第39話 『我が家へ。その道中』
大分と期間空けて申し訳ありませんでした。。
やっぱり、破って捨ててしまおうかな……。
――赤い封蝋らしきものが施された一通の白い手紙。手にしたそれに視線を落とし、唸る。
ポルク村から『LIBERA』までの帰り道――リカード街道を歩きながら、俺はそんなことをもうかれこれ三回ぐらいつらつらと考えていた。
きっと今の俺は額にシワを、目や口を鼻頭辺りに寄せた険しい顔付きをしているのだろう。
先程ポルク村を後にしようとした際に「あらまぁイトバさん。そんなお腹を覗き込むような体勢でどうされました? 痛むのですか? それともお身体の具合がまだ……」と知り合いの村民に気遣われたのがいい証拠だ。
しかし、「い、いやぁそんなまさか! そんなまさかですよアハハのハ! いやだなぁ~もぉ~! ほぉら、ご覧になってください……なんということでしょう! あれだけボロボロだった身体は今やここまで元通りに――ッ!」と調子に乗って後屈し過ぎて背中を痛め、一時的に本当に気分が悪くなってしまったことは痛恨の極みである。
ルミーネと別れてから、なんとなく気持ちが浮ついているのは自負していた(……念のために言っておくが、ほっぺにチューをされたからではない)。
浮つくと言ってもそんな良いものではなく、人とすれ違っただけで顔色の心配をされるぐらい、寧ろ気分を害すに近しいものだ。
「紹介状……リカード王国……紹介状……リカード王国……」
呪文のように唱え続けているそのことが、ずっと頭の片隅で引っかかっていた。
――なぜ、リカード王国へ紹介状を送る必要があるのか。
そもそも“紹介状”というのは一体何なのか……?
字面のみから察するのであれば、“面識のない人同士を結びつける”仲立ち的役割を担う代物だ。俺の認識では、“医者が患者を大きな病院などへ紹介するためにしたためるもの”というのが一番しっくりくるのだが……異世界では少々意味合いが違ったりするのだろうか。
例えば自分の存在を誰かに表明する――“身分証明書”だったり、それこそ俺が所持している“名刺”だったり、とか。
ルミーネは俺を誰かに紹介したいなどとは一言も言っていなかったし、そう考えると必然的に前者の解釈が消えるわけだが……けれど依然として“なぜ、リカード王国へ紹介状を送る必要があるのか”という疑問が拭えない。
ルミーネが自分の存在をリカード王国の誰かに伝える目的とは……? そしてその情報を利用して誰かに伝えたい紹介状の内容とは……?
「…………」
ルミーネには『配達屋が依頼人の内情をあれこれ探り回るのは、あまり褒められた行為ではないのではないのかい?』と言われ思わず聞きそびれてしまったが、やはりこの依頼を遂行するに際して知っておくべき情報なのでないかと俺は思うのだった。
プライバシーの侵害、と言われればそれまでだが……。
「って言っても、頑なに聞いたところで口を割るはずもないしなぁ……」
悪戯っぽい微笑を浮かべ、「その通りさ」と念押しをするルミーネの容貌がありありと脳裏で思い描かれる。本当に食えない人だ。
そんなわけで、俺は自分の頭では到底解決できそうにない堂々巡りの疑義についてあれこれ思案し、結果無駄な気疲れまで背負いこむ羽目になっていた。
これではいけないと思い、一度はそれら一切合切の懸念を頭から振り払おうとしたのだが、今度は別の疑念が浮上してきた。
いや疑念と言うよりも、これは紹介状の中身以前の根本的な問題と言うべきか。
咎人の依頼を勝手に請け負っていいのか――という点についてである。
よく映画やドラマなどでは、刑務所に収監されている囚人が友人・家族・恋人などの親しい間柄の人物に宛てて書いた手紙の授受を看守に依頼し、看守がそれを問題がないかどうか検閲するシーンがある。
