今すぐにでもブチ成仏してやりたいところだが……何と言うか。そういう一切合切を通り越しているというか……。
今は――
「……。ワリィけど……カルド……。俺、今……あんまし誰とも話したくない気分なんだよ……。だから、頼むから、今日のところは放っておいてくれ――」
「あら……? まーた声が聞こえなくなったぞい? 調子悪いんですかねぇ~。しゃーない。もう一度、アレで呼びかけてみますかい――スゥ――――……イエェェェェェェェェェェエエエエイッ!! おいらにメロメロかァァァァアアンンィィィィイイッ!?」
「だァああああああああッ!! うっせェェイわこのボゲッ!! 近所迷惑じゃこの騒音ガイコツ!!」
「お? な~んだ、ちゃんと聞こえてるじゃないっすかぁ~! カーッカッカッ!! ちなみにご安心を♪ 夜になると『ファクトリー』並びに風呂場周辺には、防護魔術の一種が張り巡らされてあるので、おいらの声はイトバのアニィだけのものだぜィ!」
「だとすればこれは何のイジメだよ!!」
ハァ……ハァ……と、声を荒げたためか、思っていたよりも体力を消耗していた。
直後――頭にこれまで以上の鈍痛が走り、眉根を寄せた。
「……ッ!」
咄嗟に手で頭を押さえると、次は足の力が思うように入らなくなってきた。
な、なんだこれは……!?
直感が告げる危険信号に、俺の拍動はより早く、熱さからくるものではない嫌な汗がブワッと噴き出した。
「アーニキ♪ アーニキ♪ イートバーのアーニキ♪」
くらくらと、その場で数歩よろめくと、今度は視界まで白く濁り出し……。
あんなにも鬱陶しく、煩わしいと感じていたカルドの声までもが、徐々に遠くなっていくようだった……。
あ、これ……マジでヤベェやつだ……。
先日の、ルミーネとの一件で意識が遠退く経験をしていた俺からすれば、これは正にそれだった。
縦も横も左も右も分からなくなり、平衡感覚も無くなり……“立つ”という感覚そのものが不明瞭になってくる。
あとは……そう。
このまま流れるように、ゆっくりと倒れ――――
「――――オチツケ」
「――!」
…………。
……水の流れる音だけが聞こえる。
俺はその音をしっかりと聞くことができていた。また、その場で倒れているわけでもなかった。
「…………」
何かが変わっているわけではなかった。
俺は湯船の中で立っていて、カルドの声がする拡声器の方に顔を向けていて……変わっているわけがなかった。
しかし俺は、先程までこことは違う別世界へ旅立っていたような、そして今し方帰還したような、奇妙な感覚を得ていた。
ほんの一瞬の出来事であったはずなのに……。
「鼻から息を吸って……」
いつか聞いていたはずの声を耳にし、俺ははたと我に返った。
内容も鮮明に聞き取ることができた。
俺はまたどうしてか、その声に素直に従ってしまうのだった……。
「止めて。――ゆっくり口から吐いて…………」
言われた通り、瞬間的に呼吸を止め――すぐに口から息を吐き出した。
ゆっくりと、ゆっくりと……。長く、長く……。
「また吸って…………」
「スゥ――…………」
「吐いて……………………」
「ハァ――――……………………」
それを三回ほど繰り返した――その時。
ギギギギ……と上方から音が鳴り、見上げると――クレーンのアームのようなものが木柱と木柱の隙間から顔を覗かせていた。
その先端部分には、
「桶……?」
アームの先端部分と何本かの紐で繋がれたそれは、ゆらゆらとぶら下がりながら、ちょうど天井の真ん中までくると……ゆっくりと下降し始めた。
ジジジジ……と、まるでワイヤーを伸ばした時のような音を引き連れ、それは間もなくして湯船の縁に着地した。
カ、ッコン、と乾いた音が鳴る。
「……?」
眉をひそめるも、俺はジャブジャブとその元まで歩み寄り――湯船の端まで来ると、桶を手前へ手繰り寄せた。
するとそこには、
「そいつぁ、おまけですぜィ」
声がし――振り返ると、やはり拡声器からカルドの声が響いていた。
どうしてか、その声に随分と懐かしさを覚える。
続けて、カルドはこう言った。
「旦那には、内緒にしといてくだせェ」
「…………」
改めて桶の中身を見やる。
そこには、フランカが手にしていた例の牛乳ビンと、オレンジ色の液体が入った小瓶が一つずつ入っていた。
俺は戸惑い、片手にそれぞれ持ったまま静止していると、
「その小瓶の方を飲んでくだせェ。飲むと、気分が良くなると思いますぜ」
「……。怪しい薬品とかじゃあないんだろうな……」
「おいおいアニキィ~、冗談はよしとくれよ。アニキは『LIBERA』の商品にケチつけようって言うんですかい?」
「…………」
確かに、そう言われてから見直してみれば、普段から目にしている疲労回復のポーションに似ていなくもない。
キュポン! と小瓶のフタを外し、一応匂いを嗅いでみる。さっぱりとした、柑橘系の爽やかな香りが鼻の奥をくすぐった。
「…………」
俺は小瓶に口をつけると、そのまま一気に呷った。
ゴキュッ、ゴキュッと、中身は二口もあれば容易に飲み干せた。
「……。ふぅ…………」
味にも問題はなかった。
やはりオレンジに似た風味が、元来の薬品の味を掻き消すかのように口いっぱいに広がった。
「カッカッカッ。どうです? 少しは落ち着きましたか?」
「あ、ああ……。まぁ、言われてみれば……」
試しに胸の辺りを少し押さえてみるが、鼓動は平常時の規則正しいリズムを取り戻していた。
まだ若干の頭痛はあるものの、いつしか発汗もおさまり、異変を訴えていた俺の身体は、まるで何事も無かったかのように健康そのものだった。
では、あれは一体何だったのだろうか……。
額に手をやり、次に眉間を指でもむが、一向に結論は出てこなかった。
けれど……そういえば、随分と入浴していた気もする。のぼせた、ということも有り得るかもしれない。
今日はフランカを待たせているし、これ以上長風呂するのも気が引けた。
「――カルド。……。その……いろいろと、ありがとうな。そろそろ上がるわ。二人でゆったり対談するのは、また今度ってことで……」
「あれま、もう上がるんで? まーまー、もうちっとだけ待ってくだせぇよアニィ♪ せっかく訪れた機会なんですしぃ、あれこれかれこれ話しましょーよー!」
「いや、マジで今日は勘弁してくれ。俺はもう大丈夫だから、さ……」
無神経なボケガイコツは、いつもの陽気な調子で、相変わらず俺に提案を持ちかけてくる。
だが俺は、そう言って半ば強引に話を打ち切ると、牛乳ビンを手に湯船から上がった。
それから脱衣所へ向かおうと――
「……アニィ。何か、悩みでもあるんじゃないんです――?」
「――――」
……水の流れる音だけが聞こえる。
ピタリ、と。
カルドのその言葉に、気付けば俺の足は止まっていたのだった……。