無論そうするのは、囚人が卑しい計画を企て、塀の外にいる協力者に援助を求めたりする行為を予め防止するためだ。……俺はそれをやっていない。
村長からの配達依頼――リカード王国へ長剣を送り届ける――のついでとして仕方ないと百歩譲って妥協はしたが、よくよく思い返すと、あまつさえ肝心の依頼料さえ受け取っていない。
この違法行為を唯一正当化たらしめたであろう“依頼料”を、俺は受け取っていないのである。
……しつこいがチューはノーカンである。
まぁ、強いて言うならあれが本物のリップサービス? なんつって。
「そりゃあ、やっぱ……ダメだよなぁ~」
首をもたげ、天を仰ぐが秒で沈下し肩を落とした。豊穣の女神様が「めっ!」とお叱りのお声を放った気がする。
すんません……。
「…………。……やっぱり、破って捨てた方が――」
できない。
できていたらもうとっくに心には羽が生え、今よりは幾分か軽かったろうに。
村長に一声かけるべきだったかな、と後悔の念に駆られるが、別れ際に集会に行くとかなんとか言っていたから、今から戻って探すのは骨が折れるし迷惑だし、それに今からポルク村へ戻るとなると午後の営業開始時間に間に合わなくなってしまうし……。う~~~~む。
『フフッ。信頼しているよ、青年』
「…………」
“明日もう一度出直そう”という考えを打ち消している原因はそれだった。
村長にこの件を話せば、必ず待ったをかけるのは目に見えている。ルミーネに対して反感を抱いているポルク村の村民の中でも、一番に疎ましく感じているのは正しく彼なのだから、そうしない理由があるはずがない。
それを分かっていて、俺は明日もう一度出直そうと思えないのだ。
このルミーネの紹介状は、目的が不鮮明ながらも彼女の想いが綴られた一通の手紙だ。
やましい魂胆さえ付随していなければ、本当にただの手紙なのである。
もし仮にそうだったとしたら、俺、ないしは村長の独断と偏見で“無かったコト”として帰してしまうのは、どうも良心が痛んでならない。
それに……ルミーネは俺を“信頼している”と言っていた。
和解した“あの日”から日が経つに連れて、彼女に対する信頼の有無が自分自身でさえもあやふやになっていた俺に、今日ルミーネは大事な手紙を届けてきてほしいと頼んできた……。
普通そこまで信頼を寄せていない人間にそんなことを頼めるだろうか。……いや、できるはずがない。
ルミーネは、俺が必ずこの紹介状をリカード王国まで届けてくれるという確信があったからこそ、今回この依頼を一任したはずだ。
彼女の性根を察するに、たとえ実現の可能性があまり見込めなくとも、目的達成のためならば運さえも投資するような“勝負師気質”だとはあまり思えない。
たかが一度や二度の面識で人間の本性を断定できるはずもないが、ルミーネに関して言えば、“普段は理知的で計算高く、時たま謎のユーモアを発揮する不思議さん”という本性の一片ぐらいは垣間見た気になっている。
その一度や二度の面識で、彼女とあまりにも濃密な時間を共有したせいかもしれないが……。
ともかく、信頼してくれている相手に未だ猜疑心を抱き続けているこんな失礼な小心者への善意を無下にできないという想いが、俺がそうすることを躊躇っているもう一つの要因だった。
「はぁ…………。あぁ~あ……」
思わず欠伸が零れる。
ここ五日間でしっかりと休養は取れたはずだが、まだなんとなく身体が重いのは寝不足だからだろうか。夜更かしはしてないんだがな……。
とは言っても、結局のところルミーネの素性については何も知らないし、中央大陸のオーティマル王国に籍を置くだけでどこの組織にも派閥にも属さない“放浪魔術師”になった経歴もよく分かっていない。“行方不明の知人探し”をすることになった仔細な経緯も。
当然だが、このように未知の部分が圧倒的に多い。
まぁ、それでなくても一つだけ確かに言えるのは、普段の彼女は感情をあまり表に出さないこともあって、何を考えているのか分かり辛いということである。
そんなこんなで、現在俺は脳裏で絶賛開催されている無駄な思考巡りの旅をいよいよ四回終えようとしていた。
「あれ、もうこんな所まで帰ってきてたのか……」
視界の先で、我が家の玄関先に置いてある立て看板がぼんやりとした輪郭を帯びていた。
やはり気持ちが浮ついているせいか、俺はとうに『LIBERA』まで帰り着いていたのを今し方まで気付くことはなかったようである。
再度視線を落とすと、路地の左側に自分の影が浮き出ていた。頭上より降り注ぐ白の陽光が、その影を横に長く伸ばしている。
後一分もしない内に玄関先に辿り着くというところで、俺は立ち止まり、何気なく空を仰いだ。
「まぶっ」
反射的に目を細めた。危うく長剣が腕の中を摺り抜けようとするも押さえ、片手を廂代わりとして額にあてがう。
昼下がりになって徐々に顔を見せ始めたのか、世界を明るく照らそうとする太陽の情熱には容赦がない。
――と、額にあてがっている片手の左側――親指と人差し指の隙間に挟まっている件の紹介状が目に映った。
「…………」
まさかな、と一瞬よぎったのは余計な下心だった。
俺は親指と人差し指で紹介状を持ち直し、それを頭上から正面まで下げてくる。
顔もその動きに合わせて下がり、再び正面を向く。
「…………」
まるで写真を撮影するかのように、しばらくじっと眼前にある四角形を見据えていた俺は、もう一度それを頭上に掲げる。
同じく顔もその動きに合わせて上がると……視界は曇っていた。
が、間もなくして。太陽がそれの端から覗いてキラリと瞬くと――。
「っ」
二つを同時に下げた。無意識に目を瞑っていた。
止めだ、と吐き捨てるようにぼやき、項垂れていた頭を二、三度横に振る。
それから、シワの伸び切った表情で数度瞬きを繰り返すと、
俺って、本当に……一体何がしたいんだろうな……。
ぼんやりと掌を眺めていた。
包帯のまだ取れていない傷だらけの手だ。先程ルミーネの胸倉を掴んだ際に傷口が開いたのだったか、若干ながら赤黒い血が滲んで汚れていた。
こうして意識すると、じんじんと痛みを訴えかけてくる。
「包帯……後で巻き直しとくか」
とうに出血は治まっていたが、俺は“雑貨店店員”という職業柄、言うまでもないが雑貨――お客様に売り出すためのあらゆる“商品”に接触したり接客したりするのだから、本来ならば手は常に清潔にしておかなくてはならない。
それに、万が一にも傷口から異世界特有の細菌やウィルス――俺が知っている一般的なものとは別種のヤベーやつ――が侵入して、未知の感染症や炎症を引き起こしでもしたらたまったもんじゃない。
……ていうか、そもそも見た目的に気持ち悪いし痛いし。
「――ん?」
歩みを再開させた俺が次に動きを止めたのは、痛々しいその手を軽く振って顔を正面に戻した時だった。早速だった。
理由は単純。徐々に輪郭を取り戻しつつある『LIBERA』の立て看板の手前に、割と大きな人影があったからだ。
先程まで確かにそこにいなかったはずの人影は、こちらから視認できる立て看板に丁度被るような場所で一人佇んでいた。
あるいは、位置的に『LIBERA』の玄関先と言い換えられるかもしれない。
「あ――――」
側面だけでも人影の正体は容易に掴めた。
なぜなら、暗緑色のローブで全姿を包み、赤朽葉の長髪を背中まで緩やかに伸ばし、ザクロ色の瞳を一つ輝かせ、おまけに山羊のような巻き角を頭上に二本も生やしているような奇異な知人を、俺は他に知らないからである。
「――――」
腹の奥底からムズムズと、“困惑”と“驚喜”を足して二で割ったものに近い感情が湧き上がってきた。
次回の更新は、そんなに間を置かないと思います。